「忍」と「恨」 | 松山兎月庵 文化歴史館

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野育ちなれど格高し・・・・

日本人の古来の美学に「耐えがたきを耐え忍ぶ」というのがある。

年末年始に東シナ海の喧騒で新年の祝いに水をさされた日本・・
何があの国の原動力なのかを考えた時、一つの歴史的理由が無くもない。
文明論で民族などを一括りにするのは歴史を調査、研究を主としている私には最も危険な思考だが儒学、儒教などの教育の解釈によって一括りの民族が存在することは否定できない。


明治維新、太平洋戦争後の日本はそれまでの武士道等を歪曲させながらも国民の美学を育ててきた経緯があり、むしろ茶番の時代劇などで正義的ヒーローが誕生し、その古典的な教育を絶滅寸前まで追い込むことに成功している。

国は変わり、最近では日本の憂いをすでに通り越し、抜き差しならない事態にしている国がある。
彼の国は同じ信念や学問を同じくしながらもなぜここまで話が噛み合わないのか・・

臥薪嘗胆という信念は同じくしても日本は「忍」、彼の国は「恨」、己との葛藤や闘い、そして我慢という信念。
一方は他人との駆け引き、闘いがあり、己の不憫の作用は他人であるという思い。

隣国でありながらこうも異なるのはこの辺りかなと思ったりする。

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友好的な時には笑いに溢れる関わりも窮すれば「恨」が再び湧いてくる民族・・

機が熟すまで耐え忍ぶ日本・・
1000年を経ても恨みを忘れない国・・

善悪を問うなら信じるそれぞれが善ではあるが、国際的に孤立していくのはやはり我慢や妥協ができない国であることは明白。

元は同じくする学問でも教育で大きく人間は洗脳される。

歴史の隅々を知ると見えてなかった過去の世界大戦の火種が見えてくる。
この最近の燻りは業火の炎を生む可能性を秘めている。

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人々が知恵を絞りエネルギーを使うのは自然や天災、そして医学等であってほしいと願うばかり。