と、
陶芸家が作品を叩き割る絵がよく出てきますよね。
駄作であっても欠けた茶碗でも、叩き割ることはしないと思います。
たまたま思いの姿にならなかっただけで、自分の指を通じた念がこもってますから。
お邪魔しました、ある唐津焼き陶芸家の窯に。
陶芸家って偶然を操ることができる人、巧だと私は思っているのですが。
その操れなかった選ばれなかった作品に、どう表現していいか分からないけど魅力を感じるんです。
窯の中で起きたアクシデントに陽の目を浴びることもなく時間を止めてしまう作品。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190826/09/tokiocherokee/79/b4/j/o0425031914551926828.jpg?caw=800)
欠けてしまってます。
陶器としての役目は果たすでしょうが、形の常識外れはでは役目を与えてもらえません。
目を離せないほど力を感じるんです。
炎が這いまわる窯の中では不の偶然も起きるわけで、もたれ掛りくっついてしまうものも。
無理は承知で譲ってもらいました。
邪道だ!と言われようが、我家の迎花を包む一品になってくれました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190826/09/tokiocherokee/53/e7/j/o0425056714551926834.jpg?caw=800)
いま、あの欠けた花器を手元に欲しいと思っています。
しかし、迂闊には言えないのです。
もちろん作家の名前もお許しが無い限り言えません。