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呼吸器内科開業医(救急救命15年/呼吸器40年)
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この【悲しみ】は、いつまで続くやら

2009-02-21 03:35:34 | 健康・病気

というか、小生が死ぬまでか・医者を辞めるまで続くように思う。

つい昨日、一昨日オトツイのことだ。あるメーカーが、新作のリーフレットを持参した。パンフレットの上等、ルーズリーフのノートの上等版と思っていただければいい。気合の入ったもの。
で、1枚目、2枚目、・・・4枚目あたりから、何故かムカムカ・不愉快になってきたので自己分析してみたところ気づいた。

1年半ほど前に、一枚のペラペラのパンフの一行目に大文字で「SABAを多く使う喘息患者ほど死亡率が高い。」

とあった。【秒殺】だった。当時担当のMR(製薬の尖兵)Y君に、波動砲のような怒りをぶちまけ、彼はその意味が即わかる優秀なMRだったので、そのおかげで、全国通津浦々のドクターの中にも戸高と同意見の発言をされた方が多かったのだろう、確か10日か、2週でそのパンフは回収になった。
つまり、こうだ。「SABA」というのは短時間作動型β-2刺激剤の略、short actinng beta2 actueter、メプチン・エアー、サルタノール、ベロテックが代表。の発作止めスプレー、ハンド・ネブライザーとも云う。
それは、今脚光を浴びている吸入ステロイドを始めとした、テオフィリン、LABA(長時間型〇〇)、抗ロイコトリエンなど4薬種に代表される【長期管理薬】と対をなす、二本柱の【発作治療薬】なのだ。蛇足だが、テオフィリンはこちらでも使える便利なクスリだ。

それを、あろうことか、SABAを使ったら死にまっせ、SABAなんか使うんじゃない。というメッセージを筆頭にしたパンフレットだったのだ。自分とこの商品を売らんがために、なんという戦略・下品極まりない。他剤を攻撃してる。「ポット出のこのメーカーごときに、喘息患者からSABAを奪う権利は誰も与えた覚えはない。」ほかの999人の医師が敵に廻っても、小生はこの【遠吠え】を、皆の背筋を凍らせるように、一晩中続ける。なめるな、25年患者さんと一緒に喘息と戦った医師の思いを。
そのうえ、歴史を学んでない。1600頃ヨーロッパ文明が、コーヒーと茶葉(主に紅茶:船の中で発酵しちまった緑茶)をてにしてしばらくした頃、大量に飲ませると、喘息発作が改善することが一般人の知恵として広まった。⇔それまでは飲み物は、水か、お湯か、ハーブという名の薬茶だけだった。貧しいでしょ、東洋の文化に比し。あはは。
で、1800年ころからイギリスやらドイツの学者・医学者が成分の分析をしたら、キサンチン類というものが3種あって、カフェイン<<テオブロミン<テオフィリンが気管支を広げたり、粘膜の炎症を抑えたり、呼吸中枢を刺激して息を強くしたり、心臓のポンプ力を揚げたり、腎臓に働いて利尿(尿をたくさん出すこと)を促すetcが解明されてきた。
当初は、利尿が一番有益で、浮腫んだ患者に使ってた。皆さんもクルマで遠出するときはカフェインは控えるでしょ。本能的にわかる効能なのです。
それと相まって、19世紀末に、コストが無茶苦茶かかるためキサンチン類が高価だった頃は、心臓病のクスリとしてNo.1だったという歴史が先にある。

1900年の産声を聴く頃に、尿酸の精製過程の副産物として廉価に、テオフィリンが抽出できることが発見された。そう、テオフィリンshort actinng typeの誕生だ。前後して、エフェドリン(α、β-1,2すべて)が喘息発作に速効、著効することも発見され、できるだけβ-2の選択性の高いものの開発が始まった。そう1900年が、本物の喘息治療薬の元年。

数奇な運命というか、アメリカはほぼすべての喘息治療薬の発生母体なのに、人種的にテオフィリン不耐症が多く、扱いにくさに嫌気が差してほぼ捨ててしまった。変わりに誰でもすぐに効くβ-2スプレーを治療の主役にした流れがある。
そのアメリカの「シェリング・プラウ社」が1940年頃に発明したのが最初の徐放型テオフィリン【テオドール】だ。
手放しちまったよ。でもって1960年あたりで「三菱ウェルファーマ社」が日本でパテント生産し、しばらくの間「日研〇〇社」がバリンバリンに売りまくった。売れたよ。「エーザイ社」の独自開発の【テオロング】も結構使えますよね。

ずっとこの2薬種だけで戦ったんです。β-2は内服の12時間型がたくさん出回った。
そうこうする内に、3番目の薬種として、あの歴史的な合成コルチコ・ステロイドの【プレドニン】がデビューした。
【夢の】【究極の】クスリだった。
皮膚・気管枝・鼻なんでもアラージックなものにはことごとく炎症を抑えてくれた。
原因不明の膠原病(リュウマチを嚆矢とする)にも、神経・筋疾患にも。

が、恐ろしい未来が、大王が天から降ってきた。胃潰瘍の穿孔、糖尿病の誘発・激化、骨粗鬆、副腎機能不全(医原性アジソン病)、易感染性などのmajor S effect のみならず、色素沈着、moon face(満月様顔貌)、皮膚の菲薄化、精神的異常興奮などのminorも、そして究極の恐怖は、【離脱不能の依存症】⇔どんな名医も治せない。
当時の先輩医師たちを責める気は毛ほどもない。そういった後人たちががんばってます。
大丈夫です、僕らは黙々と後始末ができますから。可能な限り、毒キノコを食って死んで、みなにメッセージを残した古き先祖の如く、その先駆者となった方々をオマモリしますし、少しでも幸せな人生を提供するように努めますから、どうぞご安心を召されよ。ね、先輩。

この3種だけで戦ったのが1985年前後(奇しくも小生の医師の初年)。わが師、吉川浩一 ドクターが、最後の不詳の弟子の小生を供に、行脚して廻った5年6年が続く。第Ⅰ世代(小生の勝手な名付け)のベコタイド、アルデシン⇔グラクソ・スミスクライン社、シェリング・プラウ社を呼吸器科を始め、一般内科に、これからの喘息治療の主役がこれだと賛同を求めた時の99%の医師の【冷たい反応は、たぶん一生忘れない。】だからこそ、小生の苦悶がある。医師とは刹那的で、児戯な人間の集まりでしかない。そのやからが、いま吸ステ使わざるは呼吸器科にあらず。まるで、平らの清盛、藤原の道真だよな。情けない、小さい。15年で意見が変わる人間は、本音を言えばそばに置きたくない、危険だから、小生に身に不利益をもたらす、疲れを呼ぶ存在だから。
少なくとも、1985の頃の自分を思い出して、こそこそして欲しかった。

だいぶ脱線してきたような気が。
でもって、1995年頃にグラクソが先駆で、第Ⅱ世代のフルタイド・ロタ・ディスクを世に出してから、数十年の喘息治療のほぼ99%が、医師・患者の手に落ちた。
【輝かしい発明】だ。
シェリングのキュバールがそれに続いた。
発作頻度・強度、緊急受診の頻度、入院の頻度・日数の減が得られた。死亡率も10年で6000人から2700人まで急速に、それまで40年かかっても出来なかった、半減以下を実現した。

未来が見えた、未来を手に入れれる予感がしてきた。
おかげで、未だに蔓延る「アトピー・ビジネス」「アトピー商法」のような市場が10倍・100倍もあるような、悪辣な商売人の罠に、喘息の方々は嵌らなくなった。
医療としての完成度の高さが、真っ当な医療人の努力の成果として、商人の点けいる隙を自然態で吹き消してしまった。
ある種の、勝利宣言だ。医療としては90点、商人との戦いでは99点をあげたい。

だから、長期管理薬の首座に吸入ステロイドが座ることに、小生も異論はない。
だが、前回に続き、未だに今回も、SABAが人殺しのメッセージは、それがたとえどこぞの高名な大学教授でも許さない。断固として論破する決意を示すなり。

もうひとつの歴史。
ベコタイド・アルデシンで苦戦してた頃、2吸入4回/日では理論ほど効かない、で皆が行き詰まってた当時、東北大の滝川教授が40発/日ならば、プレドニンから離脱可能とかおっしゃって、騒然となった。が、それが本物の戦う医師のお手本だった。各地から40は効くとの報告が、あとを継いだ。滝川教授の「それ」が本当の「勇気」⇔蛮勇・卑怯

そして、確信の歴史がある。ここだけでも読めば、何故ナニユエに小生の怒りが、【怒髪天】だったかわかると存じます。
いまも生意気に一流の評論家を気取る「桜井良子」はただの素人、いろんなネタに喰らいついては食い散らかすだけの、しょうもないマスコミ人(何も生まない、1流になれなかった人種)が、なんとベロテックの製造中止をものすごい勘違いを根拠にいい始め、発信したのだ。背景には確か近畿だったかと思うが、有名な何でもかんでも、禁止・反対することに生きがいを覚えてる(テロリズム)の一介の医師ひとりの意見を根拠にしていた覚えがある。

嬉しかったのは、当時山形大学で教授をされてた先生が、この二人とネット上で大喧嘩を繰り広げてたことだ。半年で勝ちました。至極当然、志の違い、心根の違いですよ。
でもこのときの緊迫感は今も忘れない。メプチン・サルタノールでは発作を押さえ込みきれない患者さんが1割近く存在する。仮に、ベロテックが消えたら、多分その半数は病院にたどり着く前か、たどり着いた駐車上で亡くなってしまうことが火をみるより・・・。ぞっとする風景。

ヒトは弱い。ヒトは【他人の痛み】を心底本当に理解する才能が薄い。喘息発作の苦しさ、情けなさをわかる人間は、呼吸器科でさえ1割をきってるように感じる。そんなもんなんです。ヒトは結局はわが身でしか、他人の苦悩を離解出来ないのが本性。それを訓練で・修練で乗り越えるべきなのが医師だと、確信してる。
少なくなった。

しり切れトンボかもしれないが、〆ます。
ソウコウ言っても、吉川師匠がいる、九大には井上准教授がいる、長大には村瀬准教授がいる、熊大には黒木教授がいる、埼玉大には村田教授(自らが何度も死にかけた前歴のある)がいる、和歌山には一の瀬教授がいる、久留米大には相澤教授、最後には世界の至宝たる太田教授が控えてる。黄金期のはずなんだな、これが。⇔若かりし「和久井映見」

お仕舞い。2.21 3:39am