父の戦友の写真をスキャンしようとしたら、裏に何枚か”中原会戦戦死”という記載があった。
戦友たちはお互いに写真を交換していることが分かった。
自分の住所氏名と年月日を書き、行を改めて”○○君に”、と記載があったことから推測できる。
私が見ていた写真は、85年から83年前のものであり、ほとんどの人は大正生まれ。
父が大正4年生まれで、当時は20代の中ごろだったから、上官の中には明治生まれの人もいたことだろう。
名前だけ記載されている写真の多くは、父が書いたようだ。
達筆で驚く。
ヘタな文字も随分あった。
兵隊の中には写真を専門にしていた兵隊がいたのだろうな。
変色したり切れた写真も随分ある。
変色は仕方ないが、切れたのはアルバムから剥したときだろう。
父は酔った時に小学生の私に戦争の話を良くしてくれた。
話を聞くのは好きだったが、仲間が目の前で、隣で死んでいく様を聞かされると悲しくなった。
父も懸命に歯を食いしばって涙をこらえていた。
兵士が被弾したときに、”天皇陛下万歳”と言う兵隊は少なく、”母さん、母ちゃん”などが多いと言う話も聞いた。
戦争に行った兵士たちの本音は、行きたくなかったのではないだろうか。
そういうことを言えない社会風潮の中で召集令状をもらい参戦し、戦死の知らせを受けた家族の悲しみは計り知れなかったろう。
もうこれらの写真の人物で生存している者は殆どいないと思うが、本当に気の毒な年代だったと思う。
スキャンして処分しようと思ったが、仏壇の中に入れておくことにしよう。
若き日の彼らの顔を見ると、なかなか捨てられそうもない。
どうぞ、安らかにお休みください。
上段左が父
疲れているようだな
何だこの手は・・!