四年生ブログ⑮広瀬創大 | 東海大学男子ラクロス部 -SCEPTERS-

東海大学男子ラクロス部 -SCEPTERS-

日々の活動や、試合の告知、結果など更新していきます!!

今回ブログを書かせて頂きます、広瀬創大と申します。
何を書こうかわからなく悩んだ結果、ありのままの四年間を振り返り一生懸命に書かせて頂きます。
最後まで読んでいただけたら嬉しいです。



ラクロス部に入った理由は体育会に入り就活で優位に立ちたいというくだらない理由であった。昔ブログにも書かせてもらったが、このころの座右の銘は“no pain no gain”だった。



一年目

入部理由はどうであり、ラクロスが楽しかった。仲間と競いながら夜遅くまで残り、上手くなりたくて自主練をしていた。

一年生に与えられた練習スペースは端っこの小さなスペース。疎外感もあった。
そのころは30人程度おり狭いながらも自分たちでがんばった。
毎日、成長していることを実感できていた。

だが、サマーウィンターあすなろともに結果を残せず、チームも予選敗退。
先輩からは冷たい言葉を浴びせられ、弱い世代というレッテルを貼られた。
ただ、悔しかった。

その年に二部に落ちた、正直、来年からは二部なんだ 程度にしか感じなかった。


二年目

ありがたいことに、Aチームとして練習に参加させて頂く日々。

いつからか、ラクロスが全然楽しくなかった。

ラクロスができなかった、できるはずのことが練習になるとできなくなる。できなければ評価されない、そんな毎日でミスをすることが怖くてチャレンジすることもできない。
無難にやり毎日を淡々と過ごしていた。

自分になにを求められているのかすらわからなかった。
だれか自分のこと見てくれているのかと疑問になるときもあった。

同期の友達は徐々にやめていく。部活をしてない友達は遊んでいる。世間ではラクロスといってもわかってもらえない。

そんな中、自分に言い聞かせた“これは未来への投資”no pain no gain“ 今を我慢すれば何か得られる、評価してもらえる。
このころは、犠牲あって得ることができたものは中身があり、犠牲なく得たものは中身がない。と考えていた。
だから我慢できた、つらくてもやめる選択肢はなかった。

リーグ戦全戦ベンチメンバーに入れていただいた。試合には一試合も出られなかった。
当たり前の結果だった。
先輩や当時のコーチには申し訳ないが、このころは出られなかったことに悔しいとは思わなかった。

それどころか試合にでてミスして怒られるより良かったと思っていた。
ベンチメンバーにいていいはずがなかった。
逃げているようで、自分からBにしてくださいという勇気はなかった。
本当に弱かった。

弱い自分に目を向けることもなく環境ばかりのせいにして、自ら存在意義も探そうともせずただAにいる日々が辛かった。

結果二部残留。無力だった。


三年目

正直、新チーム当初は一個上には不信感があった。

コーチが変わった。
るいさんがコーチになった。

この頃の自分がるいさんに対して感じていたことを話すならば
自分は正直、避けていた。
去年まで一年生の担当コーチをしていたこともあり密にかかわる機会もなくるいさんを知らなかった。
自分の偏見だが、俺らの学年なんてどうでもいいと思っているや、この人のせいで部活という秩序が乱されるなど・・・
部活というものが何か知らないが、一年生の頃から感じていた大学の部活の雰囲気、自分たちが信じてきたものが全て壊されてしまうようで怖かった。
だからこそ、昔の雰囲気を知っている一個上の学年が順応していることが信じられなかった。


二年生の頃ベンチに入っていたという自信もあり変な自信があった。

初めは二年生のころベンチ入りしていたのもありAでやっていた。
そこで気づいたのは、一つ下の代がうまい、抜かれているかも、自信過剰。
また、そこで初めて自分に武器がない取り柄がないことも直面した。
Bに落ちるのが怖かった。


すぐにBに落ちた、二年生のころのつけがまわってきたと思った。
怪我もしてまたラクロスから遠ざかっている自分には気づいていた。

だが、何もしなかった。何もアプローチもしなかった。自分には期待などされていないなど変な理由をつけ、また昔のように日々淡々と過ぎていった。

また、逃げていた。何もしないこと、逃げることが楽だった。
心のどこかでこのままでいいのではないかとも思っていた。


そんなある日、コーチのるいさんから電話がきた。

今まで逃げてきた自分のことを痛いほど突かれた。何も言い返せなくて悔しかった。
それと同時に、今まで自分のことを見ててくれていたことに驚き、理解しようしてくれていることに嬉しくて、こみ上げてくるものがあり 泣いていた。


そこからは、頑張るしかなかった。頑張る理由ができた。


気づくのが遅かった。一個上が口酸っぱく言っていた挑戦の意味を知った。
挑戦したミスならば、ミスしても一個上が怒ることはなかった。
知らなかった。
明らかに二年生のミスは無難にプレーしている自分より多い、なのに怒られない。
今までミスしないことが前提だと思っていた。

二年生はのびのびプレーしており自分より結果を残している。

ここで四年生が先を見てチームを変えようとしていたことにやっと気付き納得した。


努力するのが遅くリーグ戦初戦メンバー自分の名前が呼ばれることはなかった。
悔しかった。がむしゃらにやってきたが選ばれなかった。底力をしった。

だが、変わっていた。
リーグ戦初戦当日、試合前同期の(一年生の頃に毎日のように一緒に自主練をしていた)がんちゃんに悔しさをぶつけ二戦目以降は全部出てやると宣言したのを覚えている。
運良く雷で第一戦目の試合が流れた。燃えた。
がむしゃらにやった。武器はないが、がむしゃらに一生懸命にやった。

Bリーグで得点した、めちゃくちゃ嬉しかった。先輩たちやみんなが笑って喜んでいた。久しぶりの感覚だった。楽しかった。

できることは少ないができることを全力でやった。

いつのまにか、この時間を犠牲にして未来のためにとは一切思っていなかった。
ただ 今 を頑張っていた。
頑張る理由も自然と増えていた。

その後、リーグ戦全戦選ばれ出た。


入れ替え戦前日、メンバー発表で自分の名前が呼ばれなかった。
悔しくて、泣きたくて、いじられキャラもあって茶化されるが笑うことしかできない、笑うなとも言えなかった、辛かった、

頑張ってきた分だけ報われないと辛い。

それ以上に頑張ってきた人が評価されたのだから仕方ないと言い聞かせることしかできなかった。

だが、昔のままの自分であったら 頑張っていれば 本気でやれば なんて言い訳を言ってかっこつけていたかもしれない。そんなことを考えたら寒気がするほどダサい。


その日の夜は悔しくて悔しくてどうしようもなくベットで顔をうずめることが精一杯だった。朝には 応援がんばろ と素直に切り替えられた。


結果は二部残留。
一点差で負けた。
メンバーにかける言葉が見つからなかった。
同じチームなのに同じ空気を吸っている感じがしなかった。息苦しかった。


四年生が残してくれた、今のこの環境はこれからのSCEPTERSを強くするものでした。
るいさんがコーチでなければこの変化はなかったし、変化を恐れなかった四年生には感謝しています。


四年目

ミディーリーダーになった。
自分が見てきた今までのミディーリーダーはうまかった。自分は下手で後輩に示せるものがない。
わからなかった。自分が何をするべきなのかわからなかった。



案の定問題が起きた

反感をかった。理由は自分がやるべきことをしてこなかったから。
3年のたくむからは信頼がないとも言われた。
ちょうどこのころキャプテンが2週間程度抜ける時期であり、キャプテンの長谷川からはミディーを三年生に任せるともいわれた。その意見に“いいと思う”しか言えなかった。
自分でもわかっていた。
信用も、信頼もなかった。
るいさんからは”自分でまき起こしたこと”と言われた。その通りだった。

この時は、情けないが3年のたくむ、こうだい、たかやに今の気持ちを伝え謝った。

それしかできなかった。


るいさんは気にかけてくれていた
いま、無理してがむしゃら感がある と言われた。

この時期の自分にはしっくりくる言葉だった。
就活もあり大変だったのはあった。だがラクロスと両立できているつもりでいた。
どれも力を抜くことができていなかった。


練習時間を割いてまでやった、ぶっちゃっけミーティングは、結束が強くなった気がした。
ミディーリーダーとして今までのミディーリーダーばかり見るのはやめ、自分と向き合い、広瀬創大というミディーリーダーになろうと思うきっかけにもなった。

頑張る理由の一つとして

今まで我慢してついてきてくれたミディーたちのため。というのがある



リーグ戦第一戦前のミーティング

俺はみんながいるから頑張れる、辛かったら俺を見て頑張ってもらえるようになりたい。よろしくお願いします。


と言った

情けない発言だと自分でもわかっている。

でもこれが本音だった。


まだまだ足りないのもわかっている

だからこそ試合で結果が出ないとき必要以上にバッシングされたときはきつかった

そんな時にたくむから来たメールは支えになった



下手だけど、なにか武器あるわけではないけど

どんな時も絶対、走り抜けてるから。

きつかったら、俺を見てほしい。

今なら胸を張って言える。


ここまで過去を振り返ってきました。
最後まとめきれなかったので、お世話になったミディーに話しかけました。ほんとはもっといろんな人にお世話になり、4年間で一番濃かったのは4年目なのですが
パンクしそうなので、ミディーに話しかけました。



結果なにを伝えたいかというと、


“ 今 を楽しんでほしいなということです。”



冒頭“no pain no gain”が座右の銘と言いましたが、
未来投資のために今を犠牲にする必要はないのかなと思います。
こんな考え方をしているのは自分だけかもしれませんが、今の苦痛が後に得れるものにつながると思っていました。
間違ってはいないのかもしれませんが、もっと気楽でいいと思うんです


今得ることができたものは、昔あんなことがあったからあるのかな?あれってもしかして大変なことだった?



くらいでいいんだと思います。
楽しくなきゃ面白くないですもん。
と4年間かけて思いました。


かといって今までをやり直したいとは思いません。
ラクロスはいろいろな人と合わせてくれ今の自分があります。
昔はラクロスをやっているとは外で言えませんでした。
今では胸を張って自慢しながら言えます、それくらい頑張ってきました。
それをやり直すなんてもったいなさすぎる。





長くなりましたが最後に

四年生ブログでよくある後悔をしないように、感謝など書くことが被るのが嫌なのですが、

感謝という気持ちはこの場を借りて。
(自分の考えとして、後悔はするものだと思っているので後悔はしないようにとは言いません。)





るいさん

ご飯など誘っていただき、電話も悩んでいるときにタイミングを見計らったかのような時に電話していただきありがとうございます。毎回救われています。
昔避けていたのは本当です。今は信者です。よーく考えないと間違っていることでも話していることがすべて正しく聞こえてしまうくらいです。
全部見透かされてそうで怖くなるくらいです。
怖くていまだに電話をしているときは起立して話しています

るいさんのことを知れたのはたぶん、馬場の日高屋で二人ご飯を食べたときです。
話しているうちに自分たちの代の話になり、自分たちの代の全員の事を真剣に考えていてくれていることを知れて、曇っていたものが晴れた感じがしました。
ラクロス人生を変えていただいたのもるいさんです。
どんな時も自分のことを、信じていただきありがとうございました。
いつも期待に応えれることできていませんが、最後まで自分が信じてきたものをやりとおしたいと思います。


太郎さん

一年生の頃ぶっちゃけミーティングをさせられその頃は生産性のかけらもなく、四年にもなってやるのが嫌でした。
でも結果は違いました。
太郎さんの気持ちも聞くことができチームに結束ができました。
自分たちの一年生の頃を知っているのは太郎さんだけです、四年間いろいろありましたが本当にご迷惑をおかけしました。最後までよろしくお願いします。


石井さん

Bチームの育成ありがとうございます。
石井さんは選手に親身になり携わっていただき、石井さんの指示通りに選手が遂行しうまくいったときの石井さんの笑顔たまらないです。
また見せてください。


山さん

自分が二年生の頃スティーラーズの練習に参加させて頂いたとき練習中に名前を呼んでいただいたときのことを鮮明に覚えてます。
今年から山さんが一年の育成をすることになり、サポートをしなければいけなかったのですがほとんどできずもうしわけありません。
一年生の育成ありがとうございます。


三年生

個性強すぎ
マジでうざいと思うこと多々あるけど、毎日が楽しくてたまんないよ。
特にミディーには感謝してる。
ひさしさんがリーダーだった時と比べたらほんとに情けないし弱っちくて物足りないとか思ってたかもしれないけど、文句も言ってたけど何だかんだついてきてくれてありがとう。
真剣にぶつかってきてくれてありがとうたくむ。
気に入らないことあってもふてくされるなよこうだい。
言いたいことは顔でごまかさず言えよひろき。
おまえ必要だからぶれるなりゅうじ。
華奢なくせに意外と図太いから大丈夫びろ。


二年生

周りからいろんなこと言われると思うけど、気にするな。
あと二年もある。
絶対報われる。

初めて入れ替え戦出る人は緊張してると思うけど
心配ない!大丈夫。俺も初めての入れ替え戦。


一年生

あと四年間いろんなことがあると思うけど、
その都度楽しんでね。
いつも準備、応援ありがとう。


両親

やることすべてに文句を言わず、背中を押してくれ
応援してくれてありがとう。
これで学生生活最後の部活動が終わります。
朝早くからおにぎりありがとう。

最初、東海大学に行くのが嫌で嫌で行きたくなくて
自分のせいで招いた結果なのに親にあたって、それでも自分を責めることなく。
後悔するかもしれない大学をそれでも自分が困らないようにと潔く送り出してくれてありがとう。


本当に、東海大学に来てよかった。

ありがとう。




最後に
同期に


何かとネガティブな言葉が当てはまる学年だけれども

それもあと少し

勝って笑おう。

色々言われてきけれども

見返してやろう

最後はみんなで笑おう。

10年後、20年後もこの話で

花咲かせよう。




泥臭くしか生きれない男より