松島には、いつもお世話になっています。
非常に明るくて、前向きにさせてくれる島です。
悶々とする時(こんなブログ書いているとけっこうある)
やべーとこいった後は、
必ず松島へ行き、すかっ!として帰ってきます。
ぼーーーと海をみて、
帰ってくるだけ。
仙台から近いので観光地としては最適。
アクセスについては、こちら。
そんな浄化作用抜群の松島湾。
※(画像)閉鎖性海域ネット
https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/waters/matusimawan.html
<松島湾の特徴>
気候が温暖で食物が豊富であったため、
縄文時代、約1万年前から人が住んでおり、
吉田浜貝塚は、7500年前とされる。
松島・石巻に流れる川は「鳴瀬川」
鳴瀬川の概要
http://www.thr.mlit.go.jp/karyuu/history/naruse.html
前回の丸子の話で、関東(千葉県)から道嶋氏が
やってきた所が、東松島の横穴古墳。
「道嶋氏ら海人族に関わる墓の可能性がある」
ところに鳴瀬川。
この川は、太陽の舟だった!?
すごいよね~。
最北の線刻画。
この頃からカキを食ってたんかな。
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考えてみれば、松島をぐるっと行ってたな~と思い、
七ヶ浜~浦戸諸島まで、
「湾」を囲む、のほほん探訪をご紹介。
これから暖かくなる時期、参考に訪れてみてください。
マップ。
A:多聞山(たもんざん)
B:馬の背(うまのせ)
C:雄島(おじま)
D:福浦島(ふくうらじま)
E:富山観音(とみやまかんのん)
F:奥松島の大高森(おおたかもり)
G:宮戸島 嵯峨渓(みやとしま さがけい)
H:浦戸諸島(うらとしょとう)
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多聞山(A)地点
多聞山は、標高56m。
多聞天像を安置し毘沙門堂があるので多聞山とよばれる。
塩釜港、松島湾の光景が美しく、松島四大観音として知られる。
<毘沙門堂>
「毘沙門様さまのお歳とり」というお祭りが行われています。
参拝者には湯豆腐が振舞われ、食べると次の一年は風邪をひかないと言われています。
「あのく」観音とよび、
伊藤家が漁師さんだったので、海の守り神として祀られた。
被葉衣観音(ようえかんのん)というのは、
葉衣はバラーシャ樹の葉をまとうシャバラ族の女性。
海の守り神として祀られている。
馬ノ背(B)地点
駐車場狭いけれど、行く価値あり。
雄島(C)地点
雄島は瑞巌寺とゆかりの深い霊場。
全国から僧や修行者がこの島に来て修行をしたといわれ、
中世には「奥州の高野」とよばれた。
『立ち帰り またも見てみん 松島や
雄島のとまや 浪にあらすな』
藤原俊成の和歌。
数々の和歌が残される島として有名。
「奥の細道」では、
「雄島が磯は地つづきて海に出でたる地なり。
雲居禅師の別室の跡、座禅石などあり。
この雄島に一人の超人的な修行僧が住んでおり、
「見佛上人」といった。
法華経6万部を読じゅした「見仏堂跡」があり、
鳥羽天皇からその高徳をたたえ、松の苗木本尊を下賜されたので、
雄島とよばれた。
(福浦島へ渡る赤い橋)
「月まつしまの聖」「空の聖」などと称されその行者は、
さまざまな奇跡をもち、人々を驚かせその名声は、
日本列島すみずみまで及ぶほどだった。
石川県(能登)の岩屋と松島の間を、
毎月往復して、上の弓張の10日は能登、
中・下旬の20日は松島というその暮らしぶりは、
西行法師の『撰集抄』にも伝えられる。
福浦島(D)地点
弁財天が鎮座される小さな島。
長く赤い橋を渡るのが特徴。
※日本台湾友情の橋
震災の時、一部の橋が損壊した際、
台湾の観光船業者(日月譚)
からの義援金を受け完成した。
※橋の通行料200円(子供100円)
渡る価値あり。
1470年の「天台由緒記」によると、
1248年(宝治2年)諸国行脚で松島を訪れた北条時頼は、
山王社の祭礼の邪魔をし、天台宗に追われている。
鎌倉に戻った時頼は、三浦氏に援助を頼み、
天台宗を追い祓う。
寺を追われた天台宗徒たちは、福浦島にこもり、
呪詛を唱えたと伝えられる。
北条氏は、禅の教えを農民に広めることで、
農民に優しい政策→撫民政策(民を撫でる)を行った人。
・・・いんだか、悪いんだか。
弁天堂
島の独特な植生と風土を感じられるところで、
散策できます。
次は、E~Hへ。
後半もまた、素晴らしい。