人生に意味はあるのだろうか?

僕はないと思う。

 

そんなことを常に考えてきたと思う。特に就活の時は考えていた。

どんな仕事をするべきかというところから、どういった仕事をしたら人生が楽しくなるのか?またどういった仕事をしたらこの長く楽しくなさそうな社会人生活を意味あるものにできるか?

そんなことを考えていた。

 

何故そんなことを勘がるようになったかというと、僕は一年遅れて大学に入ったため、就活の時期には地元の友達はほとんどが働いていた。そしてぼくのまわりは偏差値でいうと50ぐらいなので、名の通った企業にははいれず、また失礼かもしれないが、努力すべき時の努力量が50ぐらいなので、ある程度、平均ぐらい頑張って、平均ぐらいの会社に入る、またはまったく頑張らないで、学校が進めてくれた会社、またはいくつか受けて内定の取りやすい会社に入るといったコースが多かった。

ある程度入りやすい会社というのは募集人ずうがたくさんで、それはというと入社してから何割かは着いていけずやめるだろうという試算のもと多めに取っている会社も多い。ある程度が止めるような少し激務であったり、職場環境がよくなかったりする。

ぼくらのレベルはそのような感じの会社なので、当然友達からは全然いい話が入ってこない。

一人は入社してからクレームの部署に配属となり、右も左もわからないまま、電話取りをさせられて、4月入社の5月に体調不良で入院した。また他の友達は建築系で田舎に派遣され、半年間ぐらいかえってこれず、また寮みたいなところでのせいかつとなった。そこで先輩に目をつけられてしまい、仕事でミスった時に損害を全額実費で払えと脅されて払うほかなくなったらしい。

 

そんなことを聞いているとみんなとんでもない世界に入っていったんだと僕は勘違いする。そしてそういった会社に入らないように、そしてそのためにはしんどくないことをすることを自分自身に誓い、しんどくないこととは興味があることであるというところまで考える。そして興味があることの中で趣味のようなことはたくさんの人が趣味を仕事にして趣味が嫌いになったという話を聞いて、なにか人生をかけて貢献したいことをつまり人生を目的を考え始めることになるのである。

 

最終的には国際協力的なことがしたいという結論にいったたが、特に語学能力があるわけでもなく、優秀でもなく、国際的な活動をしていたわけではないので、そっちの世界に一歩足を出すことができず、一旦は普通に就職しようと、普通の会社に就職したのである。幸い就職先探しの時に、色々注意深くなっていたせいか、良い会社とめぐりあい、仕事は向いていないながらも管理の仕事までまかせてもらい、計5年ほど働くことができた。

 

人生は意味があるのか?

そんな問いを家の中のゴミ箱に群がる蟻を見て思い出した。

人生に意味があるのか?もしあるとしたら、僕や僕以外の人も人生の意味を持っているはずである。もっと拡張して、生まれた赤ちゃんまでも、そして、人間に近い猿なんかもあるんじゃないか?となると哺乳類や、それ以外の生物もあるはずだ。全ての命に意味があるとすれば、すべての命は等しい価値があるはずだ。

アリがあまりにもゴミ箱に群がっているので、ティッシュを使って、ゴミ箱の周りを拭いてみた。拭いたティシュをみてみると何十という命を殺していた。あまりにも群がっていて気持ち悪いという理由で殺したのである。

一つの命がたくさんの命を奪ってもいいのか?これが人間に対してであれば、大問題である。人生を捧げて懺悔しなければいけない。

ただ、人間と蟻の命に価値の違いはあるのか?ないはずである。

長々と書いたが、何が言いたいかというと、一つの命がたくさんの命を殺すことがあってもいいのか?あってはいけないと思う。彼らの人生の目的を意図も容易く紡いでもいいのか?ダメだと思う。

 

ただそれが起こってもいい世界が一つだけあって、それはこの世は何も意味はないという前提で動いている場合である。

何も意味はないので、何しても問題がない。何回も言うがこの世には何も意味がないので。

蟻を殺せるというところから、人生の儚さを感じ、そこから人生に意味はないのだろうなと考えたバンコクの夕方。

 

何もかもがうまく行く瞬間ってあるよね。

今日はそんなお話。

僕はサッカーが好きでヨーロッパのサッカーをみている。もちろんお気に入りのチームがありそのチームを応援しているのだけれども、今シーズンは不思議な力が働いているような感覚があるぐらいうまくいっている。

そのチームは今は立て直しをはかり、所属するメンバーの若返りを約2年前ぐらいから行い始めた。

去年ぐらいから形ができはじめて、良い流れがあったりしたものの、チームの心臓の選手が怪我で欠けることになったとたん勝てなくなり、5位となった。

最後崩れたものの、良いものを見せてもらった感覚になりすごくいい気分だった。これからが期待できるチームに生まれ変わりつつあったし。

ただまだ上位との戦力差というものはサポーターもみんな感じており、次のシーズンも良くて4位に入れるかな、入れたらいいなという気持ちだった。

いい補強をして今シーズンに入り、いいスタートを切った。

いいスタートを切れたので、どうにか粘り、上位に長い間いすわるつもりだった。

半分の試合を消化した今、まだトップに居座り続けることができている。

ほんとにほんとにびっくりだ。

 

みんな全然優勝なんて期待しておらず、どこかで抜かれるだろうなと思いながらも、半年間死守している。

優勝というものも全く不可能ではい立ち位置にいる。

すごいではないか。

 

まだまだこれから何が起こるかわからないので、なんとも言えないが、今シーズンは色々なところで、

目に見えない何か力は働いているのではないかと思うぐらい、流れが来ているように思う。

 

ちょうど、1週間前、大黒柱の選手が怪我をしてしまった。

この選手はよく怪我で離脱することがあり、ニュースを聞いてまたやったかなと半諦めていた。

ところが何故か継承で済み、1週間後の次の試合に間に合った。

普通のシーズンならここで2ヶ月離脱するはずだが。

 

また今週2位のチームが不正で勝ち点を落とす可能性が出てきた。

 

これは優勝できる流れだと思う。

 

人生を生きていて自分自身も流れが来ていると思ったことはいくつかあった。

特に最近では、結婚した相手との出会いがあった時もこの『流れが来ている』感覚があった。

その時は、どうにもならない、自分ではどうしようもない、流れになっていた。

今でも不思議に思う。

 

バンコクからケニアに行く当日、空港までが何故かうまく時間通りにいかない。なせか道草食ったり、電車乗り過ごしたり、行くのをとめられているようだった。次に空港に到着した時に、友達から連絡、会いに行くからアジアから遠くに行かないでと言われいる。少し動揺して考え始める。空港についたら、イミグレーションは大パニック、みんな時間に遅れそうで焦っている状態、ぼくも時間ギリギリに到着しそう。この辺でもなにかうまく行かない感じがあった。その後なんとかイミグレを抜けて、搭乗口についた。

着いたのだけれど、係員がもう乗せれないという。あんだけパニックのイミグレでみんな遅れているのに定時で、むしろ定時よりも少し早い時間で閉めている。このへんではあきらめていた。係のものがくるからその人と手続きして、空港の外へ出てくださいと言われる。そしてその時に出てきた係が僕の将来の奥さんである。その時はなんか不思議なことが起こっているなーと思っていたに過ぎないけど、そういう流れで物事が進行していたような気がするぐらい、すべての物事が決まってように感じる。結局乗り遅れた航空券代はなぜか全て帰ってきたし。

 

都合の良い認識なのかもしれないけれど、流れというものは確かにある。

バンコクで生活してトータルで一年以上が経ったと思う。

ただ一年通してタイにいるわけではなく、1、2ヶ月日本に帰ってはまたバンコクに戻ってくるという生活をしている。

行ったり来たりを繰り返していると、長くタイにいる人と違ってまだまだ溶け込めず、またタイにどっぷり浸かるためにタイ語を勉強したなどもしない。おかげでタイ語は1、2日で覚えられるぐらいの語彙力だ。

 

未来を考えて計画的に生きるか、今を思っ切り生きるか。

そういうことを考え出したのも、タイに来るようになってからだろう。

なぜなら、タイに来た時、街で見かけるタイ人は仕事でもそこまで気を張っていなくて、楽しそうで、何よりストレスを抱えて毎日生きている感じがしない。

そんな世界にびっくりしたし、こんな世界に住めたら楽しいだろうなと思った。

 

日本では小さい頃から、今の時間を犠牲にして勉強に時間を費やすことで、将来の道が開けるという考え方が一般的で、

みんな塾に行くし、教育に力を入れている家庭は小さい頃から遊ぶ時間を削って勉強ばかりさせているところも珍しくはない。

なので、大人になってもなにかと将来のためとか、今はしんどいかもしれないけど、後から楽をできるから今頑張ろうというようなスタンスがデフォルトとなっている。ぼくもこの考えを持っているし、将来を見据えて計画をたてることは大切だと思うけれども、悪く言えば、今を犠牲にして、来るかわからない未来のために時間を使っていると言える。

 

未来のために行動をしすぎると自分がやりたいこととを抑えている期間がながくなり、そして自我を抑えるのが当たり前になる。やりたいことはできないものと認識し出すと人間はどうなるのだろう。自我を抑えてうつや原因不明の病になっている人をいくつかみてきた。また未来を考えすぎる人は往々にして幸せそうでない。幸せそうな人を見たことがない。

 

タイでは今この瞬間を楽しんでいるような人が多いように思う。今の気持ちに忠実なので、楽しいことをするし、なによりなんでも楽しんでいる。日本ではあまりない光景だったので、新鮮で、これが本質なのかもしれないとも思った。

ただ、そんなタイの人にも根深い問題があるようだ。それは年老いてきたら、子供にすべての世話を任せる文化である。ちゃんとした年金制度がないのが原因のひとつだとも言えるが、タイでは老後は子供が金銭面、介護においてすべての面倒を見るような文化がある。

別にその文化自体は問題ないのだが、これはもしかすると、今ここで生きている人のツケを次の世代が背負っているのではないかとも思う。結婚したいから結婚し、こどもが欲しいから子供を産む。そして、子供とのかけがえないない時間を過ごし、その後は子供に一切の面倒を見てもらう。未来を考え、計画する日本人からすると考えられないことかもしれないが、この文化がまかり通っている。

 

今ここで生きている人は素晴らしいとは思うが、同時に後世やまわりに迷惑をかけない計画も大切だと思った。