なぜか、この前、八大龍王をお参りする夢をみました。
広い空き地のような場所で、中央に石で積まれた壇に
小さなお社がぽつんとあるのです。


九州の豪雨の時にみたもので、
また、中国も豪雨がひどく長江流域では
三峡ダムの放水を「密かに」やったらしいから逃げ遅れた
多数の犠牲者もあるといった情報まで。
洪水の映像もあがっていて、悶々としていました。

 

 

※コロナ発生源の武漢市

https://www.afpbb.com/articles/-/3292450

■秋保の静ヶ御前------------------

今日は休みで天気も良くないし、
家で過ごそうと思っていたのですが、
なんだか滝に行きたくなったので、近くだと秋保大滝があるから、
久しぶりにいってこようと思いつく。

向かう途中、ずっと前に何か伝説があったことを思い出し、
なぜ秋保にそれがあるのか、謎に思っていたことがありました。


確か、秋保神社を行った先にあった気がしたのを思い出したんです。

なんだっけ~、と思いながら進んでいて、
それらしき所を発見して車を停めてみたら、

 



静御前だった!!


これが夢と関係してそうなのよ。

 



「静ヶ御前」が義経のあとを追い秋保の里、
野中まで来て倒れていたところ、
槻田家の祖先に助けられたが、義経討伐の報を聞き、
悲しみのあまりこの地でなくなり、
その墓が県道わきに立てられたと伝えられている。

 



なぜここに?
義経がきたとは思えんのお。

 



それにしても目立つよね~
ピラミッド説の戸神山が見える。

八大竜王の夢といっても小さなお社で地味でしたが、
ためしに、八大竜王と静御前でぐぐってみたら、
なんと「平安時代の神泉苑」「雨乞いの霊池」がヒットした。

雨乞い・・・

今昔物語に『弘法大師 請雨経法を修して雨を降らせたる事』とあるそうな。

また空海。

神泉苑で静御前が雨乞いの舞をまったという伝承があった。

 


※法成就池


「義経記」は静御前の雨乞いの様子を次のように記しています。

こちらを参考にしました。
※静御前と神泉苑
http://www.shinsenen.org/sizuka.html

『賀茂川・桂川皆瀬切れて流れず、筒井の水も絶えて~』(省略)
(日照りのこと)

『比叡の山・三井寺・東大寺・興福寺などの
有験の高僧貴僧百人、神泉苑の池にて
仁王経を講じ奉らば、八大龍王
知見納受垂れ給ふべし』


と申しければ、
百人の高僧貴僧を請じ、仁王経を
講ぜられしかども、其験もなかりけり。

日照りとなって人々が苦しんだ時に、
(一説では寿永元年(1182年)7月)、
慣例によって高僧が神泉苑に招かれて、
経を読んで雨を祈ったが効験がなかった。

白拍子を神泉苑に百人集めて
後白河法皇の行幸を仰ぎ、九十九人が
舞って雨を祈ったが
効験はなかったため、

あと一人が舞うくらいで効験があるだろうか(100人目で
という意見もあったが静御前に舞わせてみたところ、

静御前が舞うとにわかに雨雲が現れ、
三日間大雨が降り続いて国土は安穏になった。

法皇は感激されて静御前を『日本一』と称された。

静は源義経(幼名:牛若丸)に水干に立烏帽子
という舞姿を見そめられ、側室となる。

 



画 達富弘之氏(一部を掲出)

まさか、ここで繋がるとは。

けど、これって雨を降らしてるってこと?

しかも、神泉苑は「御霊会(ゴリョウエ)発祥地」だった…。

御霊会とは、天変地異・流行病など社会生活を脅かす
疫病・飢餓・地震・雷災などの発生を御霊(怨霊)の仕業とうけとめ、
これを慰撫・鎮魂して遷却することによって
平穏を回復しようとする鎮魂儀礼をいう。

 



それで、秋保大滝へいったら、
ここで瀧神と繋がる・・・。

 



■秋保大滝-------------------------

静ヶ御前が秋保に伝わっている理由もわかりました。
とっても不思議な気づきです。

 



久しぶりに来ました。
お不動さんがオープンしておりました。
黒々とした大きなお不動さんで、
以前、胎内くぐりをやったことがあります。


以前にも書いていたのですが「木食知足上人」について。
ちょっと説明を。

「大滝不動堂の右奥に木食知足上人の木造彩色像を安置している開山堂がある。
上人は滝の原の佐藤家に生まれ幼名を太作といっていた。

 


※開山堂


少年の頃、母の眼病平癒を大滝不動尊に祈願して治ったのが動機となり、
不動堂別当、西光寺の順昌法師の法弟となって仙台城下八幡町龍宝寺で
得度し、名を岳運と改め、近くの大岩山に籠って断食の修行をしたり
羽黒山荒沢寺で再度千日の五穀を断つ荒行を積んで木食行者となった。

上人は、1828年、44歳の生涯を大滝の岩頭から投身遷化している。
滝見台への道沿いに五輪塔が建っている。」

 

 

 

香炉の中にシダ。

 

そうなんですよ、投身遷化とは、
秋保大滝で身投げして亡くなった高僧のことなんです。

 



でもね、ここ好きなんです。
開山堂もオープンしてまして、木食知足上人さんがお目見え。


けっこうリアルです。

九州豪雨の被害にあわれた方へお祈り。
早く静寂がおとずれますように。
そして、被害に遭われた、たくさんの中国人へ。

 



下に降りて行くと雨が多かったせいで、
爆音がすでに響いている・・・。

 

 

 

 

いろんな紫陽花が咲いてます。

 

 

大きなヤマユリが。

 

 



隣に若いカップルがいてマイナスイオンが気持ちいい~♪と。


ルンルンな気をもらう。。。

 



あ~、私もこんな時があったんだろうか。


「木食上人さんの霊氣」と今ではつぶやく・・・。

 

 

水しぶきが届くくらいの水量でした。


それで、隣にある石碑に気づいて
ああーっ!ってなった。

 



新山大権現

そうだ、そうだ。
栗原に行った時に、「新山神社」が多いことが不思議でした。


でも、繋がることがなかったので、そのままにしていました。

 



秋保で見かけるとは!


この石碑は今まで気づきませんでした。

新山大権現とは、早池峰神の瀧神(瀬織津姫)が定説。
静ヶ御前の伝承があるのは、それか。

秋保には熊野修験がたくさんやってきて、

大滝ですから、瀧神を祀っているのですね。

そこに静ヶ御前の話しをもってきていると思います。

で、秋保と近い太白山は「オイデ森」と呼んでいました。
秋保の太白山にあたるのは、戸神山。
遠野の早池峰神社がある地名も「大出(おいで)」。

いろんな修験が習合している秋保なんだと思います。

新山大権現とは、早池峰神社がある遠野において、
西の登山口(大迫町)には、元池上院妙泉寺であった早池峰神社。
東の登山口(江繋)には、元新山堂であった早池峰神社。
北の登山口(門馬)には、元新山大権現であった早池峰神社。
そして当社、南の登山口には、元持福院妙泉寺であった早池峰神社。


と、「新山」だったことがわかります。

 

※名取川

『早池峰神社略縁起』より、

『そもそも新山大権現之本地を尋ね奉るに、
人王五十代桓武天皇延暦十四年乙亥三月十七日當山江、
三柱姫神達、天降満します也。

新山と申すは古起松杉苔むし老いた流枝に蔦蔓生え登り、
山葉に曳月はかすかに見ゆ木魂ひびき鳥の聲あたかも、
深山幽谷の如し。

南に北上川底清く、水音高く御手洗也。
雲井に栄え登る月影浪に光を浮かしめ、北は千尋に余る、
廣野と萩薄生え繁。是を名付けて、新山野と申す也。』


「にいやま」と訓読みして呼ぶことが多いが、
元は「しんざん」と音読し早池峰神社の前身だった大出の
新山宮の里宮だったと。

深山から新山に変化しているものもあるという。

紫波郡紫波町佐比内・熊野神社の元宮も「新山大権現堂」と呼ばれ、
この「大権現」は「お熊様」という親称によって語られていたそうです。

その元宮の祭祀地は「新山」という小山だが、
それは新山大権現が鎮座するゆえの山名だという。

詳細は、風林堂のサイトをチェックしてみてください。

※風琳堂より
http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-33.html

そんなことで、早池峰と八大竜王との関係にはピンとこないのですが、
静御前とは関係しているので、熊野の滝神が関わっていると思います。

■火が強すぎるから-----------------------


年々、水の被害が大きいのが気になりますが、
このような水災害がある度に、ダム建設を推奨する話しになります。
何にしても、メリット・デメリットがあるので難しいです。


水の大祓を受ける要因となる深い念というのは、
火が強すぎる」ことにあるわけです。


そのような事が起き続ける限り、人々の中に火がつくのは当然でしょう。


それだけ大きな水の祓えを受けるということは、

気づかないうちに、大きな怒りをもっていることも示唆するから、御霊が生まれるのか、と。

 

もうこんな屈辱は、やめよう。

それに気づきなさいという瀧神は、いつも容赦しない。

 

癒されたく、木の家に行くのですな。。。

 

※姥神も好き。

■おまけ----------------

そういうことで、木の家の紫陽花で癒される。

 


 

 

 

 

ちなみに、雨乞い祈願で「100人目」で
静御前が舞ったことで「国土が安堵した」とありましたが、
仙台でコロナ感染者の数も今日で「100人目」です。

 



コロナだけど・・・。
やんわりと退散させよ~ぅ。