福島第一原発事故で、13年目の今、まだ10万人近くが故郷に帰れない現実 | tokaiama20のブログ

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 民の声新聞より
  【159カ月目の原発避難者はいま】「避難したこと間違ってなかった」「裁判官にこそ観て欲しい」 ドキュメンタリー映画「決断」が光を当てる区域外避難の決意、難しさ、葛藤 2024/06/20
 http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/blog-entry-793.html

 【福島第一原発事故により福島県外に区域外避難した10家族を追ったドキュメンタリー映画「決断」が公開中だ。ある家族は全員で動いた。ある家族は夫を福島に残し〝母子避難〟した。
 ある人は、避難先で受けた住宅追い出しから周囲の母子を守ろうと先頭に立って闘った―。安孫子亘監督は、ともすれば「政府の避難指示が出なかったのに勝手に逃げた人たち」と冷笑されがちな避難者を7年にわたって追った。

 16日にはJR御茶ノ水駅近くの明治大学リバティホールで上映会が開かれ、映画に出演している区域外避難者たちも駆けつけた。ぜひ自主上映会で区域外避難者の生の声に耳を傾けて欲しい。あなたなら、動けますか?

 【「『被曝避ける権利』がある」】
 「原発事故発生から13年経ったいま、映像と証言の記録に残してくださった安孫子監督、本当にありがとうございます。このドキュメンタリー映画を、私自身の証拠資料として裁判所に提出して欲しいと弁護団に打診しています。
 この会場には、お忍びであっても裁判官は1人も来ていないと思います。裁判官にこそ、この映画を観て欲しい。

 たった10人のエピソードですが、全国に区域外避難者がいることが分かると思います。避難の形も百人百様。みなさんだったら避難しようと考えますか?避難できると思いますか?無用な被曝を強いられたときに声をあげることができますか?。判決文を書く前に裁判官がこの映画を観たら、判決内容も少しは変わってくると私は信じています。全国の裁判官に観て欲しいです」

 上映後、森松明希子さん(「原発賠償関西訴訟」原告団代表、福島県郡山市から大阪市に避難)はマイクを握った。ゼロ歳と3歳の兄妹を連れて母子避難した。夫は仕事の関係で郡山に残った。子どもたちは13歳(中2)と16歳(高2)になった。

 「避難者は、ともすれば誹謗中傷を受けます。『福島でがんばっている人がいるのに、なんで避難するんだ』とか『福島はもう大丈夫なんでしょ?』などと言われます。私たちが声をあげると風評被害を煽ってしまうとも言われます。果ては〝歩く風評加害者〟とまで言われます」

 「でも、私は自分の子どもだけを放射能の線源から遠ざけて避難できたらそれで良いとはとても思えません。自分の子どもだけが被曝しなければそれで良いのかというと、そうではありません。すべての人に無用な被曝を避ける権利があるのです。これは、もっとも大切な人権の問題なのです」

 映画のなかで、高木久美子さん(福島県いわき市から京都市に避難)は「あなたは秋田から福島に嫁に来たから避難を簡単に考えられたんでしょ、と言われ悔しかった。避難したことは間違っていないと思っている」と語っている。被曝を避けようとする行動に「福島に生まれ育ったか否か」は本来、関係ないはずだ。森松さんも映画のなかで同じ指摘をしている。
 「放射能をばらまいた原子力災害の話を、『ふるさと』の問題に置き換えないで欲しい。原発事故被害を小さく見せる、放射能問題じゃないことにしてしまう動きには黙っていられないんです」

 【「区域外避難、光当たらぬ」】
 鈴木哉美さん(福島県郡山市から北海道東川町に避難)も、2人の息子とともに避難した。夫は郡山に残って妻子を支えた。夫は「一緒に行きたかったが、親が『私たちの面倒は長男がみるのが当たり前だべ』という考えだった」と語る。子どもを守るために動こうとした人々に、身内や隣近所、職場の上司や同僚が立ちはだかった。国や福島県は区域外避難を積極的に勧めず、逆に「帰還政策」に重きを置いた。区域外避難の大変さが夫の言葉に凝縮されている。

 鈴木さんは東川町議選に立候補。2019年から1期、町議を務めた。 
 「当初は映画になるかどうかも分からない状態で取材が始まりました。あれから7年半が経ち『映画になります』と連絡を受けたとき、本当にびっくりしました。
 私は東川町議を1期務めましたが、陰では本当に悩んで、何度も泣いて、消えてしまいたいという気持ちを何度も経験してここに至っています。まだ現在進行形です。この映画に出ていない避難者、1万人いれば1万通りの避難者がいるということをぜひ想像してください」

 福島敦子さん(「原発賠償京都訴訟」共同代表、福島県南相馬市から避難)は「区域外避難にはなかなか光が当たりません。そのなかで、13年間苦しんでいる被害者に光を当てて映画をつくってくれた安孫子監督には感謝しています」と話した。

 原告のほとんどが区域外避難者である京都訴訟の控訴審は、5月22日に結審した。12月18日、大阪高裁で判決が言い渡される。提訴から11年。他の原告を励まし、全国の同種訴訟の応援にも行く。気づけば、いくつもの病魔に襲われていた。映画のなかで、福島さんは子宮全摘出や脳腫瘍、帯状疱疹に伴う顔面マヒなどの病状を明かしている。

 「脳や生殖器って、放射性物質が蓄積しやすい場所ですよね。もともと人間って放射能に弱いですが、私は感受性が高いんだと思う。何回も病気をすると、やっぱり避難をしたことは間違ってなかったと思います」
 映画の撮影時と比べると、体調はかなり良さそう。この日も筆者らと一緒に昼食をとった。

 「地裁レベルでは国の責任が認められてきたのに、各地の高裁で次々と覆されています。そして最高裁の不当判決。国の責任を否定した菅野博之裁判長(現在は長島・大野・常松法律事務所顧問)は今年の春の叙勲で旭日大綬章をもらっています。権力を持っている人たちを相手にと闘うということはこういうことなんだなと実感させられています」

 【「好んで避難した人などいない」】
 鑑賞して知ったのだが、実は筆者も〝声の出演〟をしている。
 2017年11月21日、山形地裁で開かれた〝雇用促進住宅追い出し訴訟〟の第1回口頭弁論(当時の記事はここをクリック)。閉廷後の記者会見で、被告とさせられてしまった8世帯の先頭に立っていた武田徹さんに敢えて質問した。その場面が映画で使われていた。

 「避難者はそろそろ自立しろという声があります。いつまで支援を受けたら良いんだ、と。それについてはどう思いますか?」
 武田さんは動じることなく、きっぱりと答えてくれたのを今でも覚えている。
 「そう考える人は多いと思います。ただ、何度も言いますが、好んで避難した人は1人もいないということです。やむを得ず避難したのです。その原因をつくったのは東電と国。彼らが責任をとるのが当然です。この国は世界各国から非難されるようなことをやっていて、それでわれわれに『そろそろ帰ったら良いんじゃないか』と言うのはおかしい。復興、復興と行っていますが、現実はまだまだ酷い汚染があるのです」

 実は今年3月、武田さんから電話をもらっていた。
 「あれはすごい映画だぞ。あの映画を観れば、原発避難が何たるかが良く分かる。ぜひ観てください」
 その後も森松さんからも連絡をもらっていたが、ようやく観ることができた。武田さんの言葉は大げさではなかった。

 2016年には、ドキュメンタリー映画「『知事抹殺』の真実」を公開した安孫子亘監督。上映会で「いわゆる〝自主避難者〟と呼ばれている方々が、全国に数多くいらっしゃいます。家族を守るために、大事なものを捨てざるを得なかった。そういった物語を私は描いています。この映画に出てくれた10家族は、ほんの一部です。

 こういった方々が全国にいるということを、私は取材を通して知ることとなりました。(夫が福島県内にとどまった)鈴木さんや森松さんを通して、避難の難しさをしっていただければと思います」と語った。
 そして最後に、こう口にした。
 「そんなに原発が安全安心ならば、私は東京につくるべきだと思います」
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 引用以上

 2011年3月11日に東北沖地震M9.0が発生し、岩手県、宮城県、福島県などで2万人の死者が出た。
 その夜、外部からの電源導入経路が震動で崩壊した上、設置位置が低すぎたため津波に襲われて非常用電力系統も破壊された福島第一原発は、メルトダウンによる莫大な放射能環境放出が避けれない事態になった。

 実際には、事故から3時間後には核燃料ユニットのメルトダウンが始まったといわれる。こうしたときに炉心を非常冷却するECCSは、電源喪失のため使えなかった。
 おまけに、ECCSの最後の砦といわれる、電源喪失時空冷装置は、東電は「点検が増えて面倒だ」という理屈で、小泉純一郎政権時代に撤去させていたのだ。

 翌日から人類史における究極の「破局事故」といわれる原子炉大崩壊が4つの原子炉で連鎖することになり、とりわけ3号機では、おそらく核燃料圧縮による臨界核爆発が起きた。これは一般的な原子炉の水素爆発とはまったく異なり、爆発力の弱い「汚い核爆弾」の性格を持っている。
 http://pacecontinua.com/?p=1597

 1号機の爆発は水素爆発だったが、メルトダウンによって炉心内金属から放出された解離水素による爆発というより、実は炉心内センサーの一種であるジェット計測ノズルが震動で折損し、内部の冷却水が外部に80気圧で放出された結果だった。
 つまり、津波による冷却喪失ではなく地震振動が炉心を破壊した結果である。
 東電も政府も「フクイチ事故は想定外の津波によって起きた自然災害」と主張したが、実は、地震震動によって直接破壊されたのである。

 「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発~木村俊雄氏「事故原因は”地震”だった」 2019年08月17日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827868.html
 (上の自分のブログを探すのに、「ジェット計測ノズル」という検索ワードを使ったら、なぜかブログ検索窓が反応しなかった。これまで検察排除のなかったシーサーブログまで検索排除されていた。)

 能登地震でも、自民党は地元の反対がなければ珠洲市に世界最大の原発を作る計画だったが、もし完成し稼働していたなら、100%完全無欠の巨大メルトダウン事故が起きていたと思わない関係者はいないだろう。
 珠洲市民の反対運動のおかげで、富山市や金沢市の生活が守られたのだ。

 311巨大震災後の連鎖的メルトダウンで、放出された放射能総量は、チェルノブイリよりもはるかに多い(2倍以上)と評価する研究者が少なくない。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5923121.html

 事故直後の、浜通り、双葉町では、駆けつけた研究者の測定により、ミリシーベルト級の電離放射線と、中性子線が確認されている。
 米軍の環境放射線撤退基準が0.3マイクロシーベルト毎時なので、仮に10ミリシーベルトの環境だったなら、実に33000倍である。
 非常に多くの人が、放射能によって直接被曝死するレベルである。

 実際に、共同新聞記者は、事故から一ヶ月以上経た、フクイチ北側の大熊町で1000名に迫る被曝死者が散乱していると伝えている。遺体は10ミリシーベルトを超える放射能に汚染されていて近寄ることも困難だった。(以下リンクに記事あり)
 他県の震災関連死割合から計算すると、福島県における放射能による直接死者は実に2000名を大きく超えている。
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827322.html

 双葉町の双葉厚生病院では、バスによる避難者のうち39名が死亡したが、この原因は「避難時のストレス」と決めつけられ、疑うメディアもいなかった。
 だが、同じような条件で、はるかに苛酷だった宮城や岩手の避難では、ほとんど死者が出ていない。
 この死者は、放射能に被曝した結果という以外説明しようがなかったが、メディアの大半が原発村の電通大王による広告支配を恐れて口をつぐんだのである。
 https://toyokeizai.net/articles/-/648213?display=b

 事故当時は菅直人民主党政権だったが、彼らは原子力産業とタイアップして、ベトナムへの原発輸出を推進していた最中だった。つまり原発積極推進派だった。
 だから、事故直後に担当相として現地に派遣された細野豪志と枝野幸男の二人は、原子力産業に忖度して、事故を軽微に見せかけるのに必死だった。

 事故から数日後、放射能汚染の恐ろしさを警鐘する人々の努力によって、放射能汚染地帯である福島県から避難しなければならないと人々が思い始めた。
 枝野幸男は、「放射能はただちに健康に影響しない」と叫びまくり、住民避難をさせなかった。

 細野豪志は、当時の福島県知事、佐藤雄平と共謀し、100億円の予算で作ったSPEEDI放射能監視システムを遮断し、情報を県民に教えなかった。
 この結果、浜通り住民は安全な避難先が分からず、みんなもっとも汚染が激しかった飯舘村方面に逃げ、無用の被曝をさせられた。

 もし、枝野・細野・佐藤らが、放射能汚染の恐ろしさを知っている人物だったなら、死者(震災関連死に潜り込まされている)は数分の一以下に抑えられていただろう。
 だが、民主党による安全デマ工作にもかかわらず、福島県民の多くは、放射能の恐ろしさに気づき始めていた。

 3月15日頃からは、国もやっと避難を容認するようになり、福島県全体で、約100万人の人々が他府県の安全な土地に逃げ出していた。
 100万人の避難者なんてのは、核戦争レベルである。
 以下のグラフは、「東電子会社」といわれる福島県が作ったもので、事故から1年後に約16.5万人としているが、真っ赤なウソで、これは公的指示(強制避難)であって、私的な自主避難は一切含まれていない。


hinannsya01







 福島県は現在の避難者を、3万数千にとしているが、これは住民票に基づいた行政措置の対象だけで、実際には10万人以上の自主避難者がいる。

 数十万人の福島居住者が、東電を擁護するだけの行政の指示を信用せず、自主的に全国に移住している。「故郷が安全になった」と信じて帰還した人など、ごくわずかである。
 行政指示を信用できないで自主避難した人には、内堀雅雄知事ら、原発推進派から激しい嫌がらせを受けている。東京官舎に避難した世帯は、追い出し提訴と損害賠償を請求されている。
福島県、内堀雅雄が放射能汚染避難者を避難住宅から強制執行で退去させる 2024年03月24日
 https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6121595.html

 原発の存在は、子供たちの未来を奪うものだ。人類は放射能汚染のなかで生きてゆけない。1962年前後、世界は大気圏核実験競争を行うことで、地球上全体に激しい放射能汚染をもたらした。
 私は、小学生だったが、学校で、「絶対に雨に打たれるな」とくれぐれも念を押された。広島原爆における「黒い雨」の恐ろしい記憶が共有されていたのだ。

 放射能汚染は、貴賤身分の差を無視する。美智子妃は、当時、成田牧場での農産物を食べることを皇室典範によって強いられていた。当時の成田のセシウム汚染は、キログラム当たり数百ベクレルだった。
 結果、胞状奇胎を出生し、典医は「二度と正常な子が生まれないかもしれない」と告げた。

 大慌てで、宮内庁長官や池田勇人首相が顔を寄せて、美智子氏の妹の恵美子氏が妊娠したのをみて、この子を浩宮の弟として育てることにした。
 それが秋篠宮だが、皇室典範は養子を認めていないため、その事実が知れ渡ると秋篠宮は皇族資格を失うことになり、これが今問題になっている。

 1960年代の日本の学校では、いわゆる遺伝子障害、奇形の花盛りで、どこの学校でも兎口障害の子は普通にいたし、知的障害の「特殊学級」は大変な盛況だった。
 福島県でも、現在、遺伝子障害児童の激増が起きているのだが、これには強力な箝口令が敷かれ、私が人口動態統計から調査しようとしても、なかなか実態にたどり着くことができない。

 福島県では、100万人に1人しか出ないといわれた小児甲状腺癌が、400名近くに確認されている。誰がどう見ても、チェルノブイリ事故と同様に、フクイチ原発事故によるヨウ素131被曝がもたらしたものだが、なぜか、福島県と福島医大は、「原発事故とは無関係、検査機材の進歩により、見つける必要のない癌を見つけてしまっただけ」と、驚異的な詭弁を続けている。
 これは「悪意ある詭弁の医学史」に末永く残る典型例だろう。彼らは、東電から金をもらって東電を必死になって守っているのだ。

 福島では、なにもかもウソに満ちていて、すべて東京電力の自己責任を隠蔽し、を守ろうとする力が働いている。
 冒頭に紹介した、避難者に対する不当な扱いも、すべて原子力産業が自分たちの利権を守るために行われている。

 だが、原発巨大事故は、こうした隠蔽姿勢によって、ますます危険性が増すばかりで、次にメルトダウンが起きるのは、関西電力の全原発、そして九州電力川内原発、四国電力伊方原発などだ。
 原発事故をまともに反省せず、被害を隠蔽したことが、はるかに深刻な事故を招いているのだ。

 関電若狭原発群が大事故を起こせば、京都市は永久に立入禁止になるかもしれない。
 それは目前に来ていると私は思う。人口密度の高い関西では、1000万人級の避難民が出るかもしれない。
 福島の避難民の運命は、やがて我々の運命になる。
 中国も韓国も、巨大事故が時間の問題である。人類は原発によって滅亡する。