昨日から梅雨が始まり始め、関東地方も雨に見舞われている。


そんな時でも、気分がいい日は、天気には関係ないときがある。


それは、やろうと思った目的をやることが出来た時。


昨日は久しぶりに身体をまともに動かし始めた、といえばいいだろうか。


今までは身体操作中心で、空手の型などはほとんどやっていなかった。


そのせいで、忘れかけた自分がいたのが少々痛かったが・・・(笑)


ただ、身体操作に特化していた分、バランスが悪い人や、動きの変化、先輩からの指摘事項に対して、


明確な回答を得られる自分がいたことは確かにある。


そんな時は、雨が降っていようと、気持ちがいい。


それは、人間がやるべきときに、やるべきことをやった証だからだと思う。


「雨だから」


ということを鬱陶しいことと思うのは簡単だ。


なぜなら、ズボンは濡れるし靴はびちゃびちゃ、下手すりゃ髪の毛も同じだ。


くせっ毛の人は雨の日はくせが余計に出てしまい、髪型がぐちゃぐちゃになる。それだけでもブルーだ。


だから、「雨だから」という理由をいい理由にするために、


例えば自分の場合で言えば、髪は短めに切ってしまい、雨に濡れてもあまり関係ないようにした。


それこそ、坊主頭なら雨に濡れてもくせっ毛を気にすることなんてなくなるし、


もしかしたら、髪型を変えたり、見直すいいチャンスでもあるわけだから。




「雨だから」


自分にとっては、いやなことが多いかもしれない。


でも、草木にとっては必要なことだし、それによって生き物は生きるための水分を補給できるのだし、


何より、地球の上に生物が生きている証なのだから。



目的を持つことと、「雨だから」と理由で自分の考えをうまく逆に考えることで、


鬱陶しい気持ちも変わってくるし、気分も楽しくなってくる。


自分は推理小説が好きなので、雨の日などは、推理小説を読む。


シトシトと雨が降り続くときに静かな部屋で推理小説を読むと、なんともいえない小説の世界に入り込める


・・・気がする(笑)


つまり、「雨だから」こそ、外にいかずに大好きな推理小説を読み続けることが出来るのだ。


もし晴れていたら、出掛けようって思ってしまうし、本を読むことなんて、しないかもしれない。


そんな風に、自分にとってのいい解釈をすることを心がけることで、何もいやなことは、なくなる・・・


と思いたい。


もちろん、いやな事は考えればいくらでも出てくるけど、それと「雨だから」をつなげる必要なんてない。


靴が濡れるのは雨が降ってるから、ではなく、濡れた場所に靴で出ているからだ。


晴れた日と同じ行動をしようとしてるから、雨の日がいやになるのだ。


だから、雨の日こそ、「こういう行動をしよう」って目的を持って生きるほうが、晴れた日に何かをすることを


目的を持って生きるより、何倍も面白くなる。


晴れた日なら、雨の日よりも制限がなくなるのだから、よりやれることが増えるからだ。


大事なのはこの、「よりやれることが増えること」ということ。


「雨の日」を基準日にしてしまえば、


「曇りの日」はラッキーな日。


「晴れの日」は超ラッキーな日。


になるのだから。


考え方を、目的を変えてみることで、生き方も変えられる。


そんなチャンスが、雨の日にはある。