引退ブログ⑨三栗谷凜大 | 東北大学学友会硬式野球部

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仙台六大学リーグ所属

@富沢グラウンド

 みなさまお久しぶりです。現在同期で唯一の進路未定・無職状態の三栗谷です。先日卒論の提出と大学院入試を終え、束の間の休息を謳歌しています。引退からはや4ヶ月が過ぎ、引退直後の新鮮な気持ちはだいぶ薄れてしまいましたが、引退ブログを書くにあたり改めて4年間の野球部生活を振り返っていきたいと思います。

 私が大学に入学した2020年の4月はコロナが拡大しはじめた時期でした。大学寮の1つであるユニバーシティハウスに入居予定だった私は入寮制限により6月末まで仙台に行くことさえできず、一日中パソコンに向かい授業とNetflixを見続ける生活を送っていました。そのような自分に焦りを感じはじめ、なにか始めようと考えていたときに野球部のTwitterアカウントを目にしました。野球は高校で辞め、大学では弓道か乗馬でもやろうかと考えていたのですが、コロナによって新歓も何もない状況下で新たなことに挑戦する勇気はなく、とりあえずある程度勝手のわかる野球部に入ろうという消極的な理由で私の大学野球生活がスタートしました。
 入仙すると同時に野球部の活動が再開すると、朝練で7時にグラウンドに行き、15時ごろまで練習し、日暮れまでだらだらとグラウンドで過ごすという日々を送ることになりました。消極的な理由で入部したはずでしたが、元来の生真面目な性格と野球に対する情熱が呼び起こされたことにより、再び野球に夢中になっていました。当時まだ原付を持っていなかった私は、同期の勘太郎と一緒に片道およそ1時間かけて自転車でグラウンドまで通っていました。今では到底考えられない行動ですね。ありあまる体力とコロナ禍で通常の大学生活を送れない不満を消化したかったからかもしれません。あんなに長い時間グラウンドで何をしていたのか、今となってははっきりと思い出すことはできませんが、とても充実した日々だったことは覚えています。
 そんなこんなで野球部での日々を必死に過ごしていましたが、野球の目標は、「いつかはリーグ戦で活躍できればいいな」という危機感のない曖昧なものでした。そのような心境が変わり、「ショートとしてリーグ戦でレギュラー定着を目指す」と強く意識しだしたきっかけとなったのが、3年春の東北福祉大戦です。ショートの2枚目としてベンチ入りしていた私ですが、32年ぶりの快挙を成し遂げたにもかかわらず、出場しさえしなかったため同じ熱量で喜びを感じることはできず、悔しさだけがありました。このころから改めて自分の大学野球での目標を定めるようになったと思います。
 4年間の大学野球生活は総じて楽しく充実した日々ではありましたが、「理想の自分」と「現実の自分」のギャップに苦しむ4年間であったとも言えます。その最たるものが、4年の夏からのピッチャー転向でした。それまでショートでのレギュラー定着・リーグ戦出場を目標として練習してきたのですが、怪我人の続出によるピッチャー不足というチーム事情から、ピッチャー転向を打診されました。当然のことながら、リーグの先発や抑えとしての転向ではなく、夏の練習試合でのイニング消化やリーグ戦での敗戦処理を求められての打診でした。つまり、「ショートとしてリーグ戦で活躍する」という理想は諦めざるを得なかったのです。それでもその打診を受けたのは、先述したようにどのような形であれリーグ戦に出たいという気持ちが強かったからです。なんだかんだあり、ピッチャー転向はわりとうまくいき、最後のリーグ戦は投球回82/3、防御率1.03というまあまあ納得できる結果を残すことができ、満足のいく終わり方でした。

 最後の方はちょっと力尽きてしまいましたが、とりあえず4年間の総括をしてみました。野球部がなければ自分の大学生活は成り立たなかったし、この満足感も得られなかったと思います。関わり支えてくれたすべての人に感謝します。とりあえず次の目標は四暗刻と大三元を和了することです!それではさようなら。