サラエボについての補記 | tokaiama20のブログ

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 昨日書いた松原照子の「尖閣諸島はサラエボになる」という予言について、サラエボ紛争(ボスニア・ヘルセゴビア紛争)のことではなく、第一次世界大戦の導火線となったサラエボ事件のことではないかというコメントがあった。

 「どちらかというと、1914年のサラエボ事件の方で、世界大戦の勃発の示唆では」
 「なるほど」と思う人も多かろうと思って、補足することにした。

 サラエボという地域は、私の若い頃はチトー大統領の率いる、「ユーゴスラビア」という国に存在した人口30万人を超える中規模都市だった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A9

 我々の世代は、サラエボという名に郷愁がある。それは1984年に冬期オリンピックが開催されたからだ。当時は平和な都市だったのだ。
 記憶にあるのは、スキージャンプの王者に君臨していたニッカネンが金メダルを得たことだった。日本は銀メダル一個に終わった。

 大会は日本でも中継され、我々の心に刻まれるものだった。当時のサラエボには戦争の影など微塵もなかったので、それから8年後に起きた凄まじい民族ジェノサイドを伴ったサラエボ戦争のニュースは我々を驚愕させた。

 当時のユーゴスラビアという国は、戦前は王国だっが、ナチスの侵攻に遭ってから王制が崩壊し、戦後はソ連圏の社会主義国になり、2003年以降は、クロアチア・ボスニア・セルビアという三つの国に分裂している。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2

 実はコメントされた「サラエボ事件」というのは、戦前の王政時代、1914年に起きた王族に対する暗殺事件である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子であるフランツ・フェルディナントと妻のゾフィー・ホテクが、サラエボを訪問中、セルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された。
 この事件でオーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に最後通牒を突きつけ、第一次世界大戦が勃発した。

 ハンガリー帝国がセルビア王国に宣戦布告し、これに対しロシアがセルビア側について戦線を拡大し、ドイツやフランスも巻き込んで、総人口が18億人しかいない年代で約2000万人近い死者を出すことになった。
 戦争は平和への意思というより、スペイン風邪パンデミックにより1億人を超える死者が出て各国が疲弊したことで終結した。

 セルビアという国(当時王国)は、民族主義が盛んで、民族的優越主義の色濃い暴力的なグループが多かった。
 この傾向は、第一次世界大戦後も変わらず、1992年に起きたサラエボ戦争の大きな原因にもなっている。
 第一次世界大戦が疫病パンデミックで各国が戦意を失ったのだが、民族優越主義の残り火が、焼けぼっくいのように煙を上げ続けていた。

 ナチスは、セルビアに侵攻し、民族ジェノサイドを始めた。またクロアチアやボスニアの民族過激主義者たちもジェノサイトを繰り返し、地獄のような様相を呈した。
 ナチスが台頭するなかで、チトーに率いられたパルチザンが、ナチスの劣勢に乗じて国家権力を構築することに成功した。
 チトーは、多民族国家であるユーゴスラビア全体に「連邦共和制」を導入することで、一定の平和国家を築いた。

 サラエボ冬期オリンピックが終わり、チトーらパルチザン政権が年齢的なこともあって衰えると、再び、セルビアに密かに息づいていた極右の民族主義過激組織が台頭し始めた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF

 そして、1980年代末に、再びセルビアの復活を求めて、周辺諸国の侵略に乗り出した。背後にはソ連の領土膨張主義の影があるとの指摘も多い。
 とりわけ戦前、クロアチア人とムスリムを敵対視し、約30万人を虐殺した「チェトニック」が再編成され、再び、同じような虐殺を繰り返すようになり、4年間にわたる凄惨なボスニア・ヘルセゴビア紛争が発生した。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%82%B4%E3%83%93%E3%83%8A%E7%B4%9B%E4%BA%89

 1995年には、現代における最大級のジェノサイドといわれる「スレブレニツァの虐殺」事件が起きて、ムスリム系住民1万人近くが殺戮された。
 あの平和なオリンピックが行われたサラエボ近郊で、一夜にして1万人の街が皆殺しにあったことに心根は凍結し、驚愕しない者はいなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%84%E3%82%A1%E3%81%AE%E8%99%90%E6%AE%BA
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 さて、松原照子は、「尖閣は第二のサラエボになる」と、書いたのだが、これが意味するものは、第一世界大戦の導火線となった戦前のサラエボ事件なのか、それとも1990年代に起きた凄惨なサラエボ紛争なのか、どちらなのだろう?

 ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されて2000万人が死んだ第一世界大戦の再現を意味しているのだろうか?
 それとも、「チェトニック」という極右民族主義組織が引き起こし、公称20万人死者と200万人避難者を出したサラエボ紛争を意味しているのだろうか?

 文脈を考えると、どうも後者のような気がする。
 そもそも、中国共産党が尖閣諸島を「自国領」と主張する根拠は、傲慢な民族優越=膨張主義以外何一つ見えない。
 まるでセルビアのチェトニックと重なるように見えるのは、私だけではないだろう。

 中国政府の主張
(一)中国が最も早く釣魚島を発見し、命名し、利用した。
(二)中国は釣魚島を長期的に管轄してきた。
(三)中外の地図が釣魚島は中国に属することを表示している。
 出典:中華人民共和国国務院報道弁公室
「釣魚島は中国固有の領土である」(2012年9月25日)

 1.「利用」といっても明・清朝の使節が尖閣諸島を航路指標としただけ。
 主張を裏付ける根拠の資料はほとんどない。「航海中に見えた島をランドマークにしていた」ことで自国の領土になるとするなら、中世に世界を航海した南欧船舶は、「世界は自国のもの」と主張できることになる。

 国際法上、領域権原を取得するためには、明確な領有の意思を持って、継続的かつ平和的に領域主権を行使していることが必要。しかし、これまで中国は、自らが尖閣諸島をそのように実効的に支配していた証拠を何ら示していない。

 2.「海防範囲」の意味は不明。海防に関する本の絵図に島名が書かれているだけでは領有根拠にならない。中国は、16、17世紀の文献に、明朝の海防範囲に尖閣諸島を含めたと記述されているなどとして「長期的に管轄してきた」と主張します。
 しかし、中国の主張においては、そもそも「海防範囲」が何を指すかは説明されておらず、単に海防に関する本の絵図に島名が掲載されているというだけでは、領有していたことの証拠にはならない。

 3.古地図の色分けや地図に掲載されていただけでは領有根拠として不十分。
 中国は、16世紀から19世紀の地図において、尖閣諸島が中国の海域に組み入れられていると主張している。しかし、中国の海域に組み入れられているとする根拠が、地図上で中国と同じ色で表示されているといった程度にすぎず、領有根拠にはなっていない。

 中国は、国際法上有効とされる領有根拠を示しておらず、国際法を無視し、中国独自の論理によって「中国固有の領土である」と断定している。

 1895年の領土編入に至る経過において、日本は尖閣諸島が他国に支配されていないことを確認。
 中国は、1885年、日本の政府部内の「秘密報告」において、尖閣諸島には中国名がつけられており、国の標杭を立てれば中国の「猜疑心を招く」などの考慮から「軽々しい行動に出られなかった」などと主張している。

 日本は、尖閣諸島を領土編入について閣議決定するために、尖閣諸島に対し他国が支配を及ぼしていないことを確認し、1895年の領土編入後、中国は、日本人の活動が活発化するのを認識していたが、その後、尖閣諸島は日本が有効に支配している。
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 上の説明は、内閣府を引用したものではあるが、現在有効な国際秩序のなかで、中国に所有権を主張できる根拠は皆無であり、9段線、10段線に見られる強引で強硬な侵略的意思の延長でしかない。
 
 中国の膨張主義、根拠のない他国領強奪計画は、以下の第一・第二列島線計画(九段線・十段線)で明らかだ。

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 中国共産党は、第二列島線の内側も自国領と主張しているのだが、それには沖縄県や小笠原諸島まで含まれている。もちろんフィリピンやインドネシア・豪州まで自国領にする計画を明らかにしている。
 中国共産党の膨張計画は、1990年代に李鵬が構想したといわれる。

  中国の歴史的膨張主義 2023年09月05日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6066568.html

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5865200.html

 以下が、1990年代から中国共産党が計画している、周辺諸国の併合計画である。
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 つまり、日本列島も中国領として併合する明確な計画なのだ。これを冗談や空想の類いにしてはいけない。中国共産党は創立直後に、独立国だった、チベットや東トルキスタン(ウイグル)を軍事併合したのだ。
 だから、習近平政権は、台湾とともに、尖閣諸島どころか沖縄県や小笠原を併合することを政治目標にしていて、このプロセスとして尖閣諸島の強奪を実現しようとしているのである。

 私個人の思想としては、本来、国家や国境なんてものは何の実体もないもので、単なる人間の強欲による思い込みや妄想の類いと断定しているのだが、それを実体化させる上で、暴力装置が設けられているため、もしも、中国共産党が「日本は中国の領土」という妄想を、軍事暴力で実体化させようとするなら、私は自らを守るために戦うしかない。

 もちろん、妄想の砂上に組み立てられた中国共産党王国は、自らの矛盾によって崩壊しようとしている姿を我々は目撃している。
 しかし、中国共産党は、とてつもない数の暴力装置、軍事力を持ってしまっていて、その命の断末魔に、それらを自暴自棄になって世界に向けて行使する必然性がある。

 習近平もプーチンも、金王朝も、自らの崩壊を前にして、自分が死ぬくらいなら世界を崩壊させてやると決意しているように見えるのだ。
 だから、最初に中国共産党は、尖閣諸島に対する強奪作戦を実行すると考えるしかない。その先には、もちろん日本列島強奪作戦があるのだが、それは不可能で、それまでに中国社会は完全瓦解するだろが、膨大な犠牲者が出ることは避けられないと思う。

 尖閣諸島強奪作戦は、松原照子の予言通りに、沖縄県全土を巻き込んだ、サラエボのように凄惨な戦争になる可能性が強いのである。