今日は雨が降りそうな微妙なお天気。
洗濯も終わったし、掃除機もかけたし、今日の予定も特になし。
あ、そうだ!石田堤(いしだづつみ)行こう
ヽ(゚◇゚ )ノ
というわけで川越から車
を飛ばしてサクッと到着。
で… (-ω-`)
あい変わらず誰もおりません (笑
さて。石田堤(いしだづつみ・いしだつつみ) とは…
石田三成が忍城(おしじょう) 攻めの際に築かせた延長28kmにも及ぶ人工の堤(土の堤防)で、現在の埼玉県行田市から鴻巣市に渡って跡が残っています。
その構築理由たるや、利根川と荒川の間を堤で結び、その内側に川から水を引き込んで城を水攻めにしようという、なんとも壮大かつ恐ろしい企てでございます ((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
が!地形の関係で、城より南東の地区に水が偏ってしまい、結局は決壊してしまったそうな。
水攻めは失敗に終わったものの、攻められる側としてはかなりの恐怖があったことでしょう。
三成恐るべし。
銭にものを言わせて近隣の農民を集めて突貫工事一週間程度で作り上げたという堤ですが、現在はほとんどが取り崩されて農地や宅地に変わっております。
それがこの埼玉県行田市堤根(ぎょうだしつつみね)と、後程ご紹介する鴻巣市(こうのすし)に僅かに残っており、埼玉県指定の史跡として保存されています。
クリック、さらに拡大すると文字が読める大きさになります。
スミマセン。絵の部分を撮影するのを忘れました σ(^_^;) よろしければコチラ
でご確認を。
映画「のぼうの城」効果で観光客が増えることを見越してか、駐車場の案内標識も建てられて説明板の横にはのぼり旗まで! 以前に比べてちょっぴり賑やかになっておりますw
そして今回、ちょっとウレシイ変化を発見。
なんと!裏側の説明書きがリニューアルされて読みやすくなりました~ (´∇`)![]()
以前は風雨にさらされて文字が薄~く なっていたのですが、きれいに書き直されています。
興味のある方は画像をクリックしてさらに拡大してご確認ください。
上記画像より手前側は土手になっているので誤って転がり落ちないようにご注意を。
それではここから右方向に(行田市方面に向けて)歩いていきましょう。
いざ、出発! ( ´艸`)♪
てくてくてく…![]()
道路の左側に見える堤は次第に細く、そして高さも低くなっていきます。
その向こう側にある民家は堤の内側…つまり水攻めの際には水に浸かる位置に建っています。
まあ、当時からあったものではないでしょうけどね (;^_^A
ところどころ民家や畑へのアクセスのために削られているところがありますが、まだまだ先へ続いております。
ぺたぺたぺた…![]()
ちょっと堤の幅が広くなりました。
この向こう側は畑が広がっていて、そのまた向こう側に忍川(おしかわ)が流れています。
人力で築き上げた堤というよりは、自然の堤防の上にちょっと盛り土をした感じでしょうか。
長大な堤の一部にはそういう場所が多くあって…
というか、そういう地点をつないで構築したのだと思われます。労力も節約できますし。
しばらく進むと石田堤碑という看板と石碑が建てられていました。
残念ながら石碑のほうは文字を判別するのが非常に困難な状態です。
石碑を超えてずんずん歩くと右側に緩やかにカーブしていきます![]()
言われなければこれが石田堤とは気づかないほどに自然な並木道です。
カーブを曲がるとそろそろ終着点が見えてきました。
緑に覆われている部分が突然切れて、ただのアスファルトの道路になっていますよ![]()
その終端部分から今歩いて来た道(左側)を振り返って見たところ。Yの字になっています。
堤の高さは膝丈くらいになっており、右から合流する道路で完全に分断されています。
上の画像の反対側(背中側)は工場と民家が並んでいて、堤は完全消滅していました。
当時はこのまま道沿いにそって丸墓山古墳 まで続いていたと思われます。
そしてちょうど終端部分に( ´艸`)♪ムフフ なお店がありますが… それはまた後ほどご紹介![]()
以上、行田市側に残る石田堤跡(全長約250メートル)の半分をご紹介しました。
このほか駐車場の地点より南側にも伸びており、忍川 を渡って鴻巣市に続いております。
それでは元の場所まで戻って、その先の鴻巣市側の石田堤を見学に行きましょう。
そちらは色々と仕掛けがあるんですよ♪
というわけで「その2」に続く。
行田市堤根編(その1) >> 鴻巣市袋編(その2) >> 鴻巣市袋編(その3)













