朝鮮人追悼碑を突然、撤去しはじめた群馬県 | tokaiama20のブログ

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「群馬の森」朝鮮人労働者の追悼碑を群馬県が撤去開始 憲法学者「生活に影響ないのに行政代執行は不適当」 2024年1月29日
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/305983

  群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑を巡り、県は29日、行政代執行による撤去を開始した。県は安全確保や警備を理由に、26.2ヘクタールの公園を全面閉鎖し、2月11日まで作業に当たる予定。県は碑を管理する市民団体「追悼碑を守る会」の立ち会いも認めなかった。代執行の概算見積額を約3000万円としている。

  碑の正式名称は「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑」。第2次世界大戦時に異国の地で命をなくした朝鮮出身者を悼む碑として、2004年に全国で初めて公有地に建立された。

◆設置許可打ち切り 背景に「抗議行動」
 その後、県が碑の前で営まれた式典で「強制連行」という発言があったのを問題視。「政治的行事」だとして14年に設置許可の更新を認めなかった。背景に抗議行動があったとされる。

 群馬大の藤井正希准教授(憲法学)は「著しく公益に反する場合にのみ認められる行政代執行は、市民生活に影響のない追悼碑に行うのは適当でない。県は撤去ありきで進めてしまった。碑を巡って騒動を起こせば、撤去につながるというあしき前例となる」と懸念した。
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 引用以上

 現在、自民党など日本の右派勢力(安倍派議員や高市早苗など)は、「朝鮮人強制連行は存在しなかった」と決めつけ、これを主張する人々に対し「在日系反日勢力」と認定して、戦後、建立されていた記念碑を強制撤去するなど、歴史の改竄、隠蔽工作とも受け取れる政治的姿勢を見せている。

 私は、関東大震災の朝鮮人大虐殺や、北海道天竜ダム問題、新宿区戸山の731部隊跡地の大量の朝鮮人と思われる白骨問題、強制連行問題など、たくさんのブログを書いていて、この問題に強い関心を抱いてきた。

 私は、もう半世紀も前の若い頃、立川で反戦活動をしながら高田馬場の人夫寄場で仕事をしたことがあり、そこから在日系の解体業者の現場に行っていた。
 その在日業者は、仕事は苛酷だったが、実に暖かい人たちばかりで労働者への思いやりがあった。確か柳さんという名前だったと思う。
 私は、彼らと雑談するなかで、朝鮮人強制連行の実態や、当時は知られていなかった慰安婦問題についても、たくさんの事情を教えてもらった。

 慰安婦問題についていえば、彼女らを欺して強制連行したのは日本人ではなく、朝鮮人の女衒ということだった。実態として、たくさんの朝鮮人女子が日本軍の慰安婦に動員されていた。なかには強制もあった可能性が大きい。
 この事実は、中曽根康弘が「自分が基地司令時代に、慰安所を設置した」と述べていることから真実性が明らかだった。
 https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_1323/
 
 実は、朝鮮では1900年頃まで明確な階級制のある奴隷制社会だった。最底辺の白丁(賤人)階級には人権もなく、されるがままであり、殺されても大きな問題にならなかった。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E8%BA%AB%E5%88%86%E5%88%B6%E5%BA%A6
 そんな奴隷制を廃止したのが、併合した日本の朝鮮総督府だった。

 また、試し腹といって、嫁入り前に娘を父親が妊娠させるような習慣まであり、女性は、子を産むための奴隷にすぎないという、儒教社会特有の女性蔑視の感覚が蔓延していた。
 キーセンという風俗女性たちは、ほとんど白丁・常人階級などの娘で、女性の人権意識は存在しないに等しく、慰安婦といっても、それが人権侵害と捉えられたのは最上位の両班階級の娘たちだけのことだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%93%E7%94%9F

 だから、現在韓国で慰安婦問題=人権侵害と騒いでいても、実態としては、女性の人権侵害は100年前まで問題にさえされない社会常識的なものだった。
 それなのに、この20年ほど、韓国内で、「慰安婦強制動員が日本の許されざる人権侵害である」という認識が若者たちに共有されるようになった理由は、反日教育によるものだが、その主役は、日本に占領されたことで、自分たちの立場が壊されたと考える、李朝両班階級の残党によるものだった。
 それは例えば、統一教会の文鮮明らのことだ。彼らは、朝鮮迎合によって支配階級としてのメンツが台無しにされた憤懣によって、反日教育を大規模に扇動してきた。

 儒教社会で、なによりも大切にされる価値はメンツと序列である。朝鮮李朝社会が日本に併合されたという事実は、李朝の権威によって朝鮮社会に君臨してきた両班階級の存在理由を失わせるもので、両班階級にとって、日本人は自分たちより劣等の民族であるののに、自分たちの上に立ったという事実は絶対に認められないものだった。

 そこで、日本に対する、あらゆる嫌がらせが始まったというわけだ。そして、日本から金を奪い取って、韓国両班に還元するという行動を始めた。慰安婦問題の賠償金などは、その目的で行われた虚構である。日本側も自民党政権が選挙運動で統一教会と深く関係していたため、韓国側の不当な要求に屈し続けた。

 それを焚きつけてきたのが統一教会文鮮明である。文鮮明の祖父は、現在の北朝鮮、定州市にいた著名な儒者で、李朝における両班階級だった。
 https://mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/040/102000c
 また文鮮明は、統一教会合同結婚式で、日本の若い女性を韓国の貧村に嫁として送り込むことは、朝鮮併合への復讐になるとも発言している。

 したがって、朝鮮女性慰安婦問題の大半が虚構であり、現在慰安婦だったと主張している女性を調べると、韓国政府(朴正熙)の設置した米軍向け慰安所にいたことが明らかにされている。日本軍慰安婦だと年齢や経歴が合致しないとされる。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
 
 慰安婦問題については、ほぼ虚構であることが明らかにされているので、日本の右派勢力が反発するのも当然だが、それでは強制連行労働者問題はどうなのかというと、これは間違いなくあった。
 右派が指摘するとおり、自発的な給与労働者として、戦前、日本国民となった朝鮮人200万人以上が、当時、日本の若者が徴兵されて労働力が不足し、産業需要のあった広島・神戸・名古屋・川崎などに移住している。
 彼らの大半が、自発給与労働者であって、強制連行はなかったようにみえる。

 ところが、戦争が進んだ1940年代になると、日本軍は、朝鮮人の強制徴用を開始した。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8
 朝鮮人には、兵役義務が課せられなかったのだが、同じ日本人として不公平ということで、強制徴用が行われるようになった。

 ただし、このとき、日本人の兵役義務のなかった若い女性たちにも、強制徴用義務が課せられ、新潟にいた私の母親も17歳頃から軍需工場に動員されていた。
 この民間動員の核心組織が、正力松太郎の大日本大政翼賛会だった。
 だから、日本国民としての利益を享受していた朝鮮人が、徴用されることについては法的に大きな問題は存在していない。

 だが、強制徴用された炭坑やダム工事現場などで、とんでもないことが起きていた。
 戦後、発掘調査や地元民の証言によって朝鮮人労働者の大量虐殺の証拠が、たくさん出てきたのだ。
 証言によれば、強制連行者が恐ろしいたこ部屋に閉じ込められて、次々に殺されていった事実も明らかになった。

 朝鮮人 従軍慰安婦問題などについて 2009年08月18日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1420631.html

  韓国徴用工問題 2018年11月10日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828100.html

 天竜ダムや常紋トンネルでは、たくさんの白骨遺体が発掘されたが、その大半が強制連行朝鮮人のものだったといわれている。
 https://gendai.media/articles/-/87655?page=1

 http://eigyou.korea-np.co.jp/j-2008/06/0806j0121-00001.htm

 http://www.asyura2.com/15/genpatu44/msg/824.html

 http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1229.html

 https://ameblo.jp/omotitotokku/entry-12549164613.html

 また、現在の国立感染研、当時、731部隊本部だった新宿区戸山の敷地で、数百体分の白骨が出てきた。関係者は口をつぐんでいるが、朝鮮人強制連行者のものだとの証言もある。これは731部隊による生体殺人実験の犠牲になったものだった。

 責任者の石井四郎司令官は、戦後CIAスパイとなって、米軍に情報を売り渡すことで、その責任を回避した。
  https://www.asahi.com/articles/ASM7F7DLPM7FUTIL01P.html

 このように、全国の炭坑やダム現場では、強制連行された朝鮮人労働者が虐待を受け、たくさん殺されたという証言が、半世紀前には驚くほどたくさんあった。
 私は、当時の証言を忘れていないが、それはネット上から次々に削除され、そんなものは存在しなかったように自民党関係者によって情報操作されたのである。

 冒頭に紹介した、群馬県による朝鮮人追悼碑撤去も、そんな自民党右派による戦時中の朝鮮人に対する陣形侵害や虐殺の、情報を削除し、事実を隠蔽しようとする企みと断定するしかない。

ドイツの歴史学者「朝鮮人追悼碑の撤去、日韓関係の故意的な棄損」2/1(木)
  https://news.yahoo.co.jp/articles/9ca2e4070bd4474fc2033c4fe3a10f8c3b8fa535

 現在の群馬県知事は、自民党の山本一太である。今回の追悼碑撤去も、山本の指示であると考えるしかない。いったい、どのような人物なのか?
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%80%E5%A4%AA

 以下は最新記事、結局、最高裁が右翼的体質を発揮したということのようだ。

 友好への思い 記憶と反省 行政代執行を開始 朝鮮人追悼碑の建立から20年 群馬県の市民団体「引き継ぐ活動続ける」 2024年1月30日
  https://www.tokyo-np.co.jp/article/306120
 
群馬県の朝鮮人強制連行
  http://www.pacohama.sakura.ne.jp/no19/1904gunmarenko.html

  強制労働の状態
 動員された朝鮮人の労働状態についてここでみておきましょう。

 秋田県の夏瀬ダムの間組の工事現場に強制動員され、岩本発電工事に転送された李用鎮さんの証言をみてみます。

 李用鎮さんは京畿道始興郡から1944年3月に動員されました。秋田の夏瀬ダム工事現場に連行され、飯場に収容され、切り立つ崖を発破し、ダム建設の取り付け道路をつくる仕事をされられました。発破の暴発事故で仲間の身体が肉の塊になる事故があり、逃亡しました。
 しかし、捕まり、リンチを受け、蹴られたために右の肋骨が折れました。同年5月に、岩本発電工事の現場に送られました。45年の2月には神奈川県逗子の地下壕工事の現場に送られました。解放後、リンチにより骨折した肋骨の化膿がわかり、肋骨7本を摘出しました(「百萬人の身世打鈴」)。

 間組岩本発電工事については中国人・朝鮮人の収容状況を示す地図が群馬県文書から発見されていますが、動員された朝鮮人はこのような労働の状態のなかにあったのです。

 裵元吉さんは中島飛行機太田工場へと函館の熊谷組の飛行場工事現場から転送されました。その証言をみてみましょう。裵さんは1943年6月に全羅北道南原郡から函館に連行されました。現場では人間扱いされず、逃亡して捕まると裸にして引きずり出し、ベルトで叩くなどのリンチがおこなわれました。

 100人ほどが函館から中島飛行機の太田工場へと送られました。工場では部品つくりをさせられました。45年2月の空襲の際に逃亡し、草津の岩戸の朝鮮人飯場若山組に入り、硫黄鉱山で働きました(「群馬における朝鮮人強制連行と強制労働」)。

 姜奉俊さんは1941年に全羅北道から千島の飛行場建設に動員され、仙台の松島飛行場工事に転送されています。そこから逃亡し、東京、福島、山形などの現場で働き、群馬鉱山に来て、半田組に下で働きました。群馬鉱山には京畿道方面から連行された朝鮮人が数百人いて、鉄条網が張り巡らされた監視付の飯場に収容されていました。草津には3000人近い朝鮮人がいたといいます(「群馬における朝鮮人強制連行と強制労働」)。

 事故の状況をみてみましょう。1944年3月時点の全国統計(朝鮮人労務者勤労状況報告・厚生省)では、群馬県に1944年3月までに2073人を動員したとし、そのうち3月では、事故帰国が10人、逃亡が94人、死亡が4人とされ、在籍数は1474人とされています。この死亡4人のうちの一人は、岩本発電工事での埋火葬記録から「中山金戊」(胸部損傷・骨折、全北沃溝出身)とみられますが、他は不明です。

 1945年2月の太田空襲での死亡者については2人の名が明らかになっています。太田市にある朝鮮人犠牲者追悼碑の碑文には多数の朝鮮人が動員されたと記されていますが、氏名が判明しているものはわずかです。

 だれがどこで亡くなったのか、名も記されることもないままの人びとの名前を明らかにすること、歴史を歪曲し、追悼碑を撤去しようとするのではなく、名も記されていない人びとの名を明らかにし、碑の内容を深めることが行政の道であると思います。その作業が友好につながるのです。
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 引用以上

 これが戦時中の朝鮮人強制連行の実態だった。朝鮮人には徴兵義務が課されない代わりに1944年強制徴用が行われた。
 このことを現在、韓国が、強制連行不法行為と言っているが、決して不法ではなく、当時、日本人だったので、それは国民義務だった。

 だが、一方で、強制動員者に対して全国で凄まじい虐待があったのも事実だ。
 何度も書くが、半世紀前まで、そんな証言は山ほどあった。この証言から慰霊碑が作られていたのだ。
 その事実をなかったことにしているのが、右派勢力と自民党である。