この病気が活発化しているときは、

他人との境界があいまいになるといわれています。



思考伝播やサトラレなどが代表的ですが、

広い意味では、関係妄想や幻聴なども

含まれるのかもしれません。



こころのクリニック さん

というところが、こんな図解をしていました。




晴れ、ときどき統合失調症。
これが、健康な人だそうです。

自分と他者が、はっきりと分かれています。

そして、自分という存在もバランスの良い球形です。






晴れ、ときどき統合失調症。
バランスを欠くと、こうなるそうです。

他者が容易に侵入しやすい状態で、

また自分自身の形も、一定していません。



詳しい説明は、こころのクリニックさんを見てほしいのですが、

なるほどなあ~と思わされる図でありました。



というか、

健康な人は、こんなにきっぱりと自他の境界があるのということに

驚きました。



私なんかはすぐ、他人と融合した感覚に陥ってしまうので、

自分と相手にくっきりとした境目があるのは、欧米人くらいかと思っていました(?)




生きていくうえで、必ず他人とかかわらなくてはいけないわけで、

これはどうやってもどうやっても、避けられません。



身内だけならまだしも、世の人々のほとんどが他人なので、

そういった人々といかにやっていけるかというのは、

精神疾患を持つ人々には、一大テーマなのだと思います。



もしかしたら症状そのものよりも、

こちらの方が悩まされるものではないでしょうか。




なかなか、考えさせられる図だなあ

と思いました。




「アルケミスト」などで知られる、ブラジルの有名な小説家、

パウロコエーリョの処女作をこの前読んでいたのですが、

その中に、



「感情は、野生の馬だ」

という一節がありました。



感情とは、

激しく、どうやっても乗りこなすことができないものだ、

ということなんですが。



私も時として、(というかかなりの頻度で)野生の馬に

振り回されて、気づけば遠くまでふっとばされてしまいます。



私の場合は、「怒り」を上手に表現することができないので、

時として、顔が真っ黒になっていることがあります(我慢してる・・)。



そんなときは、語尾が荒々しく、

受け答えもぶっきらぼう、自分でも最悪だと思っているのに、

どうすることもできません。



もう一つは、「不安」。

コレがやってくると、もうすべてをぶち壊してしまいたくなります。



実際に、行動に移してしまい、大切な人をなくしたこともなんどか。



不安と焦燥感は実に仲がいいので、

一方がやってくると、必ずと言っていいほどもう一方もやってきます。



そして、いてもいられなくなってとんでもない行動を・・・。



ほんとうに自分の感情には手を焼いています。



炎がめらめらと燃え盛っていると、

正常な判断ができなくなってしまい、何もかもを悪くとらえてしまいます。



そして最悪なことに、

その時は自分で気づくことができないのです。



穏やかに毎日を過ごしたいのに・・・(涙




「やばいな、最近心が波立ってるな」というのは分かるのですが、

どうすることもできなかったりして・・。



結局は、ベンゾジアゼピン系を内服するしかないわけです。。



荒れ狂う感情の前では、

意志の力なんてちっぽけなものだと、

いつもため息をついております。。。ふぅ





姉の処方がかわったようです。


薬が安定しないと、なんとなくこちらも不安になります。

どういう時に、処方がかわるか考えてみました。


ひとつが、治療計画にのっとって。

計画的に減薬しているとか、そういう前向きな処方変更です。


もうひとつが、効果がいまいちだから、または悪化したから。

実際にはこのケースは少なくないと思います。時には薬を変えすぎて、ドツボにはまることも。


最後に、精神科医が変わった時。

どういうわけか、受け持ちの医師がかわると薬が変わる人って少なくありません。

このままでいいといっても変えられてしまったり。。

どうして変えるのか、、。