廃仏毀釈 | 松山兎月庵 文化歴史館

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野育ちなれど格高し・・・・

江戸時代から明治の世になり廃仏毀釈という愚かな政治を推進した者々が「明治大帝」という書籍から見えてくる。
維新後の求心力の為とはいえ、明治政府が神社仏閣を破壊しなければ国宝になっていたものが数多くあり、国家的損失は著しい。

先日来、ある寺の歴史に深く関わることになり、真っ二つに壊された「鼠小僧供養塔」に由来する史実を調べていく中で明治末期の時代背景の中、破壊と保存の葛藤が窺える。
職業柄、隠れキリシタンに由来する物にもしばしば出会うがやはり同じメカニズムで弾圧破壊された痕跡が残る。


(持田西龍寺HPより引用)

政治で民衆を統治していくのは実に難しいことだが朱子学や儒学の学び方を間違うと歴史遺産や貴重な文化も失うことになる。
現在私は様々な研究結果や調査内容を開示するというより、未だ検証をこなすだけではあるが、歴史を知れば知るほど拡声器を持って叫びたくなることもたまにありはする。

今日、所蔵している松山藩所縁の雛人形たちを納戸から虫干しの為全てを出してきた。
明日の松の内明けは早朝から冬の嵐とのことで1日前倒しである。


明日から雨水まで一ヶ月余り、一点々手入れをして3月から公開するつもりだが何となく「廃仏毀釈」という言葉が頭から離れない。

江戸時代の大泥棒、「鼠小僧」の供養塔を破壊した者と手を合わせる者に宿る違いは何なのか・・・
もしも心が覗けるのなら心を覗いてみたいものである。