パワーストーン ベリル系など、周天法合掌、千手観音について | 陰陽統合・虹色循環スピリチュアル

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実践を通し、既存の考え方に私自身の気づきをMIXし、
新しい価値を創造・共有し、循環していきます。

全ての大いなる自己とそれに関わる全ての方の幸せを求めます。

※top画:readingartmelt.amebaownd.com

今回はベリル系の石を集めてみました。
ひんやりしててちょっと湿っぽくて、かなり細かい小川のせせらぎのような波動をベリルから感じていて、探してみることにしたのです。
 

【パワーストーン】


①アクアマリン ペンダント

 

 

 

常温の水って感じです。アクアマリンは、フローライトとかラリマーと比べて刺すエネルギーが強いかと思っていましたが、この個体は穏やかで細かい波動がうっすら満たされている感じですね。


②アクアマリン ブレスレット

 

ペンダントと比べ白と水色の混合のような色をしています。①のエネルギーに教会で感じるような白蛇っぽいエネルギーを混ぜたようなイメージです。教会との違いは人のネガが含まれていないことですかね。
穏やかで優しくも、中高域をカバーするエネルギーが広く放出されています。


③ミックスベリル ブレスレット

 

アクアマリンやモルガナイトなんかも入っているようです。
②と比べて体感温度が温く、波動が落ち着いていて優しいエネルギーが多いように思います。



ここから下はベリルではないです。


④ストロベリークオーツ

 

ストロベリークオーツでもカザフスタン産のものとは波動が違うようです。
レピドクロサイトと呼ばれるもののようです。③よりさらに温く甘い印象です。ピンク色のものは愛情のエネルギーを放出するものが多いように思います。ハートチャクラ以外にも後頭部後ろの脳幹あたりに良く作用するように感じます。


⑤サファイア ブレスレット

 

サファイアでも透明ではなく、クラックやインクルージョンがあるものは安価です。
サードアイに主に作用し、体を突き刺すようなエネルギーを感じます。

内部の穢れを突き刺すことで痛みを感じ、自分の内側にある穢れの場所を正確に把握し自己探求の道標としてくれるような石だと感じます。
主に瞑想用・ブロック解除用、そして陰陽術系の霊力補助としても使えそうです。

 

 

⑥アメジストクラスター

 

 

アメジストドームとも、シリウスアメジストポイントとも違う、固まりのようなアメジストを探してたどりつきました。

 

ひんやり甘い酸っぱいような、頭部の上のほうに作用するエネルギーを感じます。

気づきとかを促進させてくれるような感覚があります。

 

そして、やさしい波動と厳しい波動が広がって来ます。

 

 

 



【気功 周天法合掌】
月一回の 気功教室に行ってきました。
講師の許可を得て記事にすることにしました。

 

いつもやっている周天法の循環を増幅させてくれるという印のようです。

白板の写し



小周天合掌(印)

※モデルは気功教室の先輩のOさんです。

 





両手の指を一列にすることに意味があるようです。


大周天合掌(印)

 





天地とつながり、横回転で循環する方法です。左右の手を逆にして逆向きにも循環させます。


この印が良いか合っていないかなどは別として、備忘録として記事にしました。


【千手観音について】
先日購入した千手観音を見ていて、いろいろとモヤモヤとした思考が働いたので、それを備忘録として記事にします。


千手観音

 




千手観音の手は、天使でいうところの羽根のようなものだと感じました。後光と呼ばれるものもそれでしょう。
金色ということは、黄色の最上級のオーラであるのですが、陰と陽が組み合わさった存在でもあるというようにも思います。白・黒両方内包するというか。

 

 



大天使

 




サマエル

 

インジウムの精霊



ペテルギウス(虚無の存在?)



クモ



タコ

 

 


ふと、複数に枝分かれしているものを身に纏っている、物質・非物質の存在について、
これらの違いってなんだろうかという疑問が沸き起こりました。


日本人の一般的な感覚としては、

 

大天使・千手観音・・・ありがたいもの。

タコ・・・食べ物。

クモ・・・気味がわるいもの。

ペテルギウス・サマエル・インジウムの精霊・・・恐ろしいもの。忌むべき対象。


だと感じます。

タコなんかは、獲れる現地(海外)では悪魔の化身と扱われているようですが。

ただ、博愛の観点からすると、これらのものの大元はすべて同一存在から生まれたものであり、それぞれが尊いもので、それぞれの役割を必要があって全うしているものということになります。


なぜ同じ形態をしているのに、正反対の感情・感覚をもってしまうのか。それが引き起こされる自分の感情としては、どういう心理や理由があるからそうなっているのか。

 


”博愛”が私の将来的な使命としてあると以前書きましたが、そういう使命を果たすには、分け隔てなくこれらすべてのものを理解し、認める必要があるというわけではないかなと。


世間の常識や一般的な尺度から外れ、”世間一般では忌むべき対象として存在しているから、私がこの存在を下に見たり、低く扱っても問題ないんだ”というような感情・感覚を整理しなければならなく、意外と大変だなって気づきました。


言葉では簡単なんですけどね、”すべてのものを認め感謝し、愛しましょう”ってよく、スピの常套句で巷のブログなんかにあふれています。
ただ、目の前にヌッと大きなクモが顔に張り付くように出現したときにそういう風に思えるかどうか・・・。やはり大変なことだと感じます。


(2017.10.31)