優生保護思想が人々を縛り付ける理由 | tokaiama20のブログ

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 数回前に「今西進化論」のことを引用した。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6122769.html

 戦前、欧米では進化論を前提にした「優生保護思想」が大きな力を持っていた。
 ダーウィンは、
 「あらゆる偶然の突然変異は淘汰に晒され、環境に適合できる優れたものが生き残り、劣ったものは消えて行く」
 と進化の原理を示し、「だから劣ったものが存在してはならない」という優生保護思想に理論的、思想的根拠を与えたといっていい。

 これに対しキリスト教保守派は、「すべての事物現象、生命体は神が定めたものであり、優劣は存在しない」という思想で対抗した。
 だが、観念的な決めつけだけで、科学的説得力の欠落した反進化論の敗勢は明らかだった。

 ダーウィニズムは、世界の優生保護思想を激化させたといっていい。これによって、ナチスはT4作戦を実施し、自国の「国益に寄与しない」障害者たち40万人をガス室に送った。
 日本でも主に革新系女性議員からの提案で、「優生保護法」が成立し、障害者本人の意思を無視して、強制的に生殖能力を奪う残酷な政策が長く実施された。これにより、数万人の障害者が強制不妊手術を受けさせられた。
 https://www.call4.jp/story/?p=2029
 
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828568.html

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5999268.html

 日本のT4作戦 2018年09月28日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828186.html

「優れたものを残すのが正しく、劣ったものを排除抹消しなければならない」
 というのが優生保護思想の本質である。
 この思想は、資本主義社会で、競争に晒された人々が、幼い頃から無意識に洗脳される思想であり、これが「自然界の摂理」であるとお墨付きを与えたものがダーウィン進化論である。

 この優生保護思想は、日本人のほぼ全員を洗脳し縛り付けているといってもいい。
 未だに、「優秀」という言葉に呪われた無数の若者たちを産み出し続けている。
 彼らは、「自分が優秀でない」という恐怖に怯えて、追い立てられるような毎日を過ごし、自分より劣ると感じた人を見下し、嘲笑し、自分が優秀であるとの証拠を求めて、優越感に浸るため、高級車で我が物顔で暴走したり、美人妻を求めたり、学歴の低い者や、障害者を見下して社会から排除しようとするのだ。

 こうした「優秀強迫症」とでもいうべき思想の根源にある「劣ったものが消えてゆくのは自然の摂理」であるかのような進化論に対し、真っ向から疑問を投げかけた人物が今西錦司だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E8%A5%BF%E9%8C%A6%E5%8F%B8
 今西は、「劣ったものが淘汰されて消えてゆくわけではない。それぞれの能力に応じて棲み分けてゆく主体性がある」という進化論の間違いを正した「今西進化論」を提唱した。
 
 それは、「この世界に生まれた、すべての存在に合理性がある」という理論であり、生物は自然淘汰されるのではなく、自らの意思で、生存環境を求めることができるという新たな発見であり、それはダーウィンに代表される唯物論(自然淘汰)至上主義に対して、唯心論を提起するものでもあった。

 だが、「優れたもの」を求める人間の習性は凄まじいもので、戦前、ドイツ人やユダヤ人、日本人にそれが著しかった。
 それらは「優劣を定める社会」だった。優劣だけが人生の根拠であるかのように人々を縛り付ける社会だった。

私は、若い頃「みんなが平等に楽しく生きてゆける社会」を求めて、山岸会などにも関わったのだが、残念ながら、創始者の山岸巳代蔵でさえ、優生保護思想から自由ではなかった。
 今のヤマギシ会も、優生保護思想の束縛が小さくなかった。だから、内部の議論も、基準は、いつでも「どちらが優秀か?」なのだ。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828500.html
 
そりゃそうだろう。日本の儒教社会は、身分序列に代わって学歴序列を掲げていた。
 例えば会社員のほとんどが、人と接するとき、最初に「相手は自分より序列が上か下か」を見定めようとする。
 そして、その基準が学歴や大学ランキング、そして企業内の地位であり、自分より下であると思えば、その瞬間から相手を見下すような習性に洗脳されてしまっている。
 だから、いつでも、「どちらが優秀か?」と目を皿のようにして探すことが人間活動の常識であるかのように思い込んでしまっている。

 始終、序列ばかり気にする人生ならば、当然その関心は人間の優劣に向かい、優生保護思想に向かうのだ。
 だから逆に、「優秀でないもの」には誰も見向きもしないし、汚いものを見るかのように目を背け、可能ならば排除しようとする。日本人は、「優秀」に呪われているのである。
 ここで以前書いた私の記事を紹介しておこう。7年ほど前に書いたものだ。

 ファッシズムと優生保護 2017年02月25日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828401.html

  2016年7月26日の朝、我々は目を疑うような恐ろしいニュースに接した。
 相模原市にある障害者施設で、19名死亡26名重軽傷という大量殺傷事件が報じられたのだ。
 犯人は植松聖という名の施設の元職員で単独犯だという。

 いわゆる大量殺人というものは、80年前、1938年の「津山32人殺し」というもの凄い事件が知られていて、郷土史や民俗学を学ぶ者なら日本近代史最大の特異事件として誰でも知っているし、この事件をモデルに横溝正史が八墓村を書いて、たくさん映画化されてるから知名度が高い。

 津山事件の原因は、部落差別を受けていた青年が好意を持っていた女性宅に「夜這い」(西日本では結婚前の適齢期女性に対し、近所に住む若者が夜中に忍び込んで性交を求める習慣があった)に出かけ、身分を理由に拒絶されたことから怒り狂って起こしたという説があり、この種の異常事件の多くに差別問題が絡んでいるのは事実である。

 中略
 19名殺しの植松は希に見るほど強固な思想的確信犯であった。おそらくオウム信者による宗教的洗脳犯罪よりも、さらに強烈な優生保護への観念的確信を持っていた。
 「障害者は国家の邪魔者であり、死なせた方がよい」
 との強固な信念を持って大島衆院議長と安部晋三首相あてに事前(2016年2月13日)に上訴状を渡し犯罪を予告している。

 手紙の内容は
【 私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
 常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
 理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
 私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
 重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。
 もし殺戮実行に成功したなら、二年で免責の上、5億円もらいたい。】

 というもので、想像もできないほどの独善性と論理的飛躍、異様なナルシズムのなかにも、差別社会システムのなかで、誰もが共有しやすい優生保護思想の極端なリアリティ=「役に立たないものを排除する」発想が鮮明に見えていて、この事件が、実は日本国内に歴史的に蔓延してきた「優秀な者だけ残し、無用なものは排除抹殺する」という選別選択の差別=優生保護思想の極端な結実であることを示すものであったといえよう。

 それが証拠に、自民党や右翼から、たちまち大量殺人犯、植松聖への共感者、支持者がたくさん現れた。
http://lite-ra.com/2016/07/post-2459.html
「自民党ネットサポーターズクラブ会員として愛国という視点から自らの意見を論理的に述べる。重度障害者を死なせることは決して悪いことではない」
 とブログで公然と、植松への支持を公表する者さえ登場した。

 「植松の言葉自体には実は聞く価値のある部分もある。それは『障害者は邪魔である』」という観点だ」
 「考えてみてほしい。知的障害者を生かしていて何の得があるか?
 まともな仕事もできない、そもそも自分だけで生活することができない。もちろん愛国者であるはずがない。日本が普通の国になったとしても敵と戦うことができるわけがない。せいぜい自爆テロ要員としてしか使えないのではないだろうか?つまり平時においては金食い虫である。」

 「この施設では149人の障害者に対し、職員が164人もいる。これではいくら職員を薄給でき使わせたところで採算が取れるはずもない。そんな状況では国民の税金が無駄に使われるのがオチである。無駄な福祉費を使わなくて済ませることが国家に対する重大な貢献となる。だからこそ植松が言うように障害者はいなくなるべきなのである。」

 この男は、7月9日に石田純一の都知事選立候補の意向の報を受けて
 「都知事になりたいならばまずは自分の子を死なせてからにするのが筋であろう」とも書いている。

 「石田には東尾理子との間に子供が1人いるが、そいつはダウン症である。つまり育てるのにカネがかかる。東京都知事は言うまでもなく公務員である。公務員は国民のために尽くすのだから無駄遣いをしてはいけない。だからこそ無駄遣い以外の何物でもない子供は死なせるべきなんだ。無駄な医療費を使わなくて済むのだからこれは国家に対する重大な貢献となる。政治家なのだから率先して自分の子供を見殺しにできるようにならなければいけない。」

 「野田議員の子どもは重い障害をもっており、1年で9回の手術を受け、脳梗塞になり産まれてからずっと入院、人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺が
 だからこそ野田は総理大臣になりたければ、無駄遣い以外の何物でもない子供の治療を即刻辞めるべきでなのだ。もちろん死んでしまうが無駄な医療費を使わなくて済む。これこそ総理大臣に求められる国家観だ。」

  (この野田聖子氏に対する投稿には7000を超える「いいね!」がついている。これが自民党の若者たちの思想ということなのだろう。)

 この自民党ネトサポは、ブログに安倍HPをリンクし、熱烈な安倍晋三シンパであることを自慢している。
 我々、反原発派のツイッターアカウントに下劣で執拗な嫌がらせ工作を仕掛けてくる者たちも、大半が安倍信者であって、アカウントプロフィールには「日本が好きです、安倍政権断固支持」と書き込んでいる者ばかりである。

 これを見ると、植松聖が決して特殊な精神病質者ではなく、安倍政権支持者の若者たちの標準的な思考であると見なければならないのである。

 ネトウヨ信者のご本尊である安倍や麻生自身が、「美しい日本」というスローガンはじめ、国家に役立たない者は排除せよとの主張を繰り返してきた。
 障害者も老人も、日本社会から弱者を排除した上で見せかけの「美しい日本」を外国に対して宣伝してゆこうということか?

  https://www.youtube.com/watch?v=vFN7eTucz-U
 ブログ主(自民党を代表する論客?)は、こう結ぶ。

 「こういう自分勝手な人間が増えたのも日本国憲法のせいである。自由を謳い、権利を行使しなくてよいという天賦人権論(すべての人間は生まれながら自由平等であり、誰もが幸福を追求する権利をもつという憲法の基本理念)が日本人を堕落させた。
 だからこそ自民党は天賦人権論を否定する憲法案を出した。この憲法が通れば国民の血税を使っても他人に対する感謝の心を持てるようになる。」
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 一部引用以上

 植松のヤマユリ園事件の感想として、身の毛もよだつようなことが主張されている。
 多くは安倍晋三の支持者である自民党青年部=ネトウヨたちだった。
 彼らが公権力を握ったなら、たちまちT4作戦が再開されそうなのだ。もちろん優生保護法も復活し、障害者への強制不妊手術も再開されるだろう。

 自民党を支持する若者たちの多くが、上のような優生保護思想に洗脳されていると考えてよい。だから大谷翔平や吉田沙保里のような特異な才能の持ち主を国家が管理して、優れた子孫を残すシステムが必要だ、などと主張する。
 https://so-t.biz/2021/02/07/%E5%84%AA%E7%94%9F%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%84%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%82%92/

 「前も話したかもだけど大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる。お父さんはそう思ってる。#個人の見解です 野田洋次郎」

 「優秀」という価値観に呪われた若者たちの多くが、上のように願っているのではないだろうか? みんな優秀が大好きなのだ。だが、それは対極にある「優秀でない人は大嫌い」という価値観と表裏一体なのだ。
 彼らは、たぶんT4作戦や障害者不妊化強制に対して反対しないだろう。

 世の中すべては、理想論=綺麗事にしなければ納得しない。理想から外れたものは見たくもない。自分の知らないうちに消えてくれ。という感じだろか?
 社会の正の側面だけを見て、負の側面を直視しようとしない。弱者に対して同情し、弱者とともに生きて行くという価値観が理解できないのだ。

 彼らは、たぶん、社会の裏側を見ることを避けているだろう。社会の裏側にある、さまざまの汚いもの、ゴミの類いを存在しないものとして扱おうとしているように見える。
 汚いものは清掃部隊を作って掃除排除させればよいと考えているのかもしれない。
 その「汚いもの」は自分自身であることも気づかないのだ。

 社会の底辺や障害者を直視せず、表側に見える競争やランキングだけに囚われる人生が、何を意味するのか、誰一人理解していない。
 ちょうど、毎日の序列ランキングに満足する生活を送っているが、自分の家が本当は破産寸前であり、悲惨な運命が待っていることに気づかないような人々に見える。

 底辺を直視しないという意味は、自分の家が崩壊することも直視しないという意味である。
 持続可能な未来を確保するために、本当に必要なことは、あらゆる情報を直視して、人々が笑顔でいられる社会を作り出すことである。
 負の側面から目を逸らすなら、待っているのは地獄だけだ。ちょうどT4作戦を実行したナチスの運命のようなものだ。