引退ブログ⑦大塚裕介 | 東北大学学友会硬式野球部

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球春、野球に携わる人なら誰でも知るこの言葉を最近よく耳にします。麗らかな春の日差しの下、満開に芽吹くことを夢見てじっと待つ新芽のように、すべての野球人たちが来たる時節の到来を心待ちにしていることでしょう。古今和歌集を開けば、春の到来を告げる使者として鶯がしばしば謳われています。とすれば、そろそろ鶯の鳴き声が聞こえてきてもおかしくない時合ですが、何しろ僕は彼らの鳴き声を耳にしたことがないので、よくわかりません。しかし、和歌を嗜む意義の一つは四季の情趣を巧みな言葉で彩った歌人たちの内奥を、つまり人間の哲学を垣間見ることではないかと思ったりもするのですが、いかがでしょうか。
 その話は一先ず脇に置いて、本題である野球の話をしましょう。引退してからの数ヶ月、部活に勤しんだ過去を想起していると、いつも一つの疑問がふと頭に浮かびます。野球をやる(やった)理由です。つまり、何が僕をここまで動かしたのか、ということです。現役の頃も、特に自分の調子が悪く、思うような結果を出せないとき、よくこの事を考えました。当時は皆目分からなかったその問いに、たぶん今でははっきりと答えることができます。プライド、それが単純明快でかつ唯一無二の答えです。どんな苦境に陥ろうが、どれほど大きな挫折を経験し、辛酸をなめようが、それをあるがままに受け入れることを自分の意地やプライドが決して許さなかったからだろうと思います。弓折れ矢尽きた状態で、それでもどうにか耐え忍んで、そうやってくぐり抜けてきたからこそ、今、自分の心の中に、なんとも静かな達成感を味わうことができているのだと思います。
 部活とはチャートを持たずに航海に出るようなものだと思います。現在地も目的地もどこで座礁するかもわからないまま、それでもどこかを目指さねばならならないのです。不安や孤独はつきもので、それでももしそこで止まってしまったら、絶対にどこかに辿り着くことはできないでしょう。大事なのは、帆を上げ、舵を取り、必死に灯台を探し続けることだと思います。引退して思うことは、そんな未知なる旅でも、航跡はしっかりと残っていて、それが確かに自分の進んできた道の証となっているということです。その曲がりくねった航跡は恥ずかしいのと同じくらいに誇らしいものになっていると思います。
 
 正解も不正解もわからないまま、選択だけを無数に強いられるこれからの人生において、間違った旅路の果てに微かな正しさが待っていることを祈りながら、自分自身が望んだ道をひたむきに歩み続けようと思います。