こんにちは(/・ω・)/
大学入学からちょうど一年が経ち、大学2年生になりました。小林(り)です。
日々いろいろ考えている中から一つ抜粋して書き散らしてみたいと思います。
長所って残酷
大学では非常に多才な人たちに出会う。部内で言えば、留学、ファッション、バイト、学問への意欲、音楽、筋肉、ゲーム(シャドバ、デレマス、遊戯王)、サッカー、クッキング、とてつもない人当たりの良さ。部外の友達には昆虫マニア、鉄道マニア、ボランティア団体のリーダー、政治に詳しい奴、哲学オタクなどなど。自分に持っていないものを持っている人、ある分野で突出した能力を持っている人との出会いに感謝すると同時に、自分が凡才であることに嫌でも気づかされる。
How are you?
就活市場におけるガクチカ、結婚市場におけるステータス、あらゆる場面において評価経済と個人主義が蔓延した社会においては「あなたは何者ですか?」「あなたには何ができますか?」と常に問いかけられる。「長所なんてなくたって大丈夫!」といった慰めを受けても、社会の側から要請され続けながら生きるしかないのだから、考えざるを得ない。そして、大抵、長所を考えたときに他人と自分を比べて他人よりも優れている能力は何かと考える。しかし一つの能力に限定してしまえば上には上がいるという至極当たり前の事実にぶち当たる。「私はこれができます!」と大きな声で叫んだところで、あなたの隣には“もっとできる奴”がいる。そんなもんだ。
才能との関係
お笑い芸人のレジェンド島田紳助がこう語っている。人間には才能のパラメータが1~5、努力のパラメータが1~5あり、能力はその掛け算によって求められる。才能のない奴が努力しても5くらいにしかならないが、才能があって努力できる奴は25にもなる。だから自分の才能を見つけてそこに心血注ぐべきだということだ。ここで20~25あたりを大体長所というのだろうか。その解釈がピンとくる。
島田紳助への批判
大それた小見出しを付けたが、島田紳助はテレビ用に短くまとめただけで、私のここからの考えを全く考えていなかったわけではない(はず)。私の思う能力の掛け算に必要な要素は才能×努力×環境×運である。才能、努力に続いて環境が必要な理由は、人が環境から受ける影響はすぐには分からないが、数か月数年と時間が経てば経つほど顕著にかつ重大に能力に影響してくる。運に関しては、アメリカの選挙戦で当選する人物のほとんどが運と愛嬌を持つと言われ、かの松下幸之助も「成功する人は運と愛嬌を兼ね備えている必要がある」と語っているように、運すなわちチャンスが巡ってこない者は能力が長所として花開く場所がないということになる。長所=才能×努力×環境×運という公式を勝手に作ってみたわけだ。
箸休め
「普段漠然と人に比べて劣っているな」、「私は人に誇れることがないな」と思っている人はここまで長所を細分化して考えてみたことがないのだろう(これ以上いじめるつもりはないです、あくまでそう悩む人を救うための文章なので)。
長所でも見つけてやろうか(俺の場合)
じゃあ長所=才能×努力×環境×運というツールで自己分析してやればいい。例として自分の長所を考えてみたときに、抽象思考(言語化)、成長意欲が思いつく。どちらも大して才能のパラメータは高くないが、抽象化に関しては受験期に京〇大学の現代文を読み漁ってひたすら議論し続けるという努力と環境、そして大学に入って抽象思考をできる友人にたくさん出会えたという環境と運が絡み合って身に着いた。成長意欲は特に趣味もなく勉強くらいしかやることのなかった高校までで、自分なりに努力して達成することの面白さを知れたという運と努力、そしてスタンフォードで理学博士を取得した叔父さんがいた環境がある。身近にすごい人がいる環境は刺激を受ける。自分語りが過ぎたが、ここまで文章を読んできた人なら感じているかもしれないが、文章力もそれなりにある。それこそ抽象志向(言語化)と書いた所以だ。これが(芸術)になる人もいるだろう。いろいろなパターンがある。逸れたが自分では抽象思考と成長意欲だと思っている。
長所でも見つけてやろうか(あなたの場合)
才能、努力、環境、運という視点で自分のやってきたことを分析してみて、どの要素がどう絡み合っているかを見てみよう。折角長所を見つけようとしているのだから悲観せず、自分の成功体験を思い出してみよう。その成功体験に自分の影響が大きいならなおいい。おそらく長所が反映されている。思いついた成功体験を才能、努力、環境、運のどの要素がどう絡み合っていたのか分析していけば自ずと自分の長所は見えてくる。ここまでで十分だが、そうした成功体験から抽出された自分の長所をさらに伸ばすには才能、努力、環境、運のどれが必要かと考えていけば、上出来だと思う。とにかく長所=才能×努力×環境×運の観点から自分の長所あるいはこれから長所になりえそうな伸びしろのあることを探せばいい。注意したいのは“自分なり”の長所でいいということだ。周りからどう思われるかは一旦どうでもいい。
自己肯定感に結びつく
日本の教育で軽視されていると言われる自己肯定感の育成。「俺なんて」「私なんて」って何回言ったら気が済むんだろう。それは謙虚とは違うぞ、ただマイナス思考なだけ。“自分なり”の長所を持つことで他人と比較しない自己肯定感を身に着けられると思う。20歳ごときで圧倒的事実に基づいた自信なんて手にできると思うのがおこがましい。周りから見て根拠のない自信でも、自分なりに根拠をもって長所を掲げて自信を持とう。
ここまで読んでくれて
OBOGさんも見ているからそれに配慮して書いてくださいと言われていますが、配慮できていますでしょうか。あくまで友人たちを対象に書いているので、もしかしたら配慮が欠けているかもしれません。だとしたら申し訳ないです。こんなに読んでいて疲れる文章も無いですからここまで到達していないかもしれません。謝罪が届いてないとしたら面白いなんて思ったり思わなかったり。
では面白かったらいいねください、さようなら