脳天を売った男 | TOSHIAKI SUZUKI

脳天を売った男

そういえば僕のアドレスには「historism」という単語が入っています。

歴史主義といっても大きなことを言っているわけではないです。

僕の身の回りで尊敬したり参拝したりする人は、山のようにいて、山のように見えます。

家族を望み家庭をもった人、仕事とか先のために常に今と戦っている人、わざわざいばらの道にしている人、言葉巧みに喋ったり、文書を書く人、免許を持ち教える人、災難と戦う人、人達、団体という名を持ち訴え続ける人、個人なんてもっと凄い。



それぞれの人には、人生があって歴史がある。

人生があって運命があってこそ歴史になる。

運命は必然ではなくごくごく自然である。

別に世界の終りとか、死ぬ間際に「運命だ」と思うものでもない。




歴史は運命をしょってこそ描かれていくのである。

水道からでた水を疑わずに飲んで死ぬのは運命???

疑って一切水を飲まずに死ぬのが運命??

はたまた水は飲まずに生き続けるのが運命?!歴史?!



一つ一つの行動を映画の世界のようにさかのぼっていけば、全部僕らのすることは自然でしかない。

やるかやらないかではなく、やらないのもその人にとっては自然。

行動しないのも行動。

キーボードを打つのも打たないのも自然。

全部「勝手」で「気持ち」でしか動きやしない。




そーゆー中で死ス。

そーゆー中で生きル。



毎日を平然と受け入れればどんなに自然だろう。






僕の歴史は味気なくもなく、しょっぱくもなく、まずくもない冷や飯。



今後の自分の歴史を創っていくのが実に楽しみである。



何を欲しがるかで足先や矛先が変わる歴史は醜かったり美しかったり。



それ以上も以下もない。






今から僕はカートコバーンのアバター。



カートだって生きてたら石川遼君を見習うさ。