※心の底から
120%幸せなパートナーシップを築けている方には、
今回の内容はすごくすごい強烈かもしれません


私が長年、さらっと触れてきた占いを
大量に観るようになって
観る側から提供する側になったのは
一時はツインレイかと思ったくらい
好きになった人がいたから
でした

(いまでは、ツインレイという概念は手放し、
私の人生には試練もへったくれもない!
って認識に修正しています)
 


あの人の気持ち
恋の急展開
それに神展開

マジで超観てました
んで、どうなったかというと

マジでそれどころじゃない期が来ました👼
(会社員ラストの年だったので)
(価値観がバコバコ変わって)
(毎月少しずつ
仕事苦痛→所属苦痛→役割苦痛
の、出来事が来て
力を使い果たしたり
職を変える決意をしたり)

それどころじゃないのに
意味が分からないくらい
一回認識したら
頭から離れなくなった。

茹で上がりそうな勢いで
存在感は大きくなるのに
どこにいるか分からない
本名も分からない
(勇気出してきけてない)

世界を飛び回れば嫉妬して
自由に生きてれば嫉妬して
とびっきりの希望を貰い
とびっきりの絶望も貰い
羨ましくてむかついて
幸せで悔しくて大好きで
感情があることを思い出せて
感覚が切れないことにむかついた
(そうです、以前書いた嫉妬のブログ
この人に超超嫉妬してたんです)


世界が違う人なんだ、とか
こんな気持ち知りたくなかったのに、とか
悲劇の主人公ぶってみても
物理的に何をしていいのか
分かってみて進んでも
答えに辿り着ける気がしなくて

行きつけのカフェラウンジで
いつも泣きながらノートを書いてた

一時期は
サイバーパトロールがつらいわ
相手のことを考え出すと悶絶するわ
どっちかにしてよと。

この生まれた気持ちを消すか
僕をこの世から消すか
どっちかにしてくれ!!


って思いながら、
社外どころかチーム外の人に話してないこと
→サイバーパトロールの仕事
の他に
墓場まで持っていく秘密が
また一つ増えたのか
って思いながら過ごしてた
(社名以外
何やってたのか
10年言ってなかったんですよ)

占いのYouTube動画を観始めたのは
本当にたまたまで
男心専門占い師・晴人さんの動画が最初だった

初めて観た動画も
どこでどう観始めたのかも
不思議と覚えてて
そこから、
観始めた当時に公開済みの動画を
数日で遡って全部観た←
(その時点で50本くらいあったんだけどww)
(会社辞める前の数ヶ月で
貸与スマホは比較的自由に使えたので
延々と動画観まくってたりでお世話になった←)


その後に
登録者数・数万人規模のYouTuberさんの動画を
いろいろ観るようになった
スピスピ具合はいろいろありつつ
だんだん恋愛テーマに限らず
共通の話題でカードを観ることが増えて

三択リーディング
動画の導入トーク
複数カードを使った展開法
一枚一枚のカード解釈
などなど
見聞きすることで
自然と覚えたことが
たくさんあった

その頃にはもう
何百本レベルで動画を観てたので()
ただリーディングを聴いているだけから
このカードってこういう意味あったのか!
こんな感じだったねえ、そういえば
ってことが増えていって
会社員を辞める直前くらいに
私も最初の動画をupしてみた

動画をupしてるうちに
だんだん話せるようになり
言葉が出てくるようになり
あ、私は占いを観る側から
占いをする側になれてるな
って
自然と思えるようになった
その感覚は
鑑定をすることによって
もっと増えることになる


相手とは
何回かZoomで話したのと
チャットで何回かやりとりして
あとは声を聴きまくったくらいで
実際に会ったこともないし
どうにかなったわけでもない

一回、ド直球に
これは告白をしたカウントになる??
ってくらい
キワキワのリスペクトを伝えたけど
ふっつーにそこから
何の進展も発展もなく
相変わらず相手の自由な日々を
嫉妬祭りで見守ってて
いつしかその気持ちは
羨望じゃね?ってことに気付いて
書き換えることに成功した

嫉妬ももういいや、
楽しく仕事できてるし、
継続してサポートをしたい
お客さまにも出会えてきてるし、

で、いまどうしたいか?というと
「どうもしなくていいや」
に、いつのまにかなってることに
気付いてしまった()

あんなにアカデミー賞並みの
悲劇のヒロインに
なってみたこともあったというのに!!


潜在意識も学んで
内観やノートを書くことを
もっと深めていくうちに
気付いちゃったんですよね

誰かのことに意識がいってるとき
私のこと好きになってよ!
認識してよ!
会いたいって言ってよ!
画面壊して
そっちに行けたらいいのに!
同じ世界に行きたいよ!

とかとかとかとか

エゴエゴのエゴで
欲望がどばーっと出るとき
一番愛してほしいのは
意識を向けるべきなのは
自分自身だということを
もう知ってしまったんですよね


世界で一番キミが好き
みたいなクサめの台詞も
自分以外の誰かに向ける言葉ではなく
自分自身に向けるべき言葉なのだと
もう私は知ってしまったんです


私の理想の未来も
一時は、誰かに見せる用と
実際に書いている用で
内容が違うこととか
あったりしてました
(この相手を出すか出さないかとかで)

でも、もともと私は
一人で動くことが好きなもので
相手とどうなっていても
一人で動き回ってる未来が見えてたので
いまではどちらも
私が生きたいように描いてる
言葉たちで溢れています

このまま会えないなら
しんでしまいたいとか
どうしてこんなに
気になるんだろう?とか
すったもんだしてた時間も
ムダではなかったと思うし
すったもんだしてたからこそ
お客さまからの相談をお受けしたときに
深い共感というものを
感じていただけてたようなので
そこはよかったと思ってます

恋愛に限らず
人付き合いの中で
「まずは自分、との向き合い方」
これが大切になってくるんだけど

私が私と向き合えた
まさにトドメの一撃のような
知識やノートの書き方を
3ヶ月がっつりお届けします
 
↓「GPS手帳完全マスター講座」のご案内↓
お知らせ

今回の記事は
「こんな経験をした私が
恋愛の相談をお受けします!」
といった、前向きな意志は
皆無に近いくらいで←

むしろ、私のこれまでの恋愛経験は
悲惨なくらいのものだったと思います

恋に恋しまくって
まともに相手と話もできない
告白なんて遠く遠い恋は数え切れず

幼なじみと、軽いノリで
「付き合ってみない?」って話になって、
二週間もしないうちに自然消滅してみたり

初めて大人の付き合いをした人は
車という密室で強引に迫られて
復讐の裏返しで付き合ってみたら
相手が二週間もしないうちに横領がバレてクビになり
蒸発されかけて、捜索の電話で電話恐怖症になったり

311の余波で精神的に不安定になりかけたところを
「気にしない」という形で支えてもらってた人とデキ婚したら
ギャンブル大好き、宵越しの金は持たない主義、
出てくる言葉は「お金ない」
連絡もなく帰りが遅い
終わりがないような育児ノイローゼ
やさしい人だよーって言いながら
お金の工面で自己犠牲的にすり減って
自己投資のストッパーにもなっていた

で、だよ。
で、極めつけに、
ツインレイかーい!!
ですよ。

思春期の頃の私は
傷付くのが怖い
って気持ちから
動き出せなかった

好きな人がいたのに
好きでもない人に迫られたとき
自分の距離感の取り方を責めた

念願だった一人暮らしを
半年で終わらせてしまった
ただただ自分を
すり減らすだけの毎日の始まり

この、いろーんな時間軸の
私にも繋がってくるんだけど
やっぱりどこまでも

一番愛してほしいのは
意識を向けるべきなのは
自分自身だということ
これに尽きたのですよ


私は、恋愛系のアドバイスは
いや対人関係系のアドバイスは
「相手に感じるあなたの気持ちを
自分事として再認識して
再定義してみましょう」

みたいな感じのアドバイスで
今後一貫させそうな気がしてしまってて

このアドバイスを実際に私もいただいて
気付きがたくさんあった末に
「一番愛して意識を向けるべきは自分自身」
ここへ行き着いたんだけど
これまで恋愛系のリーディングを観てきたり
その感想や意見を見てきたり
実際に恋愛系のご相談を伺う中で
体感として
この境地を納得いただけるかどうか
まず受け取ってもらえるかどうか
どうだろう?というところが正直なところで
積極的に恋愛系の鑑定をお受けすることも
最近は減らしていたのです(実は

そしてこの境地を受け取っていただくのに
ノートを使った内観を取り入れる
というのが
いまの私がやっぱりおすすめできる方法として
一番に挙げてみたいものだったなって。

自分の整え方を
自分にやさしくする方法を
誰かを通してって形から
自分を見つめる方法を
伝えていったほうがよくない?
ってところで
ノートを使って、
いずれはカードも使って
軌道修正していく方法を伝えることにしたんです


講義と講義の間の期間は
週間の振り返りだけじゃなくて
毎日のノートも添削させていただきます
希望されるぶんいくらでも
あなたの人生の物語を見させていただき
より理想の未来へ軌道修正していくための
思考の切り替えを促すようなフィードバックをお届けします。

これまですったもんだあった人にこそ
あなたのこれまでの全部を認めて
あなたが向かいたい理想へ
思う存分飛躍していける知識に
触れてほしいなって感じています

 
GPS手帳完全マスター講座、
5/30の天赦日開講が5/16で締め切りです。
まだこのままでいいですか?
まだいまのループを繰り返しますか?
 
いやだ、変わりたい。って思うなら
踏み出すのはいまなのではないでしょうか。

 


☘活字中毒のアジェンディスト占い師・Tokiwa
■これまでのTokiwaのサポート実績
・英語の勉強を習慣化したい
→英語勉強の定着化、のみならず
サポート期間1ヶ月の間に、急に海外赴任の話が決まる!

・仕事や恋愛に一喜一憂する日々
→仕事の個人成績が大幅アップで昇格、
悩むだけの恋愛を手放し、新しい出会いが見つかる!


・人付き合いにどこか自信が持てない、自分の等身大を見つけたい
→同僚との信頼関係に前向きな変化、
自分の気持ちを認められる許可ができる!

 

決めてるレベルでもなくて、
ただ書いてただけのことも、
あったと思ってる。
それでも、書いたら、
未来のことを諦めなかったら、
ここまで来てた。

天赦日から、新しいことを始めたかった。
心機一転したかった。
生まれ変わりたかった。
でもフタを開けてみたら、
仕事は普段の2倍より3倍だし、
4時間残業になるし、
家族にお金の工面はせがまれるし。

通勤はバスに乗ってるだけで涙が出てくるし、
探しものはできなくなるし、
何がしたいのかもわからなくなってくる。

進むどころか退化してるような気持ちで、
ふざけんな!!
って、誰にも向けられない怒りを、
ぐるぐるぐるぐるさせてた。
開運日ってなんやねーん!!とかも思ってた。

良い日どころか、最悪だし、
先なんて全然見えない。
そう思ったときに、
私の周りには、誰もいなかった。

2022年の春。

正確には、
私の気持ちを伝えられる場所も、
受け取ってもらえる場所も、なくて。
伝えたいひとも、
受け取ってもらいたいひとも、
頼りたいひとも、いなかった。

リアルには確かに誰かがいたはずなのに、
リアルには私が本当に伝えたいことを伝えられるひとがいなかった。

ただ、他人に尽くしてるだけで、
コロナで地方に縛り付けられてるだけで、
周りの目を気にしていつまでも旅行できないようで、
仕事に追われて苦しくなって、
家族の課題をわざわざ背負って苦しくなって
そのまま死んでいくんだと思ったら、
もう嫌だって死にたくなってきたはずなのに、
橋から飛び降りようとしたのに、
それが無理で包丁を胸に当ててみたのに、
それでも死ねなくて情けなかったはずなのに、
なんだかものすごく嫌になった。

こんな人生おかしい、
って、思ってた。
こんなもんじゃない、
とも言えるかもだし、
おかしいんだよって。

行きたい場所があったし、
やりたいことがあったし、
私は私の人生を生きたかったんだ。
家族とか職場とか所属とか関係ないんだわ、
私は私として生きたかったんだ。

そのためにただ、
新しいことを始める。
心機一転する、

とは、決めてたんだった。

それから一年の間に、
仕事を変えた。
行きたかった場所に行って、
住みたい場所が増えた。
春や夏に虚ろな目で観てた、
SNSの向こうの地に立てた。

 



さらに一年の間に、
好きな仕事が増えていった。
それでも、残業は劇的に減った。
完全在宅やデスクワーク一本よりも、
動きを加えて働くことが好きだって分かってきた。

その矢先に、講師になることを決めた。
これまで書いてきたことを、
GPSメソッドを、
自分で使いながら、
伝えられるひとになった。

これらのいろいろは、
書いて、決めてきた。
決めてるレベルもなくて、
ただ書いてただけのことも、あったと思ってる。

それでも、書いたら、ここまで来てた。
書いてるうちに、ここまで来てた。
書いてたら、選んでた。
書いた未来か、
書いてない未来かを、
選んで、ここまで来てた。

 




5/30の天赦日開講、
GPS手帳完全マスター講座、
受講締切は5/16まで。

また、6月以降に受講希望したい方は、
5/15までにお申し込みいただけると、
受講希望日の調整も可能です。
(※一部受講不可の日も出始めています。
予定は常に変わりますので、お早めに)

始まる学びを、始めよう。
私は、あなたの話が聞きたいです。
「いま」のあなたの話が聞きたいです。

最初は脳の仕組みを活かすとか、
難しいよ訳が分からないよって思っててもいい。
イメージがうまくできなくてもいい。
言葉が出てこなくてもいい。
思ったより書けなくたっていい。
というか、うまくやらなくたっていい。

3回の講義に合わせて、
アフターサポートで1ヶ月用意しているのは、
学んでから、実践してもらいたいから。
ほんとは、学びながら実践できればいいけど、
吸収するのにいっぱいいっぱいになるのも分かってる。

講義が終わっちゃったらそこで終わり、
みたいに思うことも分かってるから、
そこから1ヶ月、さらに一緒に走ろうって
講義の後も見守ってるよってことを
アフターサポートに込めた。

いまできることで、
いまのあなたで、
飛び込んできてほしいです。

 

 

 

あなたを見つめるだけで、

あなたが見つかる。

言葉一つから、あなたの思考が見えてくる。

そこを、あなたの理想的な在り方に変えていくんです。

そのために、ノートを使うことが、

とてもやりやすいから、すすめさせてもらってます。

 

 

GPS手帳完全マスター講座

お申し込み受付中です。

受講日時とコースを、

いくつかの日程から選べるマンツーマンスタイルに。

無料相談会も受付中です。


無料相談会のお申し込みは公式LINEより、
「講座の無料相談会希望」
こちらの旨をチャットで送ってください。

 

講座のお申し込みも下記LINEより。

 

☘活字中毒のアジェンディスト占い師・Tokiwa

■これまでのTokiwaのサポート実績

・英語の勉強を習慣化したい
→英語勉強の定着化、のみならず
サポート期間1ヶ月の間に、急に海外赴任の話が決まる!

・仕事や恋愛に一喜一憂する日々
→仕事の個人成績が大幅アップで昇格、
悩むだけの恋愛を手放し、新しい出会いが見つかる!


・人付き合いにどこか自信が持てない、自分の等身大を見つけたい
→同僚との信頼関係に前向きな変化、自分の気持ちを認められる許可ができる!

 

母さんへ。
先日のたけのこご飯と天ぷら、おいしかったよ。ありがとう。

受けたくて受けた講座のお金を、
母さんから借りたお金を、
いつ返せるか分からないんだけど、
そういえば私は、「母さんは私のことを助けてくれない」と、
心のどこかで長いこと思っていたのにふと思い至った。

そしてその気持ちが、
かわいそうな私」の根源になっていたのだと、
ふと気付いた。
この「かわいそうな私」とは、
人によっては「悲劇のヒロイン」などと呼ばれるものと、
同義語と思ってもらって構わない。

記憶にぼんやりとある日、
近隣の大きな湖の近くまで家族旅行へ行っていたとき。
まだ末妹が生まれていなかった頃。
就学前の幼少期のある日。

真剣に運転する父さんの後ろの席で、
はしゃいでいた私は、
いろいろが度を越し過ぎて父さんを怒らせ、
通過点である森のどこかで、
車を降ろされることになった。

「ここがどこかも分からないのに
ここから歩いて帰れるわけないじゃん!」
といったことを、
当時の私は言ってたらしいんだけど、
まったく覚えておらず()

一人で車を前に立っていて、
落ち葉のような茶色い葉が地面に敷き詰められていた。
家族の中から自分という存在が切り離されたような感覚と、
少しして車に戻った自分が泣いていたことは覚えている。

そこから、この件については、
物心付く頃には忘れていたんだけど、
正直小学生の頃は、父さんへの殺意があった。
急にぶわーっと湧き上がることもあって、
なんだこれって思ったことは何度かあるけど、

その出所が長らく分からずにいたのだ。

アダルトチルドレンみたいなところは正直あるし、
反抗期らしい反抗期を態度で示したことはほとんどない。
「周りの人に置いていかれたくない」
という気持ちは、どこかで持っていたことがあり、
これは負けず嫌いという性格か?とも、
考えたことはあった。
でもどちらかというと、負けたくないというより、
ただ置いていかれたくなかったのだ。
これのおかげでこじれた人間関係が、
学生時代にあったものだから、
まったくなんて置き土産を持ってたんだと、思ったこともある。

それでも、父さんは他の姉妹よりも、
私とは映画やカラオケだったり、
卓球の練習などで職場にも連れて行ってくれることがあった。
(父さんの当時の職場に、卓球台があったのだ)

そう、当時の父さんの仕事は、バスの運転手だった。
運転には他の職業に携わってる人よりも、
そりゃウン倍気を遣ってたはずなのだ。
そりゃ実の子とはいえ、運転に支障をきたすと危ないと怒るよなと。
家族乗せて走ってるんだぜと。
無邪気だった自分を責めるのもまた違うとは思うけど、
愛を起点に考えたときに、
父さんを怒らせたのは私だということを、
いまでは納得できている。

それに、高校時代から何度か、
ほろ酔いの父さんが、
「あの日のことはすまんかったと思ってる」
みたいに言うことがあって。

まあそれで私はこの件を思い出したんだけど、
同時に、私もこの件は手打ちにしようよと、
少しずつ思えるようになったのだ。

で、だ。
その手打ちにしよう感は、
心の中で和解をしてみた感は、
あくまでも父さんに対してなのだ。

あの日の母さんは、私が車から降ろされてもただ見てるだけだった。
正確には、先天性障害のある弟と、
たぶんまだ歩けたかどうか微妙な年頃の妹を横目に、
ハラハラしながら見ていたのだとは思うんだけど。
母さんが何か言ってたか、とかも、覚えていなかった。

記憶の断片では、怒る父さんに何も言えない母さん、
みたいな図式しか思い浮かばなかった。
母さんは私を守ってくれないんだ、
助けてくれないんだ、という想いから、
「かわいそうな私」が生まれた。

ああ、あと、あれだ。
7才のときに、私はウィルス性の髄膜炎で入院していた。
時間制シフトの合間を縫って見舞いに来てくれた父さんには、
仕事があるししょうがないよね、みたいな気持ちでいたのに。
当時私と同じタイミングで、妹たちも入院していて、
母さんは妹たちに付き添っていることが多かった。
一人の夜の病室が怖かったのと、

死のニ歩手前みたいな日々と、
妹たちが選ばれて、選ばれなかった私!
みたいな気持ちもここで、生まれていたように思う。

この「かわいそうな私」は、
それからさまざまなシーンで、
うまくいかないときの私を都合よく悲劇のヒロインにしてくれた。

気が付けばお金がない、
片付けられない、
住みたい場所に住めない、
試験で結果を出せない、
買いたいものが買えない、
かわいそうな私。
選ばれなかった私。

で、こういうときの私は、
さらに都合よく、
愛起点で考えたときに、
母さんからもらっていたものたちを、
なかったことにしていたのだ。

私が高校受験で第一希望の学校に落ちたとき、
母さんは受験の結果を見届けてから、
私を高校近くのドトールへ連れて行ってくれた。
そこで紅茶とミルクレープを買ってもらったことは、
ただ見守っていてくれたことは、
一番忘れられない思い出として残っているのだけれど。
だけれども。

それ以外ある?みたいな勢いで、
妹たちとは仲が良い母さん、みたいな、
妹の大学受験や県外への仕送りはしてたのにね、
本当の私の第一志望だった、
留学できる高校受験はさせてくれなかったね、
みたいな、
私は下の子のことを考えたら妥協しなきゃいけないことがあって、

自由気ままに普通から外れて生きていて、
異質なものを見るような目で見られている、みたいな、
「私が勝手に」関係性を分断して考えて、
「私が勝手に」かわいそうな私で生きていたのだ。

それでも、私が社会人になりしばらくして、
実家を出た後は、
私が壊滅的な自炊スキルを持ってるとよく分かっていたから、
母さんはよくいろんなご飯を作って、自宅まで持ってきてくれた。
(一応ご飯を炊くことはできる!
揚げ物は危険なのでしない!
包丁やフライパンはたまに持つ!よ!)

えぐいくらい暑い日も、大雪の前後も。
私はどこかでそれらを、
あの日のかわいそうな私がいたから、
受け取って当然なんだ!
みたいに、「当たり前」に思っていなかっただろうか?
と、いまなら問うことができる。
もちろん、ありがとうとは毎回伝えていた。
それでもどこかで、
心の底から伝えていただろうか?と思うと、
やっぱり当たり前だと思っていたように振り返ってしまう。
それを選んでいたのもまた、私なのだ。

どこかで、
「母さんが助けてくれなかったせいだ!」
みたいに、言いたいような出来事を、
私は招いていたのではないか?とすら、思える。
思えてきては、いまは前向きに失笑している。
だってどこまでも、私の世界は私が作っているんだ。
私の人生は、私がいくらでもいつからでも変えられる。
それを本当の意味で、私は体感し始めている。

だからここで私は、
あの日の「かわいそうな私」へさよならを告げる。

私はかわいそうじゃないし、
悲劇のヒロインなんてもっとない。
誰かに頼ることは苦手だけど、
世界はやさしいことももう知っている。
私は私として気ままに生き続けるし、
いつかはどこかで死んでいく。

かわいそうな私になることへ時間を割いて、
楽しいことや心地良いことから迷子になる、
その時間が一番かわいそうだってことを、
もう知っている。

母さんが母さんでいてくれて、ありがとう。
いまではもうたぶん、あなたにとっては、
相当変わった考えであったり、
行動を選ぶ子でいるとは思ってる。
まあこれは、私が選んだことなので。
とりあえず生きてればいいやくらいに考えてもらえていると、
逆にありがたかったりするのです。

 

 

といったことを、冷静に言語化するために、

私は内観を学んできてよかったと思ってるし、

言葉の紡ぎ方を磨いてきてよかったと、思えているんです。