まず、レトロゲーム、というとファミコンやスーファミを思い出しますが、みなさんはどこまでを


レトロゲームと定義してるでしょうか。


簡単な例で言えば、ソフトの販売が終了しているものは、対象になると思います。


(いや、もしかしたら3DOや、ワンダースワンのゲームが発売されてるかも・・・(笑))


冗談はさておき(笑)


いろんな世代によって、どのゲームをレトロと呼ぶかは違うと思いますが、往々にしてファミコンは、


レトロゲームの代表だと思います。


大きな理由としては、やはり家庭用ゲーム機として一時代を築き、そして家庭用ゲーム機という市場を


作り出したのは、紛れも無く「花札の」任天堂であり、「トランプの」任天堂が販売した、ファミコンだからです(笑)。



そんなファミコンは、今のような便利な接続端子などなく、RFスイッチケーブルという同軸線を自分で削って、


銅線うまいこと差し込んで巻きつける、という作業が必要でした。


これが結構難しく、この取付けに苦労した人は、きっと今のHDMIなどの端子の簡単さに、感嘆してるでしょう(笑)



・・・今日は脱線が何時にも増して多いですね(笑)


疲れてるんですよ(笑)


とまあ、レトロゲームの話に戻しましょう。


家庭用ゲーム機として認識と地位と名誉を得たファミコンは、まさにレトロゲームの宝庫です。


そして、80年代に少年・少女時代を過ごした人(いわゆるファミコン世代)は、


ゲームウォッチという携帯機が築き上げた、


「ゲームは個人個人で楽しみ、外でも出来るもの」


から、


「ゲームは家でみんなでワイワイやるもの」


にシフトさせたのです。


これは、すごい変化を生みました。


俗にいう、DSやPSPなどの携帯ゲーム機世代からすれば、これらは新しいゲーム機に見えるのですが、


実はファミコン世代から言わせれば、既に携帯ゲーム機としてゲームウォッチを持っていたわけです。


もちろん、金持ちの一部の小学生のみですが(笑)


いわゆる、スネ夫みたいなヤツです(笑)


つまり、もともと携帯ゲーム機の市場はあったんですが、ゲームウォッチの難点は、本体+ソフトが


一体型となっており、ソフトを変えるには基本的にはゲームウォッチという本体をもう1つ買う必要が


あったわけです。


ここが、今のDSやPSPといった携帯ゲーム機との一番の違いです。


もちろん、80年代後半には、ゲームボーイという本体とソフトを別にした携帯ゲーム機を、任天堂は


世に出しましたが・・・(笑)



と、またもや思い出話から脱線しましたね。


まるで、終点まで行く気がないような話の流れですが、この世代の人からすれば、うんうん、とうなずいて


くれるはずです(笑)



ということで、レトロゲームの最初はファミコンからということにして、話を進めていきましょう。


何せファミコン世代なもので(笑)


これがきっと、ゲーセン世代からいうと、ゲーセンのゲーム筐体とかも含まれるんでしょうが、


ゲーセン世代はほぼ「つっぱり」なので、そこはそっとしておきます(笑)


ファミコンは今まで外で遊んでいた子供たちを、友達の家で遊ばせる、という道具に使用されます。


そして、車と同じように、各家に一家に1台はファミコンがある状態が出来てきました。


それは、スーパーマリオブラザーズという最大最強のアクションゲームの発売と共に確立されました。



・・・なんか、任天堂の歴史を謎といているようですが、そんなことはありません。


なぜなら、任天堂のファミコン世代より前の世代といえば、花札やトランプ世代なのですから(笑)



ということは、本当のレトロゲームというのは実は、花札やトランプなのでは?(笑)








続く







・・・・かもしれない






思い出のゲームセンターCXの回といえば、なんといっても過去の豪華AD陣が勢ぞろいした回の、


ゲームセンターCX DVD-BOX3(Vol.5) 」に収録されている、忍者龍剣伝でしょうか。


レンタルDVDだと、Vol.3だったと思います。


なんといってもまず、忍者龍剣伝のソフトの難易度が高いです。


横スクロールのアクションゲームなのですが、敵の配置や動きが有野課長の動きを読んでいるかのごとく、


主人公の体力を奪っていき、そして有野課長のやる気を奪っていきます。


しかも、このゲームの恐ろしさは、最近ではめずらしくないですが、


ボスを倒した

安心する

実はそれはボスの仮の姿だった

真のボスが登場する

やられるとその面の最初に戻される


という仕様のため、有野課長がとにかくへこむくらいかなり厳しい闘いとなりました。


なんと、収録は1回では終わらず、再度収録をするという異常事態(この頃はめずらしかった)。


しかも、けつかっちんの状態で課長には時間がない!!!


しかし、過去の歴代優秀ADである、東島さん、笹野さん、浦川さんという豪華3人の協力によって、


なんとかエンディングを見ることが出来たのでした。


ただ、なんといってもこのゲームはその3人でやったとしてもかなりの難易度であったため、


再度挑戦する際にファミコンの電源をOFFにするのですが、それをためらう有野課長がそこにいました。


しかし、その空気を断ち切るように、男らしくカメラマン阿部さんがばしっと電源をOFF(笑)


カセットの熱さに、課長+3人の苦労が伝わってきたような印象を受けました。


ただ、この中でAP東島さんだけは、ほぼプレイをしていません。


なんと、夕方に差し迫った闘いの中、西日が差し込み(ブラインドをすればいいのだが・・・)、それを避ける為、


有野課長の日よけとして、東島さんが立ち上がるのです(笑)


ゲームのプレイサポートは笹野さんと浦川さん、そして、西日をさえぎるのは東島さん(笑)という、


最強の布陣で最後の戦いに挑んだのでした。


DVDで見てもらえるとわかりますが、敵のパターンはあるものの、そのパターンが理解する前に何度も


ゲームオーバーを繰り返しています。


たぶん、再挑戦が決まった頃の笹野さん、浦川さんは、きっと徹夜でロケハンをしてたことでしょう(笑)



そんな思い出がよみがえるほど、この忍者龍剣伝の闘いは、ぜひみてほしいと思います。


レンタルDVDでも出てるので、豪華AD陣(東島さんはAPです)との協力バトルをみて、


最後の感動を味わってください。


そして、西日をよける東島さんで、大爆笑してください(笑)


なぜ東島さんが西日をよけることになったのかは、課長の口から出た言葉でわかります。


お勧めです!!!!





今はipodなどの便利なツールがあり、iTunesにCDをセットすれば、勝手にCDをインポートしてくれる。


便利な世の中になったなぁって思う自分がいるけど、でもちょっとまって。


そのインポートしたCD、実は10年以上も前のCDだ(笑)


そう、どんなに使えるツールが進歩したとしても、入れるのは昔の思い出の曲。


音楽には、その時聴いていたときに起きた出来事やいやな事、いい事が一緒になって録音?録画?


されている。


だから、思い出の曲を聴けば人間はその当時のことをさも今起きてるかのような気持ちで思い出し、


懐かしむことが出来る。


これって実はすごいことだと思う。


あれだけ詰め込んだ学校の教育の勉強した結果はほとんど覚えてなくても、


聞き込んだ音楽は、その思い出と一緒に聞くだけで鮮明に思い出せるのだから。



自分が恋愛していた当時に聴いていた曲なら、その曲を今聴けば、その当時の恋愛がよみがえる。


まるで、音楽CDを聴くと、その当時の映像が流れる自分記憶再生機になるのが不思議だ。



そういえば、苦い思い出がある曲って、実は自分のiTunesにはインポートしています(笑)


だって、その当時の苦い思い出があるから、今の自分があるのだし、こうやって時代がすすむ世の中で、


時代を戻れることが出来るのだから。



そう思うから、音楽には思い出が詰まってる、と感じる。


でも、人それぞれ、自分記憶再生機で再生される映像(思い出)は違うから、人によっては


とんでもないものが再生される(笑)


それも、昔のCDを今この時代でも聴ける、っていう機械やシステムがあるから。


って考えていくと、実はこれは人間が昔の記憶を留め、いつでも思い出せるシステムを作り出したことになる。


実は、すごい発明かもしれない。



あ、なんか話が違う方向に!?(笑)



でも、ほんと、皆さんもあると思いますが、思い出の曲を聴けば、思い出がよみがえる、


ってことは、それは曲と映像がつながってるからに他ならないんですよね。


まるで、人間の記憶は、ハードディスクと同じなんだなぁって思ってしまう。


でも、ハードディスクより、頑丈で、それでいて、優れている。


だから、音楽という音に「思い出という映像をつけることが出来る」のだから。







昨日から梅雨が始まり始め、関東地方も雨に見舞われている。


そんな時でも、気分がいい日は、天気には関係ないときがある。


それは、やろうと思った目的をやることが出来た時。


昨日は久しぶりに身体をまともに動かし始めた、といえばいいだろうか。


今までは身体操作中心で、空手の型などはほとんどやっていなかった。


そのせいで、忘れかけた自分がいたのが少々痛かったが・・・(笑)


ただ、身体操作に特化していた分、バランスが悪い人や、動きの変化、先輩からの指摘事項に対して、


明確な回答を得られる自分がいたことは確かにある。


そんな時は、雨が降っていようと、気持ちがいい。


それは、人間がやるべきときに、やるべきことをやった証だからだと思う。


「雨だから」


ということを鬱陶しいことと思うのは簡単だ。


なぜなら、ズボンは濡れるし靴はびちゃびちゃ、下手すりゃ髪の毛も同じだ。


くせっ毛の人は雨の日はくせが余計に出てしまい、髪型がぐちゃぐちゃになる。それだけでもブルーだ。


だから、「雨だから」という理由をいい理由にするために、


例えば自分の場合で言えば、髪は短めに切ってしまい、雨に濡れてもあまり関係ないようにした。


それこそ、坊主頭なら雨に濡れてもくせっ毛を気にすることなんてなくなるし、


もしかしたら、髪型を変えたり、見直すいいチャンスでもあるわけだから。




「雨だから」


自分にとっては、いやなことが多いかもしれない。


でも、草木にとっては必要なことだし、それによって生き物は生きるための水分を補給できるのだし、


何より、地球の上に生物が生きている証なのだから。



目的を持つことと、「雨だから」と理由で自分の考えをうまく逆に考えることで、


鬱陶しい気持ちも変わってくるし、気分も楽しくなってくる。


自分は推理小説が好きなので、雨の日などは、推理小説を読む。


シトシトと雨が降り続くときに静かな部屋で推理小説を読むと、なんともいえない小説の世界に入り込める


・・・気がする(笑)


つまり、「雨だから」こそ、外にいかずに大好きな推理小説を読み続けることが出来るのだ。


もし晴れていたら、出掛けようって思ってしまうし、本を読むことなんて、しないかもしれない。


そんな風に、自分にとってのいい解釈をすることを心がけることで、何もいやなことは、なくなる・・・


と思いたい。


もちろん、いやな事は考えればいくらでも出てくるけど、それと「雨だから」をつなげる必要なんてない。


靴が濡れるのは雨が降ってるから、ではなく、濡れた場所に靴で出ているからだ。


晴れた日と同じ行動をしようとしてるから、雨の日がいやになるのだ。


だから、雨の日こそ、「こういう行動をしよう」って目的を持って生きるほうが、晴れた日に何かをすることを


目的を持って生きるより、何倍も面白くなる。


晴れた日なら、雨の日よりも制限がなくなるのだから、よりやれることが増えるからだ。


大事なのはこの、「よりやれることが増えること」ということ。


「雨の日」を基準日にしてしまえば、


「曇りの日」はラッキーな日。


「晴れの日」は超ラッキーな日。


になるのだから。


考え方を、目的を変えてみることで、生き方も変えられる。


そんなチャンスが、雨の日にはある。









先日のマツコ&有吉の怒り新党で、夏目アナが有吉さんばかりに質問していたとき、


有吉さんは夏目アナにこういいました。


「なんでオレばっかなんだよ。マツコさんにはいえない感じだよな」


すると、夏目アナはうなずいて、


「だってマツコさん、言うなっていうオーラが出てるんですもん」


というような会話がなされた。



深夜帯と同じようなテンションと会話内容で「19時台をぶっつぶす」と宣言していたマツコさん、


そんなマツコさんになぜ同じような質問を夏目アナが出来なかったかというと、


「そんなこと私には言うなよ!!!オーラ」が出ていたからである。


マツコさん自身が言っているので、確かにオーラが出ているのは見ていればわかります。


ここでポイントは、


「人間はオーラを出すことが出来る」


ということです。


オーラというと、「北斗の拳」よろしく、近づけない何か膜のようなものを出しているイメージだし、


「ドラゴンボール」でいうところの、ようやくべジータ、ナッパとの戦いの地についた悟空がその惨状を目にし、


クリリンが「3人でやっつけようぜ」と提案したところ、


「オラ一人で十分だ」


という人を寄せ付けないオーラを出し、クリリンが「わ、わかったよ」と思わず引いてしまう場面があります。


それがいわゆるオーラと呼ばれるものです(笑)



漫画の話を例にとりましたが、実際にオーラというのは目に見えるものではなく、感じるものとして、


出すことが出来ます。


人に触ってほしくない、と思ったり、その話題に触れるなよ、というような場合、オーラを出すことで、


回避できます。


そのオーラの出し方は人によって違ったりもしますが、まずは頭で強く念じるような状態を作ります。


そうすると、顔の表情が変わってきて、それが目元、口元に表れてきます。


そしてさらに強く念じていくことで、身体は緊張を帯びてきます。


触れるな、触るな、という場合であれば、その状態にプラスして、まったく関係ないことをします。


たとえば、会話中なのに電話をしだす、メールを打ち出す、ゲームをする、お菓子を食べる、などなど(笑)


そうすると、見事、「オレには(私には)関係ないから触るなオーラ」が出来上がるのです(笑)



・・・と、そんなことを身につけても何にもならないかもしれませんね(笑)


でも、人はそれを目で見て感じるのとプラスして、肌で感じるんです。


「この人は今、触るなオーラが出てる」と(笑)


ここが大事なポイントです。


芸能人で特に有名な人は、サングラスをしたり、マスクをするなどして出来るだけ目立たないようにして


行動しますが、どうしても「芸能人だぞオーラ」が出ているので、ばれてしまいます(笑)


それは、オンとオフの切り替えをしてこなかったこともあるかもしれません。


オンとは「芸能人である」という状態で、オフは「一般人である」という状態と捉えてもらって構いません。


つまり、オンの状態では常に芸能人オーラが出ているのに、いくらマスクや帽子、サングラスで顔を隠しても、


オーラで人は感づいてしまうのです。


そう、肌が感じ取ってしまうのです。


恐ろしいですね。


怖いですね。


・・・ちょっと懐かしいネタを入れて脱線してきている感じがしますが、ここが大事なポイントなんです。


自分がどのような状態が


・オンである「普段見られたい自分、もしくは見せたい自分」で、


・オフである「普段見せたくない自分、ありのままの自分」である


ということを使い分ける必要があるわけです。


郷ひろみさんは、こんなことを言っていました。


「23時59分までは、郷ひろみで、残りの1分だけが素の自分に戻る時間です」


つまり、郷さんは、オンの状態、すなわち「オレはスターだぞオーラを身にまとった状態」をあえて


ほぼ24時間出し続けていることで、逆にファンとかにばれても問題なく対処できるのです。


きちんとオン、オフのオーラの使い分けをすることで、自分の生活を円滑に出来るわけですから、


皆さんもぜひ使い分けてみてほしいと思います(笑)


そして、「オーラとは誰にでも出せるんだ」ということを実感してもらえれば、OKです。



ただ、「触れるなオーラ」は出来るだけ出しすぎはやめましょう(笑)