価値観の統一と強要 | tokaiama20のブログ

tokaiama20のブログ

ブログの説明を入力します。

日本人は「集団性」の強い民族だといわれる。いつでも、「みんなと同じ価値観」を共有していないと不安だし、「みんなと違う」自分独自の価値観を持った人を見つけると「浮いてる、自分勝手だ」と決めつけ、果ては「異端審問」を始めたりする。

 日本人の「集団主義」「同調圧力」には良い面も悪い面もある 2020年08月07日
 https://www.newsweekjapan.jp/hayasaka/2020/08/post-7.php

 「異端審問」というのは、中世の欧州で、キリスト教の価値観にそぐわない原始宗教などを引き継いでいる人々を「悪魔」と決めつけ、残酷な拷問を加えて悪魔の一味であることを自白させ、生きたまま焼き殺してしまうような巨大な迫害だった。
 その犠牲者は数百万人に上るといわれる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E7%95%B0%E7%AB%AF%E5%AF%A9%E5%95%8F

 日本人は、「みんなと違う価値観」と感じると、すぐにその人をいじめたがる。これを「同調圧力」という。
 同調しない人、みんなと同じでない人は、全体の敵と決めつけられる。戦前は、「戦争は間違っている」・「天皇はみんなと同じタダの人だ」などと言おうものなら「非国民」と決めつけられて、寄ってたかって弾圧された。投獄され、殺されてしまった人も多い。

 神格化された天皇制を受け入れない人は、同じ人間として扱われなかった。
 これは今でも続いている。皇族に「様付け」しなかったり、「天皇はみんなと同じ人間」などと発言すれば、間違いなく異端者扱いされ、「サヨク」と決めつけられる。

  2020-07-07 弱い者いじめが大好きな日本人
 https://noah2003.hatenablog.com/entry/2020/07/07/230023

 戦後、民主主義が普及してからも、異端者を迫害するという「同調圧力」は続いている。
 だから、日本は世界でもLGBTへの理解がもっとも遅れている国だといわれる。
 これは、自民党が、選挙応援と引き換えに韓国宗教である統一教会の価値観を国民に強要しているせいもある。
 ちなみに、LGBTへの迫害的問題発言をした自民党議員は、以下のリンクにあるが、驚くほど多数だ。大半が統一教会と深い関係にある。
 https://www.newsweekjapan.jp/hayasaka/2020/08/post-7.php

 「道徳」という微妙な価値観を、義務教育で封建的(儒教的)な秩序一色に染め上げる価値観強要を行ったのも自民党だが、それは統一教会による指示だった。
 https://note.com/sho_m_nishimura/n/nb5fc4d27fc44

 自民党議員の大半が、上のリンクのようにLGBTへの露骨な反感を示しているが、ほとんどの場合、統一教会による選挙応援と引き換えの価値観強要だと考えて良い。
 
「出る杭は打たれる」 日本の学校におけるLGBT生徒へのいじめと排除
 https://www.hrw.org/ja/report/2016/05/06/288906

 もちろん、自民党議員だけでなく、どんな街に行っても、女装したLGBTを見つけると、あからさまに嫌悪感を示す人は非常に多い。
 どうして嫌なのかといえば、自分の価値観が壊されると心配するからだ。自分が教えられてきた世の中の秩序と異なる存在に対して、強い不安感を抱くからだ。

 それが「普通の存在」となれば、みんな受け入れるようになるのだろうが、性の問題は、とりわけ拒絶反応が激しい。
 例えば、街中で売春婦を買ったつもりだったのが、男だったということで激怒して殺してしまったという犯罪は非常に多い。
 
 ここで問題にするのは、統一教会(文鮮明)が日本人に強要しようとしてきた「道徳」なる価値観だ。
 2014年、統一教会の代理人であることを公然と表明した安倍晋三(当時首相)は、「道徳」という教科に「特別」という装飾を加えて、全国の小学生に文鮮明流の儒教的価値観を強要すると公表した。

<道徳教育> なぜいま「特別の教科」に格上げを検討? 2014/8/19
 https://news.yahoo.co.jp/articles/20c2c7a9da696e7faaf7180393a54160e82d507d?page=1

 この中身は、戦前の愛国心教育への回帰といってもいい。

  「道徳の教科化」に潜む"愛国教育"の危うさ 国が道徳観を定め教師が評価するのは適切か 2018/05/16
 https://toyokeizai.net/articles/-/220068

 以下一部引用
  教科としての道徳が始まったのは、戦前の尋常小学校における「修身科」から。修身科とは、1890年に明治天皇から発表された教育の基本方針「教育勅語」を基にして指導すべき教科とされ、教科教育のなかでも当時特に重要視されていた教科である。それが戦後、教育勅語とともに学校教育から一掃され、道徳教育は学校教育全体のなかで行われるようになった。

 (アマ註=教育勅語と天皇制神格化は、山県有朋らを中心に作られた。それまで伊勢神宮の大神主と認識されていた天皇を、日本国の絶対的支配者として尊敬することを強要した。全国津々浦々の氏神を序列化して階級を与え、その最高位に伊勢神宮を置き、「天皇が日本で一番エライ人」という価値観を道徳教育によって強要した)

 終戦から13年後の1958年、「学校教育法施行規則」によって特設道徳という教科がつくられた。修身の復活が道徳と名を変えて始まったのである。このときは評価のない教科として導入されたが、1週間に1時間は必ず道徳を実施するということが決まった。

 そして2015年改正の「学校教育法施行規則」により道徳を特別の教科に格上げした教育課程が敷かれ、今年度より、実に60年の時を経て、道徳教育が再び教科化されたのである。これまで教育勅語の復活や、道徳教育の拡充に向けた動きはつねに見られてきた。それが安倍政権下についに実現したのである。

 「道徳の教科化」の本当の目的とは?
 文科省は道徳の教科化の目的として、第一に「いじめ問題の対応」を挙げている。しかしその裏には、政府の別の思惑が見てとれる。

 我が国の教育は、教育基本法第1条に示されているとおり「人格の完成を目指し、 平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われ」るものである。
 人格の完成及び国民の育成の基盤となるものが道徳性であり、その道徳性を育てることが学校教育における道徳教育の使命である。

 以上をお読みいただき、それのなにが問題なのか?と思う方も少なくないだろう。道徳で指導される中身を見てみても、小学校で習ったこと、あるいは家庭で親御さんがお子さんに伝えていることと重なる、そう思われる方も少なくないだろう。

 しかし問題なのはこれを「国」が「制度」として導入しているというところなのである。「人格の完成」や「道徳性」とは何かを、はたして国が上から定めるべきものなのだろうか。それを行き過ぎた行為と思うかそう思わないかはおそらくそれぞれの方々の価値観による部分が大きいだろう。しかしぜひ一度、立ち止まって考えてみてほしいのだ。
****************************************************
 一部引用以上

 国(安倍政権)は、いわずとしれた統一教会の代理人だが、「道徳最優先」(最重要の特別教科に格上げ)したのも、もちろん統一教会の方針であり、指示である。
https://www.youtube.com/watch?v=okKxhjBK4a8&t=8s

 その目的は、国家権力=統一教会の価値観を従順に受け入れる若者たちを作ることだった。これはある程度成功しているともいえる。なぜなら、この特別道徳教育を受けた世代の若者たちに、著しい右傾化・保守化が起きているからだ。
 https://www.crs.or.jp/backno/No764/7641.htm

 私は1980年代から始まったパソコンゲーム普及による戦争肯定の思想的影響があると考えているが、これを煽るように安倍政権が始めた「特別教科=道徳教育」の影響が保守化をもたらしているようにも思える。
 学校が「愛国心」を評価の基準にし始めたからだ。「国を守らなければ」内申書の点数が下がるのだ。

 だから、今、自民党支持者は、団塊世代よりも、20歳以下の若者の方が多くなっている。彼らは、裏金汚職で腐敗しきった自民党の体質を批判するより、保守勢力による戦争準備を評価しているのだ。自分が戦争の主役になることに憧れる若者たちが増えている。

 外国と戦争を行う準備が、今一番大切だと洗脳されている若者にとっては、LGBTなど存在してはならないものだ。むしろ徴兵と予科練の復活を熱望しているかもしれない。
 すべての価値観は、戦争準備に向けたものでなければならない……と考える若者が増えている可能性がある。

 私も、中国との戦争は避けられないと考えているが、これを前提にして、国内の「引き締め」という言う意味で、若者たちによるLGBT敵視感情は、ますます強まって行くと予想している。
 だが、腐敗した自民党に、まともな戦争準備ができるはずがない。自民党は裏金問題に見えるように、利権がなければ存在できない政党であって、一番必要な武器が安価なドローンであることを決して認めない。利権が薄いからだ。

 まあ、尖閣諸島戦争が始まれば、10万人の在中邦人を放置している自民党政権は、間違いなく人質のため、尖閣諸島を献上することになるだろう。
 つまり、若者たちがどんなに戦争が好きでも、自民党政権には最初から敗北の二文字しかない。
 問題がまるで見えていないのだから、どうしようもない。だから自衛隊内部の軍事クーデターも必至に見える。

 少し話が逸れてしまったが、今回は「価値観の統一と強要」がテーマだ。
 これから日本社会は、統一教会が日本政府に導入させた「道徳」に洗脳されてしまった若者たちが、どのような方向に歩き出すのかということが問題だ。

 私は、LGBT問題に、今と異なる逆風が吹くとみる。何せ、中国(ロシア・北朝鮮)との戦争が迫っている。
 すると、「戦争のために愛国心が必要」という戦前の治安維持法や大政翼賛会を復活させようとする勢力が確実に出てくる。正力松太郎のような人物も登場するだろう。

 価値観、思想の強要、統一化も急速に激しくなり、私のような反国家主義者、自由愛好家の居場所も少なくなるだろう。
 すでに私は2018年にツイッターを追放され、2022年にFC2ブログを追放され、今のいくつかのブログで、私の記事の無断削除が続いている。
 私は、日本国民の価値観の統一にそぐわない、義務を守らない非国民と認識されているわけだ。

 とりわけ、原発推進が国策であるのに、これを批判するブログを大量に書いている私は、国にとって好ましからざる人物である。原発推進の電通関係企業は、ブログ管理などを通じて私を徹底的に排除している。
 そして、原発の本質をまったく理解していない人たち、例えば榊敦司のような人物は、ますます私を非国民と決めつけるにちがいない。

 これから何が起きるのか? という視点でいえば、日本社会は、原発や地震についての情報統制が極めて深刻で、国や電力、原子力産業に都合のよい報道しかしなくなっている。
 次に来るのは、国に都合の悪いことを報道する人たちの排除であり、愛国心教育の強要、価値観の統一ということになるだろう。

 原発事故が起きても、フクイチ事故と同じように、徹底的に情報統制され、住民が数千人も死んだのに、震災死に紛れ込ませて隠蔽を図るだろう。
 私は松本人志の批判報道にも、価値観の強力な統制を感じている。
 今から半世紀前の日本の性文化から考えれば、松本人志のような愚行は、異常でもなんでもなかった。ごくありふれた風景だったといってよい。
 1970年代のテレビの深夜放送を思い起こしてみればよい。今ならなんと報道されるだろう?

 もし松本人志を批判するなら、「ノーパンしゃぶしゃぶ大蔵省官僚」たちは、なぜ今も財務省のトップで安泰に過ごしていられるのか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%9C%81%E6%8E%A5%E5%BE%85%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6#:~:text=%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%9C%81%E3%81%AE%E8%81%B7%E5%93%A1%E3%82%89%E3%81%8C,%E3%81%A8%E3%82%82%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82
 
 性に対して異様なほど苛酷化した日本社会では、LGBTに対しても不寛容な姿勢が復活してくるのは避けられないだろう。
 みんなが「愛国主義国民」として、一つの型にはめられて同じことを考え、同じことを主張し、同じことを行動しなければならない。
 誰がトクをする社会なのか? 若者たちの奴隷化社会が復活するのではないか?
 人の命が、ひどく安い=一銭五厘の赤紙が復活する社会になるのではないか?

 我々の世代でも「期待される人間像」という発想が教育委員会にあった。
 これも画策したのは、当時の文鮮明の影響下にあった統一教会の人物ではないかと疑うが、若者たちを一つの「道徳的型枠」に押し込めて、どこを切っても同じ主張が出てくる金太郎飴社会が復活してくるような嫌な予感がしている。