歌う津の「うたつちょう」
宮城県の北東、南三陸金華山国定公園の一角。

隣接する志津川町、本吉町は
巨石の神行堂山があったりして探訪しがいのある所です。

さて、ここは初めて知りました。

すごい所がありますね。
スケールが大きい東北の海。

その前に「南三陸ハマーレ歌津」へ。

 

 

 

 

 

 

丸荒のチーズインバームが美味しかったです。飛び出すハート

 

 

 

 

※ウタツサウルスのマップ

 

「かもめ館」というのがあり、
最古の魚竜化石の展示(レプリカ)あります。

 

 



本物は、この後、ご紹介します♪

 

 

 

マストドンサウルス・・・?
約2億4500万- 約1億9960万年前

下顎骨の化石・・・(わかんない)

マストくんは、
当時の超大陸パンゲアの非常に広範な
地域の淡水系に分布していたことが分かっている。

 

だから、わに~~。

 


 

 

※約2億5000万年前の南三陸

『サンドイッチマンのぼんやり~ぬ』(ローカル番組です)

で発掘された?アンモナイト。
ねつ造の疑いあり。笑

 



だてちゃんのは小さいアンモナイト。(右)

 

アンモナイトがたくさん見られます。

 



さくっと展示をみてから、
実際に化石をみると感動します。

太古の海へ

 

世界最古のウタツサウルス(国指定 歌津館崎)

 

ハマーレ歌津から車ですぐ。

 

 

 

 

館崎の西海岸に露出する中生代三畳紀の大沢層中から発見された。
(昭和45年9月)
その骨格や、同じ地層から発見されたアンモナイト化石の示す地質時代などから、
現在知られる限り世界最古の魚竜の化石である可能性もあって、
学術上の価値はきわめて高い。



 

発見した時、頭、胸、肋骨などの骨がバラバラに発掘されたのが、
その後ほぼ完全な頭部と前肢が見出されたことにより、
我が国初めての魚類化石であることが判明した。

 



約2億5000万年前から2億4500万年前にあたる中生代三畳紀前期に生息していた
化石となり発見された地名から「ウタツギョリュウ」と命名。

館崎の海岸に露出した稲井層群大沢累層で最初の化石が発見されている。
種小名「ハタイ」


属名はそれにちなみ種小名は発見者である
東北大学名誉教授の畑井小虎にちなむ。

また、宮城県南三陸町の他、同県雄勝町(現石巻市)の小島から
2体分の略完全な骨格が発見されている。


カナダのブリティッシュコロンビア州からも良好な

頭部の化石が発見されている。

館崎の化石産地からは魚竜化石の一部が研究のため発掘されたが、
同地にはなお多くの化石が含まれており、

最近町では、指定地外の第二標本発見現場に魚竜館を建設し、
現地保存と普及に努めている。

 

 

露出しているところがすごいです。

 

 

ウタツくんは、こんな感じ。

 

 

説明書きの裏に階段があります。

階段を上って、また降りるとすぐ海。

 

 

降りたところに化石があるのです。

 


後の進化した魚竜とは違い、
ウタツサウルスには背ビレが存在しなかったとされ、

頭骨も幅広くはなく、より丸みを帯びた派生的魚鰭類と比較すると
吻部の先が細くなっている。

「ウタツサウルスは海生の爬虫類だが、
陸上で生活していた時の名残が体に残っている。」


そうそう、元は陸上にいた生物から、
海で生息するようになった魚類なんです。

それはイルカ等も同様で、
イルカやクジラは、人間と同じ類で4本足をもっていたのが、
何が理由かわからないが、陸の生活をあきらめて
水で生きることになったという。

「海のほ乳類動物」と聞いていたように、
イルカやクジラは、陸上生物が魚に似せている、といったようなこと。

なので、ウタツサウルスも、
祖先である陸上有羊膜類と派生した
魚竜の間の移行段階の特徴が見られる
というので、
元は、陸にいた生物だったんですね。

 

 

 

この大きな岩盤の裏手にあります。

 

 

 

 

すごい岩盤!

 

 

 

 

足場が悪いので気をつけて歩いていたら、

いきすぎた・・・

 

これ!↓

 

 

写真だとわかりにくいですけど。

 

 

尾椎(赤矢印)

 

 

脊椎

 

 

そのまんま、保管されているところが、すごい。

 

ここでウタツくんは、泳いでいたのですね。イルカ

 

 

 

今は、人の営みが。

人間てなんだろう・・・(そこー)

 

(イラスト風)

 

 

 

 

太平洋を旅したポスト

 

再び、展示室の話に戻ります。

度々、震災で戻ってきた物を聞いたりします。
船がカナダまで漂流したとか。
この記事は2013年3月

 



3月25日、カナダ西部沖の太平洋上で漂流しているのが見つかった船舶は、
東日本大震災の津波によって青森県八戸市の港から流されたとみられる
ことが分かった。
写真はカナダ国防省提供(2012年 ロイター)

 

 

 

無人の船だから切なくてね。

 

他にも陸前高田町の諏訪神社の神札が、
茨城県の鹿島沖まで流れ、鹿島神宮を介して
諏訪大社に送られたという話もありました。

タケミナカタとタケミカヅチの連携。
神々もこの時は、同じ仲間となり助け合う。

生きることは、互いの存在あってのこと。
一人で生きているのではない、ことを教えてもらいます。

このような話を聞くと、
存在しているすべては、同じ運命をたどるのだから、
海に還るというのは、すべてが同じところに戻ることになる。

それを、補陀楽といった。
常世の世界は海にある。

 



存在するものはすべて同じであることを海が伝えており、
また再び戻り、必ず帰ってくる。


さて、今回は、こちらのポストが長旅をして戻ってきた。

 

 

 


 

歌津のポストは、1年9カ月の歳月を経て、
西表島の砂浜にたどり着いたのです。
歌津から西表島まで直線距離にして2400キロ。

しかし、太平洋の潮の流れではそのまま南下できず、
通常は東の方角へ向かう。


海に出たポストは、黒潮を通ってぐるっと太平洋全体を
まわるルートで運ばれた可能性が高いという。

 



ハワイまで行ったのかどうか。

 

この漂流図をみると、やっぱり関東から唐桑半島までいくと、
潮の流れでアメリカの方へ行ってしまいますよね。

関東から東北の海民のルートが気になる。

陸に近い浅瀬か、川をつたってきたのだろうけど・・・

 

青森から南下したルートが一般的なのかな。

縄文人は、この潮の流れでアメリカへ渡り先住民になったという。
類似した縄文土器がアメリカで発見されています。

縄文人は、インディアンとは異なる遺伝子をもっているので、
同じとは言えないのですが、
共存して暮らしていたことがあるので、
今のインディアンは、その縄文の精神を受け継いでくれていると思います。

そんな歌津は壮大な海の記憶が残されていました。
地球の営みは「すべて」であることを実感できる所だと思います。


歌津の壮大な海の営みを堪能してから、
北上して気仙沼へ。
久しぶりの気仙沼は活気が戻ってきているようです。

次は、気仙沼~釜石へGO!

南三陸の過去記事を参考に。