昔、もう20年以上も前のことだろうか、

救急医療の演題だったかもしれない。

とある登壇者の発言が印象的だったことがある。

 

「我々医療者は、とにかく命を救うことに全霊をかけるべきだ。

状態の悪い人、高齢者だからといって、治療を惜しんではならない。

その人が助かって初めて、医療者はまっとうな仕事をしたと言える。

助かっても、寝たきりで人間としての生活がどうのこうのというのは、

医療者の考えることではない、哲学者の仕事だ。」

 

という主張だ。

この先生は、命が助かって、植物状態になってもその患者の

ケアを行うことはないだろうし、助かったから良かったじゃないか、で済ますのだろうか、と思ったものである。

 

現在であっても、同じような考えをもつ医師というのは少なからずいるのかなと思う。

 

紹介されてきた患者さんの前の担当医の書く内容は、難しい術式を事細かに書いてあって、現在の患者のADLにはほとんど触れておらず、手術は成功しましたと謳うばかり。

 

来てみたら、うまく病巣は取れたようだが、ほぼ不可逆的かもしれないと思われるような嚥下障害を呈して

経口摂取は行えない、術中の姿勢による重度の腓骨神経麻痺を呈し、下垂足になっているばかりか、歩くことができない。

 

そういうケースに出会うことは日常茶飯事である。

生きていくためには手術が必要だったのであろう。

それはよく分かる。

ところで、では、手術をしたおかげでいつまで生きることができるのだろう?

 

この寝たきりの経管栄養の患者さんが感染症や窒息などで命を落とすまでの期間は

手術をせずにいたら、食事は経口摂取ができたかもしれないけれど、

病勢が進行していって、そう遠くないうちに食べられず衰弱が進んでなくなるよりは

長いからよいことなのだろうか?

 

こういう考え方がある。

「衰弱していくとか、だんだん悪くなるという状態を診ることは医療の本来の仕事ではない。何かしら、医療的にできることがあるという状態が医療者のできる仕事なのだ。」と。

医療的にできる仕事とは?

薬物投与?点滴?手術?

手術は終わりました(治療は終わりました。)

あとは、ケアです。さようなら。

 

なんとなく無責任な感じがするのだ。

治療の適応は将来を見据えて決定すべきであり、できることがこれだけありますよ、と提案するのではなく

良い時間を過ごせるためにはこういうことをしない方がよいですよ、と指導することも医療の仕事だと考える。