問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 環境問題は、汚染による生態系の劣悪化、生物種の減少、資源の枯渇、廃棄物の累積などの形であらわれている。その原因は、自然の回復力と維持力を超えた人間による自然資源の搾取にある。環境問題の改善には、思想的・イデオロギー的な対立と国益の衝突を超えて、国際的な政治合意を形成して問題に対処していく必要がある。
2 しかしながら、環境問題をより深いレベルで捉え、私たちの現在の自然観・世界観を見直す必要もある。というのも、自然の搾取を推進したその論理的・思想的背景は近代科学の自然観にあると考えられるからだ。もちろん、自然の搾取は人間社会のトータルな活動から生まれたものであり、環境問題の原因のすべてを近代科学に押し付けることはできない。
3 しかしながら、近代科学が、自然を使用するに当たって強力な推進力を私たちに与えてきたことは間違いない。その推進力とはただ単に近代科学がテクノロジーを発展させ、人減の欲求を追求するための効率的な手段と道具を与えたというだけではない(テクノロジーとは、科学的知識に支えられた技術のことを言う)。それだけではなく、近代科学の自然観そのものの中に、生態系の維持と保護に相反する思想が含まれていたと考えられるのである。
4 近代科学とは、一七世紀にガリレオやデカルトたちによって開始され、次いでニュートンをもって確立された科学を指している。近代科学の基礎となっていたことは言うまでもない。近代科学の自然観には、中世までの自然観と比較して、いくつかの重要な特徴がある。
5 第一の特徴は、機械論的自然観である。中世までは自然の中には、ある種の目的や意志が宿っていると考えられていたが、近代科学は、自然からそれらの精神性を剥奪し、定められた法則どおりに動くだけの死せる機械とみなすようになった。
6 第二に、原子論的な還元主義である。自然はすべて微小な粒子とそれに外から課される自然法則からできており、それら原子と法則だけが自然の真の姿であると考えられるようになった。
7 ここから第三の特徴として、ア物心二元論が生じてくる。二元論によれば、身体器官によって捉えられる知覚の世界は、主観の世界である。自然に本来、実在しているのは、色も味も臭いもない原子以下の微粒子だけである。知覚において光が瞬間的に到達するように見えたり、地球が不動に思えたりするのは、主観的に見られているからである。自然の感性的な性格は、自然本来の内在的な性質ではなく、自然をそのように感受し認識する主体の側にある。つまり、心あるいは脳が生み出した性質なのだ。
8 真に実在するのは物理学が描き出す世界であり、そこからの物理的な刺激作用は、脳内の推論、記憶、連合、類推などの働きによって、秩序ある経験(知覚世界)へと構成される。つまり、知覚世界は心ないし脳の中に生じた一種のイメージや表象にすぎない。物理的世界は、人間的な意味に欠けた無情の世界である。
9 それに対して、知覚世界は、「使いやすい机」「嫌いな犬」「美しい樹木」「愛すべき人間」などの意味や価値のある日常物に満ちている。しかしこれは、主観が対象にそのように意味づけたからである。こうして、物理学が記述する自然の客観的な真の姿と、私たちの主観的表象とは、質的にも、存在の身分としても、まったく異質なものとみなされる。
10 これが二元論的な認識論である。そこでは、感性によって捉えられる自然の意味や価値は主体によって与えられるとされる。いわば、イ自然賛美の抒情詩を作る詩人は、いまや人間の精神の素晴らしさを讃える自己賛美を口にしなければならなくなったのである。こうした物心二元論は、物理と心理、身体と心、客観と主観、自然と人間、野生と文化、事実と規範といった言葉の対によって表現されながら、私たちの生活に深く広く浸透している。日本における理系と文系といった学問の区別もそのひとつである。二元論は、没価値の存在と非存在の価値を作り出してしまう。
11 二元論によれば、自然は、何の個性もない粒子が反復的に法則に従っているだけの存在となる。こうした宇宙に完全に欠落しているのは、ある特定の場所や物がもっているはずの個性である。時間的にも空間的にも極微にまで切り詰められた自然は、場所と歴史としての特殊性を奪われる。近代的自然科学に含まれる自然観は、自然を分解して利用する道をこれまでないほどに推進した。最終的に原子の構造を砕いて核分裂のエネルギーを取り出せるようになる。自然を分解して(知的に言えば、分析して)、材料として他の場所で利用する。近代科学の自然に対する知的・実践的態度は、ウ自然をかみ砕いて栄養として摂取することに比較できる
12 近代科学が明らかにしていった自然法則は、自然を改変し操作する強力なテクノロジーとして応用されていった。しかも自然が機械にすぎず、その意味や価値はすべて人間が与えるものにすぎないのならば、自然を徹底的に利用することに躊躇を覚える必要はない。本当に大切なのは、ただ人間の主観、心だけだからだ。こうした態度の積み重ねが現在の環境問題を生んだ。
13 だが実は、この自然に対するスタンスは、人間にもあてはめられてきた。むしろその逆に、歴史的に見れば、人間に対する態度が自然に対するスタンスに反映したのかもしれない。近代の人間観は原子論的であり、近代的な自然観と同型である。近代社会は、個人を伝統的共同体の桎梏から脱出させ、それまでの地域性や歴史性から自由な主体として約束した。つまり、人間個人から特殊な諸特徴を取り除き、原子のように単独の存在として遊離させ、規則や法に従ってはたらく存在として捉えるのだ。こうした個人概念は、たしかに近代的な個人の自由をもたらし、人権の概念を準備した。
14 しかし、近代社会に出現した自由で解放された個人は、同時に、ある意味でアイデンティティを失った根無し草であり、誰とも区別のつかない個性を喪失しがちな存在である。そうした誰とも交換可能な、個性のない個人(政治哲学の文脈では「負荷なき個人」と呼ばれる)を基礎として形成された政治理論についても、現在、さまざまな立場から批判が集まっている。物理学の微粒子のように相互に区別できない個人観は、その人のもつ具体的な特徴、歴史的背景、文化的・社会的なアイデンティティ、特殊な諸条件を排除することでなりたっている。
15 だが、そのようなものとして人間を扱うことは、本当に公平で平等なことなのだろうか。いや、それ以前に、近代社会が想定する誰でもない個人は、本当は誰でもないのではなく、どこかで標準的な人間像を規定してはいないだろうか。そこでは、標準的でない人々のニーズは、社会の基本的制度から密かに排除され、不利な立場に追い込まれていないだろうか。実際、マイノリティに属する市民、例えば、女性、少数民族、同性愛者、障害者、少数派の宗教を信仰する人たちのアイデンティティやニーズは、周辺化されて、軽視されてきた。個々人の個性と歴史性を無視した考え方は、ある人が自分の潜在能力を十全に発揮して生きるために要する個別のニーズに応えられない。
16 近代科学が自然環境にもたらす問題と、これらのエ従来の原子論的な個人概念から生じる政治的・社会的問題とは同型であり、並行していることを確認してほしい。
17 自然の話に戻れば、分解して個性をなくして利用するという近代科学の方式によって破壊されるのは、生態系であることは見やすい話である。自然を分解不可能な粒子と自然法則の観点のみで捉えるならば、自然は利用可能なエネルギー以上のものではないことになる。そうであれば、自然を破壊することなど原理的にありえないことになってしまうはずだ。
18 しかし、そのようにして分解的にとらえられた自然は、生物の住める自然ではない。自然を原子のような部分に還元しようとする思考法は、さまざまな生物が住んでおり、生物の存在が欠かせない自然の一部ともなっている生態系を無視してきた。
19 生態系は、そうした自然観によっては捉えられない全体論的存在である。生態系の内部の無機・有機の構成体は、循環的に相互作用しながら、長い時間をかけて個性ある生態系を形成する。エコロジーは博物学を前身としているが、博物学とはまさしく「自然史(ナチュラル・ヒストリー)」である。ひとつの生態系は独特の時間性と個性を形成する。そして、そこに棲息する動植物はそれぞれの仕方で適応し、まわりの環境を改造しながら、個性的な生態系を営んでいる。自然に対してつねに分解的・分析的な態度をとれば、生態系の個性、歴史性、場所性は見逃されてしまうだろう。これが、環境問題の根底にある近代の二元論的自然観(かつ二元論的人間観・社会観)の弊害なのである。オ自然破壊によって人間も動物も住めなくなった場所は、そのような考え方がもたらした悲劇的帰結である

設問

(一)「物心二元論」(傍線部ア)とあるのはどういうことか、本文の趣旨に従って説明せよ。

(二)「自然賛美の抒情詩を作る詩人は、いまや人間の精神の素晴らしさを讃える自己賛美を口にしなければならなくなった」(傍線部イ)とあるが、なぜそのような事態になるといえるのか、説明せよ。

(三)「自然をかみ砕いて栄養として摂取することに比較できる」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

(四)「従来の原子論的な個人概念から生じる政治的・社会的問題」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

(五)「自然破壊によって人間も動物も住めなくなった場所は、そのような考え方がもたらした悲劇的帰結である」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で述べよ。

(六)省略

解説・解答案はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 石狩アイヌの豊川重雄エカシ(長老)の自宅脇にある素朴な作業小屋のなかは、燃える薪のなつかしい匂いがした。あたりには、エカシが彫ったばかりの儀礼具の見事なマキリ(小刀)の柄やイナウ(御幣)が無造作に置かれ、それらに使われたクルミやヤナギ材の香りが淡く漂っている。

2 立派な顎髭のエカシは火のそばに座り、鋭い眼光に裏打ちされた人懐っこい微笑をうかべながら、おもむろに、壮年のころの熊狩りの話をはじめていた。アイヌの聖獣である熊とのあいだに猟師が打ち立てる、繊細な意識と肉体の消息をめぐる豊かな関係性の物語である。エカシにとっての熊は、幼少の頃から、コタン(聚落)の外部にひろがる「山」という異世界をつかさどる神=異人として、人間が人間を超えるものとのあいだに創りあげる物質的・精神的交渉、すなわち「普遍経済」と呼ぶべき統合的なコミュニケーションの世界を、凝縮して示す存在だった。その驚くべき話のなかでも私がとりわけ興味を惹かれたのは、エカシが「無鉄砲」という日本語をたびたび援用しながら語る、丸腰での熊狩りの冒険譚だった。

3 古くは弓矢、近代になれば鉄砲を武器として山に入り、アイヌはヒグマを狩った。いうまでもなく、アイヌ(人間)とカムイ(熊)との関係は捕食者と獲物という一方的な搾取関係ではなく、互酬性の観念にもとづく純粋に贈与経済的な民俗信仰のなかにあった。そこでは熊の肉体とは神の地上での化身であり、毛皮や肉を人間へと贈り届けるために神はヒグマの姿をとって人間の前に姿をあらわすのだった。熊狩りによって人間はその贈与をありがたく戴き、感謝と返礼の儀礼として熊神に歌や踊りを捧げることで、熊の魂を天上界へとふたたび送りかえすことができると考えられていた。そして熊をめぐるこうした信仰と丁重な儀礼の継続こそが、熊の人間界への継続的な来訪を保証するための、アイヌの日常生活の基盤でもあった。

4 豊川エカシもまた、こうしたアイヌの熊狩りの伝統に深く連なり、また自ら石狩アイヌの長老として、すなわちもっとも徳ある狩人の一人として、神の化身たる熊と山のなかで対峙してきた。炉端の話のなかで、アイヌの熊獲りたちの潜在的な意識のどこかに、武器無しで熊と闘い、これを仕留めるという深い欲望が隠されていたことをエカシは私に示唆した。現にエカシ自身が、意図的に鉄砲を持たずに山へ入ることがままあったというのである。その場合でも、熊との遭遇をことさら避けたわけではない。むしろどこかに、遭遇への強い期待があった。鉄砲を持つことで自らの生身の身体を人工的に武装し、そのことによって狩るものと狩られるもの、すなわち猟師と獲物という一方的な関係に組み込まれることを潔しとしない、すなわち搾取的関係から離脱して、熊に対して自律的な対称性と相互浸透の間柄に立とうとする無意識の衝動を私はエカシの口ぶりから感じ取ってひどく興味をそそられた。

5 そのとき、エカシはさかんに「無鉄砲」ということばを使うのだった。あの日、山に入ったときは「無鉄砲」だったから、いつもより心のなかが騒いでいた……。「無鉄砲」のときだから、とりわけ丹念に熊の足跡を探り、土や草についた獣の匂いをかぎ分け、不意に熊のテリトリーに踏み込まないよう注意した……。「無鉄砲」の熊狩りが報われて、熊と諸手で格闘して仕留めたこともある……。山を「無鉄砲」に歩くことほど、深く豊かな体験はない……。

6 こうした奔放な語り口に惹き込まれつつ、ア私のなかに奇妙な違和感が湧いてくる。丸腰で熊の棲む山に入ることはきわめて危険なことであり、すなわち「無鉄砲」であることは、まさに字義通り、後先を考えない「向こう見ず」で「強引」な行為であるはずだった。ところがエカシの使う「無鉄砲」ということばを、そうした「無謀」さという意味論のなかで理解しようとしても、不思議な齟齬感が残るのだった。いやむしろ、エカシは「無鉄砲」なる語彙を、「きわめて慎重」で「繊細な感覚」という正反対の意味で使用しているのだ、とわかったとき、私の理解のなかにあらたな光が射し込んできた。「無鉄砲」という和人の言葉をあえて借用しながら、イ熊と人間のあいだに横たわる「鉄砲」という武器の決定的な異物性を、エカシはパロディックに示唆していた。しかも、鉄砲を放棄することで、アイヌの猟師がいかに繊細な身体感覚を通じて熊の野生のリアリティにより深く近づいてゆくかを、エカシの物語は繰り返し語ろうとしていた。「無鉄砲」であることは、必然的に、人間の意識と身体を、裸のまま圧倒的な野生のなかにひとおもいに解放し、異種間に成立しうる前言語的・直覚的な関係性に自らを開いてゆくための、いわば究極の儀式であった。無鉄砲とはすなわち、人間が野生にたいして持ちうる、もっとも繊細で純粋な感情と思惟の統合状態を意味していたのである。

7 「無鉄砲」という日本語表現は、それじたいは「無点法」ないし「無手法」(方法無しに、手法を持たずに)という用語の音変化とされる一種の当て字である。だがこの用語は、近代日本文学の聖典ともいうべき夏目漱石の『坊ちゃん』冒頭のあまりにも良く知られた「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりして居る」という一節によって、ウその意味論を封鎖されてきた。豊川エカシは、近代文学の正統によるこの語彙の意味論の固定化の歴史など素知らぬふりをしながら、見事に、「無鉄砲」なる語彙にかかわる私の言語的先入観を粉砕した。そのうえで、武器を持たない熊狩りの繊細な昂揚感を、エカシは転意された「無鉄砲」という言葉の濫用によって私に刺激的に示したのである。個人の意思や行動の持つ強引さ、無謀さの印象はたちまち消え、北海道の山野のなかに身体ごと浸透してゆく集団としての人間たちの慎重で謙虚で強靭な意識の風景が、私の脳裡に立ち現れてきた。鉄砲を持とうが持つまいが、アイヌたちが熊と対峙するときつねに参入しているにちがいない、エ象徴的な交感と互酬的な関係性の地平が、奥山にかかる靄の彼方から少しずつ近づいてくるようだった。

設問

(一)「私のなかに奇妙な違和感が湧いてくる」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「熊と人間のあいだに横たわる「鉄砲」という武器の決定的な異物性」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「その意味論を封鎖されてきた」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(四)「象徴的な交感と互酬的な関係性の地平」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

解説・解答案はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 河川は人間の経験を豊かにする空間である。人間は、本質的に身体的存在であることによって、空間的経験を積むことができる。このような経験を積む空間を「身体的空間」と呼ぼう。河川という空間は、「流れ」を経験できる身体的空間である。
2 河川の体験は、流れる水と水のさまざまな様態の体験である。と同時に、ア身体的移動のなかでの風景体験である。河川の整備と河川を活かした都市の再構築ということであれば、流れる水の知覚とそこを移動する身体に出現する風景の多様な経験を可能にするような整備が必要だということである。
3 河川整備の意味は、河川の整備が同時に、河川に沿う道の整備でもあるという点に関わっている。場合によって、道は、水面に近いことも、あるいは水面よりもずいぶんと高くなっていることもある。どちらにしても、ひとは歩道を歩きながら、川を体験し、また川の背景となっている都市の風景を体験し、そしてまた、そこを歩く自己の体験を意識する。
4 河川の体験とは、河川空間での自己の身体意識である。風景とはじつはそれぞれの身体に出現する空間の表情にほかならないからである。風景の意味はひとそれぞれによって異なっている。河川の空間が豊かな空間であるということは、何かが豊かに造られているから豊かだ、ということではない。とりわけて何もつくられていなくても、たとえば、ただ川に沿って道があり、川辺には草が生えていて、水鳥が遊び、魚が跳ねる、ということであっても、そのような風景の知覚がひとそれぞれに多様な経験を与える。体験の多様性の可能性が空間の豊かさである。
5 豊かさの内容が固定化された概念によって捉えられると、その概念によって空間の再編が行われる。たとえば「親水護岸」は水に親しむという行為を可能にするように再編された空間であるから、空間を豊かにすることであるように思われるが、その空間は「水辺に下りる」「水辺を歩く」というコンセプトを実現する空間にすぎない。そこでひとは、たしかに水辺に下りること、水辺を歩くことはできるが、それ以外のことをする可能性は排除されてしまう。この排除は川という本来自然のものが概念という人工のものによって置換されるということを意味している。それはイ本来身体空間であるべきものが概念空間によって置換されている事態と捉えることができる。
6 たとえば、流れに沿って歩いていくと、河川整備の区間によってそれを整備した事業者の違いによって、景観がちぐはぐになっていることがある。もちろんこれは同じ風景が連続していることがよいということではない。問題なのは、土を中心につくられている上流の景観が下流にいくに従って、大きな石によって組み立てられているような場合である。これは、川の相を無視し、事業主体の概念が流れる川を区分けし、その区分けされた川の断片を概念化した結果である。
7 川は流れ来る未知なる過去と流れ去る未知なる未来とを結ぶ現在の風景である。この風景を完全に既知の概念によって管理すること、コントロールすることは、川の本質に逆らうことになる。「河川の空間デザイン」という言い方には、危ういところが感じられるが、それは川のもつ未知なるものを完全に人間の概念的思考によってコントロールしうるもの、すべきものという発想が隠れているからである。
8 完全にコントロールされた概念空間に対して、河川の空間にもとめられているのは、新しい体験が生まれ、新しい発想が生まれ出るような創造的な空間である。川は見えない空間から流れてきて、再び見えない空間へと流れ去る。だから川は人生に喩えられる。人生は概念で完全にコントロールできるようなものではない。川が完全にコントロールされた存在であるならば、川の風景に出会うひとには、そのコントロールされた概念に出会うだけであろう。そうなると、川は、訪れた人びととそれぞれの創造性とは無縁のものとなってしまう。
9 都市空間は、設計から施工、竣工のプロセスで完成する。建造物が空間をセッティングして、そこで人びとの生活と活動が行われる。空間の創造は、その生活と活動の空間の創造である。人びとの活動の起点は建造物の建築の終点であるが、都市計画そのものは竣工の時点が終点である。しかし、河川空間の事情は異なっている。竣工の時点が河川空間の完成時ではない。むしろ河川工事の竣工は、河川の空間が育つ起点となる。ウそれは庭園に類似している。樹木の植栽は、庭の完成ではなく、育成の起点だからである。
10 だから、河川を活かした都市の再構築というとき、時間意識が必要である。川は長い時間をかけて育つもの、自然の力によって育つものであり、人間はその手助けをすべきものである。自然の力と人間の手助けによって川に個性が生まれる。時間をかけて育てた空間だけが、その川の川らしさ、つまり、個性をもつことができる。
11 エ河川の空間は、時間の経過とともに履歴を積み上げていく。その履歴が空間に意味を与えるのである。では、この時間にもとづく意味付与は、概念的コントロールによる意味付与とどこがことなるのだろうか。概念的コントロールによる意味付与は、河川空間の設計者の頭のなかにある空間意味づけであり、河川とはこういうものであるべきだ、という強制力をもつ。そのような概念によってつくられた空間に接するとき、風景は抑圧的なものになってしまう。風景に接したひとが自由な想像力のもとでそれぞれの個性的な経験を積み、固有の履歴を積み上げることを阻害してしまう。
12 流れる水が過去から流れてきて、未来へと流れ去るように、河川の空間は、本来、時間を意識させる空間として存在する。つまり川の空間は、独特の空間の履歴をもつ。履歴は概念のコントロールとは違って、一握りの人間の頭脳のなかに存在するものではない。多くの人びとの経験の蓄積を含み、さらに自然の営みをも含む。こうして積み上げられた空間の履歴が、その空間に住み、またそこを訪れるそれぞれのひとが固有の履歴を構築する基盤となる。
13 人間はいま眼の前に広がる風景だけを見ているのではない。たとえば、わたしは昔の清流を知っているので、いまの川の水の色をみれば、どれほど空間が貧しくなったかを想像することができる。その人の経験の積み重ね、つまり、そのひとの履歴と空間に蓄積された空間の履歴との交差こそが風景を構築するのである。一人ひとりが自分の履歴をベースに河川空間に赴き、風景を知覚する。だからその風景は人びとに共有される空間の風景であるとともに、そのひと固有の風景でもある。オ風景こそ自己と世界、自己と他者が出会う場である。空間再編の設計は、ひとにぎりの人びとの概念の押し付けであってはならない。

設問

(一)「身体的移動のなかでの風景体験」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

(二)「本来身体空間であるべきものが概念空間によって置換されている事態」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)「それは庭園に類似している」(傍線部ウ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

(四)「河川の空間は、時間の経過とともに履歴を積み上げていく」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(五)「風景こそ自己と世界、自己と他者が出会う場である」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で述べよ。

(六)省略

解説・解答案はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 極めて常識的なことだが、もし詩人が自ら体験し、生活してきた事からだけ感動をひきだし、それを言葉に移すことに終始していたならば、ア詩人なんてものは、人間にとって、あってもなくても一向にさしつかえのないつまらないものになるだろう。詩が私たちに必要なのは、そこに詩人の想像力というものがはたらいているからであって、それが無いと、謂うところの実感をも普遍的なものにすることはできない。しかし、場合によっては、その想像力が、作者よりも読者の方により多くあってそのはたらきかけによって、作者をはなれて、作者と読者の中間に、あらかじめ計画されたものではないという意味において、一つの純粋な詩の世界をかいま見せるときがある。生なままで放り出されている実感が、受けとる側に、構築されたものとして、たしかな手ごたえをあたえるのはそういう場合である。私たちは、読者にあるこのような想像力の作用が、ときに、眼前にある物や、日常次元にある平凡な実感に、積極的な詩の力をあたえ、それらを変質させてしまう場合があることをみとめなければならない。それと同時に、またこの関係が逆になっているときのことも考えることができる。すなわち、一見、豊富な想像力と、多彩なイメージによって構築されているように見える作品が、これも読者に想像力があるために、そのはたらきかけによって、内質は日常次元の平凡な生活感情にすぎないことを、たちどころに看破されている場合もあるのである。現代詩は難解などと云って、詩を理解する力のないことを、さも謙虚そうに告白している人が、イまったく嘘をついているように私に思えるのは、それによって、彼らがすべての作品の質を習慣的に選別し、自らの立場においてそれを受け入れたり、突き放したりしている、この彼らの中にある想像力に対する自信を喪失してしまった形跡が見えないからだ。それはときに、すきまなく重層して硬く鱗質化してしまったようなイメージの中へ浸透していって、それをぐらぐらに解体させる。
2 想像力は、それが外見は恣意的に八方に拡散しているように見えるときでも、必ずある方向性を持っている。ただそれは明白な観念や思想のように、直線コースにおいて目標を指示していないから、ときに無方向に見えたり、無統一に見えたりするだけである。詩における想像力は、目標に向かって直進する時期においてよりも、むしろ目標から逆行する時間もふくんだ極端なジグザグコースにおいて、その本来の機能を発揮するものだとさえ考えてよいだろう。想像力の中にある方向とは、このような蛇行状態の中にある意志のようなものであって、目標から背を向けて動いている筋肉のする部分において、その目標をより確実にひきつけているのである。あたかもガラガラ蛇の行進のごとくにだ。現代詩が、一たび、イメージによって考えるということを重視したからには、イメージとイメージがぶつかり、屈折して進行してゆく状態の中に、思想や観念によって考える場合にかんたんに切りすてられるこの目標から背馳する力が作用しながら、それが、究極において、作者の想像力に一定の方向と思想性さえあたえるというこの関係を、ウ詩の力学として、詩人はしっかりとつかんでいなければならない。個別的に分析すると、救いがたいニヒリズムに通じるような否定的なくらいイメージの一つ一つが、重層し、錯綜し、屈折しながら進行してゆく過程で総合され、最後的に読者の精神にそれが達するときは、ケミカルな変化をとげていて、逆に人間に大きな希望と勇気をあたえる要素となっている場合を考えれば、凡そ詩において、想像力というものはいかなるはたらきをしているかが理解できるだろう。しかし、この否定的なモメントの中に肯定的なモメントを、暗さの中にある明るさを(その逆の場合もあるが)、それをとらえることができるのも、詩人の方だけでなく読者の側にもその想像力というものがあるからで、むしろ重大なのはこの方ではないだろうか。私は、現代の詩人は、読者もまた持っているところのこの想像力という能力の計量を、その方法の出発においていくらかあやまっているように思えてならない。
3 ここにおいて、再び問題になってくるのは経験である。あるいは経験の質だと云おう。強烈な想像力は、直接経験したことがらを超越するという意味において、現実の次元からとび出すことは可能であっても、エその現実の中での経験の質的な核を破壊することはできない。かりに宇宙というイデーをそこにぶっつけても、想像力の行動半径は、この経験の質的な核によって限定される。そして限定されているものであるために、私たちは、その想像力の実体というものを正確に計算することができるのである。どのような詩人の持っている想像力も、その意味で、いついかなる場合においても現実をふんまえ、敢えていえば、生活をひきずっているものであるといってよいだろう。したがって、想像力の実体をつきとめるということは、それがふんまえている現実を、生活現実をあからさまにするということに他ならない。

設問

(一)「詩人なんてものは、人間にとって、あってもなくても一向にさしつかえのないつまらないものになるだろう」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(二)「まったく嘘をついているように私に思える」(傍線部イ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(三)「詩の力学」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「その現実の中での経験の質的な核を破壊することはできない」(傍線部エ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

解説・解答例はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章は歌人河野裕子の随筆「ひとり遊び」で、文中に挿入されている短歌もすべて筆者の自作である。これを読んで、後の設問に答えよ。

 

1 熱中、夢中、脇目もふらない懸命さ、ということが好きである。
2 下の子が三歳で、ハサミを使い始めたばかりの頃のことである。晩秋の夕ぐれのことで部屋はもううす暗かった。四畳半の部屋中に新聞紙の切りくずが散乱し、もう随分長いこと、シャキシャキというハサミを使う音ばかりがしていた。下の子は、切りくずの中に埋まって、指先だけでなく身体ごとハサミを使っていた。道具ではなくて、ハサミが身体の一部のようにも見えた。自分のたてるハサミの音のリズムといっしょに呼吸しながら、ただただ一心に紙を切っているのである。呼んでも振り向く様子ではなかった。熱中。胸を衝かれた。ア私は黙って障子を閉めることにした。夕飯は遅らせていい。
3 このようなことは、日常の突出点などでは決してなく、むしろ子供にとってはあたりまえのことなのではないだろうか。大人の個が、それを見過ごしているのである。大人たちは、子供の熱中して遊ぶ姿にふと気づくことがある。そして胸を衝かれたりもするのである。
4 しかし、と私は思う。大人の私が、子供たちが前後を忘れて夢中になって遊ぶ姿を、まま見落としているにしても、当節の、すこしも遊ばなくなった、といわれる子供たちに較べれば格段によく遊ぶうちの子供たちにしても、私自身の子供時代に較べれば、やはり今の子供たちは、遊びへの熱意が稀薄なように思われてならないのである。
5 子供時代に遊んだ遊びを思い出す。罐蹴り、影ふみ、輪まわし、石蹴り、砂ぞり遊び、鬼ごっこ、花いちもんめ、下駄かくし、数えあげればきりもない。これらはいずれも多くの仲間たちと群れをなして遊んだ遊びである。集団の熱意に統べられて遊んだ快い興奮を忘れることができない。
6 より多く思い出すのは、ひとり遊びのあれこれである。私が真に熱中して遊んだのは、ひとり遊びのときだったからである。集団遊びの場合は、何何遊びとか、何何ごっことか、れっきとした名前がついているのに、ひとり遊びはひとり遊びとしか言いようがない。よそ目には何をしているふうにも見えないが、その子供には結構楽しい遊びであることが多いからである。

 しらかみに大きな楕円を描きし子は楕円に入りてひとり遊びす (『桜森』)

7 おそらく子供は、ひとり遊びを通じて、イそれまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体のしれない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たすのであろう。世界といってしまっては、あまりに漠然と、大づかみに過ぎるというなら、人間と自然に関わる諸々の事物事象との、なまみの身体まるごとの感受の仕方ということである。その時の、鮮烈な傷のような痛みを伴った印象は、生涯を通じて消えることはない。生涯に何百度サルビアの緋を愛でようとも、幼い日に見た、あの鮮紅には到底及ぶものではないのと同じように。
8 ひとり遊びとは、自分の内部に没頭するという以上に、対象への没頭なのであろうと思う。川底の小蟹を小半日見ていてなお飽きない、というようなことがよくあった。時間を忘れ、周囲を忘れ、一枚の柿の葉をいじったり、雨あがりのなまあったかい水たまりを裸足でかきまわしたり、際限もなく砂絵を描いたりするのが子供は好きなのである。なぜかわからない。けれどそれらは何と深い、他に較べようもないよろこびだったことだろう。

 菜の花かのいちめんの菜の花にひがな隠れて鬼を待ちゐき
 ウ鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな (『ひるがほ』)


9 菜の花畑でかくれんぼをしたことがあった。菜の花畑は、子供の鬼には余りに広すぎた。七歳の子供の探索能力を超えていたのである。私は鬼を待っていた。もう何十分も何時間も待っていたのだった。待つことにすら熱中できた子供時代。今始まったばかりの子供時代の、ゆっくりゆっくり動いてゆく時間に身を浸しているという、識閾にすらのぼらない充足感があったにちがいない。時代もまたそのように大どかに動く時間の中にたしかに呼吸していたのである。今日のように、自然性を分断された風景というものはなかった。大きな風景の中に、人間も生きていられたのである。菜の花畑の向こうにれんげ畑、れんげ畑のむこうに麦畑がああり、それらは遠く山すそまで広がっているはずだった。
10 子ども時代が終わり、少女期が過ぎ、大人になってからも、エずっと私はひとり遊びの世界の住人であった。何かひとつのことに熱中し、心の力を傾けていないと、自分が不安で落着かなかった。こうした私の性癖は、生き方の基本姿勢をも次第に決定して行ったようである。考え、計算しているより先に、ひたぶるに、一心に、暴力的に対象にぶつかって行く。幸か不幸か、現在の私は、実人生でよりも、歌作りの上で、はるかに強く意識的に、このことを実践している。歌作りの現場は、意志と体力と集中力が勝負である。歌作りとは、力業である。しかし一首の歌のために幾晩徹夜して励んだとしても、よそ目には遊びとしか見えないだろう。然り、と私は答えよう。一見役に立たないもの、無駄なもの、何でもないものの中に価値を見つけ出しそれに熱中する。ひとり遊びの本領である。

設問

(一)「私は黙って障子を閉めることにした」(傍線部ア)のはなぜか、考えられる理由を述べよ。

(二)「それまで自分の周囲のみが仄かに明るいとだけしか感じられなかった得体の知れない、暗い大きな世界との、初めての出逢いを果たす」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)文中の短歌「鬼なることのひとり鬼待つことのひとりしんしんと菜の花畑なのはなのはな」(傍線部ウ)に表現された情景を、簡潔に説明せよ。

(四)「ずっと私はひとり遊びの世界の住人であった」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

解説・解答案はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 いなかに百一歳の叔母がいる。いなかは奥会津である。若い日には山羊を飼って乳などを搾っていたので山羊小母(めんこばんば)と呼ばれている。山羊小母の家に行ったことは二、三度しかないが説明するとなると結構たいへんである。
2 一見、藁葺屋根の普通の農家だが、入口を入ると土間があって、その土間を只見川の支流から引き入れた水が溝川をなして流れている。台所の流しから流れる米の磨ぎ汁をはじめ、米粒、野菜の切り屑などはこの溝川を流れて庭の池に注ぎ込む。池には鯉がいて、これを餌にしている。
3 土間から上がった板敷には囲炉裏が切ってあり、冬場は薪がぼんぼん焚かれ、戦前までは小作の人たちが暖を取っていたという。板敷につづく少し高い板の間にはぶ厚い藁茣蓙が敷かれていて、大きな四角い火鉢が置かれ、太い炭がまっかに熾され鉄瓶の湯が煮えたぎっていた。そのまた奥に一段高い座敷があり、そこが仏壇のある当主の居間であった。当主は仏壇を背にして坐り、ここにも大きな火鉢がある。隠居の老人は口少なに控え目の姿でこの部屋に坐っていた。
4 土間からの上がり框には腰かけて休息の湯を飲む忙しい日の手伝い人もいたり、囲炉裏の周りの人の中にはすぐ立てるように片膝を立てて坐っている若い者もあったという。ア農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ
5 戦後六〇年以上たって農村はまるで変ったが、家だけは今も残っていて山羊小母はこの家に一人で住んでいた。夫は早くなくなり、息子たちも都会に流出し、長男も仕事が忙しく別居していた。私がこの叔母の家に行ったのはその頃だった。家は戸障子を取りはずして、ほとんどがらんどうの空間の中に平然として、小さくちんまりと坐っている。
6 「さびしくないの」ときいてみると、何ともユニークな答えがかえってきた。「なあんもさびしかないよ。この家の中にはいっぱいご先祖さまがいて、毎日守っていて下さるんだ。お仏壇にお経は上げないけれど、その日にあったことはみんな話しているよ」というわけである。家の中のほの暗い隈々にはたくさんの祖霊が住んでいて、今やけっこう大家族なのだという。それはどこか怖いような夜に思えるが、長く生きて沢山の人の死を看取ったり、一生という命運を見とどけてきた山羊叔母にとっては、イ温とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである
7 私のような都会育ちのものは、どうかすると人間がもっている時間というものをつい忘れて、えたいのしれない時間に追いまわされて焦っているのだが、山羊小母の意識にある人間の時間はもっと長く、前代、前々代へと溯る広がりがあって、そしてその時間を受け継いでいるいまの時間なのだ。
8 築百八十年の家に住んでいると、しぜんにそうなるのだろうか。村の古い馴染みの家の一軒一軒にある時間、それは川の流れのようにあっさりしたものではなく、そこに生きた人間の貌や、姿や、生きた物語とともに伝えられてきたものである。破滅に瀕した時間もあれば、交流の活力を見せた時間もある。そんな物語や逸話を伝えるのが老人たちの役割だった。
9 冬は雪が家屋の一階部分を埋めつくした。今は雪もそんなに降らなくなり、道にも融雪器がついて交通も便利になった。それでも一冬に一度ぐらいは大雪が降り車が通らなくなることがある。かつてこの村の春は、等身大の地蔵さまの首が雪の上にあらわれる頃からだった。長靴でぶすっぶすっと膝まで沈む雪の庭を歩いていると、山羊小母はそのかたわらを雪下駄を履いてすいすいと歩いてゆく。ふしぎな、妖しい歩行術である。そういえば、ある夏のこと、蛍の青い雫をひょいと手に掬い取り、何匹も意のままに捕まえてみせてくれたが、いえば、どこか山姥のような気配があった。
10 こういう「ばっぱ」とか「おばば」と呼ばれているお年寄がどの家にもいて、長い女の時間を紡いでいたのだ。もう一軒、本家と呼ばれる家にも年齢不詳の綺麗なおばばがいて、午後にも必ず着物を替えるというほどお洒落なおばばだった。何でも越後から六十六里越えをして貰われてきた美貌の嫁だったという。物腰優美で色襟を指でもてあそびながら、絶えまなく降る雪をほうと眺めていた。
11 越後の空を恋うというのでもなく、実子を持たなかったさびしさをいうのでもなく、ただ、ただ、雪の降る空こそがふるさとだというように、曖昧なほほえみを漂わせて雪をみている。しかし、決して惚けているのではない。しゃもじをいまだに嫁に渡さないと囁く声をどこかできいた。命を継ぎ、命を継ぐ、そして列伝のように語り伝えられる長い時間の中に存在するからこそ安らかな人間の時間なのだということを、私は長く忘れていた。
12 長男でもなく二男でもない私の父は、ウこんな村の時間からこぼれ落ちて、都市の一隅に一人一人がもつ一生という小さな時間を抱いて終った。私も都市に生まれ、都市に育って、そういう時間を持っているだけだが、折ふしにこの山羊小母たちが持っている安らかな生の時間のことが思われる。エそれはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのであろうか

設問

(一)「農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

(二)「温とい思い出の影がその辺いっぱいに漂っているようなもので、かえって安らかなのである」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)「こんな村の時間からこぼれ落ちて、都市の一隅に一人一人がもつ一生という小さな時間を抱いて終った」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「それはもう、昔語りの域に入りそうな伝説的時間になってしまったのであろうか」(傍線部エ)とあるが、文中の「私」はなぜそう思うのか、本文全体を踏まえて説明せよ。

解説・解答例はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 二流の役者がセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する。たとえば、チェーホフの『三人姉妹』の末娘イリーナの第一幕の長いセリフの中に「なんだってあたし、今日こんなに嬉しいんでしょう?」(神西清訳)という言葉がある。女優たちは、「どうもうまく『嬉しい』って気持ちになれないんです」といった言い方をする。もっといいかげんな演技者なら、なんでも「嬉しい」って時は、こんなふうな明るさの口調で、こんなふうにはずんで言うもんだ、というパターンを想定して、やたらと声を張り上げてみせる、ということになる。「嬉しい」とは、主人公が自分の状態を表現するために探し求めて、取りあえず選び出して来たことばである。その〈からだ〉のプロセス、選び出されてきた〈ことば〉の内実に身を置くよりも、まずア「ウレシソウ」に振舞うというジェスチュアに跳びかかるわけである。
2 もっと通俗的なパターンで言うと、学校で教員たちがよく使う「もっと感情をこめて読みなさい」というきまり文句になる。「へえ、感情ってのは、こめたり外したりできる鉄砲のタマみたいなものかねえ」というのが私の皮肉であった。その場にいた全員が笑いころげたが、では、感情とはなにか、そのことばを言いたくなった事態にどう対応したらいいのか、については五里霧中なのである。
3 この逆の行為を取上げて考えるともう少し問題がはっきりするかも知れない。女優さんに多い現象だが、舞台でほんとうに涙を流す人がある。私は芝居の世界に入ったばかりの頃初めてこれを見てひどく驚き、同時に役者ってのは凄いものだと感動した。映画『天井桟敷の人々』の中に、ジャン・ルイ・バロー演じるパントマイム役者に向って、「役者はすばらしい」「毎晩同じ時刻に涙を流すとは奇蹟だ」と言う年寄りが出てくる。若い頃はナルホドと思ったものだが、この映画のセリフを書いている人も、これをしゃべっている役柄も役者も、一筋縄ではいかぬ連中であって、イ賛嘆と皮肉の虚実がどう重なりあっているのか知れたものではない
4 数年演出助手として修業しているうちにどうも変だな、と思えてくる。実に見事に華々しく泣いて見せて、主演女優自身もいい気持ちで楽屋に帰ってくる――「よかったよ」とだれかれから誉めことばが降ってくるのを期待して浮き浮きとはずんだ足取りで入ってくるのだが、共演している連中はシラーッとして自分の化粧台に向っているばかり。シーンとした楽屋に場ちがいな女優の笑い声ばかりが空々しく響く、といった例は稀ではないのだ。「なんでえ、ウ自分ひとりでいい気持ちになりやがって。芝居にもなんにもなりやしねえ」というのがワキ役の捨てゼリフである。
5 実のところ、ほんとに涙を流すということは、素人が考えるほど難しいことでもなんでもない。主人公が涙を流すような局面まで追いつめられてゆくまでには、当然いくつもの行為のもつれと発展があり、それを役者が「からだ」全体で行動し通過してくるわけだから、リズムも呼吸も昂っている。その頂点で役者がふっと主人公の状況から自分を切り離して、自分自身がかつて経験した「悲しかった」事件を思いおこし、その回想なり連想に身を浸して、「ああ、なんて私は哀しい身の上なんだろう」とわれとわが身をいとおしんでしまえば、ほろほろと涙がわいてくるのだ。つまりその瞬間には役者は主人公の行動と展開とは無縁の位置に立って、わが身あわれさに浸っているわけである。このすりかえは舞台で向いあっている相手には瞬間に響く。「自分ひとりでいい気になりやがって」となる所以である。
6 本来「悲しい」ということは、どういう存在のあり方であり、人間的行動であるのだろうか。その人にとってなくてはならぬ存在が突然失われてしまったとする。そんなことはありうるはずがない。その現実全体を取りすてたい、ないものにしたい。「消えてなくなれ」という身動きではあるまいか、と考えてみる。だが消えぬ。それに気づいた一層の苦しみがさらに激しい身動きを生む。だから「悲しみ」は「怒り」ときわめて身振りも意識も似ているのだろう。いや、もともと一つのものであるかも知れぬ。
7 それがくり返されるうちに、現実は動かない、と少しずつ〈からだ〉が受け入れていく。そのプロセスが「悲しみ」と「怒り」の分岐点なのではあるまいか。だから、受身になり現実を否定する闘いを少しずつ捨て始める時に、もっとも激しく「悲しみ」は意識されて来る。
8 とすれば、本来たとえば悲劇の頂点で役者のやるべきことは、現実に対する全身での闘いであって、ほとんど「怒り」と等しい。「悲しみ」を意識する余裕などないはずである。ところが二流の役者ほど「悲しい」情緒を自分で十分に味わいたがる。だからすりかえも起こすし、テンションもストンと落ちてしまうことになる。「悲しい」という感情をしみじみ満足するまで味わいたいならば、たとえば「あれは三年前……」という状態に身を置けばよい。
9 こういう観察を重ねて見えてくることは、感情の昂まりが舞台で生まれるにはエ「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ、ということであり、本源的な感情とは、激烈に行動している〈からだ〉の中を満たし溢れているなにかを、外から心理学的に名づけて言うものだ、ということである。それは私のことばで言えば「からだの動き」=actionそのものにほかならない。ふつう感情と呼ばれていることは、これと比べればかなり低まった次元の意識状態だということになる。

設問

(一)「『ウレシソウ』に振舞うというジェスチュアに跳びかかる」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「賛嘆と皮肉の虚実がどう重なりあっているのか知れたものではない」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「自分ひとりでいい気持ちになりやがって。芝居にもなんにもなりやしねえ」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(四)「「感情そのもの」を演じることを捨てねばならぬ」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

解説・解答例はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 いまここであらためて、歴史とは何か、という問いを立てることにする。大きすぎる問いなので、問いを限定しなくてはならない。中島敦が「文字禍」で登場人物に問わせたように、歴史とはあったことをいうのか、それとも書かれたことをいうのか、ともう一度問うてみよう。この問いに博士は、「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定的に答える。すると博士の頭上に、歴史を刻んだ粘土板の山が崩れおちてきて命を奪ってしまうのだった。あたかも、そう断定した博士の誤りをただすかのように。こういう物語を書いた中島敦自身の答は、宙づりのままである。
2 たしかに、書かれなくても、言い伝えられ、記憶されていることがある。書かれたとしても、散逸し、無に帰してしまうことがある。たとえば私が生涯に生きたことの多くは、仮に私自身が「自分史」などを試みたとしても、書かれずに終わる。そんなものは歴史の中の微粒子のような一要素にすぎないが、それがナポレオンの一生ならば、もちろんそれは歴史の一要素であるどころか、歴史そのものということになる。ナポレオンについて書かれた無数の文書があり、これからもまだ推定され、確定され、新たに書かれる事柄があるだろう。だから「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定することはできない。もちろん「書かれた事は、有った事じゃ」ということもできないのだ。
3 さしあたって歴史は、書かれたこと、書かれなかったこと、あったこと、ありえたこと、なかったことの間にまたがっており、画定することのできないあいまいな霧のような領域を果てしなく広げている、というしかない。歴史学が、そのようなあいまいな領域をどんなに排除しようとしても、ア歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている。この巨大な領域のわずかな情報を与えてきたのは、長い間、神話であり、詩であり、劇であり、無数の伝承、物語、フィクションであった。
4 歴史の問題が「記憶」の問題として思考される、という傾向が顕著になったのはそれほど昔のことではない。歴史とはただ遺跡や史料の集積と解読ではなく、それらを含めた記憶の行為であることに注意がむけられるようになった。史料とは、記憶されたことの記録であるから、記憶の記憶である。歴史とは個人と集団の記憶とその操作であり、記憶するという行為をみちびく主体性と主観性なしにはありえない。つまり出来事を記憶する人間の欲望、感情、身体、経験を超越してはありえないのだ。
5 歴史を、記憶の一形態とみなそうとしたのは、おそらく歴史の過大な求心力から離脱しようとする別の歴史的思考の要請であった。歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきたからである。歴史とは、そのような自己像をめぐる戦い、言葉とイメージの闘争の歴史でもあった。歴史における勝者がある以前に、イ歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ
6 あるいは情報技術における記憶装置(メモリー)の役割さえも、歴史を記憶としてとらえるために一役買ったかもしれない。熱力学的な差異としての物質の記憶、遺伝子という記憶、これらの記憶形態の延長上にある記憶としての人間の歴史を見つめることも、やはり歴史をめぐる抗争の間に、別の微粒子を見出し、別の運動を発見する機会になりえたのだ。量的に歴史をはるかに上回る記憶のひろがりの中にあって、歴史は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束にすぎない。歴史は人間だけのものだが、ウ記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている
7 エ歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている。歴史は、さまざまな形で個人の生を決定してきた。個人から集団を貫通する記憶の集積として、いま現存する言語、制度、慣習、法、技術、経済、建築、設備、道具などすべてを形成し、保存し、破壊し、改造し、再生し、新たに作りだしてきた数えきれない成果、そのような成果すべての集積として、歴史は私を決定する。私の身体、思考、私の感情、欲望さえも、歴史に決定されている。人間であること、この場所、この瞬間に生まれ、存在すること、あるいは死ぬことが、ことごとく歴史の限定(信仰をもつ人々はそれを神の決定とみなすことであろう)であり、歴史の効果、作用である。
8 にもかかわらず、そのようなすべての決定から、私は自由になろうとする。死ぬことは、歴史の決定であると同時に、自然の決定にしたがって歴史から解放されることである。いや死ぬ前にも、私は、いつでも歴史から自由であることができた。私の自由な選択や行動や抵抗がなければ、そのような自由の集積や混沌がなければ、そもそも歴史そのものが存在しえなかった。
9 たとえばいま、私はこの文章を書くことも書かないこともできる、という最小の自由をもっているではないか。生活苦を覚悟の上で、私は会社をやめることもやめないこともできるというような自由をもち、自由にもとづく選択をしうる。そのような自由は、実に乏しい自由であるともいえるし、見方によっては大きな自由であるともいえる。そのような大小の自由が、歴史の中には、歴史の強制力や決定力と何ら矛盾することなく含まれている。歴史を作ってきたのは、怜悧な選択であると同時に、多くの気まぐれな、盲目の選択や偶然でもあった。
10 歴史は偶然であるのか、必然であるのか、そういう問いを私はたてようとしているのではない。歴史に対して、私の自由はあるのかどうか、と問うているのだ。そう問うことにはたして意味があるのかどうか、さらに問うてみるのだ。けれども、決して私は歴史からの完全な自由を欲しているのではないし、歴史をまったく無にしたいと思っているのでもない。歴史とは、無数の他者の行為、力、声、思考、夢想の痕跡にほかならない。オそれらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである

設問

(一)「歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(四)「歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(五)筆者は「それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである」(傍線部オ)と歴史について述べているが、どういうことか、100字以上120字以内で説明せよ。

(六)省略

解説・解答例はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 詩におけるさりげないひとつの言葉、あるいは絵画におけるさりげない一つのタッチ、そうしたものに作者の千万無量の思いが密かにこめられたとしても、そのように埋蔵されたものの重みは、容易なことでは鑑賞者の心に伝わるものではあるまい。作品と鑑賞者がなんらかの偶然によってよほどうまく邂逅しないかぎり、アその秘密の直観的な理解はふつうは望めない。
2 しかし、そうした表現と伝達の事情において、やはり比較的深くといった段階にとどまるものではあるが、例外的と言っていい場合もいくらかはないわけではないだろう。そこでは、時代と個人的な作風との微妙な緊張関係がうまく永遠化されているのだろうが、たとえば17世紀前半のオランダにおける巨匠レンブラント・ファン・ラインの晩年のいくつかの作品に眺められる重厚な筆触の一つ一つは、今日のぼくなどにまで、そこにこめられているにちがいない経験の痛みのようなもの、言いかえれば、人生への深沈とした観照の繰返された重さをひしひしと感じさせるようである。「レンブラント、呟きに満ちあふれた悲しい病院」と歌ったのはボードレールであるが、そうした呟きの一つ一つに、こちらの内部に谺する、いくらか暗く、そしてはげしい人間的な哀歌を感じるのである。
3 レンブラントのそうした作品の中から、有名な傑作ではあるが、ぼくはここにやはり、『ユダヤの花嫁』を選んでみたい。彼の死に先立つ3年前に描かれたこの作品のモデルは、息子のティトゥスとその新婦ともいわれ、またユダヤの詩人バリオスとその新婦ともいわれている。さらに旧約聖書の人物であるイサクとリベカ、あるいはヤコブとラケルをイメージしたものだともいわれる。しかし、そうした予備知識はなくてもいい。茶色がかって暗く寂しい公園のようなところを背景にして、新郎はくすんだ金色の、新婦は少しさめた緋色の、それぞれいくらか東方的で古めかしい衣装をまとっているが、いかにもレンブラント風なこの色調は、人間の本質についての瞑想にふさわしいものである。そうした色調の雰囲気の中で、いわば、筆触の一つ一つの裏がわに潜んでいる特殊で個人的な感慨が、おおらかな全体的調和をかもしだし、すばらしい普遍性まで高まって行くようだ。この絵画における永遠の現在の感慨の中には、見知らぬ古代におけるそうした場合の古い情緒も、同じく見知らぬ未来におけるそうした場合の新しい情緒も、イひとしく奥深いところで溶けあっているような感じがする。こうした作品を前にするときは、人間の歩みというものについて、ふと、巨視的にならざるをえない一瞬の眩暈とでも言ったものを覚えるのである。
4 ところで、この場合、問題を集中的に表現しているものとして、新郎と新婦の手の位置と形、そしてそれを彩る筆触に最も心を惹かれるのは、きわめて自然なことだろう。なぜならそれは、夫婦愛における男と女の立場の違い、そして性質のちがいを、まことに端的に示しているように思われるからである。男の方の手は、女を外側から包むようにして、所有、保護、優しさ、誠実さなどの渾然とした静けさを現わしているし、女の方の手は、男のそうした積極性を今や無心に受け容れることによって、いわば逆の形の所有、信頼、優しさ、献身などのやはり溶け合った充実を示しているのだ。
5 ぼくが嘆賞してやまないのは、こうした瞬間を選びとったというか、それともそこに夥しいものを凝縮したというか、いずれにせよ、狙いあやまらぬレンブラントの透徹していてしかも慈しみに溢れた眼光である。暗くさびしい現実を背景として、新しい夫婦愛の高潮し均衡する、いわばこよなく危うい姿がそこに描きだされているのである。
6 ぼくは今、「危うい」と書いた。それは過酷な現実によって悲惨なものにまで転落する危険性が充分にあるというほどの意味である。その悲惨は、人間が大昔から何回となく繰返してきた不幸である。しかし、この絵画にかたどられようとしている理想的な美しさは、ウ人間が未来にわたってさらに執拗に何回となく繰返す希望といったものだろう
7 先ほどボードレールの詩句を引用したせいか、彼の『覚え書き』の中のある個所がここでふと思い出される。もっともそれは、レンブラントとはまったく関係なしに書かれた言葉で、男女の愛について述べられた抽象的な一つの感想である。彼はこう言っている、「恋愛は寛容の感情に源を発することができる。売春の趣味。しかし、それはやがて所有の趣味によって腐敗させられる。」
8 いかにも『悪の花花』の詩人にふさわしい言い廻しであり、世俗の道徳の権威に反抗して、性愛における「自我の蒸発と集中」の自由をのびやかに擁護しているものだろう。ぼくもまた、快楽主義と言うよりは一種の潔癖な独立の趣味を想像させるこのアナルシーに、爽やかな近代の感触をおぼえるものである。しかし、レンブラントの『ユダヤの花嫁』のように時代を超えて人間の永遠的なものに啓示している絵画を前にするとき、ぼくは、そこで成就されている所有の高次な肯定――エ純粋な相互所有による腐敗の消去法とでもいった深沈とした美しさの定着に、より強く魅惑されざるをえない。その美しさは、先ほど記したように、危うく脆いものであるかもしれない。しかし、幸福とは、いずれにせよ瞬間のもの、あるいは断続的な瞬間のものだろう。また、この世の中に、絶対的な誠実というものはありえない。ある一人に対する、他の人たちに対するよりも多くの誠実が、結果としてあるだけで、しかも、主観的な誠実が必ずしも客観的な誠実ではないという、困難な状況におかれることもある。したがって、問題は、幸福と呼ばれる瞬間の継起のために、可能なかぎり誠実であろうとする愛の内容が、相互性を通じて、結婚という形式そのものであるような、まさに内実と外形の区別ができない生の謳歌の眩ゆさにあるのだ。

設問

(一)「その秘密の直観的な理解」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「ひとしく奥深いところで溶けあっているような感じがする」(傍線部イ)とあるが、「ひとしく奥深いところで溶けあっている」とは、どういうことか、説明せよ。

(三)「人間が未来にわたってさらに執拗に何回となく繰返す希望といったものだろう」(傍線部ウ)とあるが、「執拗に何回となく繰返す希望」とはどういうことか、説明せよ。

(四)「純粋な相互所有による腐敗の消去法」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

解説・解答案はこちら

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 創作がきわだって個性的な作者、天才のいとなみであること、したがってそのいとなみの結実である作品も、かけがえのない存在、唯一・無二の存在であること、このことは近代において確立し、現代にまでうけつがれている通念といっていい。一方、このいとなみと作品のすべてが、芸術という独自の、自律的な文化領域に包摂されていることも、同じように近代から現代にかけての常識だろう。かけがえのない個性的ないとなみと作品、それらすべてをつつみこむ自律的な――固有の法則によって完全に統御された――領域。しかしよく考えてみれば、このふたつのあいだには、単純な連続的関係は成立しがたい、というより、むしろ対立する、あるいはあい矛盾する関係のみがある、というべきであろう。したがって近代的な芸術理解にとっては、このふたつの対立し矛盾する――個と全体という――項を媒介し、連続的な関係をもたらすものとして、さまざまなレヴェルの集合体(l'ensemble)を想定することが、不可欠の操作であった。ア芸術のジャンルが、近代の美学あるいは芸術哲学のもっとも主要な問題のひとつであったのもむしろ当然だろう。個別的ないとなみや作品と全体的な領域のあいだに、多様なレヴェルの集合体(ジャンル)を介在させ、しかもそれぞれのジャンルのあいだに、一定の法則的な関係を設定することによって、芸術は、ひとつのシステム(体系)としてとらえられることになるだろう。近代の美学において、「芸術の体系」がさまざまな観点から論じられたのも、これまた当然であった。
2 ジャンルは、個々の作品からなる集合体であると同時に、個々の作品をその中に包摂し、規定する全体としての性質をももつ。個々の作品は、あるジャンルに明確に所属することによって、はじめて芸術という自律的な領域の中に位置づけられるが、この領域の自律性こそが、芸術に特有の価値(文化価値)の根拠であるのだから、ジャンルへの所属は、作品の価値のひとつの根拠ともなるだろう。ある作品のジャンルへの所属が曖昧であること、あるいはあるジャンルに所属しながら、そのジャンルの規定にそぐわないこと――ジャンルの特質を十分に具体化しえていない――、それは、ともに作品の価値をおとしめるものとして、きびしくいましめられていた。
3 近代から区別された現代という時代の特徴としてしばしばあげられるものに、あらゆる基準枠ないし価値基準の、ゆらぎないし消滅がある。芸術も、その例外ではない。イかつては、芸術の本質的な特徴として、その領域の自律性と完結性があげられ、とくに日常的な世界との距離ないし差異が強調されることがおおかった。しかし現在、たとえば機械的な媒介をとおして大量に流布するイメージなどのために、その距離や差異は解消の傾向にあるといわれる――芸術の日常化、あるいは日常の芸術化という現象――。芸術の全体領域そのものが曖昧になっているとすれば、その内部に想定されるジャンルのあいだの差異も、解消しつつあるのだろうか。たしかに、いまの芸術状況をみれば、かつてのような厳密なジャンル区分が意味を失っていることは、いちいち例をあげるまでもなくあきらかである。理論の面でも、芸術ジャンル論や芸術体系論が以前ほど試みられないのも、むしろ当然かもしれない。しかしすべての、あらゆるレヴェルのジャンルが、その意味(意義)を失ったのではないだろう。無数の作品が、おたがいにまったく無関係に並存しているのではなく、なんらかの集合をかたちづくりながら、いまなお共存しているのではないだろうか。コンサート・ホールでの演奏を中止し、ラジオやテレヴィジョンあるいはレコードという媒介を介在させて、自分と聴衆の直接的な関係を否定したとしても――聴衆にたいして、自分を「不在」に転じたとしても――、グレン・グールド(Glenn Gould, 1932-82)を、ひとはすぐれたピアニスト(音楽家)とよぶのだし、デュシャン(Marcel Duchamps, 1887-1968)の「オブジェ」のおおくは、いま美術館に保存され、陳列されている。変わったのは、おそらく集合体の在り方であり、集合相互の関係とそれを支配する法則である。たとえば、プラトンに端を発し、ヘーゲルなどドイツ観念論美術でその頂点に達した感のある芸術の分類、超越的ないし絶対的な原理にもとづいて、いわば「うえから」(von oben)芸術を分類し、ジャンルのあいだに一定の序列をもうけるという考え方は、すくなくとも現在のアクチュアルな芸術現象に関しては、その意義をほぼ失ったといっていいのだろう。たしかに「分類」は近代という時代を特徴づけるものだったかもしれないが、理論的ないとなみが、個別的、具体的な現象に埋没せずに、ある普遍的な法則をもとめようとするかぎり、「分類」は――むしろ、「区分」といったほうがいいかもしれないが――ウ欠かすことのできない作業(操作)のはずである
4 解説書風のきまり文句を使っていえば、グールドもデュシャンも、ともに「近代の枠組みをこえようとする尖鋭ないとなみ」という点で、同類――同じ類(集合)に区分される――ということになるが、にもかかわらず、グールドが音楽家であり、デュシャンが美術家であることを疑うひとはいないだろう。演奏するグールドの姿ヴィデオ・ディスクで見ることはできるが――そしてこのことは、グールドの理解にとっては、その根本にかかわることなのだが――、それとともに、録音・再生された彼の「音」を聞かなければ、彼特有のいとなみにふれたことにはならないだろう。モニターの画面を消して、音だけに聞きいるとき、いくぶんかグールドの意図からははなれるにしても、そのいとなみにふれていることはたしかである。「聞く」という行為、あるいは「聴覚的」な性質を、彼のいとなみとその結果(作品)の根本と見なすからこそ、ためらわず彼を音楽家に分類するのだろう。同じように、「見る」という行為と「視覚的」な性質が、デュシャンを美術家に分類させるのだろう。社会構造がどのように変化し、思想的枠組みがいかに変動したとしても、「感性」にもとづき、「感性」に満足を与えることを第一の目的とするいとなみが――それを芸術と名づけるかどうかにはかかわりなく――ひとつの文化領域をかたちづくることは否定できないだろうし、その領域が、エ「感性」の基礎となる「感覚」の領域にしたがって区分されるのも、ごく自然なことであるにちがいない。ところで、同じ「色彩」という視覚的性質であっても、もちいる画材――油絵具、泥絵具、水彩絵具など――によって、かなりの――はっきりと識別できる――ちがいが生じるだろう。「色彩」という感覚的性質によって区分される領域――絵画――の内部に、使用する画材による領域――油絵、水彩画など――をさらに区分することには、十分な根拠がある。「感覚的性質」と、それを支える物質――「材料」(la matiere, the material)――を基準とする芸術の分類は、芸術のもっとも基本的な性質にもとづいた、その意味で、時と場所の制約をこえた、普遍的なものといえるだろう。もちろん、人間の感覚は、時と場所にしたがって、あきらかに変化を示すものだし、技術の展開にともなって新しい「材料」が出現することもあるのだから、この分類を固定されたものと考えてはならないだろう。もっとも普遍的であるとともに、歴史の中で微妙な変動をみせるこのジャンル区分は、芸術の理論的研究と歴史的研究のいずれにとっても重要な意義をもつかもしれない。あるいは、従来ともすれば乖離しがちであった理論と歴史的研究を、新たな融和にもたらす手がかりを、ここに求めることすら可能なのかもしれない。個別的な作家や作品は、実証的な歴史的研究の対象となるだろうし、本質的ないし普遍的な性質は、いうまでもなく理論的探究の対象だが、個別と普遍を媒介する――個別からなり、個別を包摂する――集合としてのジャンルの把握には、オ厳密な理論的態度とともに、微妙な変化を識別する鋭敏な歴史的なまなざしが要請されるにちがいない。いずれにしても、近代的なジャンル区分に固執して、アクチュアルな現象を排除することが誤りであるように、分類の近代性ゆえに、ジャンル研究の現在における意義を否定しさることもまちがいだろう。

設問

(一)「芸術のジャンルが、近代の美学あるいは芸術哲学のもっとも主要な問題のひとつであったのもむしろ当然だろう」(傍線部ア)とあるが、なぜそのようにいえるのか、説明せよ。

(二)「かつては、芸術の本質的な特徴として、その領域の自律性と完結性があげられ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「欠かすことのできない作業(操作)のはずである」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(四)「『感性』の基礎となる『感覚』の領域にしたがって区分される」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(五)「厳密な理論的態度とともに、微妙な変化を識別する鋭敏な歴史的なまなざしが要請される」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。全体の論旨に即して100字以上120字以内で説明せよ。

(六)省略

解説・解答例はこちら