【薬物中毒、来たりなば。】 | todakaclのブログ

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呼吸器内科開業医(救急救命15年/呼吸器40年)
折々につぶやき珠に【大声カモ(*'▽')
当面【gooブログ】で消失した過去ログ掘削が主です

【薬物中毒、来たりなば。】

2008-04-08 00:29:09 | 健康・病気

珍しく、触りだけはブログらしい文章を。あとは、カット&ペーストの手抜きでご容赦を。
時系列で小生の行動が読める方は、今何をしてるかの意味がわかると思います。
他の方々には、分かりやすく伝えると、3/29・/30(土・日)東京で研修会があったので、その機会を利用して、馴染み深いBBSユーザーの方2人(時間的に限度)と会って来た。
お二人からは感動と、元気・活力のもと(小生の仕事を続ける上の)を頂戴し、感謝に耐えません。おかげで、次の土曜までの早いこと。

我に返って、市の西区役員で渉外・福祉(外務・レクかな)の仕事が目前で、5月下旬の総会の準備。隣組の組長・会計の引継ぎ、区の内科医会の会計任務の準備。月例の急患センター準夜勤、介護診査会、4月にぶち当たってしまった学校医最大の業務で700人の健診。凄くない。そのくせ、仲の良い薬剤師サンや、MR(製薬)、MS(問屋)サンたちとブラッとのみに行くか。それも主任兼家内の「遠くへ行かんとよ。」のお優しい送りの言葉も忘れ、中州。やるよね、このおバカは。でも一つ救いが、「あれも、あのヒトの元気の元やから、しょうがないか。」という家内が親しい友人に語ったらしいのが、1ヶ月まえに知った。
元気だと思う、この医者・オジンは。日曜の昼下がりはなんとイオン福岡伊都の吉田楽器に出現し、エピフォンのレスポール【カスタム】をご購入。人脈をフル活用らしく、関連店の知人の恋人が店員と知るや、取り入る。で、4月下旬には20年ぶり(アコ・ギだと10年)のオジジ・ハード・ロック・トリオの最初の音合せ、スタジオ入り予定、強行軍そのもの。G・F・レールロード、R・ツェペリン、ビートルズetc。そろそろ、予定表の手帳を大きいのに変えないとダメかも。でもって、夕方の5時からは、PCに酒片手に向かって、内科医報の原稿が7日締め切りにて、バリバリのペースで打ち込み23時に草稿あげ、本日は昼休みに校正やってたので、定番の昼寝が出来ず、ちょっと弱り目。19時の編集委員会には、特定健診の講習会が医師会館の行動であってたのに出くわし、駐車場に強引に入り込む。原稿間に合って、皆喜んでくれました。連載は、ちょい厳しすぎたかも。

我が家で、風呂の後おそ飯食って、ハードDiskでお笑い見て、ネコ餌やって、後期高齢者制度の保険点数の出し方、5月の総会(80~150人)の準備手順の申し送り(親切な前任者に感謝)に目を通して、やっとアルコールのピッチがあげられると、キー・ボード。
 では、本題の内科医報「春号」の原稿のお披露目です。一般の方用に少し修正あり。
 問題意識をもっていただければ、幸いです。 因みに雑誌用なのでVolumeは最強です。

【デイ・ドリーム その弐】

 

 

 

 

「薬物中毒、わがCL.に来たる!」

                                                                                                                西区 戸髙 憲二

訳あって、というか「志すこと」あって、国道の大通り沿いに居(医院)を構えたが故に、ひょっこり通りすがりに来るは、【薬物中毒、依存 のエセ患者】。

「志すこと」というのは、救急を通算15年365日24時間待機(←ほぼ、概ね)やってた時の手ごたえというか、ある種の快感があって、「働き盛り」や、「子育て盛り」を出来るだけ多く、それも素早く社会復帰させるのが、小生の業務の主力と据えて、交通の便がよく、職場(会社・店舗)の多い地域を選んだ。(家賃は痛い!)

タイソウな目標とは思うが、緊張感も伴い、上手くいった時の手ごたえも面白く、日々働いてる。もう50才を越え体力はきっちり落ちてるので、救急対応なんて事ではなく、9時-18時の日勤だが、20才代から60才代前半は評価も辛い。しくれば、次はない。初診勝負の風変わりなCL.

で、予想していた(「想定内」!)の事ではあるが、彷徨う薬物中毒が舞い込んでくる。

話は遡るが、18時-9時の夜勤を月4~5回、もちろんその後も日勤だから24+9=33時間。をやってた頃は、よく来るのが、ソセゴン・ペンタジン中毒。

酒飲みで、肝炎ではなく、慢性膵炎の方になった患者が殆どだ。憐れである。ワッサー(≒生食)を筋注する先生も結構いたが、小生何故か頑固なくらいの主義あり、真のプラセボ(偽薬)は使わない。信頼関係を大事にしたといえば聞こえはいい。だから、せめてアタP、たまにはレペタン。黙って使ったり、時には「少し軽い薬だけど、効けばタメになるから」と。無理だと思ったら本物を。離脱はまれだが、ときには前2者を交互でなんとかなったことも。

どうしてそのヒトが、中毒になったか詳細に分かることはほとんどなく、反省もあるが私自身考えることもなっかた様な気がする。

が、ある病院に勤めていた時、1例だけ詳細がスタッフから聞けた。現役の内科医が、30才のパティシエ(デザートの専門職)の慢性膵炎の軽症だった時点で、やたらに使ったのが2年前。それ以来、その病院で唯一の自前のペンタジン中毒として、青ざめた顔で夜間に来院する。職は失ったらしい。本人からは、詳しいことは語られることはない。小生は専門外で慢性膵炎を長く診た事はないが、何か腹立たしい。防げなかったのか。主治医の責任は?彼はどうなるのか?

その後は、時代の技術の進化か、私自身が地方都市を転々としたためか、ソセゴン・ペンタは診る事がなくなった。

 

 

替わりに、多くなったのが内服薬のNSAIDs(解熱鎮痛剤)中毒か、安定剤中毒。

2000年前後だったか、サリイタミン、サリドン、旧セデスGが各メーカーの自主規制で製造中止になったのは、覚えておいでの先生方も多いと存じます。20例くらいの報告が出て、中には、病院・クリニックの掛け持ちで、月に2Kgを手に入れて、0.5gで4千包、1gで2千包を、30日だから多分10包ずつ6回/日とか、5包を覚醒してる間は1時間毎に服用してたのではないかと想像する。それは極端としても、2包ずつ2時間毎に8回くらいの例はザラ。

何がもたらされたかというと、腎不全死。フェナセチン(アセトアミノフェンの前駆)を大量に摂取しつづけることによって、間質性の腎炎を引き起こす。企業責任のPL法が定着してた頃だったため、あっという間にメーカーは製造・販売を中止してしまった。当時は今を時めくセロトニン・コントロールの片頭痛薬が未開発だったため、頭痛持ちにはなくてはならない薬が、突然消えてしまった。小生も院内の在庫をすぐにキープして、馴染みの患者や、職員に割り当て、最後になることを告げ、代替え薬の選定に当たらざるを得なかった。フェナセチン抜きの、アンチピリン、カフェイン、クエン酸の合剤であるミグレニンがピリン系の頭痛薬で、それなりに効いた。

疑問。サリイタミン6包3×とか、8包4×を14日分(多分30日処方はなかった)を処方した医師たちは、そのエセ患者が何者か、何を欲してるのか考えたのだろうか。緩徐な殺人、未必の自殺幇助と指摘されても反論・抗弁できるのだろうか。一般人がやってることだから、胃薬やら何かしらを合せて数種類に要望したにしろ、小生も経験したが、そのヒトたちもたまにガードが甘くなって、うっかり9、10日目とかに2、3連続で来院すると正体が割れる。

こっちが気を張ってなくても、このヒトって中毒やろ。3つぐらいの院所を掛け持ちしてるので、手帳につけるわけでもないから、やってしまった、だ。その時、医療側がすべきことがあるはず。ま、そも2包・3包/日より多量であったこと自体、報告にあがった院所が、異常かも。その責任者たちに自浄能力を期待してはいけないのかなあ。

個人的解釈は、共犯。片方が死んでしまったか、長き透析患者になっただけ。生き残った方は、何があるのか。反省?すべき時はとっくの昔に通り過ぎてますよ。

 

 

そのピリン系のもっとも効果的だった鎮痛剤が消えた結果。アタマを持ち上げたのが、NSAIDsのロキソニン、ボルタレン、ポンタールなど非ピリン系と、変り種に感冒薬PLとその類似品。何故かカロナールのようなアセトアミノフェンはみかけない(解熱ルートの違いのためか)。

私見ですが、そもそも、何ゆえこのような薬を常習的に使う人種が発生するのかというと、一つは類人猿が、哺乳類しいては動物のなかで最も痛みに耐性がないことに由来する。そう、神経末梢から伝わったパルスを中枢が受け取った時(1)感じることと(2)それに耐えて、行動を変化させない、思考を中断しないことは別立てで、後者を耐性という。俗世間では、前者と思い込んで鈍いと一括りで扱われることが殆どだが、医業にあると、注射・点滴やら、採血やら、小外科処理とかで個々人の痛み耐性の強弱は目の当たりにする。概して男性が弱く、外国人(東洋でも)も弱い。大和撫子が最強かも。

厳密には弱いは、ペイン・ビヘイビア(「痛み行動」←ガン治療由来)が派手と表現。

 

 

文化人類学的にはっきりと解明されたものを手にいれる機会に私が恵まれない・努力不足だけかもしれないが、知ってる範囲ではライオンを代表にネコ科はすごく痛み強い、その手の肉食獣の特徴らしい。我が家も5世代目を飼っているが、このまだ5ヶ月1.5Kgのヤツも前足を捻られたり、人間様の前足でギュンと抱きしめられても、長い尻尾を引っ張られても、よほどのレベルまでは「ギャッ」と、叫ばないし、爪で反撃もしない。そう、バイソンを狩っているときに、頭突きやら角攻撃で一々怯ヒルんでたら、飢え死にだわな。ご尤も。

「霊長類、舐めんなーっ!」ってギャグがスキです。本家の織田裕二よりも人気があるかもしれない物まね芸人が、アフリカでロケ中に、象に向かって吐く台詞の芸。これ自体は軽い話だが、大脳新皮質、それを発達させた手(聴力も側頭葉で関係)、道具の3点が、人類を万物の長にしたといわれてるが、そのなかで、痛みに敏感なことが、道具として最強の「火」を扱うのに有利だったのではないだろうか。火傷して学ぶ、その後は、温覚でどこまで近づけるか、端を持てることを可能にしていったと思う。一見マイナスにみえる痛み弱さを、進化上の利点に解釈するのは、ご都合主義の考えが日常茶飯事の小生的解釈に過ぎないかもしれません。

<行間あり>

それたついでに、3点セットが強いのであって、単品では、15cmほどの竹ヒゴをつかって芋虫を木の洞ウロからほじりだす小鳥もいるし、類人猿は四足と口の全部で果物を器用に剥いて食べるし、ボノボという類人猿・イルカ・鯨は言語レベルも含め知能がかなりな高さで、持ってないのは「文明」だけといわれる。たまたま3つ揃ってた強みだと思う。

もう一つ、西洋人がやたらに好む議論だが、「賢いから、殺すな。」は、日本の鯨文化や、害獣としてのイルカのことでぶつかるブツカル。思うに、彼らにはキリスト教的世界観が根底・無意識にあって、人類は神の次に賢い故に、万物の霊長になりえたと。だから、知恵のある生き物は、第3ランクとして尊重すべきだといってるように思えてならない。ズレを感じる、牛や馬って結構賢いのだ。空手の大山が極真会の流布のためスペインの闘牛場で、一番の雄牛と対面した途端、かの牛は踵キビスをかえしてすごすごと、塀の方へ歩き出してしまった、殺気の解釈だ。おかげで、興行が大失敗、強すぎ。

だいたい、何者を評価する時も、少なくとも介護診査の円グラフみたいに、6とか7の放射状のスケールに折れ線グラフをいれて、その形とかで観ることからはじめるべきだと思う。生物の固体生存(代謝など)と種族の維持(生殖)が、どれほどの活力かによって、生物界での強者・弱者が決まるはず。ゴキブリには知恵はあんまりないが、青インクで生存した例があり、生存力は凄い。シロアリだって、腸内のバクテリアのおかげで、植物の根本的生存システムのセルロースを唯一食料に出来る特殊能力を持っている。(多糖体のデンプンをエネルギーとするが、骨格はやられないように99%の動物が消化できないセルロース型に結合してる)。肉食獣は、食物連鎖の準頂点にいるため個体数が草食獣の個体数に左右される。その草食獣は食べる草木を根絶やしにしない食事の仕方を守る。家畜が食いつくし、砂漠化の従因に。人類が知恵で偉そうにしてるが、数億年を謳歌した恐竜や、その子孫で6000万年まえのカタストロフを乗り越え現存してる鳥類の気嚢システム(低酸素に強い)をこえた繁栄が本当に可能なのだろうか。

 

 

恐ろしげな話題がある。この100年で化石燃料の急速な放出や、森林資源の減少を主とした地球環境破壊が、近年改善しなければ、何とかしなければと、知恵で対抗してる。が、立ち止まって考えてみて下さい。地球は、表面で何が起きても気にしないんです。最古の生命が30数億年前生まれ、そのごバクテリアでなく、シアノサイトが光合成で副産物として当時は毒性の酸素を作り、先ずピュア-なFeが酸化鉄に、その後海中・大気に酸素が満ち、ミトコンドリア系の革命的利用で、共合して真核細胞、そして多細胞生物に。5億年くらいまえにカンブリア前後の生物の門が殆ど揃う爆発があって、淘汰のノチに脊椎動物と、無脊椎(主に昆虫、寿司ネタ)が確立。

恐竜の繁栄、哺乳類の繁栄いずれもほぼ全ての地に適応した種を持つ。その後の12月31日の人類が偉そうなのである。

この間、地球という天体は、何事もなかったかのように、自転・公転してるだけなんだな。分かってますか、この壮大な事実。つまりは、大陸が移動しようが、砂漠が増えようが、北極の浮氷が溶けて水温が下がろうが、海流がおかしくなって、寒気団の動きが変わろうが、南極・北欧の氷河のような陸上の氷が海に流れ出したり・気温の上昇で海水が膨張し相乗効果で海岸線が攻めてきたり、珊瑚の国が塩害で苦しもうが、「ガイア」は何も考えてないし、痛くも痒くもないのです。万物の長がいつ滅びようが、交代しようが、生物全体が死滅しようが「そんなの関係ねー」だす。

「知恵」でどこまで、人類の生存を守れるか。大事なことなんですけど、先は暗い。国家間のエゴが生きてる第二次大戦後の世界システムでは対応しきれない気がします。

 

 

で、派手に話題がぶっ飛びましたが、元にもどして、医療の現実。

鎮痛剤を頭痛、歯痛、打ち身・捻挫・骨折で各科から処方してもらうと、町のドラッグストアーで買ってたやつとちがい格段に効く。場合によってはイランとこまで効くことがあり、頭痛薬とか歯痛止めと思って服用したら、肩こりが取れたり、腰痛がビシッと消えたりすることがある。このとき良識のある99%のヒトは、用法どおりかそれより少なめに使うのだが、1%未満の心弱き人種が嵌ってしまう。下手をすると全身の痛み信号が消えてしまうのではないかと推察する。それは件クダンの類人猿にとっては至福のトキな