続けていきま~す。

 

秋保大滝の不動明王。

 

 

新緑の秋保大滝へ。

 

 

大きい黒々としたお不動さんが祀られているのですが、

胎内くぐりのご開帳へ行った時、お不動さんのお腹にあたる

下の小さな空洞みたいな部屋まで入ったんです。

 

あれが宇宙なのか、という感覚。

私が想像する宇宙は、まだまだ乏しいけれど。

 

 

 

 

右奥にお社があり、
ほとんどの人はスル―してしまうような所でしょう。


この御堂は、秋保大滝に身投げをした

木食知足上人の像を安置しています。

 



「大滝不動堂の右奥に木食知足上人の木造彩色像を安置している開山堂があった。
上人は滝の原の佐藤家に生まれ幼名を太作といっていた。

少年の頃、母の眼病平癒を大滝不動尊に祈願して治ったのが動機となり、
不動堂別当、西光寺の順昌法師の法弟となって仙台城下八幡町龍宝寺
得度し、名を岳運と改め、近くの大岩山に籠って断食の修行をしたり
羽黒山荒沢寺で再度千日の五穀を断つ荒行を積んで木食行者となった。

上人は、1828年、44歳の生涯を大滝の岩頭から投身遷化している。
滝見台への道沿いに五輪塔が建っている。」

(太白区の伝説)

 

 

ここは、必ず立ち寄ります。

 

 

滝に身投げをするとは。

 

虎に身投げする「捨身飼虎」(玉虫厨子)があるけれど、

森がただそこにあるだけ。 

 



秋保の歴史サイトには、

「大滝不動堂の開山の祖である行者知足上人は、
俗名を佐藤太作といい、
天明八年佐藤太兵衛の長子として深野屋敷に出生した。

この家は寛永検地で隼人という先祖が竿答を受け、
その後新田町に三軒の血縁分家を出した。 」

 

・・・隼人?

 

 

今では海外からも訪れる観光地に。

 

 

 

 

 

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はい、この大滝の下まで歩きますよー。

15分程度の散歩です。

 

 

 

 

 

紫色の光が道を照らす。

 

 

 

 

 

 

針葉樹林と広葉樹林の混合が、美しい。

 

 

ただ、途中で森が終わって車道に出ます。

 

 

 

橋を渡ってすぐ下へおります。

 

 

橋の上からも秋保大滝は見えます。

 

 

 

 

この奥から清流が流れ出て、滝へ合流。

 

 

 

 

 

 

アジアからの観光客もきていて、

バシバシ写真を撮ってましたが、

「はい、チーズ」の合図で、ズボっと水に落ちた人がいた・・・

 

ぎゃははーーー!という笑い方は世界共通だった。(そこ?)

 

そんな賑やかな秋保大滝。

 

 

 

これからの時期は、アジサイ。

お不動さんの本堂裏に咲くアジサイは素晴らしいですよ。

 

■泰山の天下泰平-------------------

 

あ、そうだ、これ。

 

話は変わり、今まで気づかなかったこと。

「天下泰平」

 


よく聞かれるものですが、お不動さんが祀られている
「大滝不動尊」は、
山寺立石寺の奥の院といわれ、
正式名は「滝本山西光寺」


天下泰平は、禅と道教による「封禅(ほうぜん)」というのがあります。

 

※中国無錫

山寺の立石寺は天台宗なので、封禅があると思います。

封禅とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、
「天下が泰平である」ことを感謝する儀式。

始皇帝以前に72人の帝王がこの儀式をしていたと。

『史記』より

封とは、土を盛って檀をつくり天をまつること。
禅は、地をはらって山川をまつるもの、
この2つを「泰山」で行われていたという。


その泰山とは、道教の聖地。
五つの山(五岳)のひとつ。

 

■ソクラテス散歩は、禅だよ------------------

今年の夏も、毎度ですけど猛暑日とな。
またあの暑い日がくるのか。。。絶望

(電気代あがるけど電力は黒字だぞ)

梅雨に入ると今年の雨はどうなるのか。

 

どうも、秋保へくるとアリストテレス

やソクラテスになるね。笑

道教の八卦五行説では、
「水が火の上にあれば、天下は救われる」という言葉がある。
その為、火形山の頂上に安置した玄武の像があるとされる。

 

※中国版玄武

老子の言葉に
「名無きは天地の始にして
名有るは万物の母なり
故に常に欲無きもの以てその
を観、
常に欲有るもの以てその
(きょう)を観る」

というのがある。

 

※無錫の南禅寺「妙の光」

 



欲があれば観たくなる。
でもそれは、無理に「求めている」ことであり、
欲がない方が、本質がわかるという事だろう。

「妙」は、「妙音菩薩」があるように
見えない世界。

真実、本物、美しい世界は、見えている世界ではなく、
見えない世界こそが、本質であるとされた。

そのため、目の視力を落とすか目をあえて傷つけていたことがあった。

それが口寄せや盲人の巫女となり「臣」という漢字がその

「目」の意味をもっている。
神に仕える人こそが、巫であり「臣」とよんだ。

そのルーツがどうも「殷」王朝にある。

現に、老子がいう「妙」は、
日本では「瞽女(ごぜ)」となっており、
三味線を弾きながら語り物や歌い物をうたった
「盲目の女性」をさしている。

 

また、妙音菩薩は、

「嵯峨天皇に仕えた相模の姫君」という文面が残される

瞽女縁起に語られている。

 

姫君の枕元に立ったのが、

紀伊国那智山如意輪観音の観世菩薩のことで、

「青龍妙音弁財天」という。

 

片目あるいは、盲人は神と近い存在だった。

その風習を封印したのは、八幡宮。

 

 

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中国のだれだか帝王の像。

蛇王なんだよ。



さて、「歩き巫女」というのがありました。
今は、「あきらめ巫女」てへぺろ
諦めるじゃないよ「明らめる」ことだよ。笑

歩くことは、サイコーに楽しいのです。

 

うちの先祖が禅を学んでおり、寺小屋のように村の人を集めて

学習し、禅に務めていた名主だった事が古文書に書かれていた。

 

そこ受け継ぐもんかね~・・・

誰しも、必ず先祖の影響は受けているもの。

 

それが、なんのためにあるのか?

よくよく考えること。 

 

で、中国の浙江省に禅学の講習に

行ったか行かなかったのか?

 

 

たぶん、古文書には中国の話はないので、

江戸時代だから実現できなかったと思い、

だから、私が行ってるわけだな~。

遊んで帰って来たけど・・・宇宙人

 

我思うゆえに我あり。
わたしとは、なんぞや。

都市伝説だな。笑い泣き

ソクラテス散歩にふさわしい秋保なのでした。

 

 

雨乞いが必要な時は・・・

 

 

秋保は、おしまい。