病気を治す原理は、体液の循環 | tokaiama20のブログ

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 人間の体は壊れやすい。限度を超えた強い接触があれば、容易に打撲、出血や骨折を起こして壊れてしまう。また、体内の異物、細菌、微生物が内部を破壊することもあるし、体のバランスが崩れて、癌や心臓病のような病気になることもある。

 本来、自分に備わったパフォーマンスを正常に発揮できなくなったとき、それを病気・ケガと呼んでいるのだが、これを正常に回復させる方法=医療については、考え方や手段に大きな乖離がある。

 日本の医学は、明治時代に政府がドイツ医学を採用したことで、ドイツ式の思想哲学が基本になっていて、簡単にいえば「分析医学」である。
 それは、不調を訴える人をまず検査し、既知のあてはまる原因を見つけ、定まった治療方法を適用するというものだ。

 だから、日本の大多数を占める西洋医療では、何はなくとも、最初に、たくさんの検査を行う。
 尿や血液、X線写真、CT、MRT、細胞診と盛りだくさんだが、その結果は、必ず病理学にファイルされた知見=データベースに一致しなければ、治療を開始することもできない。
 既存の知見にあてはまらないものは「原因不明」と認定され、簡単な対症療法しか与えられない。

 これに対し、奈良時代に遣唐使などによって日本に持ち込まれた中国式医学は、現在「東洋医学」と呼ばれているが、理論体系はBC200年頃に、漢で確立された「黄帝内経」「傷寒雑病論」「神農本草経」である。
 現在、日本の漢方医学で使われている基本理論は、中国で3世紀頃に体系化された金匱要略(傷寒論)といわれ、これも奈良時代に日本に移入され、現在では、世界に流通する漢方薬の9割が、これを土台にして、日本独自に発展した日本製漢方医薬品である。

 日本の西洋医(日本では西洋医だけにしか医師の資格が与えられない)の9割近くが、漢方医薬品を処方するといわれる。
 最近では、風邪をひけば葛根湯や麻黄湯、火傷をすれば紫雲膏、老衰や倦怠感には補中益気湯という具合だ。漢方を毛嫌いしている西洋医は、全体の1割にも満たないだろう。みんな経験的に、漢方が治療に大きな効果を発揮することを知っているからだ。

 これらは、多数の漢方薬や、鍼灸、温熱療法があるが、その根源的な思想は、ドイツ医学のように、病気を分析し、病理学の型にあてはめて、確立された方法論に従って「治療」を行うものとは本質的に異なる。
 まずは、痩せているとか、強靱だとか、疲れやすいとか、食欲がないとかの外的な症状を調べ、舌苔や皮膚の色調、乾燥度などを見て内的な問題を推理し、処方を定める。
 西洋医学の「穿刺細胞診」のように、病気の体に錐を突き刺して細胞を取り出し、顕微鏡で観察して病理を確定するなどという恐ろしい破壊検査は、ほとんど使わない。

 東洋医学の根元にある思想は、「気血循環」だといわれる。
 すなわち、血やリンパ液などの体液(血液・津液)を循環させれば、体内の壊れた細胞に復活信号と栄養素を与えるので、人間が本来持っているホメオステーシス(恒常性維持機能)の力によって、回復するという考え方だ。

 だから、基本的に東洋医療は「対症療法」でいいのだが、それは病気の本質である人間のホメオステーシス機能を重視するという意味では、むしろ西洋医療よりも、根源的療法であるといえるかもしれない。
 「気血循環」という思想は、「生きている」ことの本質的な意味は、その人の「気」が、その人の肉体を支配している状態である。
 気が全身を巡ることで、「気のメッセンジャー」である体液が、釣られるように流れると考える。

 西洋医学者の多くが「気」の存在を、どうしても理解することができない。ドイツ医学では、この概念に敵対的な人物が多い。
 日本の東洋医学研究者であっても、「気」の実存に懐疑的で、それを「心理的作用」であると勘違いしている人がずいぶん多い。

 東洋医学研究者の帯津良一氏が、中国から気功師を招いて、「気は心理的作用」に類することを口にしたところ、彼らは怒って出て行ってしまった、と語っていたことがあった。
 中国の気功師にとって、気は間違いなく実在の物理現象である。ところが、日本人の東洋医学研究者の多くが、「気」を実在の現象と思っていないのだ。

 ほとんどの医師は、「気」の実在性を信じていないが、私は若い頃、少しだけ気功に取り組んだことがあって、気が物質的存在であることを思い知らされている。
 「気の実在性」を確かめる簡単な方法がある。
 それは、両掌を拍手するように向かい合わせ、5~30センチくらい、くっつけたり離したりする。このとき、掌の間に柔らかい30センチのボールがあると思うようにして、架空のボールを潰したり戻したりするのだ。これは「気は意念に従う」といって、意識することで実在化するものだからだ。

 これを数分間繰り返しているうちに、掌が熱くなり、気が出てくる。このとき、頭の中に痛みを感じたり虚脱感を感じることもある。
 これは真光教団がよく街頭でやってるパフォーマンスである「お手当」と同じもので、体の痛む部分に、気の出ている掌を当てると、内部が熱くなり、大量の体液が循環することで、ケガや病気が治る仕組みだ。

 気が出ているときは、普通の右利きの人なら、左手が2センチも伸びてしまい、びっくりすることがある。気が循環すると、細胞が膨張するのである。掌の場合、どちらかが気が出る側で、反対側が気を受けることが多い。
 私は、他人の腕や足を片側だけ数センチも伸ばすことができた。

 私は、祖母や母親が死の床で、辛そうにしているのを見て、この「気功手当」を行い、ずいぶん楽になったようだったが、今度は自分に反作用がきて、猛烈な疲労感を感じたり、まともに歩くのも辛くなったりしたことがある。
 手当気功は、やる側に大きな負荷をもたらすので、簡単にやるべきではない。ただし、疲労しても死ぬような事例は聞いていない。
 しかし、多くの気功師が50歳代で死ぬのは、手当気功の使いすぎともいわれている。

 私は、全身の「気血」を循環させる気功、「周天功」というのに取り組んだのだが、あることが起きて、気功を中断した。以来、まじめに取り組んでいない。
 それは気功の副作用である「偏差」と呼ばれる現象が起きたのだ。いろいろな症状があるのだが、私の場合は、精神的な異常が起きた。
 元々、アトピー体質でノイローゼを起こしやすかったのだが、気功偏差によって意識が暴走するような現象が起きた。詳しくは別の機会に書く。

 私は、掌から気を出すことに夢中になって、吊した紙などを気の力でひらひら動かすことができた。また、対面する人の頭に色のついたオーラが見えるようになった。
 同時に、自分が霊界の波動に近づいたことを感じ、一種の分裂症のような危険な症状が現れたので、気功をやめることにしたのだ。
 まあ、気功は健康法の基本=気血(体液)の循環をもたらしてくれるのだが、同時に霊的な波動が高まり、いろいろな副作用が出てくることを知っておくべきだ。

 要は、病気を治すという方法の根元に、「気血の循環」を置くという考え方が東洋医学の本質であることを理解すればよい。
 もちろん、西洋医学にも「体液の循環」を視野に入れた療法がある。それは「リハビリ」である。本来、西洋医学では「病気のときは安静にする」を基本にしているので、リハビリを重視してこなかったが、一方で経験医学の蓄積から、リハビリテーションに大きな効果があることが分かったので、医学の一分野として発展している。

 もう一つ、最近発達してきたのが「寒冷刺激療法」だ。これは関節のこわばるリウマチ患者を、液体窒素を使ったマイナス100度以下の低温環境に数分間置いてから戻すと、ホメオステーシスによって、冷えた組織に急激に血液が集まり、患部が健全になるというものだ。

 私は、現在、膝を痛めているので、風呂の冷水に10分ほど患部をつけてから湯で温めて患部の血液循環を促すという自家治療を行っている。
 しかし、冷水にしないと、あまり大きな効果が出ないようだ。氷水なら効果が鮮明に出ると予想している。
 健全な血液には、壊れた遺伝子を元に戻す作用もあるらしいので、もしかしたら癌細胞にも適用できるのではないかと考えている。

 西洋医学で検査のために行われる「治療」は、レントゲンやCTスキャン、MRT、穿刺細胞診、カテーテル操作などだが、これらは、患者の細胞を正常化するものではなく、逆に破壊するものである。
 とりわけCTスキャンは悪い。間質性肺炎では、最低20ミリシーベルトものX線被曝で、ガタガタに壊れた肺胞細胞を直撃する。これにレントゲン撮影と穿刺細胞診が追い打ちをかけるのだ。

 私は、この方法が、ドイツ医学の形式主義から生まれた、診断=確定治療という悪しき論理主義による誤った方法であり、助かる患者も検査によって殺してしまう愚かな方法論だと考えている。
 東洋医学では、壊れた細胞と遺伝情報を正常に復活させるため、細胞機能を損なわないよう、ホメオステーシスを最大に尊重しながら、気血循環によって治療しようとする。

 私の場合は、肺線維症によって呼吸のたびにブツブツバリバリと音をたてる絶望的な状況で、地獄のような呼吸トレーニングを毎日行って、ほんの少しずつ、回復を勝ち取ってきた。日常生活で呼吸に苦しさを感じなくなるまで、毎日2時間のトレーニングを五年間も繰り返して、おかげで、死なずにすんでいる。
 もしも病院の定型医療システムを受けていたなら、たぶん三年くらい前に死んでいたはずだ。

 薬は、葛根湯や五苓散以外は、せいぜいビタミン剤とDHAサプリくらいしか使っていない。ただし、不眠がひどくなって酒に頼ることが増えたのが問題だが、気血循環(体液循環)によって病気を治療するという思想のおかげで、なんとか死なずにすんでいる。