マックス・ウェーバーの「理念型」概念とは何か | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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慶應義塾大学文学部 英米文学専攻(通信教育課程)を卒業後、シェイクスピア『ハムレット』の研究に専念しながら、小説、ノンフィクションなどの分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。著書『ペスト時代を生きたシェイクスピア』他。

 ウエーバー(1864-1920)

 

 

1.  科学的認識の客観性を担保する2つの概念──「理念型」と「価値自由」

 

 ドイツでは19世紀半ばから20世紀の初めにかけて歴史学派が主流で、彼らは歴史的な事象を個別的検証をもとに「一般的法則」を構築して現実世界の物事を説明する、ということをかかげていた。しかし、社会学者マックス・ウェーバー(1864-1920)は現実の事象は多種多様で、無限であり一般化できないと考え、歴史学派の考えに反対していた。ウェーバーは社会科学の科学的認識の客観性を担保するために、「理念型」と「価値自由」という2つの概念を用いた。

 

2.「理念型」とは何か

 

 「理念型」とは、数式などによる法則の抽象的な定式化と、現象の個別具体的な記述との中間に位置するものである。それは「理念型概念は、「仮説」そのものではないが、仮設の構成に方向を指示してくれる。それは、実在の叙述そのものではないが、叙述に一義的な表現手段を与えてくれる」(ウェーバー,112)ものである。つまり、個々の現象から共通項を括り出して、ある一定の類型にまとめてイメージ化したうえで、一般的・平均的な状況下で、その類型がどのように動くかシュミレーションンするのである。

 

 「理念型」の役割は研究を導く「発見手段」であり、4つの機能──①他の類型概念と同じように、研究対象の分類に役立つ、②理念型と現実とのずれを見ることによって、現実に働くさまざまの要因を発見することができる、③理念型と現実との距離が、「質的適合一逸脱関係および量的遠一近関係」を測定できるから、対象とする事象の類型的位置を確定できる、④因果的説明(説明的記述)に導く、──がある(寺田、50参照)。理念型は比較研究が目的とする「記述」、「分類」、「説明」のいずれにとっても有効な比較概念である。

 

3.「価値自由」とは何か

 

 社会科学的認識の「客観性」を確保するために必要なもう一つの概念は価値自由である。ウェーバーは、価値判断から自由であるべきだとする「価値自由」を主張した。この考え方は、主観的な価値理念の排除を求めるものではなく、あらゆる認識は主観的であり限定的であるからこそ、認識を支えている価値理念を曖昧にせず、自覚的に関係づけるべきというものである。

 

 ウェーバーは、「事実の科学的論究と価値評価をともなう論断とをたえず混同することは、われわれの専門的研究にいまなお広範にいきわたり、しかももっとも有害な特性の一つである」(ウェーバー,48)と述べた。つまり、「対象が何であるのかを認識する事実認識と、何であるべきかという観点から対象を評価する価値判断を区別するように求めて、これを価値自由と呼んだ」(長谷川,21)のである。

 

 認識と価値判断とを区別(・・)する(・・)能力、事実の真理を直視する科学の義務と自分自身の理想を擁護する実践的義務とを〔双方を区別し、緊張関係に置きながら、ともに〕果たすこと、これこそ、われわれがいよいよ十分に習熟したいと欲するところである」     (ウェーバー、43)

 

4.「価値関係」の重要性

 

 「価値自由」によって研究者は自らの「価値理念」に対して自由になれるというわけではなく、それを自覚することでまやかしの「客観性」から解放されるということなのである。時には、事象と事象との間の因果説明を捨象して自らの「価値理念」に訴えることもまた研究者に課せられた「価値自由」なのである。その際、研究者の主観的価値理念と客観的文化現象の価値との間を媒介するという重要な役割を果たすのが「価値関係」である。

 

……個性化的概念においては、対象の論理的整合化の前に、まず現実の一断片の抽出が必要である。(中略)リッカートは、この抽出は知るに値する側面の選択の産物であり、この選択を導くのは主観の価値関心であると考える。すなわち、現実の質的個性の概念による把握とは、主観の価値関心に照らして知るに値する文化意義をもった現実のある一側面のみを抽出することなのである。この原理を、リッカートは価値関係と呼ぶ。つまり、個性化的な認識とは、価値関係に媒介された構成なのである。(徳永,66)

 

 ウェーバーはこの価値関係論に同意し、大きな影響を受けた。ウェーバーは社会科学の客観的確保のために経験的事実認識と実践的価値判断との峻別を要求したが、むしろ双方の混同に対して戒めたのであって、科学的事実認識に関する「価値判断」の意義を誰よりも重視していたといえる。認識や判断にあたっての出発点には自分なりの「価値判断」をあいまいにしたまま認識してもそれは科学的な認識とはいえない。ウェーバーは次のようにいう。

 

[自分がそれによって]実存を評価し[そこから]価値判断を導き出す[究極最高の価値]基準が、いかなるものであるか(・・・・・・・・・)を、つねに読者と自分自身とに、鋭く意識させるように努める、という義務である」    (ウェーバー,46)

 

5. 自然主義に対する批判

 

 ウェーバーにおける方法論の探求は、歴史学派の方法に対して,自然主義的な経験主義の残滓を批判することから始まった。自然主義者たちは、実践的な諸問題を究極の公理、「実践的公分母」を創り出すことを目標としていた。しかし、ウェーバーは、そのような一義的な原理では、実在の無限の豊かさを説明しつくすことはできないという。

 

 社会科学において、実践的問題の「原理的な」論究、すなわち、反省を経ずに強いられる価値判断を、その理念内容にまで遡って捉え返すことが、いかにも必要であっても、また、われわれの雑誌は、そうした論究にも、とくに力を入れるつもりであるが、──われわれの直面するもろもろの問題にたいして、普遍的に妥当する究極の理想という姿をとる、ひとつの実践的公分母を創り出すようなことは、断じて、われわれの任務でもなければ、およそいかなる経験科学の課題でもない。                             (ウェーバー,40)

 

 そのような自然主義的な方法に対して、ウェーバーは「理念型」という方法概念の導入を対峙させた。この概念に基づいて、「実在を測定(・・)()比較(・・)()、よってもって、実在の経験的内容のうち、特定の意義ある構成部分を、明瞭に浮き彫りに」(ウェーバー,119)したのである。さらに、時間とともに変遷する流動的な実在も、理念型によって秩序づけが可能となる。こうして「理念型」と「価値自由」の概念が社会科学の認識において「客観性」を成立させたのである。

                                

 

[文献表]

マックス・ウェーバー 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』富永裕治、立野保雄、折原浩補訳、岩波書店、1998

寺田篤弘 「比較概念としての理念型」『ジャーナルフリー』1988巻第1号 日本大学、1988、pp.47-54

徳永恂、 厚東 洋輔 『人間ウェーバー 人と政治と学問』有斐閣、1995

長谷川公一、浜日出夫 『社会学』 有斐閣、2010