こんにちは toco です。

 

 

いつもご訪問頂きありがとうございます照れ

 

 

tocoの息子は大雨被害のあった福岡にいますあせる

クローバー大雨で被災された方々に安心できる日々が1日でも早く訪れますようにクローバー

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は驚く発見があったのでシェアしますね。

 

同じような思いの方もおられるのでは?と思います。

 

 

 

 

tocoの父は一生の多くを病気と共に

歩んだような人です。

 

以前書いた

「父の病気~どんだけ笑って過ごすか~」

 

 

 

 

 

 

 

これを読んで頂けると分かると思います。

 

 

 

 

数ヵ月前から

 

母の認知症がどんどん進んでいる所に

 

父は転んだ事をきっかけに

 

先日から「胸椎圧迫骨折」で入院しています。

 

 

 

 

 

骨折と言っても圧迫骨折なので

 

コルセットを作ってもらいそのまま骨が固まるのを

 

待つしかないんですね。

 

 

 

退院も悩むところでしたが

 

一旦施設(老健)でリハビリして帰らせようと

 

調整をお願いしていたところに・・・

 

 

 

 

腎臓機能が悪化!!

 

 

 

点滴をして様子を見ましたが

 

これでは改善しない事が告げられ

 

もちろん入院は骨折で整形外科なので

 

このまま入院というわけにもいきません。

 

 

 

そして今透析を始める選択を迫られています。

 

 

 

 

 

ここまでの間で

 

tocoが自分のやりたかった事を

 

一旦すべて手放して

 

 

 

両親の介護をするという選択を

 

多くの時間をつかって

 

旦那ユウキチくんとも話し合い

 

経済面も含め覚悟して

 

家族にも話していたつもりでした。

 

 

 

両親もそれに納得し

 

最終的には

 

経済援助は父から受けて

 

tocoは介護をすることに決めたんです。

 

 

 

ここで親の介護をするのに

 

お金をもらうの?という意見が必ず出ます。

 

 

 

ですが一緒に暮らさず毎日二人を介護して

 

tocoの家庭が経済崩壊しては

 

犠牲になってしまったと

 

後で誰かを恨む結果になるだろうと考えたんです。

 

 

 

 

そして多くの看護師経験から

 

そういう家族を沢山見てきました。

 

 

 

介護を楽しくするためには

 

他が欠けてもダメなことを良く分かっていました。

 

 

 

 

ですがこの父の入院をきっかけに

 

状況は一変したんです。

 

 

 

自分の覚悟は伝えていても

 

家族がそれを受け入れたかどうかは

 

確認しきれていませんでした。

 

 

 

 

 

ここで看護師の経験がなかったら

 

どんなに良かったか・・・と思うことになります。

 

 

 

 

 

多くの患者さんの苦しみや家族の苦悩を

 

知っているだけに

 

自分では良い選択が出来ていると思っていましたが

 

家族はそうではなかったんですね。

 

 

 

 

前に何かの投稿で書きましたが

 

tocoは父に愛されずに育ったと感じていました。

 

 

 

そして自分勝手で横暴な父が嫌いでした。

 

 

 

子供のころ多くの家庭で

 

よく「お前は橋の下から拾ってきた子」という

 

フレーズを口にする親や兄弟がいました。

 

 

 

家族の中で

 

一番幼いtoco(末っ子です)は

 

その言葉を何度も聞きました。

 

 

 

言ってる側はからかって冗談のつもりでしょうけど

 

父に愛されていないと思っていたtocoには

 

潜在意識の中にずっと残っていたんでしょう。

 

 

 

 

自分にはトラウマや大きな傷はないと

 

思い込んでいたのですがあせる

 

 

 

それを大きくしたのが

 

実はtocoの上と下にも兄弟がいるはずでした。

 

一緒に育った姉兄とは別にです。

 

 

 

父は男女一人ずついるから

 

もう子供はいらないという考えだったそうです。

 

 

 

なぜかその間のtocoはこの世に生を受ける事に

 

なりました。

 

この事情は経済的な理由か妊娠発覚が遅れたのかは

 

分かりませんが。

(これには感謝しています)

 

 

 

父にとっては必要のない子として

 

生れてきたわけです。

 

 

 

特に虐待をされたとか

 

ご飯を与えられなかったことはありません。

 

 

母はかなり愛して育ててくれたと思います。

 

 

 

 

聞いた時はショックだったような気もしますが

 

妙に父の態度が腑に落ちた。という印象でした。

 

 

 

 

 

これがトラウマだったとは気づきもしなかった。

 

 

 

 

父が病気をするたび母が

 

看護師の娘がいて良かった。

 

頼りにしている。

 

そう言われていました。

 

 

 

 

何かあればすぐ連絡してくる母から

 

年を取って近くにいる娘を頼ってくれる父から

 

認められたかったのでしょう。

 

 

 

 

介護をすると決めた時

 

これで自分の娘としての存在価値が認められる。

 

 

 

そう思ったのは事実です。

 

 

 

 

ですが・・・

 

入院した父が姉を1番信頼していて

 

兄が1番可愛いと思っていることが

 

段々分かり始めました。

 

 

 

すべて契約をしたり手続きをしたり

 

毎日通うtocoは当たり前の存在になっていたんです。

 

 

 

そして経済援助してもらっている事で

 

お金の無心と思われていることも分かりました。

 

 

 

 

 

同時に

 

看護師であったがゆえに

 

自分のカラダを大切にせずに

 

何度も何度も入院・手術して助けてもらったのに

 

また繰り返し

 

困ったら助けてもらおうと病院のお世話になる父を

 

許せない自分もいました。

 

 

 

 

こういう事が起きてくると

 

どこかで

 

何かが爆発しますね汗

 

 

 

 

自分の思いをぶちまけて

 

トラウマの解放をはかるわけです。

 

 

 

家族に思いをぶちまけて

 

「もう全てから手をひく」

 

 

 

あ~あ言っちゃったよあせる

 

 

 

そうは言っても親であり

 

無視も出来ませんが・・・

 

 

 

 

でもぶちまけたことで

 

姉兄が理解と癒しをくれました。

 

 

 

 

看護師であることや今勤めてないこと

 

近くに住んでいることに

 

甘えていたと言ってくれました。

 

 

そして

 

姉には姉の

 

兄には兄の

 

幼いころからの思いがありました。

 

 

 

一番幼いtocoが母に可愛がられていたと感じてたこと。

 

男一人だから父にきつく言われていた事。

 

 

 

自分から見ると自分の思いや感情だけを

 

辛かったこととして

 

受け止めがちですが

 

 

 

多方面からみると

 

子供の気持ち

 

親の気持ちと

 

様々です。

 

 

 

 

 

 

すべてのトラウマが解消出来たかは

 

分からないんですが

 

こんなトラウマがあったということは

 

大きな発見でした。

 

 

 

 

インナーチャイルドを癒しましょうって

 

聞いても自分の癒すべき

 

インナーチャイルドが分からなければ

 

何を癒していいのか分からなかったんですよね。

 

 

 

 

 

自分で蓋をしてしまっていたのか

 

あまり深く考えないtocoゆえに

 

気付かなかったのか汗

 

 

 

とにかく大きな気づきでした爆  笑

 

 

 

 

 

父の病気の問題はまだまだ続きます。

 

透析をするのかどうかも問われています。

 

 

 

 

83歳じっとして点滴も受けれない父に

 

透析を開始して

 

その後の父のカラダの辛さや

 

まわりの家族の大変さを思うと簡単に決められないのが

 

看護師経験の辛さです。

 

 

 

 

でも

 

人生の主役は自分自身ですからね照れ

 

 

自分を大切にしながら出来ることをしていく!

 

そこを間違えないようにしていこうと思っています。

 

 

 

 

トラウマを抱えている方もおられると思います。

 

 

そのトラウマ一度

 

多方面から見てください。

 

 

 

自分からの一方向だと

 

悲劇的でも

 

違う角度から見ると

 

別の誰かの問題ということも

 

あると思いますよ照れ

 

 

 

 

 

長い文章・・・

 

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございますキラキラ