この神社にずっと行きたいと思っていました。
本当ならば登山をしたい所ですが、
なかなか行けないですね。
いつか登ってみたいお山です。

 



玉山金山の近くなので、鉱山の神になっている気がします。

 



氷雨の「氷」は、「ひ」とよむ。
古くは冰(ひょう)と書いた。
これは、氷の割れ目を描いた象形文字の「冫」に「水」で「冰」となった。

 



氷上山は信仰の山で、神社はその山をご神体にしている。
ご祭神は、衣太手神(きぬたてのかみ)、
登奈考志神(となこしのかみ)、
理訓許段神(りくこたのかみ)

あるいは、天照大神、スサノオ神、クシナダヒメ(稲田姫命)

 


この三神の名前は、アイヌ語からきているそうです。

 



きぬたての神は、森の中に鎮座する神、
となこしのかみは、沼を超えた遠くの神、
りくこたのかみは、丘の村の神。

 

氷上山山頂の奥の院


「江戸時代中期の寛延3年(1750年)、会津宗英寺の住職が、
山上に金剛仏三体を奉納しようとした。
しかし、八合目付近で急に山が荒れだし、慌てて下山した。


その後7日間、山麓は晴天なのに、山だけ大嵐となり、
これが「氷上山大騒擾」と呼ばれた。

山へは一度も仏像を上げたことがなかったとして、
奉納しようとしていた仏像は取り上げられ、平常に戻ったという。」

 



想像するに、仏教を山にもってくることに対する拒否がすごい。
神道なり修験者が阻んだ話しでは?
強い吉野派な感じがするけど・・・。

 



参道の御假殿は、昭和48年(1973年)、
山頂に神殿を新築した際、江戸時代後期の文化5年(1808年)の
旧神殿を移したもの。

 



御祭神の稲田姫命の両親である足名椎神・手名椎神を祀る。
他に、松尾神社などがある。


アシナヅチ

 

テナヅチ

 

式内社「理訓許段神社」の論社は他に、大船渡市赤崎の尾崎神社がある。

 

 


ということを考えまして、これは3か所にある神社と「尾」崎にも
からむことから、ここにもハイヌヴェレが隠されているような。

松尾神社とは京都の松尾大社のこと。
秦氏の。

 



土着神と大和神が一緒になっているようです。
昔は境内に三峰神社が祀られていた。
三峰を祀っていたことが驚きで・・・。

 



現在は、陸前高田町のどこかに三峰神社は遷されています。
小さな祠です。

 



氷上山の伝説では、太陽神と考えられ山頂付近では
火事があっても自然に消えるので、火の神として祀られた
火=日の神ですが、なぜか氷という漢字になった。

 



で、私はここは「物部氏のにおいがする」と感じた神社です。
製鉄場として注目されていたと思う。(↓)


アイヌの神を祀っているところから、東北に逃れた物部氏が浮かびます。

■アイヌと物部氏----------------

秋田県・宮城県にもある保呂羽山は、アイヌ語です。
「ハウシワケorオヤシワケ」という名前があります。
「波宇志」と漢字にあてた「ハウシ」はアイヌの首長だった説があります。

『秋田物部文書』によれば、
出羽国平鹿郡八沢木へ入り(939年)
保呂羽山(秋田県横手市)の波宇志別神社を祀り、守屋家が神事になったと。
しかし、大伴氏との対立もありその後は、大伴氏が管理をしたという。

物部氏はアイヌの首長を祀って神職になったという話しがあるのだが、
鎮魂なのか、征伐してきた御霊を鎮めるためだったのか。

「配志別神社:ハウシワケ」は、一関平泉にもあります。
六芒聖の中心にある神社です。


やっぱり金なんですね。
ただ、アイヌ人が金を重宝していたことはわかりません。
エミシがつくった刀をアイヌ人が持参していることはある。

アイヌ人の暮らしとタタラの結びつきは不明ながらも、
阿部氏や物部氏のような製鉄民が、アイヌ人と共存してきた事も
あったかもしれません。

刀などの製鉄をアイヌ人が入手していたこともあると
思いますが、木(伐採)や水を多く使うため、
アイヌ人は「追いやられた」と考える方が自然でしょう。

 

 



物部氏はアイヌや先住民族と交渉しながらタタラ場をみつけ、
製鉄を行っていたと思います。

 



岩手県の江刺にも2社、氷上神社がありまして、
ご祭神が、瀬織津姫なんですね。

「気仙郡高田村(現陸前高田市)に鎮座せる氷上神社の御分霊を
小梁川右膳地行の御除地たる烏帽子山頂に勧請せしに始まる。」

1828年に、
「慈覚大師作と伝えられる鏡像の外、雄竜・雌竜と称する二個の霊石ありて、
祈雨祭に雌竜を、祈晴祭には雄竜を清水に降して神事を行ない、
これら三十三年毎に開帳するが、雄竜を天保十三年(1833)失うことになる。」


エミシの地に、瀬織津姫伝承は多いです。


陸前高田の横田町には瀧神を6社祭りすべて瀬織津姫だというのですが、
熊野修験が祀ってきたものです。

氷上山が荒れる話しなどから、想像するのは武甲山と熊野神の御札である
「氷雨除けの護符」です。

氷雨を降らす神話は各地にあり、鳥海山のダイダラボッチ、
ヤマトタケルの伊吹山など。

■自由すぎる金-----------------------

岩手県といえば、もう一つ有名な「五葉山
北上山地南部に属する。

 


1億1千年前に形成されたのですが、
五葉山を一躍オカルトの世界で有名にしたのは
酒井勝軍のピラミッド説です。

※五葉山は釜石に位置する。

北から、釜石~大船渡~陸前高田。


酒井氏は日本のピラミッド発見者。
明治時代、山形県上山出身。

ピラミッドにはまる理由はわかります。
山形県はピラミッド型の山が非常に多いし、

UFO目撃も多い。


オカルトで流されていますが、外国の考古学者では、
日本がピラミッドの発祥という人もいて、秋田県・岩手県に埋まっていると・・・
確かに鉱山資源は豊富です。

五葉山には、古代遺跡が眠っているとされ、北上山地に金が多く産出される
ことにも関係するという。

古文書『竹内文書』によれば、
五葉山ピラミッドは超古代文明ムー大陸の子孫によって作られ、
幻の金属「ヒヒイロカネ」が生産されていたと・・・。

実際に、酒井勝軍氏によってヒヒイロカネらしき金属が発見されたとか。
(オウム真理教はこれを信じていたんだよ…)

ヒヒイロカネとは、伝説の金でどんなものかわかってません。
永久不変で絶対に錆びない性質をもつというので、
不老不死の伝説では、話題になった。

徐福が秦の始皇帝に頼まれて金を求めたのは、
ヒヒイロカネかもしれない?

ヒヒイロカネは現在ではその原料も加工技術も失われたが、
太古日本(神武天皇の御世以前=ウガヤ王朝期)では
現在の鉄や銅と同様のごく普通の金属として使用されていたとされる。


特に合金としてよく出来たものは神具の材料として使われたという。
三種の神器もヒヒイロカネで作られているとされる。


ということで、壮大な金の伝説が語られる、あの「玉山金山

やっと行ってきた。
翌日、最後に訪れたのが玉山金山でした。

シメの玉山金山に、ぐったり。

結局、なんだったかよくわからなかった。笑


まあ、なんだっていいよね~。
面白ければね~。

先に玉山金山の話しをかきます。
タタラ伝説の中では、玉山金山は最強です。

つづく