さてさて。
全国200万人の石田堤ファンの皆様、お待たせいたしました (・ω・)/
先ほどは行田市堤根に残る石田堤(いしだづつみ)跡 を北端までご紹介しました。
そして再びスタート地点の駐車場まで戻ってきましたので…
このまま道路沿いに南下して、堤の南端部分まで歩いて行ってみましょう。
あ。ココから先は自由行動です。興味のある方だけついて来てくださいね。
では、レッツラ・ゴ~ (´∇`)
ひたひたひた…
緩やかな下り坂になっています。
歩き易いですケド、車の往来もソコソコあります。事故に遭わないようご注意ですぞ。
このあたりは覆い茂った葉で薄暗くなっていて、チョッピリ涼しかったりします。
夏場にはセミがいっぱい鳴いていそうな雰囲気ですね (^ε^)♪
坂を下りきったところ、急に視界が開けて橋が現れます。
新忍川にかかるこの堀切橋(ほりきりばし) こそが、堤の決壊した地点だと言われています。
あ、そうそう。旧忍川に対して、新忍川と呼ばれるこちらの川は行田市環境センター 付近から
下流部分は昭和初期に開削された人工河川だそうです。というわけで "新"が付いております。
なので石田堤が築かれた当時、ここには川が無かったか、あったとしても小川程度だったのでは
ないかと思います(ちなみに現在は水量も多く、一級河川 の指定を受けております)。
堀切橋を渡るとそこはもう埼玉県鴻巣市(こうのすし)になります。
石田堤だったと思われる場所は平坦にならされて公園になっていました。
それがこちら。
石田堤史跡公園(いしだづつみしせきこうえん) として整備保存されています。
むむ。コチラの公園も再整備されるもようです。お金かかってます12,148,500円なり。
まだ何も始まっていなかったので、これから着工だと思われます。
これも「のぼう効果」なのかなぁ? ま、どういう風に変わるのか楽しみですね。
公園内には休憩出来るベンチや、トイレのようでトイレではない東屋(あずまや)があります。
その内部には簡単な展示物もあるのですが…
一部荒らされて焼け焦げております。ひどい (-ω-`)
あと、スロープ状になった見晴らし台 (?) の頂上部には石田堤の空撮写真が埋め込まれていて
「探してみよう石田堤」の文字があります。 が!擦り減っていて判別不可能… (´-ω-)
しかしご心配なく。現在の電脳社会においては、google マップ があるではありませんか (´∇`)
ぜひこれで、石田堤の跡をたどってみて下さい。
さて。話を元に戻しましょう。
コチラの施設、今まで何度も訪れていますけどいつ来ても人がいないんですよねぇ。
見学者と遭遇したのが一度(しかも2人)だけという寂しさ。みなさ~ん!もっと見に来て下さい
まあ、大勢押しかけてきても入場料を取るわけでも無し、お金を落とす施設があるわけでも無し。
鴻巣市にはそれほど利益も無さそうですが (´・ω・`)
公園の中を歩いて抜けると上越新幹線の高架橋が目の前に迫ってきます。
そのちょうど下、風雨を避けるかのように展示物が並んでいます。
この場所に来たならまず、この櫓(やぐら)の下に立って遠い昔に思いを馳せてみましょう。
しばらくするとタイムワープ*が完了します (-ω-`)Ξ(´-ω-)
*センサーで人を感知して音声ガイダンスが流れる仕組みになっています。全部で3パターンあります。
ね。時代はもう天正十八年でしょ?( ´艸`)ププ ←実際に行ってお確かめください
解説を聞きながら周囲の展示物を見学すると気分が盛り上がってくること間違いなしですw
(全ての音声ガイドを聞くにはちょっぴりコツが必要です。ヒントは東屋のパネル に。)
そんな戦国気分を盛り上げるのがこちらの図。
雰囲気重視で時代考証やスケールは二の次(笑)ですが、見て楽しめます。
~堤の決壊~
上記パネルは表面にアクリル板が貼られているため、光が反射して非常に見にくいです。
もし宜しければ以前撮影したコチラも合わせてどうぞ(クリックの後、拡大してご覧ください)。
こちらはパネルの前に積み上げられている米俵(コンクリート製)。
忍城攻めまでに秀吉が行なった城攻めの記録が簡単に解説されています。
これによると忍城攻めの8年前に行なわれた備中高松城攻めの際には、土のう一俵につき「銭百文・米一升*」の対価が支払われたようです。 *1.7~1.8リットル
変わってこちら、忍城水攻めに際しては「昼:銭六十文・米一升」で、「夜:銭百文・米一升」だそう。
夜の部は手当てを弾んで24時間体制で突貫工事をやろうという企みですな。
あれ!?でもこれって日当なのかしらん?(-ω-`)
だとしたら備中よりも大幅にディスカウントされているような…。
まあ、工事の規模が違うからそれほど大盤振る舞いは出来なかったということなのかもしれません。
昼の部も前回よりチョッピリ手当てが少ないのも秀吉に対する遠慮があったのかな?
ま、部下としては上司よりも派手にやるわけにはいきませんからねぇ。
そんな上司(秀吉)からのお手紙もバッチリ届いておりますよ、三成さま
~豊臣秀吉朱印状 1590年6月12日~
~豊臣秀吉朱印状 1590年6月20日~
~豊臣秀吉朱印状 1590年7月3日~
~榊原康政書状 1590年7月23日~
上記4点は大きめのサイズでUPしていますので、クリック後拡大してご覧いただけます。
ふぅ。以上で高架橋の下にある展示は全てとなります。
そこから道を挟んで南側に実際の石田堤がありますので行ってみましょう (^ω^ )♪
おっとΣ(・ω・ノ)ノ!その前に。
今回もあまりに画像が多くなり過ぎたので、まさかの二部構成でお届けいたします (´∇`)
いや~引っ張るね、トキイモチャソ。
というわけで次回、鴻巣市に残る石田堤を実際に見てまわろうと思います。
以下「その3」につづく。
行田市堤根編(その1) >> 鴻巣市袋編(その2) >> 鴻巣市袋編(その3)