今日はご飯を食べながらピクンの悩みを聞いた。

最近はウェディングのことで悩みがいっぱいのようだった。

友達と独身最後のパーティーをするようで、その打ち合わせを行なっているらしい。

パティーはみんな同じ服をきて行うものらしく、友達からどんな衣装にするかということをきかれていて、

彼女は最初は考えていたけれども、衣装を決めるとその衣装は主催者(ピクン)の負担になるようで、

ピクンは結婚式などで大きな出費をする予定なので、独身パーティに予算をかけたくないらしく、

みんな自由な服できてほしいと友達にお願いしたらしい。

ただ服装をきめないパティーは珍しいというかあまりないらしくて、友達から服装を決めてほしいというオーダーが来ているらしい。そのことについて、うんざりしていたようだった。

 

日本では、このような状態だと、ある程度聞き分けがいいような人が多い気がする。

パティーはしたいけど、予算は抑えたいので、私服でお願いします。また皆さんが来やすいようにカジュアルな服装でお願いします。

とアナウンスしたらどうだろうか?

ある一定の割合で、せっかくなので、きれいな格好をしたかった。などという声も聞こえてくると思うが、

このようなオーダーに真っ向から介入して反論してくる人は多分いないと思う。

 

ただこちらではどうだろうか?

話を聞いているとやや難しいようにみえる。

 

世の中にはいろんな価値観を持っている人がいて、時に別の考えと自分の考えがぶつかり、相手を理解したり、相手の意見が合理てきであったりすることで、人は自分以外の意見を採用できたりする。できたりすると書いたのは採用するというのは自分の意見を否定するようなことであり、痛みが伴うのでできる人だけできるという意味である。相手の意見が受け入れられなくて、ずっと視野が広がらず、小さい視野で生きている人をたまに見るが、その人たちはどのような世界で生きてきたのだろう?そしてどういった環境がそうさせたのか?

とはいえ、小さい視野と書いたがこれはどんな人でも当てはまると思うので、特定の誰かというわけではない。

 

価値観を受け入れれないというのは余裕がないこと、相手の意見や気持ちを考えるということが欠けている、つまり思いやりがたりていないということなのかもしれないが、そのような環境で育ってきた人には当然そのような考え方はなく、僕らもその人を非難したりすることはできない。

 

価値観の違いを受け入れれない人とどう関わっていくか?

この問いは難しく、適度に距離をとって、価値観が合う時だけ、または相手の価値観の押し付けが許容できる時だけ関わり、それ以外は関わらないことが自分にとって懸命な判断かもしれない。

相手も距離を近づけたいなら、自分の態度を軟化させないといけないと気づくだろう。

 

 

 

次はタイトルに対して、ちゃんと筋道をたてて書いていき、結論に達するようにする。

 

 

今日はピクンが昼に早朝勤務から帰ってきて、顔がかなり萎れて疲れている感じだったので、

早めに昼ごはんを済ませて、就寝してもらった。

起きた時は夜の8時ごろでそこから僕は二人のご飯を買うためにマーケットに行った。

さくっと夕ご飯を決め、帰ってきて、家のドアを開けようとすると、すごい怒ったような声がきこえてきた。

隣だろうか?はたまた奥の部屋に住んでいる人だろうか。

まあ、誰かがいいあらそっているのか、テンションが上がり切って大声で通話しているのだろうと鍵を自分の部屋のドアに差したところ、自分の部屋からその大きな声が聞こえる。

ピクンやん...

僕はずごくびっくりしたし、聞こえてくる声がピクンのものとはある程度まで信じれなかった。

というのもピクンは僕以外にはほとんど怒ったりはしない。というか他の人に怒っているところをまったく見たことがない。

どういうことだろうか?ただただ友達との電話でテンションが上がりきって、このような大声になっているのだろうか?

おそるおそる部屋に入る。

怒っているようだった。怒りを通り過ぎて、少し泣いているようにも見えた。しかも話をしているのはお母さんのようだった。

僕が部屋に入った後も10分ぐらい激しく電話をして、そのあといきなり会話が終わった。

 

なにかあったの??僕はおそるおそるピクンに訪ねた。するとピクンはお母さんと喧嘩していたようだった。

何で喧嘩したのかと聞くと、結婚式に話していた時に、意見の違いで喧嘩に発展したみたいだった。

どうやら、お母さんが知り合いを呼びたいらしくお願いてきたものの、ピクンは拒否したらしい。

ピクンの言い分としては知らない人がくるのが嫌だし、またお金を払って1テーブルを用意するのが嫌だったようだった。

先週もお父さんが前職の仲間を呼ぶから1テーブル追加してほしいとオーダーがあった。

その時もうんざりしていたし、それでもって今回また追加してほしいということで、もう無理ということで拒否したみたい。

それでどちらも苛立ちを隠せず、喧嘩に発展した。

どちらでもいいんではないかというのがぼくの意見だけれども、聞いていると1テーブル追加することにそこまでお手数をかけていると言った様子もなく、私の友達だから1テーブル分は私が払うわといったこともなくだったのがかんに障ったらしい。

確かに親といえど、子供に配慮しないといけない部分はあるなと思った。

特にお金を全くと言っていいほど出していない身分なので、偉そうに言える立場にはないとは思う。たとえ母であっても。

それにメインは娘なので、娘にしたいようにやらせたらどうだろうか?

その辺がうまくできない母親をみると、子供のことを言う通りに動く都合のよいもののように扱っているように見えた。

私が苦労して育ててきたんだぞと、今まで苦労を考えたらそりゃー私のいうことを聞くよねと。

 

家族をなにより大切にする東南アジアは人間の繋がりがどこよりも美しく見えてたし、幸福度などでも高い値をキープしていて人間の本質はここで見つかるかもしれないと思うぐらい素晴らしい生活を送っているように見えるが、いろんな家庭の話を聞いていると親が子供から離れられない子依存があったり、そして育てた恩があるから私たちの面倒を見ろよ言わんばかりの態度も時に垣間見えることもあり、なんともいたたまれない気持ちになった。

 

ピクンと長い時間話し合って、私はそのような子依存にはなりたくないという言葉を聞けてなんだかほっとした。

 

 

次はもう少し構成を考えてから書こう。

どんなに頭が良くても、大差ない。みんな同じように働いて、飯を食って、死んでいく。

ピクンと日本の学校制度について話したあと、外をランニングしながらそう思った。

私立公立の立ち位置がタイと日本では少し違ったため、いろいろと日本の学校について説明をしたのち、

話が僕の大学の話となり、通っていた学校がそんなにレベルが高くなかったので、中小企業に入る形になったと説明した。(これは学校のせいではなく自分の努力不足)。そして兄はしっかり勉強でも頑張っていたため、いい大学に入り、いい会社に入ったことを、いい大学に入ればいい会社に入りやすいということを含めて説明した。

タイも似たような部分があるためにすんなり理解したようだった。

話は終わり、ランニングのため、外にでた。真っ暗になった空を眺めながら、学歴や、それに相関する頭の良さについて考えていた。

少し副業で携わらせてもらったお仕事の代表が某大の院卒でかなりのエリートだった。

話もわかりやすいし、資本主義をすごくよく理解してうまく立ち振る舞っていたし、時折、この人はほんと天才だなと思うこともあった。

いろいろなことを先回りして考えている。これからぶつかっていくであろう壁も理解している。さすが頭がいいだけあるなと思っていたが、いろいろ聞いていると私生活はボロボロらしい。奥さんと今は離婚協定をしているらしい。

時折、仕事のラインで、奥さんと喧嘩のようなやりとりをおこなっている。

 

人が生きている中で一番重要なことは何か?

僕はそれは幸せだと思う。

 

生まれてから死ぬまで幸せを感じていられたらなんて素晴らしいのだろう。それ以上望むものなんてない。

きれいな奥さんがほしい?使いきれないほどのお金がほしい?たくさんの友だちがほしい?そんなのは幸せになるための通過点にしかすぎない。

そんなことみんなわかっているはずなのに。

 

とんでもなく先を見越せて、対策をうてる頭脳明晰な人でも、最終てきに得たい幸せを目標にせず、幸せを研究せず、資本主義に熱心になって、承認欲求に必死になって、そのために人生の大部分を使って、そして挙句の果てには幸せでない。

資本主義の攻略はするが、幸せの攻略はしない。

結局のところみんな動物で、盛り上がっているところにみんあ集まって承認欲求という幻想の幸せを一瞬でも掴むために、死ぬほどの苦労をして、時には手を黒く染めて、生きているということを考えると、どんなに頭が良くても、人間はそんな大差はなく、動物なんだなと思った。

個人の学歴コンプレックスが大きく入った考え方だけれども、ふとそう思ったバンコク外れの田舎の夜空の下。