英語学における諸概念について | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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慶應義塾大学文学部 英米文学専攻(通信教育課程)を卒業後、シェイクスピア『ハムレット』の研究に専念しながら、小説、ノンフィクションなどの分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。著書『ペスト時代を生きたシェイクスピア』他。

 

英語学における以下の4項目の概念について述べる。

1.    アメリカ構造主義言語学

2.    間接言語行為

3.    Voice of America

4.    デル・ハイムズ

 

1.アメリカ構造主義言語学とは

 

 20世紀初頭に登場したソシュール(Ferdinand de Saussure 1857-1913)の構造主義言語学とともに、1920年代に始まるアメリカ構造主義言語学は、20世紀前半における言語学の構造主義の時代といえるものであった。

 

 アメリカ構造主義言語学の時代的な背景は、パブロフ(Ivan Pavlov 1849-1936)、ワトソン(John Watson 1878-1958)、スキナー(Burrhus F. Skinner 1904-1990)らの行動主義の潮流である。心の働きなど内面的なことがらは直接には観察しえないものなので、目に見える行動によって科学的に観察できるという反心理主義(反メンタリズム)の考え方である。つまり、ブルームフィールドの主著Language(1933)などに示された考えでは、観察、検証可能な発話資料だけを分析対象として言語の体系的な構造を記述しようとしたものである。

 

ソシュールの構造主義言語学の一つに音素(phoneme)という概念がある。音素とは、ある特定の言語において、機能的な差異を示すことができる音の単位である。アメリカ構造主義言語学の先駆者であるブルームフィールド(Leonard Bloomfield 1887-1949)らは、この音素の概念を用いて、特にアメリカ先住民(Native American)などの文字を持たない言語の記述に活用した。文字を持たないが故に、当然ながら音の配列が重視され、言語の記述を音素の配列の最小対立(minimal pair)における示差的特徴(distinctive feature)などを道具立てとして行ったのである。

 

 アメリカ構造主義言語学は、その初期にはアメリカ先住民の言語の記述を中心にフィールドワークが重視されたことから、ボアス(Franz Boas 1858-1942)らのような文化人類学の一部として発達した面もある。この言語学に多大な貢献をしたもう一人はサピア(Edward Sapir 1884-1934)である。サピアは論文“Sound patterns in Language”(1925)を発表し、ブルームフィールドとならんで、アメリカ構造主義言語学の起点を作り出したといわれている。しかし、音素を「心理的実在(Psychological reality)」と定義しようとしたため、ブルームフィールドら「心理主義」を排除しようする流れにある論者たちには受け入れられなかった。 

 

2.間接言語行為とは 

 

 さまざまな種類の発話には、発話される字義上の意味によって理解されるものもあれば、字義的なメッセージ以上のこと(言外の意味)を伝えることもある。むしろ、後者の場合が多く、その中の一つとして間接言語行為(indirect speech act)とよばれる発話がある。

たとえば、

 

A:“Let’s go to the party tonight.”

B:“I have to study for an exam.”

 

 この会話は一見無関係なように見える。しかし、私たちは、言語哲学者のグライス(Herbert P. Grice 1913-1988)が言うように協調関係(協調の原理 cooperative principle:「協調の原理とは、会話参与者が意思疎通を行うためにお互いに前提としている原則である。協調の原理は、量、質、関連性、様態の四つの公理(格率、公準とも呼ぶ)からなる」)(井上、38)を前提に解釈しようとするので、試験勉強をしなければならないからパーティに行けないと解釈することができる。つまり、自分の事情と説明しているように見えて、実は「断り」という言語行為を遂げているのである。

 

 このように、「直接の言語行為のタイプとは異なった言語行為を会話の含意などによって遂行するもの」(井上、170)を間接言語行為という。

しかし、上記Bの会話はそれ自体で「断り」を表わしているわけではない。なぜなら

 

C:“I have to study for an exam、but I’ll do it when we get home from the movies.”

 

となると、Bの発話内の効力は取り消し可能(cancellable)となり、必ず「断り」になるという慣習はないからである。これに対し、次の文をみてみよう。

 

“Can you open the window?”

 

 その字義上の意味は「あなたは窓をあけることができますか?」であり、そして疑問文であり、発話する際、聞き手が窓をあけることができるかどうかの能力に関する質問を意味することになる。しかし、この場合、あるタイプの行為であるはずの発話がほかのタイプの行為になることが慣用的(conventional)になっているもので、依頼という意味をもつところの

 

“I request that you open the window”

 

と同じだと考えられる。前述のパーティの誘いに対する「断り」の場合と違って、高度に慣用化された表現で、解釈が慣習化されている。このように発話が言っている内容以上、以外のことを間接的に意味する、つまりある表現がもつ元来の役割とは異なる場合でも、どのような意味を持つかは、状況による場合と、かなりの程度慣用的に決まっている場合とがある。

 

3.Voice of Americaとは

 

 Voice of Americaとは、アメリカ合衆国の国営放送の一つであり、そこで用いられるSpecial Englishは英語教育における制限英語の基礎を築いた一つとしてあげることができる。制限英語に至る経過については以下の通りである。

 

 ヨーロッパの一島国の言語だった英語が、17世紀以降各地に広がり、今日、第1言語としての使用者だけで約4億人、第2言語としての使用者は約3億~5億人を擁するまでになったといわれている。第2次世界大戦後、英米などの多くの植民地は独立したが、インド、シンガポール、ナイジェリアなど、英語が多数派の人たちの母語ではなく、第2言語として公用語になっている国では、しばしば英語は国内の共通語になっている。また、日本、中国、ロシアのように英語が外国語で、学習の対象となっていることなどが英語の隆盛をつくりだした理由としてあげられる。

 

 さらに、国際政治、国際メディアでも英語は勢力を広げ、1919年のヴェルサイユ条約以降、国際条約は英語でも書かれるようになった。かつてはフランス語だけで用いられてきたが、こうして「国際語としての英語(English as an international language)」が制度的レベルで表れたのである。官民問わず国際会議では英語が普通に用いられ、メディアを介したさまざまなメッセージが英米圏以外の公人からも英語でなされることが一般的となった。

 

 英語がさまざまな国、民族で用いられ多様化することで種々の問題、特に相互の理解を阻害する可能性が生じることとなった。くせのあるインド英語、聞き慣れないことばや発音を耳にするナイジェリア英語とシンガポール英語など──まさしく、英語がWorld Englishesという複数形で示される所以でもある。

 

 英語が国際的な共通語になったことによるもう1つの問題は、国際的なコミュニケーションにおける言語上の不平等である。英語でコミュニケーションするとすれば、英語の母語話者が有利になるのは明白である。そのような不平等、不均衡を是正するための国際的な理念のもとに制限言語(controlled language)の試みがなされてきた。自然言語の不規則性や社会・文化の慣習性を過度に反映した側面を「人工的に」取り除き、学習者の学習負担に配慮し、効率的で、より中立的な国際性を意図したのが制限言語である。

 

 英語基盤の人工言語、単純化された英語として、イギリスの言語学者オグデン(Charles K.Ogden 1889-1957)が考案したBacid Englishがある。もとの辞書の概念の90%は850語で表現できるという。Voice of AmericaのSpecial Englishのプログラムは短いシンプルなセンテンス、1500の主要単語で構成されているなどの特徴があり、航空宇宙産業や防衛産業で活用されるAECMA(Aircraft European Contractors Manufactures Association)などのSimplified English(またはSimplified Technical English)などとともに制限英語の基礎に大きな役割を果たしている。              

 

4.デル・ハイムズとは

 

 コミュニケーション系言語学(20世紀にあってもコミュニケーションに関わる言語の働きを研究する分野)は、言語学大三角形の外からの知見を取り入れて発展してきた面がある。言語学大三角形とは、構造主義言語学 、生成文法、認知言語学の3本柱で、20世紀の近代英語学の主流を成した。時系列的にはこの順序で現われ、台頭してきたが、それぞれを支えている土台には互いに共通部分もあるものの、基本的な考え方において対立している。言語学大三角形の中では言語はコミュニケーションの手段として論じられることはない。それは、言語学の対象としているのが言語がそなえているさまざまなしくみや成り立ちだからである。

 

 デル・ハイムズ(Dell Hymes 1927-2009)は、生成文法によってノーム・チョムスキー(Noam Chomsky 1928-)が「推進した過剰な認知主義に対する懐疑と反駁」(片岡、82)から生成文法と袂を分かち、1960年代に民族誌的なアプローチによって、文法の知識だけでなく、社会的文脈での適切な運用能力の必要性を訴え、「コミュニケーション能力」(言語能力だけでなく運用、つまり社会文化的な適切さに関する知識)という概念を提唱した。この「コミュニケーション能力」という概念は、コミュニカティブ・アプローチ──機能言語学、発話行為理論を背景に実際の言語使用の場面や言語の機能的な側面に焦点をあてた教授法の開発への一連の流れ──の発達に大きな影響を与えた。

 

 今日からみて、ハイムズとともにアンチ・チョムスキーの一つの流れを形成したものは、1960年代から1970年代の認知言語学の萌芽となった生成意味論、言語哲学者のグライス(Herbert P.Grice 1913-1988)が1975年に提唱した「協調の原理(Cooperative Principle)」、オースティン(John L.Austin 1911-1960)とサール(John Searle 1932-)による言語使用の社会的側面に着目した言語行為論(Speech Act Theory)の著作(Austin 1962,Searle1970)などがあげられる。

 

 

[文献表]

井上逸兵 『英語学概論』 慶應義塾大学出版会、2019

片岡邦好 「マルティモーダルの社会言語学──日・英対照による空間ジェスチャー分析の 

試み──」 『社会言語学』井上逸平 編、朝倉書店、2017、82-106

佐藤慎司、熊谷由里 「コミュニカティブ・アプローチ再考」『リテラシーズ』、くろしお出版、2017、1-11