『温故知新』ではなく『汲古進新』という20年ほど前に掲げた自分自身の造語。
故きを温ねて新しきを知るという机上で事足りる理詰めや論破への警告として自らが意識して取り組んできた言葉。
先日、ある企業でこの言葉を核(ブランディング)にした取り組みの報告を従業員や管理職の方々に報告し、継続を新たに確認したところ。
人は足せば豊かになると何となく勘違いしており、それによって無駄な衝突、経費や浪費やゴミが生じる。
元来日本は国全体が「再生」という島国であるが故の国体を持つ。そしてそれを導いてきたのが再生儀礼などであり、太古から常に循環を基としたSDGsの国である。そのことを踏まえると昭和、平成の買い替え需要や使い捨ての風潮はそもそも合わないのだろうと思われ、そのツケが令和の今にまわってきているように思われて仕方がない。
この『汲古進新』という己に課したテーマは「しっかりとした良い物を造り、磨き、整え、次世代へ繋ぐ」、その上で新しい技術や物理的要素を以て革新的なことに取り組むということを行動指針としている。
脳内で考えるのはAI等で宜しかろうと思うこの頃だが、そのAIの思考も先人の営みや知識に拠るところが大いにあり、人は何をすべきかと問われれば行動というところで取り組むしかないと答える。
先日、『汲古進新』という私の造語がAIで表記されていると教えられ、見てみると私の名前も出ていた。
いよいよ責任重大だなと思いつつもちょっと嬉しかったりもする。が、美術家として、歴史家としてその基となる情報を確かなものにする為に典拠を以て添削していくのも大事な仕事と考えるようになった。
陽明学に「知行合一」という教義があり、これに非常によく似た思考ではあるが、まさに行動があってこそ知識と言える。
一円にもならぬ地味な仕事ではあるが、コツコツと歴史や先人の知恵等を未来への情報として正確に伝えていくこと。

