会津弁で綴る劇評『国語元年』 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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定年退職後に慶應義塾大学文学部( 英米文学専攻・通信教育課程)に入学。卒業後、『ハムレット』を研究しながら、ノンフィクション、小説の分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。ライター。

 

 

 井上ひさしあんつぁがつぐったこまつ座「国語元年」の芝居さ、観できたべ。

 まあー、おもしぇがったごどたらあらしねえ。シェイクスピアどは違ったふくらみというのが、庶民性というのがな、おもしぇがった。

 

 この芝居の時代は明治7年のごどだ。文部官吏・南郷清之輔あんつぁ(佐藤B作)のどごさ、ぜんごぐの話しごどば制定してくんつぇ、との命令がくだされるんだわ。

 

 そごで清之輔あんつぁ粋がって、その仕事はじめんだげっちょも、それがおもうままにはいげねいんだわ。だってよ、清之輔あんつぁの屋敷には、いろんなどっから人が来てんのなし。そしていろんな言葉しゃべんだがら、そりゃ大変なごどになんべした。

 

 まず清之輔あんつぁは長州弁だべ、そのかがあ・光姉様(土居裕子)と、そのおどっつあま(沖恂一郎)は鹿児島弁だべ、3人の女中達(剣幸、田根楽子、野々村のん)はそれぞれ江戸山の手言葉、江戸下町のべらんめえ、羽前米沢のズーズー弁、それだげでねいんだがら。車夫(角間進)は南部遠野弁、書生(小市慢太郎)は名古屋弁、女郎(三鴨絵里子)が河内弁、京言葉のお公家(たかお鷹)もいんのなし。そごさ、会津弁の泥棒士族(山本龍二)だべ。

 

 おらど同郷だがら言うんでねえげっちょも、この会津弁の虎三郎っうのが、ぜんごく統一話し言葉づくりさ奔走する清之輔あんつぁにいろいろど意見すんだげっちょ、これがながなが鋭ぐ、本質を衝ぐごど語んだわ。

 

 ここでなんぼが引用すっぺと思ったが省略させてくろ。

 こごは芝居見でもらうが、それとも台本(『国語元年』新潮文庫)見でもらったほうが、清ぐ正しぐ伝わんべ。んだげっちょも、一つだげ虎三郎の言葉紹介しておぐべ。

 

「いいか、言葉ヅモノワ、人が生ぎでエグ時に、無くてはならぬ宝物ダベエ。理屈コネデ学問シルニモ言葉ガ無クテワワガンネ。人と相談ブツのも、商いシルのも言葉ダ。人を恋シル時、人ど仲良くシル時、人をはげまし人がらはげまされッ時、いづでも言葉がエル。人は言葉が無くては生きられない。そんなに大事な言葉を、自分一人の考えで買ってに売ツてサスケネー思ってエンノガ」

 

 こごさ、井上ひさしあんつぁの哲学があんべ。

 それぞれの方言が生まっちゃ根っこつうものを、深けいどごろがらさぐってんだわ。そごには国家権力に対する緊張つうが、その力につぶさっちぇはなんね、つう気迫があんべ。それも人を笑わせながらやりとおすわげだがらたいしたもんだべ。いやあ、ほんどに中身のぶげい劇だったべな。

 

 それにしでも光姉様のめんげがったごど、あんなきれなおなごはそんじょそごらにはいねべな。俺のあだまがら光姉様の笑い顔が離にぇだよ。

 

 もういっぺん観に行ぎでど思ったげっちょも、券売り切れでだめだべ。くやしべな。

 

 なお、演出は栗山民也あんつぁだべ。 

(2002.4.28記)

 

*この文章の「東京標準語」訳は掲載しません。ご容赦ください(許してくらんしょ)。