『ハムレット』の言葉あそび──その意味と面白さの分析 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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定年退職後に慶應義塾大学文学部( 英米文学専攻・通信教育課程)に入学。卒業後、『ハムレット』を研究しながら、ノンフィクション、小説の分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。ライター。

   

 シェイクスピアの『ハムレット』の第一幕第二場と第五幕第一場の中から二箇所の言葉あそびをとりあげ、その意味や面白さを分析し、その言葉遊びから登場人物のどのような性格や思考が読み取れるか、さらにはその言葉遊びが作品全体の主題やイメージとどのように関わっているかについて述べる。

 

1.矛盾語法とハムレットの心理状態

   ハムレットと王、そして王妃との以下の「会話」は、ハムレットの置かれた心理状態、立場に暗い影を落として、これから亡霊や劇中劇などで明らかになるスキャンダルへの見事な伏線となっている。ハムレットはことば遊びのなかに、叔父クローディアスと母ガートルードを痛烈に批判している。

 

King. Take thy fair hour, Laertes; time be thine,
And thy best graces spend it at thy will.
But now, my cousin Hamlet, and my son─

Hamlet. [Aside] A little more than kin, and less than

 kind.

King. How is it that the clouds still hang on you?

Hamlet. Not so, my lord; I am too much in the sun.

Queen. Good Hamlet, cast thy nighted colour off,
And let thine eye look like a friend on Denmark.
Do not for ever with thy vailed lids 
Seek for thy noble father in the dust.
Thou know'st 'tis common─all that lives must die,
Passing through nature to eternity.

Hamlet. Ay, madam, it is common.

Queen.             If it be,
Why seems it so particular with thee?  

Hamlet. Ay, madam, it is common. 

…………       (1.2.62-86)1)

 

 ハムレットは王の“But now, my cousin Hamlet, and my son”(だが、さて、ハムレット、わが甥にして、わが(せがれ)─。)との矛盾した問いかけに“A little more than kin, and less than kind.”(お世辞にも叔父は親父(おやじ)と同じとは言えぬ。)と呟く。甥であり息子でもあるという両立し得ない王の呼びかけに、ハムレットは同音反復で切り返す。“kin”と“kind”の二語は、語源は同じであり、互いに頭韻を踏み一見同音語に見えるが、意味はまったく違う。“kin”は単なる「親戚」であって、血は通っていても「心まで通っている」(kind)とは限らない。したがって二人の関係は親族よりも近いが、心情は遠い。ハムレットは相反する事柄を、ことば遊びによって明瞭に反駁したのである。また、このセンテンスには「近親の重なりは(さか)しまの禁なり」2)との訳もあり、叔父と母が結婚することは近親相姦と見なされていた時代であり、“kin”(肉親関係)と“kind”(自然な結びつき)がないということが、言葉遊びとともに表現されている。3)

“How is it that the clouds still hang on you?”(なぜ、いつまでも額に雲がかかったままなのだ。) にも「sun(太陽)とson(息子)の言葉遊びがある。ハムレットは王の問いかけに“Not so, my lord; I am too much in the sun.”「いえいえ、王様の太陽に焦がされ、倅扱いでは立ち枯れます。」と応える。ここではハムレットは ‘sun’を太陽と息子に掛けた地口で自分を息子呼ばわりする王を皮肉り、息子になることを拒絶している。ここでのハムレットは王をまともに相手していない。王の問いにことば遊びで応えることによって、王を蔑ろにするハムレットの姿を読みとることができる。 

 一方、後につづく“Thou know'st 'tis common─all that lives must die, /

Passing through nature to eternity.”(生きとし生けるものは、必ず死ぬ。自然を脱して永遠へと旅立つのは、あたり前。)との母の諭しにたいして、ハムレットは母を相手に猛然と反撃する。エリザベス朝において女性の処女性・貞節は極度に重んじられ、妻の貞節は夫の名誉の重要な構成要素となり、妻の完璧な貞節と服従を保持することは男性の強迫観念になっていた。後家の再婚は法律上は認められていたものの、二夫と交わる後家には淫乱のイメージが拭えなかった。ましてや叔父と母の関係は近親相姦とみなされ、堕落そのものであった。4)こうした背景がハムレットのことば遊びの中には据えられている。

 

2.意表をつく遊びと才気に満ちた道化

 次は第五幕第一場の<墓堀の場>でのハムレットと道化姿の墓堀人との会話である。彼らが掘っているのはオフィーリアの墓である。死と表裏一体である墓をめぐる「こんにゃく問答」であるが、そこには誰もが避けることのできない死の意味や重みが笑いのレトリックのなかに表出されている。

 

Hamlet. They are sheep and calves which seek out assurance in that. I will speak to this fellow. Whose grave's this, sirrah? 

1st Clown. Mine, sir.

[Sings]O, a pit of clay for to be made

For such a guest is meet.

Hamlet. I think it be thine, indeed, for thou liest in't. 

1st Clown. You lie out on't, sir, and therefore 'tis not yours. For my part, I do not lie in't, yet it is mine. 

Hamlet. Thou dost lie in't, to be in't and say it is thine; 'tis for the dead, not for the quick; therefore thou liest.

1st Clown. 'Tis a quick lie, sir;  'twill away again, from me to you. 

Hamlet.   What man dost thou dig it for? 

1st Clown.  For no man, sir. 

Hamlet.   What woman, then? 

1st Clown.  For none, neither. 

Hamlet.   Who is to be buried in't? 

1st Clown.   One that was a woman, sir;  but, rest her soul, she's dead. 

Hamlet.   How absolute the knave is!  We must speak by the card, or equivocation will undo us. By the Lord, Horatio, this three years I have took note of it;  the age is grown so picked that the toe of the peasant comes so near the heel of the courtier, he galls his kibe. How long hast thou been a grave-maker?  (5.1.112-137)

 

“You lie out on't”(旦那は外にいるから、これは旦那のじゃない)のlieの2つの意味を用いた洒落、同様に“I do not lie in't”も「あっしは、ここに入るわけじゃないが、これはあっしのだ」もlieの2つの意味を用いた洒落である。「ああ言えばこう言う」式の相手を封じ込める墓堀人(道化)とまだオフィーリアの死を知らないハムレットとの会話は、墓場という陰気な場であるにもかかわらず、どこか陽気で心地よいテンポが感じられる。まるでことば遊びに酔う二人はかけあい漫才のような響きがある。しかし、そこにはシェイクスピアの対象を冷静にみつめる視点がある。“What man dost thou dig it for? ”(どんな奴のために墓を掘っているんだ?)、“For no man, sir.”(野郎じゃねえ)、“What woman, then?”(では、女か?)、“For none, neither.”(女でもねえ)、“Who is to be buried in't?”(では、誰が埋められるんだ?)、“One that was a woman,”(かつて女だったもの)という。死は生の対義語としてだれにでもおとずれる。死に至るということは、性差のみならず身分、門地などを超越し、あらゆる「不存在」としての必然性と普遍性があることが、ことば遊びのなかに示されている。まさに、真実を突く道化の才気が満ちているといってよい。この時代、道化には、意表をつくことば遊びのなかに、法律家や為政者の詭弁を逆に手玉に取るなど他の人が口に出来ないような批判などをすることが許されていた。道化は芝居の中だけではなく、当時、宮廷や貴族の邸宅に道化という職業があったことからも、道化の存在の大きさを読みとることができる。

 

<註>

1) 原文はシェイクスピア、高橋康也、河合祥一郎編註、『<大修館シェイクスピア双書>ハムレット』(大修館書店、2001年)に基づく。日本語訳は、河合祥一郎訳『新訳 ハムレット』(角川書店、2003年)に基づく。

2) 河合       63頁

3) 河合       63頁参照

4) 河合      152-153頁参照。

 

<文献表>

・シェイクスピア、高橋康也、河合祥一郎編註、『<大修館シェイクスピア双書>ハムレット』大修館書店、2001年

・シェイクスピア、河合祥一郎訳『新訳 ハムレット』角川書店、2003年

・池上忠弘、石川実、黒川高志、金原正彦『シェイクスピア研究』慶應義塾大学出版会、2011年

・梅田倍男『シェイクスピアのことば遊び』英宝社、1989年

・河合祥一郎『謎解き「ハムレット」─名作のあかし』三陸書房、2000年

・関曠野『ハムレットの方へ』北斗出版、1994年