父 吉田茂
麻生和子 新潮文庫
「戦争に負けても、外交で勝つ。それがじいさんの口癖だった」 第92代 内閣総理大臣 麻生太郎
自分の信念を貫き、人をうまくまとめて、おじいさんは日本を復興させていった。政治状況は困難でしたが、面白い時代をおもしろく生きたんです。 麻生太郎
戦争に負けて、外交で勝った歴史があるーーー。終戦後、吉田茂は口癖のようにそう語った。そして、歴代4位の在任期間を語る稀代の指導者となった。欧州や中国に赴いた外交官時代。米国との開戦阻止に動いた戦前。サンフランシスコ講和条約、バカヤロー解散・・・・・・と、信念を押し通した首相時代。官僚、政治家、父親。 全ての吉田茂に最も近くで接した娘が語る「ワンマン宰相」の素顔。
吉田茂
外交官・政治家。東京生まれ。東大卒。外務次官・駐英大使などを歴任。第二次大戦後、外相。1946年日本自由党総裁、次いで首相。48~54年連続して首相となり、戦後政治の基本路線を定め、親米政策を推進。51年サンフランシスコ講和条約に調印。(1878~1967)
NHKドラマで渡辺謙がどのように演じるのか? かっこよすぎるな~・・と思っていたら、文庫本の棚におさめられていた。
*「日本を近代国家につくりあげるために、自分はなにをすべきか。国のために、自分はどう貢献できるか。そうしたことをまず第一に考える人たちがいたのが明治という時代の特徴であり、・・・」 今の政治家に聞かせてやりたい。
*「ディプロマティック・センスのない国民は、かならず凋落する」 今の・・・、以下同文
*「無知なものが権力をにぎるほど怖いことはない」 どこかの元首相か・・・
*「女はいくら飲んでもいいけど、酔っぱらうことは絶対に許さない」と娘の和子に。この時代に飲んでもいいという考えはずいぶん先進的であったろう。そして酔うなという言葉は娘への愛情であり、吉田家のプライド、外交官として経験から出た言葉でしょう。
*「もう時効ですからお話ししてもいいかと思いますが、父の個人的な政治資金は麻生家から注ぎ込んでいたものでした。父のところにいくお金について、主人は二重帳簿をつけていました。お金をつくるためになにかを売る場合、ないしょで売って、売ったお金が父のほうに流れていることをつきとめられないよう二重帳簿につけます。」 大胆な発言ですね。いつの時代にも政治にはお金がかかる。それをどこから手当するかが問題。ねえ、石原東京都知事。
*「ソ連が北海道に進駐したいといってきたときに、もちろんアメリカの戦略でもあったのでしょうが、即座にはねつけたのもマッカーサーでした。ソ連が来ていたら、北海道はソ連の占領下に置かれ、日本は北朝鮮と韓国のような状態になっていたでしょう」 そういう可能性があったんだね~。冷戦が始まるまでに東西の線引きが米ソで行われていた。朝鮮戦争があったので、北海道までは米ソとも手が回らなかったのかな??
*「日の丸というのは、海外で見るとわけもなく胸の熱くなる旗です。」 そう思います。そして日本列島の地形も実に味がある。
*「それというのも、男の人にとっては、やはり権力というものがよっぽど魅力なのでしょう。自分の思ったとおりにできる権力をえるために、常に得になるほうへと身を処していく。常に得なほうへつくということが、ためらいもなくできてしまう場合があるようです。」 昔も今もかわない。最近は節操がないけどね。変節・変身は人生で一回くらいにしてほしいけどね。
*「父のいいところは、あとで悔やんで恨んだり、愚痴をいったりということがまるでなかったことです。」 見習いたいが、なかなかできない。「すんだことをぐずぐずいうのは潔くないと思っていたのでしょうし、もともとすっきりした性格でもあったのでしょう。」
吉田茂を通じて時代・歴史を目の前に感じる部分と、素朴に人となりを記述している。また、和子自身の生い立ちや人生も描いていおり、才女であり、多くの子供を育てながら、麻生家の影のドンでもあったのではなかろうか?? 太郎君がんばらねば。!!!
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熱いドバイでの1冊