分断と制御 | todakaclのブログ

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呼吸器内科開業医(救急救命15年/呼吸器40年)
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分断と制御

2015-08-17 07:56:35 | 日記

内科医誌9月号のさきどりふたつめ

こちらの方が尖がってます。載せるもんかどうか迷いはしたのですが結局ぅ
ちょと歴史。70年前GHQはホントに手ごわい国日本をどう懐柔するかに苦慮していた。そう、ABCDラインが最終的に目にみえた包囲、いじめで生命線の石油、鉄鉱石の海路をたって、日干しにするジリ貧を見せ金に有利に外交交渉を運ぼうとしていたところで、日本は短期決戦でマレーシアの英軍の締め出しと、米国の太平洋艦隊を削減することで、交渉を51:49ででも運ぼうとしたというのが私見。すくなくとも二つの大戦を通して一度も自国領土(ハワイ)が攻撃されたことのない米国にはショックだった。そう長期戦で資源・工業力に勝る利をつかって勝利した。が、一流国なのだ認識として日本は。【建艦技術】ビッグセブンの発端「長門」世界初の42cm主砲、攻守速力のバランス。弩級戦艦の最終形。英米・日で7艦しか保有できなかった。
その国力の源泉の人脈に、教員、医師、弁護士の集団ありき。

教員は本気でコントロールできる学童ばかりでなく、当時の社会的尊崇を受けて父母へも国力増強のため、お国の強国化のため努力を惜しまないよう鼓舞した恐るべき煽動集団。日本にとってはホントに原動力になった尊敬すべき方々ですわい。それもお忘れなく。
それをGHQは分析できる有能なシステムだったから、そら先ず労働者の組合として認識させる。かたち的には近代民主主義のアメリカはすべての職種が労組を成すのだから、それを移入せよとなるわけだ。これは数十年がかりでのアメリカの安全弁形成が謀られたものだ。そ、弱体化です。
その上あとで述べるが、第2労組を作るという常套手段で効率よく「教員の社会的尊崇」貶めた。
日教組の設立時の戦後10、20年の内容、組織、人材。今は跡形もないがそれは砒素がまわるがごとき仕掛けのなれのはての今の日教組。ただの文句たれ、社会貢献の誇りもなし。憐憫。
因み私事、小生の父存命89才は師範学校卒の中学校校長まで勤めたヒト。かつ昭和40年代の本当に日教組の実力が猛烈だった頃(管理職のうつ、自殺多々)に教務主任やら、教頭やらで最前線で何時間も団交の相手をしてた人物。ひとつも削れてない。敬意を表す。
小生10代にて何がおきてるかも知っていたし、その対峙した日教組幹部の子供と仲の良い「親友」も続けてた。生活の中に日教組はどっぷり浸かりこんでいた。戯言ではないので宜しく。

弁護士会。個人的に苦手ですな。大学進学のとき選択枝にあった3つは文学部哲学科(ぜったいメシが喰えん。嫁も怪しい)、理学部物理学科(最初にいった九大な。進路指導の大きな過誤の証。微分積分きらいな奴に←苦手とか能力がないのではない、幾何学の美しさや、トポロジーの楽しさ、解析の奥深さは好きだし群を抜いたと数学科の助教授に評価された分野もある。ニューう的に嫌いなのだ。59才9ヶ月のいまもスカン。学問は好き嫌いだけでここまで生きてきてます。
変人、かわりもの、さあ超人かもですよ。
んで、2年満々教養部+学部入り口で中退っすな。
中退】たぶん日本一早期の中退はわたしです。3才の折、我が家は今では完禁の妻の副業というもので、母81才存命が洋裁のこころえあり、路地裏で小さな洋裁店を営んでいた。で、洋裁に打ち込むためにとそう豊かでもないのに保育園というものがクルマのとおりの少ないその路地をまっつぐ500mも行くと通えるからということで4月に入園した。
その4月の半ば、母が近所の主婦に「けんちゃんが、松田ことり店の前でずっとたっとるよ。」と声かけられ、来てみれば小生たたずんでたそな。10日目くらいだったと記憶してる。(やべ、めっかちゃった。ココロの声)
強情というか、感性が鋭いというか、その保育園の保母のひとりががさつで、小生それが気に入らなくて午前中はしょうがなくあわせても、靴・かばん一式を壁に隠して、昼寝タイムに隙をみて作りつけのボックスを使って窓から逃走、表通りだと捜索が及ばんかもと商店街(路地裏と平行、その反対の海側は国道10号線)をぶらつく。といってもおかしやは目の毒なだけ(一銭ももたん、50銭のすずめの卵も×)今PETSHOPたらいうのは鳥獣店、ことり屋(文鳥をヤクザナおっさんがすり鉢で毎日えさ擦ってやってた頃)が癒し、観るだけで時間つぶせた。そのあとお日様時計で、ふつうに帰ってきたふりでウチ戻ろうと思ってた。
ばれちった。そのあとも宮崎の高等師範はつの女子というものすごお怖い母方の祖母が、あきれて匙投げるほどの強鞭さで、わたくしめは登園を拒否。
泣く泣く1年間の保育費をあきらめた父母。たった一つ守れという決まりが出来た。決して母のそばを離れないこと。それからの幼稚園に入るまでの1年間は、記憶にある分では、洋裁店の母の足踏みしきミシンのそば、マネキンの足台の鉄板の青いののちょっとさびた奴で、これが富士山様の傾斜あって、ミニカー転がしたり、シャボン玉吹き付けたり。毎日、1人遊び。
かわりもん、なりますわなわははっ。いまなら、それは凄いと思う。当時はあたりまえ思うてた。
ぶっち、でしょ。自分の意思で保育園中退。

逸れましたね。医学部出て医師なりたいが3つ目。流れは、森羅万象の真理を突き詰める「哲学」向いてたみたいです。当時哲学科の学生が好んで喫茶店で激論してたいてい1人は思想をつぶされるくらいの激しい議論(医学生にはありえん激しさ)タフでしたから。その道もあったかも。で、空間と時間、物質とはというギリシャ哲学からルネサンス、ニュートン、アインシュタインのながれの「物理」湯川博士のチカラを中間子で表現するのとか、アインシュタインの太陽レンズ(光に質量がある証拠で、太陽の重力があればさすがに裏側の星の一部が見える)時空間の方が変動、合わせるように宇宙は出来ている。光速が一定だったんだからそう考えるしかない。という柔軟な脳みそに憧れた。
「医学」それは人体の悉くを理解するのには一番の近道。病理からであって生理にはそう強くないが、けだし学生の頃もっとも好んで成績が良かったのが生理学。レニンジャー、ハーパー両方とも熟読、ハーパーは原書の方に熱入れたもんだ(クラスで2,3人の同士のみ)
でとって付けたわけではなく、「ひとの役に立つ」の直球やったから18才にはわかりやすかった。祖母(例の、家長)からは9才くらいから「ひとの迷惑になるな」はいっぱんの人間の守るべきこと。我が家の人間は「ヒトの役に立つ人間になれ。」しかない、それしか目指すな。強烈な家訓ですよな。それ、こどものころに注入されればもう息をするように行動、日々すでに。
同級生に勉強教える、相談乗る、トラブル解決(腕っぷし要る、うふふっ)

進路指導で中学の頃から医学部、医学部いってくれてまわりのオトナ、がっこの先生がずっというからのあまのじゃくもあり物理。当時全く気付かなかったことが、なんと医学部やら理学部の理系ではなくて、小生は文系だったのだ。成績が各学科満遍なく良い学生はすべからく理系、母校のポイントになるのだ。責めてません、自然だし、今もそれでしょ。私は途中で文系と気付いたから今がある。なんと医学部って以外に文系です。これは宿題でどうぞ。

やっと戻りますが、友人達からはその性格と勝負強さと知性なら、弁護士(あ、正義感100点)やろ、なってくれ。古来、身内友人にほしいのは医師、弁護士てな按配でしたが何が嫌いって物理の微分積分よりももっと法律どころか判例(昔の先輩がいっただけの)全部マスターせにゃならん。あぁっ、吐き気がする。なにがかなしゅうてそんなモンよまなならん、覚えたりまで地獄や、星みっとてほうけるか、てつがくするほが何ぼもいいや
ということで、異世界。法曹界、いまだに付き合う気にならんというか医師に病気ならんと用がないように、弁護士にはとらぶるがないとようがない。とかいって2,3あったのですがね。
GHQレベルでは、弁護士会は戦前どちらかというと戦争反対、牢へぶち込まれた者の知的集団だったのでゆるい監視にした。かわりに医師会の方々はご存知だが、弁護士会は資格そのものにつよい裁量権をもち、各県の弁護士会を除名されれば、生涯弁護士活動できなくなる。弁護士じゃなくなる最低をその団体が強権として保持。めちゃくちゃうらやましいとおもってもいいんじゃにですかね。この一本だけでもかの団体の個性そのものでしょう。付与されたシステムで。

自分史おおすぎて、ぱたぱたと締めます。すいません。
医師会は?教員の凋落をすこし冷静な目で分析しなおしてみることお勧めします。高速でつぶされた知的人材組織のひとつ。対極に70年間びくともしない弁護士会。
割れたらつぶされます。アメリカではありません。置き土産のシステムを為政者もしくは経済界のメンバーも含む第2政府が上手に活用してますよね。
この25年。記憶が曖昧で申し訳ないが、時の与党の中のあるグループが「医師会を弱体化させる」強い決意で数十年の【遠謀】成功させました。完結といっていい。医師のイメージどうなりました。赤ひげ先生、大根で診てくれる賢さを世のため近隣の住民のため。そんなもんドラマ、昔話にさせられてますよね。タンといるのにですよ。
悪徳開業医。疲弊勤務医逃走。←分断のサンプル二重に。
国民が医師をDisる。(Disrespect蔑む、侮る)のと医師の大半が属す開業医か勤務医かの二分
10年ほど前から声高にますめでぃあから発信、自らの首を絞めるのも分からず国民(患者、家族、健康人)がさげすむし、医師同士対立非難しあう。
【はまり。詰んでる】情けない。オウムの村井みたく、頭いいのにのせられてませんか。
政治をなめてはいけません。そうおつむが良くない政治家も政治学のプロ。懸命に修練もするし、先輩からのノウハウきっちり。良い意味で開業上手な医学部しかりサンプル。

分断されたことに気付く目がなければ、社会では赤子、手をひねるのも鼻歌ふんふん。

今はどこでしょう。二つありますが、なにかと全体のために一つだけお披露目
薬学部6年が提案されたときに危惧してた事が、そろそろ顔を出してきました。なにか他の医療系も6年にする案ちらほら。
人間のあたまって意外と悪いところがあって、そう6年って医学部と同じ年限。まるで等価という思い込みを誘導する。外側からいう必要がない。自らが貶める。医師一人作るの1,2億でしたよね。入学のときの選抜、へたをすれば雲のうえだったこと忘れようとします。
やめてほしい。わたしなんか、3年もまともな教育うけなかった人生だから、けっこう蔑まれますが、年限ですか学問。
その人間の甘い夢(かなわなかったはずの)かなう?
糖尿病の患者さんのコントロール←全人生を引き受けれますか。30年前の盲目のまま死んでいった老婆の顔、末期の話きいたことがありますか。「不遜」
血糖測定は小銭稼ぎの道具じゃない。患者のその後の20年40年老衰で死なせる責任の重さ知ってますか。
いま、為政者は医療費の10年20年先までの削減の目的で、元気のいい日本薬剤師会の言うことを聞いた振りで同じプールの医療費をシフト、のちのち問題噴出の自滅。かたわらで医師、門前薬局にひさし貸して母屋がたがた。誰ですか対峙すべき利害不一致者。マクロで視ましょう。