『スペインの悲劇』と『ハムレット』の類似点と相違点 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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慶應義塾大学文学部 英米文学専攻(通信教育課程)を卒業後、シェイクスピア『ハムレット』の研究に専念しながら、小説、ノンフィクションなどの分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。著書『ペスト時代を生きたシェイクスピア』他。

 

1 はじめに

 

 ルネサンス期の劇作家トマス・キッド(Thomas Kyd,1558-94)の悲劇『スペインの悲劇』(The Spanish Tragedy,1587年頃初演)とウイリアム・シェイクスピア(William Sheakespeare,1564-1616)の悲劇『ハムレット』(Hamlet,1600年頃)の2作品の類似と相違点について述べる。エリザベス朝演劇の最高峰はシェイクスピアであるが、シェイクスピア時代の先駆けとなったのはクリストファ・マロウ(Christopher Marlowe,1564-94)とトマス・キッドである。特に、この二人は演劇として未発達であった新生の悲劇を文学的高みにおしあげる上で大きな役割を果たした。キッドの復讐劇である『スペインの悲劇』はシェイクスピアの『ハムレット』に影響を与えた重要な作品である。

 

2 二つの作品の類似点と相違点について

 

  二つの作品について作劇上は類似していても、趣向は相違している。「類似」と「相違」の両面が混在している点もあるが、それぞれについて述べる。

 

<類似点>

 

(1) 『スペインの悲劇』と『ハムレット』は、エリザベス朝時代にセネカの影響(修辞の格調の高さや神話にまつわる血なまぐさい話しが題材)を受けた復讐悲劇とよばれる代表的な作品である。そこには、マキアベリ的は権謀術数、刺殺、毒殺などの残虐行為、復讐への決意と逡巡、佯狂、狂気、劇中劇、亡霊、殺される者の数の多さなど、多岐にわたって共通するものがある。

 

(2) 父親のために息子が復讐しようとするのが『ハムレット』であり、息子のために父親が復讐するという逆の構図が『スペインの悲劇』である。ヒエロニモは殺害を暴露する手紙を疑い、ハムレットは亡霊を疑う。ヒエロニモ、ハムレットとも復讐の遅延から自己を責め、自殺を考えさえする。

 

(3) 劇中劇を用いていることも類似している。『スペインの悲劇』では虚構の場が復讐の場となって現実の殺人が断行される。『ハムレット』では劇中劇が犯罪者を確認するための場となっている。「前者は劇中劇を行動のために、後者は劇中劇を認識のために用いるのである」。(喜志,29,2003)

 

(4)二人の主人公がたどる道には共通の過程がある。二人とも復讐を誓った後、真犯人を突きとめるまで、自らの苦悩と哀傷を決して他人に晒すことはない。ハムレットが復讐の手段として狂気を装うのとは逆に、ヒエロニモは狂気寸前の精神状態を、忍耐力で正気にみせかけ、犯人だと感づいているポルトガル太守の息子バルサザーたちと出会っても、「いろいろな理由から友達になることが、/私ども二人にはよさそうであります」(Ⅲ. XIV,162)と憎悪心を表に現すことはない。言葉と行為の遊離に苦しむヒエロニモにとっては、劇中劇という仮面の儀式を通して復讐を果たし、両者は矛盾することなく一致する。しかし、やはり言葉と行為の遊離に悩むハムレットには、復讐そのものが後景に押しやられ、ヒエロニモのような直截的な解決の道はなく、悩みをつきぬけようとするハムレットの煩悶がつづくのである。

 

<相違点>

 

(1) ヒエロニモにおける二者択一は、国王に直訴して、正しい裁きをうけるか、それとも自ら命を絶つかというものであり、策略として佯狂をみせるが、その悲哀の強さから彼はやがて一時的だが本物の狂気に陥る。これに対し、ハムレットの思考と瞑想は、復讐への行動が伴わず人間の内面、精神活動、理性や感性、分別、意志、理知、勇断と諦めなどにとどまらず、国家、世間、そして神、天国と地獄にまで広がる。ハムレットの倫理観と精神的バランスは喪失することはない。それは、ハムレットの狂気が「術策として選んだ役割演技の世界」(清田,43,2000)だからであり、故に彼は多様な人間性を見せることになる。この点が『ハムレット』が単なる復讐劇で終わらず、それを超えた劇であるということができる。

 

(2) シェイクスピアはキッドとは異なる趣向を凝らしている。たとえば亡霊だが、どちらも亡霊が復讐の実現を求めるところまでは同じだがスペインのドン・アンドレアの亡霊は傍観するだけで、復讐者に向かって直接に働きかけることはない。ヒエロニモは復讐を遂げるが、それが結果的にアンドレアの求める復讐になるだけである。他方『ハムレット』の亡霊は「悪逆非道な人殺しの恨みをはらしてくれ」(Ⅰ.ⅴ,53)とハムレットに直接に語りかけて彼を復讐者に仕向ける。ハムレットがクローディアスに復讐するという行為はそれ自体として完結しており、ヒエロニモのように二重性(アンドレアのバルサザーに対する復讐と息子を殺した者に対する復讐)はなく、『ハムレット』の独自性がある。(喜志,29参照,2003) 

 

 (3) 復讐劇としての大きな違いは復讐の前提となる殺人の提示の違いである。ホレイシオーは観客の前で殺されるが、先王ハムレットは亡霊の言葉だけが裏づけとなっている。ハムレットが復讐に踏み切らず、彼が自身の内面に問い続けていることに共感できるのは、“先王殺人の不在”があるために、より効果をもたらしている。

 

3 二つの作品の位置

 

(1)『スペインの悲劇』は、英文学史上初めて復讐悲劇のジャンルを築いただけではなく、正義と理性の司法官ヒエロニモを復讐心に燃える冷酷な父親に変え、正気から狂気の世界へと足を踏みいれる人物を造形し、観客の同情と共感を呼び覚ましたところに重要な意味がある。この悲劇は「ルネサンス期英国における悲劇全般の生成・発展に対して極めて重要な位置を占めるドラマであることは英文学史上の定説とされている」。(石田,3,1997)

 

(2)『ハムレット』の種本は『原ハムレット』(Ur-Hamlet)といわれており、その作者はトマス・キッドであり、シェイクスピアは『スペインの悲劇』の影響を受けながら、この『原ハムレット』を素材に新しい内容をつけ加えたのではないかとみられている。すなわちハムレットを内面化し、彼にいわば精神構造を与え、「人間の魂の尊厳と人間のおそるべき可能性・神秘性(池上,101,1995)を示したのである。

 

 

<文献表>

・シェイクスピア 小田島雄志訳 『ハムレット』 白水社 1989

・トマス・キッド 齋藤國治訳『スペインの悲劇』 中央公論 1968

・ 池上忠弘 石川実 黒川高志 金原正彦 『シェイクスピア研究』 慶應義塾大学出版会 1995

・ 石田久 村主孝一 村井和彦 他 『エリザベス朝の復讐悲劇』 英宝社 1997

・ 喜志哲雄 『英米演劇入門』 研究社 2003

・ 清田幾生 「『ハムレット』の視界のわるさ:『スペイン悲劇』と比較して」(『長崎大学教育学部紀要.人文科学』vol.61),2000

<参考文献>

・ H.ジェンキンズ 武並義和訳『「ハムレット」序論』 英宝社 1978

・ 池上忠弘 金原正彦 [鈴木五郎改訂]『イギリス文学研究Ⅲ ─演劇─』 慶應義塾大学出版会 2009

・ 西脇順三郎[安東伸介改訂] 『近世英文学史』 慶應義塾大学出版会 1977