母の愛、娘の成長 | 波瀾万丈のカウンセラー カウンセリングル-ム ウェルカム 名古屋

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半世紀以上の私の人生をあからさまに書いた
カウンセラーらしくないブログですが、
波瀾万丈な私の人生が
みなさまの生きるヒントや気づきにれば幸いです♪

 

おはようございます

 

心と身体の美容家

カウンセラーの十川千惠美です赤薔薇

 

 

 

 

 

 

 

 

注意以下の記事&画像はお借りしたものです注意

 

 

 

母の愛、娘の成長

 

中学2年生の夏から一年間入院し、

その後の人生は自立への道だった。

 

高校受験、下宿生活、

卒業後の就職、そして結婚。

 

家族への連絡は少なく、

ホームシックを感じることもなかった。

 

     ※

 

母はサッパリしていて、

表情に乏しい人だった。

 

私は家族を愛していたが、

連絡をしなくても

心は繋がっていると信じていた。

 

しかし、今は

その自己中心的な考えを反省している。

 

     ※

 

就職先に母が電話をかけてきたとき、

驚いた。

 

私の振り袖姿を

写真に撮りたいという母の願い。

 

23歳の私は久しぶりに実家に帰った。

 

     ※

 

写真館で赤と黒の振り袖を着、

母は嬉しそうに見守った。

 

出来上がった写真を

「私の宝物」と言って何度も見ていた母。

 

     ※

 

成人式を迎える娘の振り袖選びに行き、

母の嬉しそうな姿を思い出した。

 

娘に世話を焼き、心配することで

「母」であることを実感する。

 

     ※

 

母も私が19歳のときに

「母らしく」あることを

楽しんでいたのだろう。

 

当時、私は既に自立していて、

母に甘えることもなかった。

 

母は私の心配をして、

近くに置いておきたかったのではないか。

 

     ※

 

若い頃の私を振り返る。

 

39キロまで痩せ、

病院に入院した19歳の春。

 

母は見舞いに来て、

リンゴを剥いて食べさせてくれた。

 

     ※

 

出産時、母は孫の誕生を喜び、

私が家にいることに

幸せを感じていたかもしれない。

 

「母さんはね、

一応あんたの歳も経験して今があるの」

と言っていた母。

 

     ※

 

娘が19歳になり、

母親としての感情を理解し始める。

 

私の19歳の頃、

母はどんな心境だったのだろう。

 

     ※

 

一つ屋根の下で暮らす娘。

 

娘がいない暮らしを想像すると、

当時の母の気持ちが理解できる。

 

「お母さん…。寂しかったよね」

 

     ※

 

母は今67歳。

 

私が80歳になった時、

母の気持ちを知る。

 

孤独や寂しさに暮れず、

娘を生んで良かったと思える

幸せな人生であるように願う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとって・・・

今日も幸せに満ちあふれた一日となりますようにラブラブ  

 

 

 

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難病を抱えておりますので、お待ちいただくこともあります。  

 

ご了承くださいませ。  

 

 
 

 

 

 

                       十川 千惠美薔薇 
 

 

 

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