笹子雁ヶ腹摺山


 先週笹子雁ヶ腹摺山に行ってきました。

 大月市は秀麗富嶽十二景といって富士山をきれいに眺められる場所を12景設定してある。「富士の眺めが日本一美しい街 大月市」と謳うだけあってガイドマップやパンフレットが中央線沿線の大月駅前後の各駅に置かれている。富士山に近い立地条件もさることながら、冬季には日帰りで登れる手頃な山々が多くある。

 雁ヶ腹摺山の名前の由来は「英ちゃん」から教えてもらった。ありがとうございました。 それは雁が空を飛んでいて前方にある山にぶつかりそうになって、お腹を摺るくらい高い山というところからきている。まあ、それほど高い山ではないのだが、由来は面白いし、最初はどう読むのかわからなかった。十二景の中にはなんとこの「雁ヶ腹摺山」が3山ある。雁ヶ腹摺山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山、この笹子雁ヶ腹摺山。登っていないのは雁ヶ腹摺山だね。そして秀麗富嶽十二景の山々も残っているし、山梨100名山というくくりもある。山を歩いていると低山でもついつい制覇とか踏破という気分になってしまう。いけないいけない。 山は誰と、どのコースでいつ登ったということが大事で、一度くらいその山を登ったくらいであれこれすべてを知ったフリをすべきでない。と某氏に教えられた。



TREKKERの雑記帳-001笹子鉱泉

笹子駅から登山道に向かって歩くと「しらかば」というドライブインがある。看板にも書かれている「笹子鉱泉」。数年前に営業を停止したらしい。帰りに温泉がなくなったのは寂しい。



TREKKERの雑記帳-003矢立の杉 TREKKERの雑記帳-005矢立の杉

山行ルートは甲州街道から笹子峠に進み、そこから山頂にむかうもの。

笹子峠に向かう甲州街道は昭和の前半までは東京(江戸)と山梨(甲府)を結ぶ幹線道路だった。(五街道のひとつ) 徳川幕府が甲府に親藩を置いた理由がわかる。この笹子峠を越えなければ江戸には入れないのだから。 その甲州街道を少しだけ脇にそれると「矢立の杉」がある。

 出陣する兵士がこの杉に矢を射立てて富士浅間神社を祀り、戦勝を祈願したといわれている。

TREKKERの雑記帳-007杉良太郎

杉良太郎が「矢立の杉」という唄をうたっている。このお地蔵さまは彼が寄進したもので、良くみると顔がそっくり。



TREKKERの雑記帳-006甲州街道

街道をゆく。五街道のひとつ「甲州街道」を歩く。


TREKKERの雑記帳-008紅葉

今年は天候不順で秋が短かったためかきれいな紅葉がすくなかった。


TREKKERの雑記帳-009笹子随道 TREKKERの雑記帳-010笹子随道

笹子随道 昭和十三年完成。昭和三十三年の新笹子トンネル開通まで甲州街道の難所を貫いていた。 この隧道の脇から山道に入る。


TREKKERの雑記帳-016笹子雁ヶ腹摺山  

山頂 きれいに富士山が見えていた。



TREKKERの雑記帳-012富士山 TREKKERの雑記帳-013南アルプス

富士山と 南アルプス



TREKKERの雑記帳-014蜃気楼

蜃気楼のように富士山のうえに、より高い山が・・・・、見えるような・・・・。


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温泉がないので、残念ながら自宅に直行、かわりに銭湯にいって温泉気分を味わった。風呂桶をさげて居酒屋に入るのもいいね~。

2010 秋 箱根


 しばし、ブログから遠ざかるとアップするのが面倒だね~。こういうときもあるだろう~。ガマンガマン。

 もう、すっかり冬に突入したけど、10月の末にわずかな秋にふれました。なかなか休みがとれないので、仕方なく土、日曜日を使っての一泊旅行。さすがに要所要所では混雑していましてね。そんな中でイベントとして箱根ガラスの森にいってきました。


TREKKERの雑記帳-箱根001

少々、入場料が高い。それがいままで足を運ばなかった理由かな~。そしてなぜ箱根でガラスなの?って。 でもちょうど「箱根スイーツフェスティバル」??のようなイベントが開催されていて、レストランなどでこの期間限定スィーツが食べられる。カタログをみるとここのレストランのスィーツが美味しそうということでイン!!!


TREKKERの雑記帳-箱根003

入り口に噴水なのか、お手洗いなのか?(製作者に失礼!)でも、場違いではあった。 どうせなら「真実の口」バージョンのほうがおもしろかったのに。



TREKKERの雑記帳-箱根007

庭園の橋にかかるヴェネチアングラスの簾?ドーム。噴水のようにも、薄いカーテンのようにも見えるが、実際に見ると光に反射してキラキラと輝いていてとても美しい。近くでみると単なるガラス玉がまとまっていると壮大なオブジェになる。


TREKKERの雑記帳-箱根005 TREKKERの雑記帳-箱根008


TREKKERの雑記帳-箱根012

庭園だからお花もある。名前をわすれちゃった。


TREKKERの雑記帳-箱根013

わすれちゃった。

TREKKERの雑記帳-箱根017

わすれ・・・た。


レストランカフェテラッツに入って限定スィーツをたのむと3時なのにもう売り切れだと。オーィ、こちらは高い入場料を払っているんだぞ~。スィーツを食べる目的が半分はあるのにそれはひどい。 でも、いい雰囲気のレストランだった。秋のこもれびの中、ピザでワインを飲みながらカンツォーネを聴きたいものだ。(入場料をとられなければ)



TREKKERの雑記帳-箱根031

なぜか、ススキが観光スポットになっていた。歩いた。けど突き当たりは何もなかった。


温泉のイオウの臭いが下着に移った。選択してもまだ香る。いつでも風呂あがり。


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いい旅行でした。

峠 

司馬遼太郎著 新潮文庫


幕末、雪深い越後長岡藩から一人の藩士が江戸に出府した。藩の持て余し者でもあったこの男、河井継之助は、いくつかの塾に学びながら、詩文、洋学など単なる知識を得るための勉学は一切せず、歴史や世界の動きなど、ものごとの原理を知ろうと努めるのであった。さらに、江戸の学問にあきたらなくなった河井は、備中松山の藩財政を立て直した山田方谷のもとへ留学するため旅に出る。


-武士にとって最高のモラルはいさぎよさということであり、この道徳美は自分が武士であるかぎりまもらねばならぬ。


-君子あやうきに近よらず

 無事是好日

 頭をはられてもはっても恥辱の事


-町人が勃興し、貨幣経済が発達し、世の中は米ではなく貨幣でうごくようになり、かつひとの暮らしも贅沢になった。目さきに敏感な西国諸藩はもう百年も前からこの体制の欠陥に気づき、米作本位の経済にあわせて、殖産と内国貿易を開発し、密貿易などをして大いに金銀をたくわえているという。


-農地にむかぬためにスイスは古来牧畜を主産業とし、バター、チーズなどの乳製品を他のヨーロッパ諸国に輸出して暮らしをゆたかにしてきた。近世になってからは牧畜だけでなく、機械類を作っては他の国に売り始めた。他国へ出る峠道が長大でありすぎるため、大きな機械では輸送が不自由だからである。このためスイスの得意とするのは精密機械で、とくに時計であるという。


-侍というのは、成るか成らぬかわからぬ将来のことはいわない。うそになるおそれがあるからであろう。


-朱子学では天地万物はちゃんと客観的に存在する。いっさいが客観的存在であるという。陽明学ではそうは見ない。それら天地万物は人間であるオノレがそのように目で見、心で感応しているからそのように存在している。  天地万象も人間の心も「同体である」という。 だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよくみえる。学問とはなにか。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。


-儒教の根本義である仁というものである。儒教では惻隠の情というものを重く見る。


-武士とは、精神の美であるという。その美の像ができあがるまでに、徳川三百年というながい歳月がついやされている。


-書物の種類がすくなかったころだけに、人がいわば書物のような時代であった。


-天皇 この国の王家であるとともに、日本の固有信仰である神道の宗家でもあった。日本の天子の位置には宗教性が濃く、たとえば中国の皇帝とは違っている。


-古来、東海道は権力往復の地である。歴史をみても、源平のころ、京の権力(平家)が鎌倉(源氏)へ移り、つづいて足利氏が逆に関東で興って京都で政権をたてた。織田氏は尾張でおこって京にゆき、豊臣氏もそれをついだ。徳川氏は三河でおこって、京の権力を関東に移した。すべて東海道を往復しているところを見ると、この街道は単に交通路ではなく、日本の生命とかかわりがあるらしい。


-東海道には五十三の駅があり、幕府が管理している。その五十三の駅のことごとくに官許の娼妓が置かれている。また、江戸の名物は浮世絵版画で、これは春画である。さらには日本人は好色譚をこのむ。この種の淫靡への寛容さはキリスト教国にはない。


-人間の美しさのひとつは、老いるにつれて自分の過去が美しくみえてくることであろう。


-京では西本願寺が勤王色が濃く、これに反して東本願寺が明確に佐幕派であった。両派とも一万カ寺内外の末寺をひきい、その経済力は鴻池に匹敵し、法主はそれぞれ門跡であり、親王・公卿の処遇にひとしい。ちなみに西本願寺は豊臣秀吉に庇護され、徳川期に入り、家康は本願寺勢力を削ぐために分派させ、東本願寺をたてさせた。


-武士というものはどんな意味の死でも、つねにその場で死にうる覚悟を養っているべきだというのが、継之助の日常の思想であった。


-人の世は、自分を表現する場なのだ。自分の志、才能、願望、うらみつらみ、などといったもろもろの思いを、この世でぶちまけて表現し、燃焼しきってしまわねば怨念がのこる。


-田舎の三年、京の昼寝


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河井継之助

江戸末期の長岡藩士。佐久間象山・古賀謹堂に学ぶ。長岡藩の藩政改革に尽力。戊辰戦争に藩の中立を説いたが、明治政府軍にいれられず交戦。長岡城奪還戦で負傷。会津にむかう途中死去

デフレ時代を生きる知恵

小学館文庫編集部編 小学館文庫


 2001年3月、政府は日本経済が「緩やかなデフレ状態」になったとの公式見解を発表した。

 政府も認めざるを得なくなったデフレ状況に、経済への不安が募る。景気の混迷、企業の経営不振、雇用の減少・・・・・・。

 とはいえ、デフレで物価が下がるということは、消費者にとっては歓迎すべき状況ともいえる。

 そもそもデフレとは何なのか。そのメリットとデメリットとは? 25のQ&Aでデフレの謎を徹底解明。

 生活者として、サラリーマンとして、デフレ時代を賢く生き抜く方策を、気鋭の経済ジャーナリストが提言する。


第1章 入門編 デフレの正体がわかるQ&A25

第2章 実践編① 消費生活とデフレ---財産はどうなる

第3章 実践編② デフレで「仕事」はどうすべきか

資料編 高橋是清の政策 

     昭和大恐慌の教訓


 本棚を見たら、この本のタイトルが目に入ってきた。おそらく2002年くらいに購入したものと思う。読んだような気もするが。記憶力の欠如もさることながら、あれから10年近くたってもまだデフレが続いているんだと思い、もう一度手にとって見た。

 個人的には、時期はいつだとはいえないが、世界経済に大きなターニングポイントが近づいているような気がしてならない。また、デフレを助長している低金利政策が日本経済に重くのしかかっているような気がする。(経済の常識に反することだが。)


ポイントを列記すると(本書より)

*デフレ下で実質的なお金の価値は増大している。

*賢い消費行動のための基本原則は「資産と負債の総合管理」にあり。

*資産が増えないのであれば、負債を縮小させるべし。

*新規のローンは極力避けること

*所有するのか、使用するのかを見極め、レンタルの有効活用を。

*不急不要の買い物は、先送りにするのが懸命。

*本当に必要なものを買う「重点消費」の生活をスタイルを確立せよ。

*デフレからインフレへ移行する可能性も大、インフレ対策も怠りなく。

(もし、ここ数年がデフレの最終局面であれば、インフレ対策というのは現在の円高を利用して外貨を保有すること。これはリスクをとるのではなく、リスク低減のためのヘッジである。)


-格差はデフレ、円高において起こっているのではない。企業努力によっておこり、グローバル化の中では当然起こりうる現象。

-産業格差、企業格差、従業員格差 (これもデフレとは関係ないか?)

-これからはそれぞれのフィールドで勝ち組に乗る、なる必要がある。

-肩書を捨ててしまえば、チャンスはいくらでも転がっている。中小企業に再就職すれば、能力を発揮できる。本気であれば、全知全能の神になれる。コンプレックスを企業名のブランドで埋め合わせているだけではだめだ。企業から必要とされる人間になることが大切。


-デフレ時代にあっては実物資産を持たず、資産はもっぱら金融資産のみ、負債はないという状態が最高のポートフォリオだ。極論すれば、すでに莫大なローンを借りて住宅ならびに耐久消費財を保有しているという生活スタイルがもっとも損な状態だ。言い換えると、デフレ経済においては、後者(もてる者)から前者(持たざる者)への所得移転が進むのだと見ることができる。


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最終局面にはいったような気がするのだが。


生還 山岳遭難からの救出

羽根田 治著 山と渓谷社


生死の境を分けたものはなにか-----

遭難という極限状況のなかで生き抜いた登山者たちの生還のドキュメント


仕事の合間にこつこつと国内の山に登っている、ごくふつうの山好きな人たち。個人の楽しみや健康のため、ささやかな趣味として山登りを実践している登山者たち。

彼らが予期せぬアクシデントに見舞われ、絶対絶命の状況に追い込まれたとき、そこでなにを考え、どう行動するのか。その結果として力尽きて死んでいく者と九死に一生を得る者との差はどこにあるのか。生きて帰ることのできた者は、どのようにして生をつなぎとめていたのか。私はただそれを知りたいと思った。


思い込みの落とし穴---北アルプス/南岳

行き詰った沢ルート---福島/飯森山

フラッシュが救った命---北アルプス/西穂高岳

十七日間の彷徨---志賀/岩菅山

暗転の沢---南アルプス/仁田沢

修験道の道迷い---大峰/釈迦ガ岳

風雪に消された下山路---北アルプス/槍ガ岳


教訓

*事前に家族や地元の警察に計画書を提出する。

*しっかりとした装備で挑む。火、ストープ、非常食、ツエルトは必携

*万一、遭難してしまったら、救助が来るまでじっと待つ。

そして、なるべく単独行は避ける。「おかしい」と思った時点で引き返す。事前にしっかり調査、下調べを行う。道に迷ったら絶対谷に降りるな。個人的には時間に余裕を持つを付け加えておこう。


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事故や遭難にはほんの紙一重ということも今後あるかも知れない。誰もが歩いたことがあるルートで起きている。





塔ノ岳


 体育の日を11日をからめた3連休。9日に歩く予定だったが、あいにくの雨。山行を11日に延期して8日金曜日は本八幡と小岩を飲み歩いた。10日午後からお天気も回復。3連休を家で過ごすも芸がない。久しぶりにヤビツ峠までバスで上がった。

 10日も自宅で軽く飲んでいたので、始発を断念して06:05分の電車で新宿へ。そこから秦野まで予定通りであったが、9,10日の雨の影響か、バスターミナルには長蛇の列。8時18分発の第2便のバスには6人差で乗れずじまい。後ろにもまだあぶれた登山客が列をなしていたが、神奈川中央交通は臨時バスを出してくれない。ふざけろよ~。神奈中。誰のおかげでバスが運行できているんだ~。(土日休の早朝は・・・) おおよそ35分も待たされて次のバスに乗車。ただし、座れたけれど。7:35分の朝一のバスには臨時バスがでるのにな。やはり一番のバスに乗らねばと反省。

 お天気は早朝は快晴なるも、ごごには少しづつ雲がでて、富士山はあいにく拝めなかった。秋らしい湿度の低いさわやかな天気だったが、やはり登るには少し暑かったかな。

 


TREKKERの雑記帳-180塔ノ岳

TREKKERの雑記帳-181塔ノ岳

左奥に大山、右は三ノ塔。そのずっと奥には横浜のランドマークや東京の高層ビル群も見えた。



TREKKERの雑記帳-182塔ノ岳

TREKKERの雑記帳-183塔ノ岳

蛭ヶ岳、檜洞丸


TREKKERの雑記帳-184塔ノ岳

尊仏山荘


出遅れをカバーするために下山は休みなし。2時間で大倉尾根を下りた。この尾根を3時間未満で登ってくる人がいるとは・・。 1000mを超える一気の登りだ。


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帰りの温泉や一杯スポットが渋沢にないのが残念







竜馬がゆく

司馬遼太郎著 文春文庫


幕府は三百年の政権を奉還した。しかし竜馬は流星のように・・・・・


慶応三年十月十三日、京は二条城の大広間で、15代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。ここに幕府の三百年近い政権は幕を閉じた。------時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。しかし竜馬はそれを見とどけることなく、歴史の扉を未来へ押しあけたまま、流星のように・・・・・・。 巻末に「あとがき集」を収む。


有月夜

陸援隊

横笛丸

ザボンの月

浦戸

草雲雀

近江路


-妙なものだ。革命もぎりぎりの段階になれば、いままでそっぽをむいていた官僚がぞろぞろ出てくるのである。出世の投機としては最良のものだと思うのであろう。


-衰亡してゆく政権の当事者は、むしろ臆病で無能で無策なほうがよいのかもしれない。その無策無能のゆえに歴史に貢献するということもいえそうである。

(政権を「会社」、「企業」に置き換えると、うなづく人も多かろう。)


-京坂方面でも「お札騒ぎ」という奇妙な現象があり、世直し神符が降ってきたと騒いでは「ええじゃないか、ええじゃないか」と三味線と音頭で踊りくるっているという。年々高騰する物価と幕府の政治力の衰退、それに押し込み強盗の流行という三拍子そろった末期現象が、庶人に世直し渇望の狂態をえんじせしめているといっていいであろう。

(現在の日本はグローバル化のなかで、徐々に衰退をしていく。今はデフレではあるが、世界的なインフレに巻き込まれ、数年後、十数年後に通貨円の大転換期をむかえるだろう。その際はインフレといまさらながら政治の弱体、治安の悪化と幕末と同じような局面がくるかも・・?)


-才谷屋が城下の三大富商のひとつであるということも、・・・・、竜馬自身が、武士のくせにみずみずしい経済感覚のもちぬしであるというふしぎさも・・・。

(下士ながら富商の次男として生まれ育ったことも、竜馬の行動を後押しした。竜馬の存在が幕末の奇跡ということであれば才谷屋で生まれたことが遠因のひとつであろう。)


-仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの2分はたれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。


-狭量は陸奥の正確なのである。狭量でひがみっぽいために、心中つねに敵意をもつ相手があった。


-「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」

 「世に生を得るは、事をなすにあり」


-竜馬は近江富士の異名のある三上山を前方に見ながらいった。この仕事を終え、あとは西郷、大久保、桂、三岡にすべてをまかせて海へもどることだけが、いまの竜馬にとってただひとつの願望になっていた。街道は晴れていた。竜馬がゆく。


-古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。


 竜馬は暗殺された。犯人は特定されていない。

 現場に残されていた鞘と下駄。 鞘は新撰組の原田左之助のもの、下駄は新撰組がよく出入りしていた先斗町の瓢亭のものだから新撰組であるとの説。

 見廻組隊士、今井信郎の自白調書 

(左幕の極右にある新撰組と見廻組は竜馬を血眼になって探していた。竜馬討ったならばなぜ、それを公表しなかったのか?調書に矛盾する点)

 いろは丸で多額の賠償金を請求された紀州藩

 竜馬立案の船中八策を山内容堂に建言した後藤象二郎。土佐藩にあっては上士、下士の関係であり、尊王派に叔父の吉田東洋を暗殺された恨みをもつ。象二郎は八策で容堂から高い評価を得た。

 薩摩藩-新政府の主導権を狙う意図があってもおかしくはない。西郷と竜馬の関係を考えればありえない推論ではあるが、薩摩主導の政権を目指す藩吏がいたとしても不思議ではない。


 街道を竜馬がゆくというところで終えたかったのは著者だけではないだろう。竜馬暗殺のパートはあとがきに書かれている。それは著者がこの時代小説に描きたかった竜馬の生き様、事をなす人間の条件という主題とはちがうという理由で別掲されたが、書かずにもいられなかったのだろう。読まずにもいられなかった。


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HNKはどのような結末を用意したのだろう。12月からは坂の上の雲 第2部がはじまる。



サンマ 石巻、女川


 エジプトからAdel君が研修のため来日。銚子を案内したあとに石巻、女川をまわった。 

 Adel君はアメリカに10年以上滞在して、アメリカの海軍の通訳を務めた経験がある。4年間働くと無償で大学に入学できる制度があり、そのために海軍に入った。海軍では主に通訳として中東などを回る船舶に乗船して、入出港時の対応や幹部の上陸時のアテンドを行ったようだ。アメリカでも職はあったろうと思うが、エジプトに帰国、めぐりめぐって当社エージェントの社員となった。ハラル処理(モスリム特有の肉の屠殺方法)の有無を気にすることなく、お刺身まで食べるのでアテンドは楽だったね。

 さて、サンマ。一昨年までは資源量が800万トン以上ともいわれ、漁獲量が50万トンにも満たなかったために、水産界もどのように資源を有効活用すべきか頭を悩めていた。しかしながらなぜか2010年の推定資源量は200万トン台に低下して、水揚げも激減。今年は脂も少なく、すでにこの時期から小型も混じり、大漁は見込めないと。(因みに、女川の船主さんは逆に魚価が上がって、収支は好転していると喜んでいた。)

 女川はサンマよりも鯨で知られているかな? 近海・沿岸捕鯨の基地があり、結構生の鯨も出回る。サンマにおいてはサンマを主に漁獲する棒受け網船が一刻も早く漁場にもどれるように、石巻に向かわずに女川で水揚げする。それは地図を見ると明らかだが、牡鹿半島を漁船で回るのに往復4,5時間かかり、それよりも女川でサンマを水揚げして早く北方の漁場に戻りたいという気持ちから。古い資料だが、2006年のサンマの水揚げは1位根室で、2位に女川が入っている。魚屋さんの店先、スーパーの魚売り場でサンマのはいった発砲スチロールには’コンピューター選別’根室、女川、XXXなんて地名が入っている。



TREKKERの雑記帳-さんま167

わかりにくいかな、サンマ棒受け網船から水揚げ


TREKKERの雑記帳-さんま165

左上に船倉からタモ網ですくわれたサンマが


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入札されたサンマは鮮魚出荷や加工場へ運ばれる


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サンマの鮮度の見方 

 尾を持って頭を上に上げたときにまっすぐに立つもの。(これはスーパーの魚売り場では無理、ただし、根室では漁船で選別、箱詰めされたものが料理屋さんに直接納められている。たとえば青刀サンマ?などのブランド名で )

 目が濁っていないもの 

 口先の黄色が残っているもの。


 サンマも日本から輸出される。昨年はロシア向けに6万トンを超える数量が輸出された。今年も注文があるかな・・?


TREKKERの雑記帳-さんま162

石巻の食堂 朝食でだされた カツオの心臓 Adel君は腎臓kidneyに味が似ていると言っていた。 おそらく、Adel君は初めてカツオの心臓と鯨の刺身を食べたエジプト人であろう。


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ついでに浅草で今半のすき焼きをごちそうした。

ただ、生卵だけは拒否していた。

竜馬がゆく (七)

司馬遼太郎著 文春文庫


倒幕の機が次第に

熟し始めた

竜馬の放った奇手とは?


同盟した薩摩と長州は着々と倒幕の態勢を整えてyく。が、竜馬はこの薩長に土佐等を加えた軍事力を背景に、思い切った奇手を案出した。大政奉還----幕府のもつ政権をおだやかに朝廷に返させようというものである。これによって内乱を避け、外国に侵食する暇を与えず、京で一挙に新政府を樹立する-----無血革命方式であった。


厳島

男ども

窮迫

清風帝

お慶

海援隊

弥太郎

いろは丸

中岡慎太郎

都大路

船中八策


-慶喜の性格であった。調子に乗っているときは豪気で放胆なこともでき、その行動、弁口が車輪のように動く男だが、いったん事が頓挫すると奈落に落ち込むほどに失望し、逃げ腰になる。


-維新後の下関は竜馬の予言どおりであった。竜馬がいま歩いている阿弥陀寺町にも料理屋が飛躍的にふえ、維新前からあった大吉、常六、傘福といった魚屋が料理屋にかわり、さらに魚七、鈴之屋などが出来、そのなかでも、伊藤博文(俊輔)が李鴻章と日清戦争後の講和談判した春帆楼が有名である。

(魚屋が料理屋に進化するというのは、言われてみればなるほどと思う。海辺の民宿や旅館も漁師、釣り宿であったり、魚屋から進化したお店が多い。春帆楼はフグで有名)


-「後藤は大きすぎる。シナの皇帝にでもうまれていればよかった」と、勝海舟などがよくいった。

 維新のどさくさのときに、家老である後藤は、独断で、「藩の大阪屋敷や江戸屋敷、それに汽船などはぜんぶおまえに呉れてやる。商売をしろ」と、かれが可愛がっていた一藩吏の岩崎弥太郎に呉れてやった。その岩崎が後藤からやみくもに貰った財物のなかに、竜馬の社中の財産が多分にふくまれている。岩崎はこれをもって、無一文から身をおこし、竜馬の事業を継承し、のちの三菱会社に発展する礎をきずきあげた。

(大河ドラマの後藤はこれから大変身しなければならないかな? 竜馬暗殺の犯人は’後藤’という説がある。さて、NHKではどのように締めくくるのか?)


-「会議などは、無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか」というのが弥太郎の考えだった。

(そのとおりと心当たりの人も多かろう)


-日本の場合、遠いむかしの大化改新以来政治・社会の大変換はすべて、天皇の勅命を得ることによってその新しい勢力の安定をみた。同時にその敵を「朝敵」として討伐するという例をくりかえしてきた。


-革命というのは、人間が思いつくかぎりの最大の陰謀といっていい。いまやすでに事態はその陰謀の段階に入っている。

公卿   岩倉具視

薩    西郷吉之助

同    大久保一蔵

土    中岡慎太郎

同    板垣退助


-高杉晋作 辞世の句 「面白き ことのなき世を おもしろく 住みなすものは心なりけり」

 (因みに勝海舟が残した言葉に

「事いまだ成らず小心翼々 事まさに成らんとす大胆不敵 事すでに成る油断大敵」)


-人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるというところだ。

(その若さでなぜ、これがわかる)


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時代小説なのに、そしれ竜馬が暗殺されるのに、ページは推理小説の結末をむかえるように進んでいく。 

-磊塊というのは石のかたまりのことである。男子の腹中にはみな磊塊がある。と古代中国人はいった。男子が酒をのむのはそれを焼くがためだという。




月の沙漠


 これもシルバーウィーク中。 何もイベントがないのは寂しい・?ので、外房の御宿までドライブ。 お天気は今にも雨が降りそうな曇天だし、天気予報でも雷雨と激しい雨との予報。当初は佐原の散策の予定であったが、ドライブならば雨中でもということで急遽予定を変更した。 南に進むことで多少は雨のスタートを遅らせることはできたかも知れない。また、たまたま、車を降りているときには雨はほとんど降らなかった。一方で江戸時代から続いている大原の裸祭りは落雷を受けて十数名のケガ人が出たとのこと。上半身裸で集合中の祭り人を車の中から見かけたので、本当に残念だった。さすがに江戸時代から続いているとあって、皆さん気合が入っていたのに。

 御宿ではなにやら伊勢海老祭りも行われていて、活伊勢海老の即売会とそこでの調理セルフサービス(炭火が用意されていた)もあり、皆さんテーブルで焼きたての伊勢海老を頬張っていた。 ふと見ると近くに月の沙漠記念館があり、覗いてみた。

 作詞は画家、詩人である加藤まさをで、彼は療養中に御宿に居住していたことがあり、その時知り合った少年と交流を持った。その少年が御宿市長となり、御宿の海岸風景がモチーフとなった「月の沙漠」のモニュメントを作成するに至った。


 

TREKKERの雑記帳-月の砂漠

いい写真でしょう。記念館のビデオにあったショットを真似して。この月型には「月の沙漠」の冒頭部分が刻まれている


TREKKERの雑記帳-月の砂漠記念館

月の沙漠記念館



TREKKERの雑記帳-御宿海岸

御宿海岸 この女性とは無関係(^^)


TREKKERの雑記帳-月の砂漠像


月の沙漠

加藤まさを 作詞
佐々木すぐる 作曲

月の沙漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くらおいて
二つならんで 行きました

金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに
ひもでむすんで ありました

先のくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの
白い上衣を 着てました

広い沙漠を ひとすじに
二人はどこへ 行くのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだは とぼとぼと

沙丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました


記念館で昭和を堪能した。なんとはない記念館だがが、加藤さんと御宿のことが良く理解できた。大昔に御宿に海水浴にいったのに、その頃はこのラクダの像には気づかなかった~。(←いいかげんな生き方)


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帰りは九十九里ではまぐりを食べました。