月刊「秘伝」5月号
に、日野晃氏のエッセイが載っている。
というより、毎月発売される月刊「秘伝」には、毎月、日野晃氏のエッセイが掲載されている。
これを見たさに買っている意味もあるのだが、今回は震災時に起きたときの日本人の行動について、
こう苦言を呈している。
「政府は実のない発表ばかりをするし、それを疑わずに垂れ流すマスコミがいる。その情報は本当に正しいか、
疑わずに情報の発信源を突き止め、自分でそれが正しいかどうかを判断出来ない人が、結果的に、
様々な人に迷惑をかけていることになる」
と。
もちろん、これは引用して書いているのではなく、私がそう受け止めたので、こう書いているのだが、
大切なことは、
「信じるということは、疑わない」
ということだ。
一見、当然のように思えるが、それは時と場合によって分けなければならない。
たとえば、子供が自分でやるといったことであれば、信じて疑わないのは当然だと思う。
ところが、今回のように原発が危険だから、放射能があるから、という報道をそのまま信じてしまう。
信じることによって、その情報はなぜそれが危険なのか、なぜ放射能があるといえるのか、というところまで
頭が回らず、
「原発が近く⇒メルトダウンしている⇒放射能が沢山出ている⇒放射能を浴びると死ぬ⇒だから、
そこには近づかない」
という思考回路や、
「放射能は危険⇒放射能が基準値を超えた食物は危険だと政府が言った⇒だから、原発事故を起こした
県の食べ物は食べると危険⇒だから食べない」
という思考回路につながる。
これはすべて、流されている情報を鵜呑みにしているから、信じているから、疑わないから
そのような行動につながるのだ、ということを危惧し、日野晃氏はエッセイで提言している。
私もそのとおりだと思う。
自信を持つというのであれば、根拠があるからこそ自信というものを持つことが出来るのであって、
根拠がなければそんなものは持つことは出来ないと思う。
だから、不安という目に見えない、自分の頭の中の悪い想像だけを働かせて、その悪い想像を信じる。
その結果、今回のような買占め行為や、関西地方へ拠点を移したりなどをしたのだと思う。
どんな情報であれ、信じるのは自分であるから、その行動に責任を持つのは自分でしかない。
そう考えれば、そう、そう考えるだけで、本当に信じることはよいのか?と疑うようにしていけばいいと思う。
別に頭から疑ってまったく信じない、ということではない。
「その情報はどんな根拠で考えられ、それを自分がどう感じるか」
だけをしていけばいいのだと思う。
日野晃氏のエッセイを読んでいて、そのような気持ちになった。
今書いている自分のブログも、すべては見た人がどう感じるかで内容というのは変わってくるし、
それによって見た人の人生も変わるのだから、そこにひとつ、加えてほしい。
「ここに書いてあることはそのとおりだと思うけど、では自分は何を基準にそのとおりだと思ったのか?」
と。
株なんかの値動きを考えると、このことはすごくわかりやすい。
その会社の株は値段が上がると思うから買うのだし、下がるのなら買わないはずだ。(普通は)
ではその会社の株の値段が上がると思う根拠は何か?
といわれれば、過去のチャートかもしれないし、テレビで流れる情報かもしれない。
いずれにしろ、自分が信じたものだ。
ただ、その信じたものはどこまで根拠があるか、まで突き詰めているかどうかで、株などの取引は、
勝ち負けが決まると思う。
なぜなら、株などの取引は、全員が勝つことはありえない勝負なのだから。
勝つ人がいれば、その裏には負ける人が必ずいる。
つまり、その勝つ人と負ける人とでは、必ず信じることと疑うことが違っており、それが相反しているから
勝敗が決まるのだと思う。
日野晃氏のエッセイを読んでこんな感想を持った。
このブログを読んだあなたは、どのような感想を持ったでしょうか。