九州医療センターで、取違先生に出会えたことは、私にとって大きな幸運でした。
取違先生は医長をされていました。
そこでは主として、うつ病の患者さんが入院していました。
当時、抗うつ薬は10数種類ありました。
民間病院で勤務していた頃の私は、製薬会社などから提供される情報も参考にしながら、
「この患者さんにはこの薬」
「この症状ならこちらの薬」
と、いろいろな薬を選択していました。
薬を変える。
量を調整する。
別の薬を加える。
それでもなかなか良くならない。
そんなこともありました。
ところが、九州医療センターでは違いました。
取違先生の指示で、入院している患者さんには、ほぼ全員、同じ薬が処方されていました。
私は驚きました。
抗うつ薬は10数種類もある。
それなのに、なぜ同じ薬なのか。
それまでの私の感覚からすると、かなり大胆なやり方に思えました。
「患者さん一人ひとり違うのだから、薬も違って当然ではないか」
そう思っていたからです。
ところが、実際に患者さんを見ていると、さらに驚きました。
ほとんどの患者さんが、状態を取り戻して退院していくのです。
薬を次々に変えるわけでもない。
何種類もの薬を組み合わせるわけでもない。
それでも、良くなって退院していく。
これは、私にとって大きな経験でした。
もちろん、全員がそのまま順調だったわけではありません。
退院すると、また不規則な生活に戻ってしまう人もいました。
そして、再び状態を崩して、再入院してくる。
しかし、そんな患者さんでも、基本的には同じ処方でした。
そして、しばらくすると、また状態を取り戻して退院していく。
私は、その様子を何度も見ました。
そこで、だんだんと考えるようになりました。
本当に薬の種類を変えることが、治療の中心なのだろうか。
民間病院にいた頃は、抗うつ薬がいろいろ飛び交っていました。
「これが効かなければ、こちら」
「もう少し増やしてみよう」
「別の薬を加えてみよう」
そうやって、なんとか退院してもらおうとする。
もちろん、それは患者さんを良くしたいという思いからです。
私自身も、そうやって一生懸命治療していました。
だから、それが間違っていたと言いたいわけではありません。
でも、九州医療センターで、目の前の患者さんたちが同じ薬で良くなっていく姿を見ていると、
「自分は薬を一生懸命いじりすぎていたのではないか」
と思うようになりました。
では、何が患者さんを良くしていたのでしょうか。
薬がまったく必要ないという話ではありません。
薬は必要です。
特に、うつ状態が強く、自分の力だけではどうにもならない状態では、薬によって症状を抑えることは重要です。
でも、薬だけで人間の生活が決まるわけではない。
入院すると生活が整います。
朝起きる。
食事をする。
薬を飲む。
日中を過ごす。
夜に眠る。
そして、毎日の生活が一定のリズムになる。
その中で、少しずつ状態が戻っていく。
退院すると、また生活が乱れる。
そして再入院する。
この繰り返しを見ていると、私は、
「薬そのものだけではなく、生活そのものが治療に大きく関係している」
と考えるようになりました。
ここで、もう一つ大きな疑問が出てきます。
患者さんが退院できれば、それで治療は終わりなのか。
退院しても、また不規則な生活になって再入院する。
それなら、本当の意味で治ったとは言えないのではないか。
では、どうすればいいのか。
薬を変えるだけではない。
患者さん自身が、自分の生活を少しずつ整えていく必要がある。
朝起きる。
食事をする。
活動する。
夜になったら休む。
そして、無理なく毎日を繰り返せるようにする。
こう考えていくと、以前お話しした、
「精神科の治療とは、その人が毎日の生活をいかにスムーズに行えるようにするか」
という現在の考え方にもつながってきます。
九州医療センターで取違先生の診療を見たことは、私にとって、その考え方の原点の一つになりました。