TOSHIAKI SUZUKI -6ページ目

抽象的

僕の駄目なところは、抽象的なところ。

抽象的なコト、モノ、ヒト、オモイ、シセイ、シソウ。

これがいいなんてことは絶対にない。

仕事だって、休日だって、親の前だって、芸術だって、愛だって恋だって、なんだって、抽象的では生き残れない世界が僕の日常にはありまくる。

日々成長。





映画とは誰のものか?

映画ド素人だけど、映画とは誰のものなのか?






写真も好きだけど撮りはしない。(撮ってみたい)

音楽も好きだけどCD派。(liveもたまに行くけど。)






何せ映画は目と耳から伝わるから本当に感心してしまう。

どうせなら、こんなに日常的に使う目と耳を最大限に使ってみたい。

僕の目と耳で僕が感激したい。







売れる映画。売れてない映画。

売れる音楽。売れてない音楽。

売れる絵画。売れてない絵画。


自分の何かとリンクすればもうそれは僕のものです。












桃色

向こうと向こうが繋がるってのは

ロマンです

ロマンす

ロマンス







日本人なら上は無音で、下は爆音でどうぞ。

お茶漬けやろお茶漬け。

脳天を売った男

そういえば僕のアドレスには「historism」という単語が入っています。

歴史主義といっても大きなことを言っているわけではないです。

僕の身の回りで尊敬したり参拝したりする人は、山のようにいて、山のように見えます。

家族を望み家庭をもった人、仕事とか先のために常に今と戦っている人、わざわざいばらの道にしている人、言葉巧みに喋ったり、文書を書く人、免許を持ち教える人、災難と戦う人、人達、団体という名を持ち訴え続ける人、個人なんてもっと凄い。



それぞれの人には、人生があって歴史がある。

人生があって運命があってこそ歴史になる。

運命は必然ではなくごくごく自然である。

別に世界の終りとか、死ぬ間際に「運命だ」と思うものでもない。




歴史は運命をしょってこそ描かれていくのである。

水道からでた水を疑わずに飲んで死ぬのは運命???

疑って一切水を飲まずに死ぬのが運命??

はたまた水は飲まずに生き続けるのが運命?!歴史?!



一つ一つの行動を映画の世界のようにさかのぼっていけば、全部僕らのすることは自然でしかない。

やるかやらないかではなく、やらないのもその人にとっては自然。

行動しないのも行動。

キーボードを打つのも打たないのも自然。

全部「勝手」で「気持ち」でしか動きやしない。




そーゆー中で死ス。

そーゆー中で生きル。



毎日を平然と受け入れればどんなに自然だろう。






僕の歴史は味気なくもなく、しょっぱくもなく、まずくもない冷や飯。



今後の自分の歴史を創っていくのが実に楽しみである。



何を欲しがるかで足先や矛先が変わる歴史は醜かったり美しかったり。



それ以上も以下もない。






今から僕はカートコバーンのアバター。



カートだって生きてたら石川遼君を見習うさ。

頭×胸=脳+心



敵を知り己を知れば百戦危うからず





色欲、物欲、名誉欲が失われない人間の本質をどこまでも利用した世界最強の職業





本音もたてまえもいらない





とやかく言わない





ミッションはコンプリート






できないのならできるまでやれ





spy×superfly×jet






オダギリ




やっぱり日本語で伝えてくれるのが一番わかりやすい。

英語はいつになっても英語。

僕が死んでも外国語。(多分)




僕はリアクションや、自己表現が薄い人の一人。

ただ僕も、少なくても、多少でもアメリカ人よりかは「間」、「距離感」を持っている人。




アメリカのみなさん。

アメリカ好きなみなさん。(僕も)

日本人の君(僕も)、君はアメリカンであってアメリカにはなじまないはず。


「自由」と「平等」を売りにしている国は



「自由」と「平等」で移民を受け入れすぎて



「自由」と「平等」が何年もの間確立していない。



そこは「差別」をされていない人が

「差別」をしったふり、感じたふりした人たちが、

「差別」に間接的にでも関わった人たちが

「差別」をおそれ

「差別」していないと自らを肯定して

結果「差別」に溢れてしまった都合のいい国になってしまっているのだ。




でもその分希望がある国。






な。オダギリ。




てか、




アメリカ????




行ったことないっス。






averageman

ギター歯で弾いたり燃やしたりするのもかっこいいけど、こんなんでもいいよね。

なろうと思ってなるスーパーな人は凄いと思う。

一生涯スーパーな人になれないとわかって、なろうと思わずにいたらそれはそれで自由だけど、軽すぎて、飛んでっちゃいそうで不安で淋しいよね。

男だからね。



却下

何事も経験だ。


と、真に心からそう思えた瞬間に、扉は一気に開く。


贅沢な選択肢に溢れ、欲望に優先順位を決め、計画を立てる。


目に見える結果が毎分毎分刻まれていけることが、今の理想。


それこそが楽しくて、それこそが戦いなのだが、そこで何を犠牲にして何を得るかは重要だが問題ではない。


想像こそが、未来へ直結してる。


とりあえず今の生活に感謝。


あんま負けん気張ってても意味ないや。











P・S

ジョン・レノンミュージアムは9・30で閉館です。

あと2回は行こう。

行ったことのない方、ぜひ僕を誘ってくれれば行きます、多分!!!!!



ああ

突然ですが、ゆらゆら帝国は2010年3月31日をもちまして、解散することになりました。
1989年2月の結成以来、21年間支えてくださったファンの皆様、スタッフ関係者の皆様には、何と御礼を言っていいのか分かりません。
本当にありがとうございました。
メンバー一同、心より感謝いたします。

ゆらゆら帝国は、結成当初から「日本語の響きとビート感を活かした日本独自のロックを追求する」という変らぬコンセプトを基に活動を続けてきました。
同時に、アルバムごとに過去のイメージを払拭し、更新し続けることを自らに課し、時にはバンド形態すらも壊すことによって、常に自分達の演奏に向かう新鮮な気持ちや、緊張感を保ってきました。
そしてアルバム「空洞です」とその後のライブツアーで、我々は、はっきりとバンドが過去最高に充実した状態、完成度にあると感じました。
この3人でしか表現できない演奏と世界観に到達した、という実感と自負がありました。

しかし、完成とはまた、終わりをも意味していたようです。

解散の理由は結局、「空洞です」の先にあるものを見つけられなかったということに尽きると思います。
ゆらゆら帝国は完全に出来上がってしまったと感じました。
昨年は、新曲を作ったり、旧曲のライブアレンジで新たな試みをすることで、
なんとかこの出来上がってしまった感、安定感を打破しようと試行錯誤したのですが、結局自分達の中で、次ぎのアルバムに繋がるようなワクワクする感覚を得ることはできませんでした。
今年に入ってから、メンバーで話し合った結果、「この3人で、やれることは全てやり切った。」「これ以上続けてもルーティンワークになるだけだ。」という結論に達し、メンバー全員納得して、バンドを解散することに決めました。

突然で、しかもこのような形での発表になってしまい申し訳ありません。
バンドは解散しますが、今後もメンバーはそれぞれ違った形で、音楽を続けて行きます。
これからも音楽を続けて行く為の、発展的解散と捉えていただければ幸いです。

最後にもう一度、
皆様、今まで本当にありがとうございました!!!!!!!!!!!!!

ゆらゆら帝国 代表 坂本慎太郎

スクランブルpart2

活かし、活きる。活かしあう。

愛され、愛す。愛しあう。

それ以上も以下もない。






ファンタジー映画みたいに。

SF映画みたいに。

推理小説のように。

大百科みたいに。

ご飯みたいに。

チャンピョンみたいに。

満たしてくれればそれでいい。

僕は究極にそれがいいんです。

それ以上はない。





対等ではなく、平等、調和。

仲良しこよしではなく。

傷を舐め合うわけでもなく。

それを望み、望まない非常に優れたバランス。

僕はてんびん座だから。





みんな魔法を知ってるはず。

変な使い方しか知らないだけだ。