すっきりぃpart2 | todakaclのブログ

todakaclのブログ

呼吸器内科開業医(救急救命15年/呼吸器40年)
折々につぶやき珠に【大声カモ(*'▽')
当面【gooブログ】で消失した過去ログ掘削が主です

すっきりぃpart2

2012-02-04 08:42:49 | 健康・病気

アホって思わないで下さい。

「易」、主に九星占星術ってのがあります。皆さんが本屋でよく目にする「高島」の白い年版。500円、800円、はては2000円(←というのがあるのを去年の暮れ知りました。)
幼い頃から祖父母や、近所の叔父さんが居間の低位置の席のそばに置いてるのを、見知ってた奴はこの汎用版だと思います。2000円は最近らしい。FULLサービスを謳ってた。

で、私は14才くらいから西洋占星術(ホロスコープを描く本格派)、血液型性格判断(能見正比古とその姉の原典のみしか本流と思わない、未だに。)を、興味深い道具と、片やアメリカの大学の講座の教授夫妻の教本翻訳版(わたし20才当時で2万円)まで、東京時代に、神田の版元にわざわざ半日がけで買いに行くくらいの。血液型のほうは、医学者相手のこの文面に書くと稚拙な反論、言わなくともウチウチで「とだかは、こんな戯言ザレゴト信じとるんか。」など思われてしまうのもかまわず。今回、公表します。

ま、「信じる」なんて言葉で、お考え、評価してる方には、この先
無視していただきたい。
そも、「科学の正しい姿勢は、存在の否定が証明(完全・完璧に)されるまでは、
あるもの、として仮説・仮定で論じるもの。」
このへんを、見落として成長された似非エセ科学者。そこまで詰らナジラなくとも科学の根底を勘違いして覚えてしまった方々。
「信じる」という言葉で扱おうとする方の仲にこそ、感、勘、本能で否定してるだけの、まったく科学ではない行為をしてる自覚がない。

具体的に云えば、古代エジプトあたりを起源とするホロスコープは、私の小さい知識では、「王:ファラオ」の性格を予見することで臣下とくに、側近や宰相が深くかかわるがゆえに、政治的失墜、わが身の生命そのものの危惧を払底するための道具として、もうひとつの面はナイル川の氾濫時期(必ず毎年、被害と、肥沃な上流の土壌を恵むもの)を予測する道具として、当時、神秘の源だった星の世界と、地上界の運命の、エネルギーの連動を仮説として研究され始めたと。若い頃のわたしは見聞きした。太陽の通る黄道を12分割し、それぞれに有名な星座を割り振って、分かりやすく、一般庶民にも性格・人生観の参考に、生まれた日時(時刻はおおまかでも2時間単位で必要)と場所(緯度・経度レベルの地球儀のどこら辺か。まるで航海術レベル)を同じくするもの、近似したもの、真逆なものなど、仮説として適用しつづけた歴史がある。
まあ、ご存じないまま、「信じランよ。」とかの賜ってもらっても、楽しくない。
アメリカでは大学にちゃんと講座がある。たぶん西欧社会では、普通に受け入れられた、科学的なものの、学問の一分野としてのステータスを持っている。おおまかには、社会・政治に関する予測で、「国・国家」を「人格」と見立て性格の分野を応用してみたりする【政治占星術】。ナイル川もろもろをこちらに広げたのかと私は見てる。と、人一人の人生の水先案内人pilotとしてその人となり、性格を分析して、対人関係の良好化、大事な人生の分岐点・決断のときの、「参考」にする【性格占星術】。
とまあ、よう勉強してるわけで、仮説としての西洋占星術は、科学の顔をしてるのです。
この辺知らずして、単に「信じない。」という、軽い思考・本能で態度を決められるのはどうかと。それこそ科学をしてない。「わたしは、自分が思う以上に科学的思考ができない宣言」、と皮肉にとだかは受け止めます。

【仮説】こそ、【科学】の源流。学びましょうよ。

格好つけると、とだかの博識・論理的思考の、基礎の一部にその哲学あり。世間様と戦わざるをえなかった原点が、この「占いかよ。」って軽蔑される学問、軽蔑される人種として扱われ続けた過去に。

長くなり始めたんで、端折りハショリますが、
占星術は、社交界でもステータスのある扱いを受けるほどの歴史があるからいいとして、「血液型の不幸」は、能見正比古ってひとが天才だったのはいいけど、まるで受け狙いのような6巻もので発表してしまったために、女こどものしょもない遊びの地位に一気に落とされた。彼のはきちんと実証性のアル裏づけを大量に持っていたのに、学会らしきものが見当たらないのに嘆いたのか、似た学会を探してもよかったのに、出版物でしかにものの形で世間に問うたのが、戦後の血液型性格判断_理論・仮説の不遇のはじまりだったように思う。そう、姉が大量にデータもってたというように私は記憶している。

実は戦前、大日本帝国時代は、陸軍(たぶん海軍も)のマル秘情報・軍学の大事な骨子だったと聞いた。クレッチマーのたったの3体型分類(数のことでなく、見かけのみ、いい加減さのともなう)より、はるかに情報の多い分類法(実は、6つ。O型←ゼロの意、A,B,ABを、遺伝子系まで観ると、端折るが、AoとAA,BoとBBは100:1くらいの比率で存在し、かなり違う扱いをする)は、兵士の配置、軍の組織を形成するとき参考にできると、軍の内部では学問として教育にも取り入れられていた。
ちょいサンプル。Aは実務・常識的仕事・事務処理に疲れをしらず兵士としては扱いやすい。Oは平和共存意識が強く「和」がとても得意で、かつ反面のようにみえる頭の抑えあいをしやすいのでそれなりの(それを踏まえた)用い方がある。Bは個性が豊かで扱いにくいが、孤独にタフであるために狙撃兵で置き去りにも強い。アイデアが奔放であるがゆえに参謀としての有益性。ABはあんまり知らないので申し訳ないが、切り替えの妙があり、命の儚さを自然態で心得てるところが使いよう。Oと対照的に、命を失うことへの執着よりも、魂・プライドの方を重視するので、その使いよう。
怖いでしょ。把握してるものが軍部の中枢にいたはず。と思うと。

このくらいにしときます。
まあ、とだかがどれくらい入れ込んで、学問の、教養の一部としてることだけはつたわったと存じます、から。

で、ほかにも橋幸雄(大物歌手)の「未年」の本に出会ってからは、それまでぼんやり、可能性を感じてた、干支も立派に中国源流、日本風アレンジがここ数年面白く感じてる。

本題。
わたしは決して了見の狭い人間ではない。自負はある。
が、人生の大事な決断のとき、相談する相手がいない。選べない。無理。
九大中退が始まり。そのまえの大学進学の高校の指導は雑だったし、たかが18才で何を根拠に、これからの人生の大きな舵を取ったのやら。「理系vs文系」、雑ですよね。単に数学と理科(物理・地学・生物)が得意な高校生は、自動的に理系の学部が良いに決まってると当時のおとな、教師たちに勧められ、個人的には、哲学科、物理専攻、医学部の3つに迷いがあった私は、あっという間に、哲学外された。勉強せんから英語はからっきしだったが、生物は見るもの聴くもの楽しくてたまらんからスポンジ脳みそ、ぐいぐい覚えた、ばけものの平均点98.高校3年間とおしで。自慢ととられても関係ないです。学問ってこんなもんですのサンプルで語りたかっただけです。楽しいから、おもろいから結果がついてくる。
数学も中坊(1年生?)ときに、以前語ったすばらしい数学者の中学教師にであったので、とても楽しく、かってに1年先ぐらいをはしって読みすすんでた。物理はそのために生まれた人間みたいに、日常的な事件・事象がすべて、「何で?」の根源なので、学校の授業はただの補完でしかなく、24時間、あたまが物理(自然界の法則さがし)してた。歴史が大好き、地理は、だけが得意という学友がかならず居たが、その彼に遜色ないくらいには地図見るのが大好きだった。変り種の変形世界地図とか、いわせんやた。経済力で国の面積を表したり、人口で表したりすると、ぐにゃっと日本がでかい。イギリスとかドイツとかも。
国語は、悲しいエピソードがらみ。
中学のとき、伸び悩んだ。英語はこのころは、教師の言うことをよくまもる、良い子だったので毎日5回教科書を写してたから、1-3年の教科書、全部覚えてたように、記憶がある。思い出の修飾ありとしても大半はソラで学友に語る特技があった。
で、国語は、毎日教師への日記を書いて提出、書き取り帖1ページは、その日習った漢字たぶん10語くらいをびっしり書いていたので、覚える覚える。漢字のみの粋な定期試験が一度あり、98点だった。未だに語れる。「タイド」を「熊度」ってマイナス2点。あははっ。
なのに、文章題にコンプレックス。
いまなら完璧に理解できてる、何が背景なのか。「とだか君は、おとうさんが国語の教師(よりによって同じ市内の中学の)なのに、遺伝子がこなかったのかなぁ。」という、当時の乱暴な(情緒ゆたかな中坊に)国語の教師の台詞、今なら笑える。
共通一次試験(今、センター試験って云う奴の一期生として、鹿大に合格。二次不要の高得点の原資)で、開眼した。要は出題者の期待してる模範解答が、5択だと見えるんだ。少なくとも3つはあきらかにボツ。最後の2択のワナがどちらかを見抜く「パズル」でしかなくなった。
ちなみに「クイズは、知性を表さない。」おぼえてるだけの問題がほとんどだから、東大でのお馬鹿タレントがその生き証人。伊集院、石ちゃん、今田が光ってた、「もやっと」が最後のパズル番組だった、懐かしい。
中坊じだいの不名誉な5科目で国語だけがガスっと見劣りするヒトだったので、先の教師の台詞ありき。が、単に、当時は文章でこたえるのだから、教師の期待する文章を作れない、もしくは彼の嫌いな内容・文体での回答ばかり書いてたのではないかと、今、推察する。
だから18才からさ迷った5年目の春から本番の受験まで、共通一次タイプの試験に模擬テルとが変わった瞬間から、他の科目とおなじくパズル・遊びになった。出題者が期待する答えさがしの探検。ボコンと伸びた。それまでの2年間熊本の有名予備校(40位以内はかならず熊大医学部に合格)の45、50位だったわたしが、旺文社35万人中100位ないの常連になった。まあ、長いこと同じもんやってたから、歴史とかをはじめ、信じられンくらい覚えてわいるわなぁ。あたまの良さはこの点では無用。長く浪人やってればそりゃ現役生の何倍も費やした長で。たいして威張る材料ではないが、受験という特殊性の中で、puzzle化してしまったものの有利なこと。他の科目でもにたようなことが起きてしまった。5択のある種、偏在、弱点をついた受験生だった。

ながあぁ。
それも自慢話みたくって、読者不愉快かも。っておもいましたんで〆ます。

先年の12月から、56年(12月に誕生日むかえた)生きてきて、なんども20才ハタチで医学部への進路を決意したあたりから、津波のかたちで必ず障害を喰らってた。が、3,4派目のこいつらは束で来た。7+1.報告、昨日9番目来ました。こいつはどうなるのかな?

思い込みでなく、近しいものに何度も確かめたが、私に落ち度なくゼロで、ふっかけられる紛争・まあオトナの喧嘩だわいな。たったの2ヶ月でこんなにも浴びたのはお初。勘弁してくれ、いくら戦いにつよい(誇りにかけての)わたしでもこりゃたまらん、に追い込まれた。
先に書いたように、相談できん。状況を充分に共感して案内してくれる人物は居ない。

だから。

「易」しかない。と思ったのだ。
人智を超えたものを体験したとき、先人たちの知恵のなかにこの「易」存在してると感じる。
で、たまたま主流派の高島の「白」でなく、本家を名乗る「黄」色本を見つけた。1件だけその本屋で。
気楽な気持ちで、白に不満を感じてたのもあり、手にした。
味が違う、深かった。著者が技を盗まれるのもかまわず、てか、知らしめるため・啓蒙のこころで解説してるから、【我が意を得たり】読破に近い状態を一気に。

その書、いわく
九紫火星は最大の分岐点の年だそうな。
もちまえの決断力は大事だが、必ず友人・先輩・上司に「相談」しろ
だと。だおおお。
一番、苦手。でも、従うしかないとおもい、今回は脳みそめぐりめぐらせて最も敬愛できる先輩に頼み込んだ。妙な相談の仕方だった。が、先輩医師、大明神と感謝をこめてひそかにニックネームで呼ばせてもらってる。
「好きにした前。とだか君はなんも失わんよ。その行動で被るダメージはないよ(私の問いの骨子の回答)。まあ、おちこぼれたら、おちぶれたら私らと呑も。」

って、近況報告。もう八時40分や。あさ6時だったからゆとりでかけるとおもったが、あせった