野辺山に行ってきたよ。
年末年始は、長野と東京と静岡でいろんな方にお世話になりました。
長野では、ちぃちゃんと妹夫婦の4人で野辺山に行きました。
野辺山駅は、標高が1345.67mでJRで一番高い駅。
小海線はディーゼル機関車が走っています。
駅前の「銀河公園」には、SLが保存されていました。
野辺山駅から車で約10分。
国立天文台野辺山宇宙電波観測所にも行ってきました。
天気も良く空気が澄んでいて、八ヶ岳がよく見えました。
やっと大分に戻ってきましたが、
久しぶりの大分はなんだか寒いよ。
自然の仕組みに従うということは
岡田茂吉の言葉に触発されはしましたが詳細は何も知らずに、直接自然に教わりながら探求した炭素循環農法の理論と技術は、氏の言葉と一致します。
提唱者が示した、理念と原理が間違いない証です。
尤も、神示によろうが、直接作物や山の木々に教わろうが、自然の仕組みの応用ですから、誰が何処でやっても同じ結果でなければなりません。
以下は岡田茂吉の言葉です。
自然農法の根本は、土そのものを生かす事。
地熱の精(土素)には霊(未発見)と体(窒素)がある。
太陽から放射される精が火素、これにも霊(未発見)と体(光と熱)がある。
月から放射される精は水素、体(水)霊(未発見)がある。
この未発見である霊(土素、火素、水素)が一体となって生れたものが自然力(X)であり、万物の生命力の根原。
この力(X)こそ無限の肥料。
人為的な肥料により作物は弱り害虫が発生。
肥毒により作物が土の養分を吸う本来の機能を損なう。
土は肥料の固まり。連作するほど土はその作物を育むように適応。
本当は堆肥もいけないが例外として堆肥は土を固めず、温める、乾かないなどの効果あり。
自然農法に失敗はない。失敗は肥毒が残っているため。
土に善し悪しはなく、無肥になれば年々良くなる。
自然栽培は一般の種子でよく、種子の肥毒さえ抜けばよい。
水田は肥毒が流れるが、畑は肥毒が流れないため、畑の方が無肥の効果が顕著。
除草は良いと思う時にすればよい。自然栽培は省力。
技術はたいして重視する必要はなく、指導者の必要はない。
岡田茂吉師の自然農法に関する論説(抄)より抜粋要約。
未発見とされている「土素、火素、水素」=“自然力X”は表現が少し違うが、シュタイナーが見ていたものと同じ“もの”(意識の世界の仕組み)です(宇宙の意識とでも言うのが適切か?)。
“もの”(意識の世界の仕組み): 両者の表現の違いは“言葉のない世界”(意識世界)を説明しているために起きる。岡田茂吉は無理矢理「この世界の言葉」に変換し、できない部分を“自然力X”と表現。
シュタイナー(いわゆる霊能力者)は意識世界で「見えるまま」を、あちらの言葉(“色”、“数”)で直接表現し、こちらでは行為として(調合材を使う、天の運行に合わせる)表現している。
「土そのものを生かす」「土は肥料の固まり」とは、自然農法の基本中の基本。
「微生物活性化による養分供給力・浄化力=土壌バイオマス=慣行農法で言うところの地力窒素」。
これが「精と体」の一方の「体」。
両者で、土(狭義の自然)の意識と肉体というわけです。
ただ、「精=“自然力X”」を強調するあまり「土を生かす」実際面をなおざりにしている、きらいがあります。
たとえ、何であれ(慣行農法などでも)例外などというものは一切ありません。
この(物質)宇宙や、それ以前の非物質世界(意識世界、未来)全てを構成する“力”を岡田茂吉は“自然力X”と呼んだのです。
“自然力X”: 分からないから神秘(X)なのであって、理論が確立された今、ことさら特別(神秘)視するほどのことではない。物質面に現れてくる事象の全ては“自然力X”が働いた結果。
シュタイナーのように“自然力X”をそれなりに活かすことはできます。
しかし、「土そのものを生かす」ことができなければ“自然力X”はプラスとなって現れません。
マイナス現象であっても“自然力X”の結果なのです。
霊能力などを持たない凡人には、“自然力X”を直接コントロールすることはできません。
実際の栽培では無視して構いません。いや、凡人は無視して下さい。
岡田が「唯心科学」といっているように、広い意味での科学的理解・説明のために必要になるだけです。
昔から知られている、場所や時に応した生命活動の生理的特性などを考慮するだけで十分でしょう。
あとは、ただゝ、全ての生き物を生かすことだけを考えれば良いのです。
それが最良の結果を得る唯一の方法であり、進化の頂点にいる人間の責務です。
全てを生かすには、生きる「場」である「土そのものを生かす」ことから始めなければなりません。
慣行農法流に言えば「地力窒素(養分)だけで育てる」のが自然農法。
施肥は土を汚染し、発生する毒など(土壌物理性・環境劣化 → 有害センチュウ・腐敗型微生物相 → 無機態窒素・腐敗成分・養分吸収阻害物質等の生成)により地力が低下します。
養分吸収阻害物質:
腐敗分解過程で生成され作物の養分吸収を阻害、窒素飢餓や微量要素欠乏症を誘発する原因物質。
自然農法は土壌改良だけによる、地力(土の偉大な能力)の向上が唯一の手段(技術)。
この地力は常に変化しているため、時系列で捉えなければ判断できません(瞬間の状態を捉える土壌分析は無意味)。
分かってしまえば簡単すぎて、技術と言えるほどのものではなく、指導者もいらないのは当然。
ただ、理念や原理を裏付ける理論が欠如していた故に迷走。
この自然農法の核心を正確に伝えることは絶対に必要です。
「この世界の片隅に」を観たよ。
年末は東京にいたので、「この世界の片隅に」を見てきました。
マンガも面白かったけど、映画も面白かったです。
大分の映画館「シネマ5」でも上映しているので
また観に行きたいな。
ちなみに、監督の片渕さんとプロデューサーの松尾さんが
舞台挨拶で「シネマ5」に来るそうです。
久々の渋谷は、いろんな人がたくさん居て面白かったよ。
自然農法の未来
いずれにも属さず(宗教とも無関係)、過去の農法にも拘らず、独自に理念に忠実に原理を追求した結果、たどり着いたのが炭素循環農法です。
また、ほぼ同じ無施肥の技術・理論が他にもみられます。
一人の提唱者の教え(自然の仕組み)が出発点ですから、表現に多少の違いはあっても、原理的には同じと考えて差し支えありません。
ただ、早い者勝ち(笑)。先に名乗った方に命名権あり。
何れ炭素循環農法が当たり前になれば、これが慣行農法。
炭素循環農法の名前は用済みとなります。
ところが、現実を見れば自然農法の普及は悲観的と言わざるを得ません。
では、自然農法に未来はないかと言えば、そうでもありません。
自然、慣行を問わず農業は、自然の原理の応用。
慣行農法からも独自に同じ方法に近づいたものも当然見られます。
むしろ数からみれば圧倒的多数で、こちらの方が、はるかに希望が持てるでしょう。
現在の慣行農法が自然農法に近づいても、結果的には同じこと。
それは減肥栽培です。有機物の有効活用により、限りなく減肥・減農薬。
気が付けば限りなく炭素循環農法(笑)。
自然の理は一つ、たどり着く先も一つです。
農業が外(新概念)からも、内(旧概念)からも変わる「時が来た」ということです。
生産面では結果が全て。
技術の伝達は理屈抜きでも勿論、可能。
しかし、技術的には同じでも、その原理を詳細に説明できなければ、完成された農法とは言えないでしょう。
理論の伴わない技術は、その応用において種々の問題が生じ伝達が円滑にできません。
今、農業に本当に必要なのは技ではなく理。
誰でも何処でも最低限の技術で、永続的な農業が営めるようになるための、自然の仕組みの理解です。
2017年、あけましておめでとうございます。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今年も年越しは長野の実家で過ごしました。
親類と一年ぶりの再会。
また来年元気で会いましょう。
今年の冬は暖かいそうだけど、ここの寒さは痛いよ。
迷走する自然農法
提唱者の説明は宗教色が強く、理念や原理を一般にも分かるように説いていないため、その後の実践者、指導者により色々に解釈され、技術的な肉付けがなされました。
どのように解釈し発展させようと自由ですが、自然農法の疑念派から、最初に突きつけられる言葉。
「自然農法では全人類を養えない」。
これに「否」と答えられない限り、何を言っても説得力はありません。
現在、巷で行われている技術では、慣行の半分、良くて70、80%程度の収量と言われます。
これでは「ごもっとも」と言わざるをえません。
稀に、慣行並みの収量を上げていても、仕組み(原理)が分からないため、他者に正確に技術を伝えられず、誰でも何処でも、というわけにはいきません。
いずれにせよ、自然に逆らっている慣行農法以下の生産性で「省資源、省エネ、環境保全、自然にやさしく、愛情を持って、スローライフなど」と言っても虚ろに響くだけ。
そんなことは自然農法でなくとも当たり前。
免罪符ではありません。
農を業とし経済行為である以上、技術的欠陥を他者(消費者)に転嫁する口実としか聞こえません。
ましてや、精神論・哲学を持ち出すなど、逃げ口上以外の何ものでもないでしょう。
低生産性は、自然の理に沿っていない証拠。
「理念に従い原理を活かせば慣行農法と同等か、それ以上の収量が得られる」。
「全世界の食料生産は私が責任を持つ」とまで提唱者は断言したのです。
何者であれ自然農法を標榜する以上、責任を持ってもらいましょう(笑)。
提唱者は、「肥は毒なる」「肥料や糞尿は使うな」「堆肥もいらない」とは言いました。
しかし「耕すな。何も入れるな。除草するな。」などとは言っていません。
ただ、周囲の抵抗(進駐軍による宗教弾圧の可能性)に抗しきれず、「堆肥だけは仕方がない」と言った「堆肥」が曲者。迷走の元(笑)。
それでも「堆肥は未熟」と言っていますが、これだけでは原理の説明には不十分。
正確に伝わらないのは当然と言えます。
その結果、天然物完熟堆肥やボカシ(微生物製剤)などに拘り耕起・防除する、慣行や有機(堆肥)農法まがいの集団。
頑なに人為的な養分供給などの行為を拒み、無除草・不耕起に拘り、自然の物まねに徹する一団などを生み出しました。
何れも「怯え」から本質を見失い、見かけに固執。
各種障害(病虫害、生理障害、天災など)から逃れようと「私は何もしていません。お見逃しを」というわけです。
自己中心の淡い期待からの「甘え」です。
でも、自然は理により判定、情状酌量・斟酌なし。
まことに事務的(笑)かつ非情。
自然に対し、そんな甘えは通用しないのです。
これは両極ですが、自然農法の殆どは、このどちらかの影響下にあると思われます。
彼らの長年の努力には敬意を表します。
しかし「殺し農法」と同じように、防除・輪作や排除(残滓や病虫害作物の持ち出し)などをして、どこが自然?。
自然の上っ面を真似ただけで、なにが農法?。なのでしょう?。
提唱者の唱えたものと似て非なるもの。
どこかが違う。なにかが変。
「大自然を尊重し」です。
防除するなら慣行と何ら変わりません。
また、人も大自然の一部。
あれこれと枠をはめ、枷をかけることでもないのです。
自然農法は自在。
理に沿い、土の偉大な力を最大限、発揮させるためなら、何をしても何を使っても構わない、自由農法だということを理解していません。
農法である以上、不自然であっても反自然でなければ良いのです。
ただし、ドラッグ(肥)と殺し(防除・排除・隔離)は理に反します。
今年も、門松が出来たよ。
今日は、毎年恒例の地区の門松作り。
今年も、なかなか立派にできました。
慣れてきたのか1時間ぐらいで完成しました。
今日はクリスマスイブ。
子供二人は出かけてしまって、かみさんと二人で過ごしているよ。
別府湾
「なぜ殺してはいけないの?」子供に聞かれて即座に答えられますか。
人々の命を預かっている百姓(百生)が、しどろもどろでは困ります。
宇宙は命を生かすために在る。
自然(この世界)は命を生かすためのシステム。
これさえ理解すれば宗教や道徳、ましてや哲学などの陳腐な答えは無用です。
尤も、答えに対し理を問うような不遜な真似はしない?宗教。
明らかな答えのある問いなどしない奥ゆかしい?哲学。
何れも無用の長物。
論理的・明快な回答を期待する方が悪いのでしょう。
殺しは自然に敵対する反逆行為。
例外を除きどのような生き物の命でも、奪うということは自然に対する最大の冒涜です。
例外的に自然が殺しを容認するのは、食べる場合(命の収斂作用)と、活きが悪く種の保存・進化に不都合な場合(命の解体作用)に限られます。
ところが、慣行(施肥・殺し)農法では、土壌中の微生物の命を奪い、虫(菌)の命を奪い、自然の命を生かす力を奪い、結果的に自分自身(人)の命を奪っているのです。
種全体から見れば自殺行為です。
本当の自殺が増えています。
社会が弱って(病んで)いる現われです(自殺率は実質GDP,失業率と密接な相関関係にある)。
種全体を救うための自然の対抗手段(自己防衛)で、自殺は社会(のストレス)というウィルスに食べられたと言えます。
そのウィルスを生み出したのは我々一人ひとり。間接的殺人です。
自殺データ: 社会実情データ図録(自殺率の国際比較 , 景気、失業者数、自殺者数の変動幅の推移)
薄情なようですが、個人の自殺も活きの悪い生き物の処分法(命の解体作用)の一つで、細胞のアポトーシスと同様、自然の仕組みの一部(一種の免疫機構)と言えます。
自然は理により結果を出します(法則性)。
一生懸命とか努力、慈悲とか愛とかは無関係で免罪符ではありません。
一生懸命、努力した結果、うつ病で自殺しても、それが自然の理なのです。
自然は非情。
弱れば容赦なく処分の対象です。
問題は弱った原因。
原因を正さない限り、一時的に防ぐことはできても半死状態の命を生き返らすことはできません。
弱る原因は物心両面の餌(物や物理的環境、慈悲や愛、自由)不足です。
微生物に餌を与え生かすように、個人に十分餌を与えることです。
金(物)、権力、自由、精神的ケアーなどの個人配分。
要するに全面的な私有化・私物化。
私利・私欲の奨励です(笑)。
しかし従来の、自由・個人主義は結果的に富・権力が組織に集中し、それを握る一部の者が支配し、逆に支配もされます。
かといって、物質的共有社会の欠陥は社会主義の崩壊で証明済みです。
奴隷・封建制以来、今日まで、富・権力集中の組織社会であり、円滑な循環が行われず、必ず腐敗が起きます。
このような社会は、組織は豊かになっても個人は常に貧しい社会です。
「俺は貧しくなんかない!」本当でしょうか?。
好きなことだけ(仕事等)やってますか?。
それでも必要な収入がありますか。
自分の思いを社会に反映させてますか?。
精神的にも満ち足りていますか?。
税金(元は俺のもの^-^)を自由に使えますか?。
否でしょう。
貴方は貧乏なのです(笑)。
土は痩せ、微生物(個人)が肥えていなければなりません。
無機養分(富、権力)が土壌中(組織社会)にあると、養分(富、権力、自由)のバランスが崩れ腐敗が起き、病虫害(犯罪、テロなど)が発生します。
すると、防疫・防除手段(警察、軍隊)が必要になり、農薬散布(刑罰、戦争)をしなければならないのです。
これは全体(社会)を構成する最小単位の、個を生(活)かしていない証拠。
人類の歴史上、神や正義の名の元にどれだけの人を殺したことでしょう。
殺すなと言っても、人は殺しや自殺を止めやしません。
倫理・道徳を説いても、良心に訴えても、何かを規制したり奪っても、勧善懲悪でも、それだけではダメなんです。
国家や自治体、組織は貧しくても良いのです。
いや、豊かになってはいけないのです。
可能な限り個人を豊かにすることです。
何でも個人に与えることです。
但し、直ちに肥にならない高炭素資材(貯蓄・換金性がないか少ないもの)に限ります。
尤も、個人が豊かな社会では、信用創造は不要で、貯蓄の意味もなくなり通貨制度も変わるでしょう。
信用創造: 銀行が預金と貸出しを連鎖的に繰り返すことで金が金を生み、実体の裏付けの無い通貨が増えていくこと(参考 よくわかる!金融用語辞典)。
自然の仕組み(法則・原理)と主義・思想も直接関係ありません。
共有(共産制)社会は原始共産制の亡霊です。
上(組織)から押し付けの、全が個を制御する共有社会は二度と来ないでしょう。
私有化社会=私のための社会=私が主。
これが自然の意思(命を生かす)に沿った新しい「個の社会」。
「個」が「全」を自動制御する社会システムです。
これは主義でも思想でもありません。
自然の仕組みから解き明かされる理です。
その現われが、地域通貨やウィキペディア、リナックスなど個人の意思による共有。
一見、普通の共有のように見えても実態は、私有(私有の配分)を基礎においています。
フェアトレードも個を生(活)かすシステムです。
地域通貨(参考 Q-project.地域通貨.LETS.CommunityMoney 地域通貨入門): 法定通貨の持つ魔性を排除し、一定の地域で流通する通貨。過去、何度も権力により潰されている。
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia): 誰でも自由に編集や利用ができる百科事典。
リナックス(参考 IT用語辞典e-Words Linux): フリーソフトウェアとして公開され全世界のボランティアの開発者によって改良が重ねられている。
フェアトレード(参考 People Tree): 貧困のない公正な社会をつくるための、対話と透明性、互いの敬意に基づいた貿易。貧しい人々が自らの力で暮らしを向上させることを支援する。
LEDは地味にスゴイ!よ。
LEDの価格が下がってきたので、
自宅の照明をLEDに変えることにしました。
ちょっとした配線工事がありましたが、
ショートしてブレーカーが落ちて停電になりました。
電気工事は、危ないので素人の方はやめましょう。
耐久性はまだわかりませんが、
省エネで明るさもあり地味にスゴイ!ですね。
今までは、ぶら下がっていたので地震の時は心配でしたが
これなら防災になりそうです。
寒い時は、犬もコタツで丸くなっているよ。


炭素循環農法HPより引用
理念と原理
自然農法の提唱者である、岡田茂吉は「私が神示によって知り得た唯心科学を以て説くつもりである」と述べています。
つまり、自然が彼に語らせたのであり、彼自身が考えたものではありません。
また「私は自然農法の原理だけを、教えたので、技術面の方はみんなの方で工夫するということになったのです」とも言わせています。
【理念】 大自然を尊重し、その摂理を規範に順応する。
【原理】 生きている土の偉大な能力を発揮させる。
現在、自然農法の実践者でも、提唱者を知らない(別人を提唱者と思っている)者が増えています。
まあ、それは良いとしても、彼らは当然、理念も原理も知りません。
歴史的経緯から見て、指導的立場にある者が正確に伝えていないためと思われます。
尤も伝える本人が理解できていませんから伝えようがありません。
核心がどこかに行ってしまい、自然農法という言葉だけがひとり歩き。
多種多様な自然農法(自称)が生まれ、自らが作り出した概念に囚われ、がんじがらめになっているのが現状と言えるようです。
草刈りでドロドロになったよ。
今日一日中、地区の草刈り。
ぬかるんでいる所もあり泥が跳ねたり、
長靴に小さい穴が出来ていて靴下がぬれたりして手強い草刈りでした。
一人だと心が折れそうになりますが、
みんなでしたので、あっという間に終わりました。
もったいないので水はけが悪くぬかるんでいる農地も活かせるといいな。
自然農法は一つ
農法は農家の数だけあると言われるほど多様です。
自然農法も例にもれず各人各様。
捉え方もやっていることも違います。
しかし、誰が何処で何をやっても自然に基準を置けば、見かけ(技術は多様)はどうあれ「自然農法は一つ」しかないことが分かります。
ですから「これこそが・・・」という“拘り”は、「私は自然農法を真に理解していません」というのと同じ。
このサイトでは「炭素循環農法」「手抜き農法」「サラダ農法」などと呼んでいますが「自然農法とは・・・」の説明のし易さから単に、そう呼んでいるに過ぎません。
逆説的ですが、炭素循環農法などという「狭い枠に嵌められた」農法など、元もとないのです。
あるのは「農業を通し自然の循環のなかで全ての生き物を生かす」ための真の有機的農業の共通した「捉え方とその応用技術」だけです。
分かってくれば変な“拘り”は、“おかしい”と気付くでしょう。
今日は、たいせつな日だよ。
ハウスの中の最低気温は−3度でした。
ミニトマトも、とうとう萎れてしまいました。
犬のハッピーも、コタツがついていると中から出てきません。
娘が、外でしかトイレをしないハッピーを連れていくために
無理やりコタツから出すと唸っています。
困ったちゃんです。
空気が澄んできて、夜空の星が綺麗になったきたよ。
定義と基準
有機農法や自然農法というと何となく胡散臭さい。
何か曖昧ですっきりしないという印象を受けるようです。
もっともな話で、定義もその基準も明確に示されていません(あっても的外れ)。
的外れ: 有機農業の推進に関する法律 全文(2006-12-8)(ツルネンマルテイ公式サイト→有機農業→)
(定義)第二条
この法律において「有機農業」とは、化学的に合成された肥料及び農薬を使用しないこと並びに遺伝子組換え技術を利用しないことを基本として、農業生産に由来する環境への負荷をできる限り低減した農業生産の方法を用いて行われる農業をいう。
施政者、生産者(実践者を含め)、消費者共に、本質的な違いを知らないからでしょう。
多くは、根拠のない思い込みで有機農法・自然農法と称しているだけと思われます。
生産物も、それを反映し玉石混淆です。
自然農法と言えども不自然です。
そもそも自然に人が手を加えるから農法と言えるのであって、手付かずの自然で人の営みはできません。
農法は農の業(技)、また、経済行為でもあり生産性や効率を追求するのは当然です。
それを放棄すれば物好きの単なる趣味・道楽。
では、いったい何をもって「自然」と冠することができるのでしょう。
人の思い(拘り)は各人各様。
人の数だけ、組織の数だけあり、時々の都合や時代背景、技術の進展などで変わります。
一般に自然農法の基準(不耕起、無化学肥料、無農薬、非遺伝子組み換え、無除草、種子の自家採取など)と言われる、見かけは二義的要因であり、必須ではありません。
あくまでも、結果としてそのようになるのであって、方法(手段)ではないのです。
答えは、単純・明快『地動説』。
つまり、相手(天=自然)に基点を置き、自然の側から全ての事象を捉え、その都合に合わせる。
自然の仕組み=法(則性)は如何なる場合でもぶれることはありません(人が知る知らないは無関係)。
“普遍かつ不変の基準”があってこその定義です。
これで、もう惑わされることはないでしょう。
土井さんの料理をしてみたよ。
明日の朝は、氷点下になりそうです。
まだ少しだけ採れているミニトマトは、今日で最後かもしれません。
中3の娘は、家で毎日のように勉強をしています。
昨日は遅くまで勉強していました。
勉強しながらカミさんと喋ったり、歌を歌ったりなどしないで、
さっさと終わらして寝ればいいのにと言ったりしても聞いていないようです。
やみくもに勉強するのもいいけど、もったいないなぁ。
読書の秋?
最近、土井さんの料理にはまって昨日は茶飯を作ってみたよ。
続 貴方は貧乏(人を食いものにしなくても・・・)
自然の仕組み上、必然的に導き出された答え(貴方は貧乏)は、何かを参考にしたものではありません。
そして答えを出すと「問い」が後から出てくるのが自然○○の仕組み。というわけで最近、その問いを知ることになりました。
労働と所得を切り離す、「基礎所得」ベーシックインカム(BI)構想。
既にかなり具体的な話になっていてテスト(スウェーデンのフリーイヤー)段階とのことです。
フリーイヤー: スウェーデンの福祉国家戦略。
ベーシックインカム構想は、最低限の所得保障です。
もちろん働けばBIとは無関係に労働に見合う対価が支払われます。
しかし、労働と無関係に「食える」点が、労賃で生活する資本主義的原理と本質的に違います。
また権力による非階層化・物質的平等を目指し、崩壊した社会主義とも違います。
この物質世界は上下のあるピラミッド構造(階層構造)。
人の社会でも同じで、階層を無くせば(よどめば)腐り、また自然に階層化します。
階層間の流転(循環)が社会の活力源だからです。
自然に逆らわず階層を維持しながら、ピラミッドの底辺(基礎)部分からしっかりと固めて行こうというのがベーシックインカム構想です。
ベーシックインカム basic income(基礎所得)構想: 婚姻・就労・所得の有無、年齢、性別、資力のいかんを問わず、全ての個人に対し、基本的生活の充足に足る所得を、“無条件で一律”に支給する最低限所得保障。社会保障給付(現金給付=年金、扶助、手当)をすべてこれに置き換える。
- 目的と留意点
- 持続可能な福祉社会を目指す。
- ゆとりある労働と生活「働く自由、働かない自由」「環境との調和」。
- 抑制(禁欲)的なスローライフではない、脱消費(浪費)型経済社会(脱アメリカ型経済社会)。
- 中央権力の過剰介入の排除。地方分権的な社会サービス構想との整合性。
- 社会保障のうちの所得保障部分のみにに関わる。
- 社会サービス(社会保障の現物給付部分)の解体や、「現金給付一本化」「所得一元化」ではない。
- 特徴と効果
- 福祉と就労を切り離し、税制の単純化や社会保障制度との統合・一元化。
- 年金や手当支給などにかかわる非生産的な行政コストがほぼゼロになる。
- 「失業と貧困」、「選別主義の保障制度」からの脱却。
- 家族構成員の性別分業、所得別による家族像の呪縛からの解放。
- 基礎教育・職業訓練や生涯教育期間中の所得保障により労働市場の柔軟化。
- 個人の目標(賃金、生き甲斐)や適格に応じた職業選択・社会貢献、人生設計などの選択肢の多様化。
- 多様な労働の価値(観)の尊重。労働の尊厳。
- 価値観の多様化により、集中生産、効率化と分散、多様性の両立。
- 労働時間などの雇用形態による勤労者の分断を無くし、大幅な「時短社会」の可能性。
- 社会的貢献活動や文化・芸術活動など、収入に結びつき難い物的非生産分野の活発化。
- 労働賃金依存の不安定な生活からの解放。物心両面の生活の質の向上。
- 貧困・生活困窮による犯罪(荷担=組織犯罪)や自己破産、自殺の減少。異常な商法や金融制度の消滅。それに関わる経費の削減。
- 善悪説のストレス(圧力)からの解放。自由・満足度アップにより精神的疾患の減少。
類義・類似語: 市民所得、負の所得税、社会配当、参加所得。
参考: 格差社会 ベーシック・インカム 小沢修司、他。
言い尽くされていることですが現行の生活向上や福祉を餌(脅し)に、勤労意欲をかきたて就労拡大をめざす産業経済、所得保障は、拝金主義、経済成長至上主義を助長。
経済発展と自然環境保全との相反。
中央集権、都市集中、地域格差、所得格差の拡大など、矛盾が増大するばかり。
巷で言われる抑制的な自然農法と同発想の「スローライフ=退行生活」で、原点回帰などと誤魔化し切れる段階ではありません。
制度自体は単純で「働かずとも食える」という保証以外、直接的には何もしません。
しかし、多くの派生効果があり、社会通念の転換に繋がる構想と思われます。
そもそも、機会平等など幻想。
資本主義正当化の方便に過ぎず、常に「食う」が最優先。
食えなきゃ機会もヘチマもありゃしません。
機会平等は最低限の「生活保障=結果平等=同じスタートライン」あっての話です。
食う心配がなくなれば、個人の自由な自発的行動により社会形態も変わります。
仕事、勉学、趣味・娯楽や産業、制度などでも、人々が望むものは行われ(参加)、望まないものは自然淘汰(不参加)されます。
各自の欲求に従い、やればやるほど“結果的に他のためになってしまう”というのがゴールです。
「平等」は階層構造の物質世界のものではありません。
階層のない心(意識)の世界にあり、満足度、幸福度などではかれるものなのです。
無施肥(個人に餌=基礎所得だけ与え)無防除(排除・抑圧なし)。
後は自然に任せれば、虫の餌にならない“無農薬社会?”(笑)。
“有機・自然社会?”のでき上がり。
「個」による「個」のための行動が「全=他」のためなる社会です。
要するに、全てを生(活)かす社会。
主義・思想を超え、個人の自由と尊厳を保証し、何事においても強要しない。
具体的には個人でも組織・国家でも、パイ(糧=命)の奪い合いをしなくても良い社会。
人が人を食いものにしなくても生きられる社会です。
一言で言えば「自利利他」(仏教用語)ですが、これは思想以前の根源的なもの(原理)。
残念ながら過去、説かれているのは結果であり、活用法は説かれていないようです。
このような社会では、最も非生産的な、規制・抑止(法令・法規・警察・裁判・弁護)などに関わる経費の大幅削減に繋がります。
地球規模になれば、防衛・軍備も格安^-^。
テロも戦争も組織主導、誰も参加する理由がなくなれば起きません。
省力・省エネ・省資源^-^。
自然農法は自然から新たなパイを貰います。
BI構想も同じ原理だから奪い合いがなくなるのです。
しかし、ただ待っているだけ(スローライフ)では、棚からぼた餅は落ちてきません。
自然は理(法則)で結果を出します。
人が自然の原理を理解し積極的に活用しなければなりません。
自然が生き物を生かす原理を子供の時から教え、生涯それを活用する術を学ぶ必要があります。
大きいサツマイモなにに使おうかな。
まだ、サツマイモを掘っています。
サツマイモは、肥料を使わなくても大きくなっています。
あまり、甘くはないです。
寝かせれば、甘くなるかもしれません。
大きいサツマイモ、何か使い道はないかな。
種類
養分要求度の低いものから始め、次第に要求度の高いものへ。
全体の清浄度が低くても何とか育つものから、高い清浄度を要求される物へと進みます。
先ずは雑草を育ててみましょう。
雑草が育つようなら何でも育つようになります^-^。
ただ、清浄度と肥沃度により育つ野菜の種類が決まるため、一般的な有機農法や自然農法とはかなり様子が違います。
先ず最初に、ハクサイなどの葉物ができるようになります。
写真は転換後2年目のハクサイ、虫食い無し、葉色も濃すぎず薄すぎず(窒素の過不足)、大きさも十分で施肥栽培と比べても遜色なし。
植物は、根と芽が出て、葉が茂り、根や茎が太り、花が咲き、実が実り、種子ができます。
作りやすい順序は当然、茎葉類、根茎類、花野菜類、果菜類、種実類となります。
これが当たり前の自然の順序です。
もし、この順序通りでない場合は、どこかが反自然と思って間違いありません。
当たり前の自然の順序:
清浄でも微生物相が極度に貧弱で肥沃度が低く、ワラビやスギナなど原始的な植物しか生えないような土地は、雑草などで少し肥沃度(養分供給力)を上げるだけで、サツマイモや豆類、イネができる。これらは窒素固定菌と共生関係が強い。肥沃度を上げるのは、汚染度を下げるより容易。
多様な雑草の生える中程度の肥沃度なら、清浄度を上げさえすれば、葉菜、根菜、イモ類は殆どできる。雑草並みのケールからハクサイ(汚染に弱い)などでも、簡単に育つようになる。大根は少し高目の肥沃度(比較的汚染に強く、低養分に弱い)。カブは更に高い肥沃度・清浄度が要求される。ニンジンは殆ど雑草^-^。
有機(堆肥)農法や自然猿真似農法ではハクサイ(葉菜類)ができたら一人前と言われます。
堆肥はC/N比が低いうえに肥効があり、炭素の相対的不足だけでなく、汚染源にもなっているからです。
また、消極的な自然猿真似農法では、炭素資材を有効活用していません。
炭素の絶対的不足から、清浄度、肥沃度とも上がらず、痩せ地でも育つ物(在来種、種子の自家採取)や、葉が傷んでもよいものしか作れないのです。
何れも、二大要因(清浄度、肥沃度)と、それを上げる仕組みを知らず、育たないと思い込んでいるだけのこと。
有効炭素量を増やせば清浄度と肥沃度は同時に上がります。
高度汚染地(施肥栽培圃場)を転換した場合は、最初から栽培期間の短い葉物の方が、豆類や根菜類より良くできます。
豆類には残留肥効成分が大過ぎ、根菜類には清浄度が足りないためです。
また、果菜類は収穫期間が長く、より清浄且つ肥沃でなければなりません。
実ができても虫(幼虫)が入っていたのでは虫の餌です。
レタスの連作などは栽培期間が短く、栽培適期も長いため、回数を稼げ転換初期に向いた作物です。
しかし通常、多種類を栽培しなければならず、屈辱的ではあっても初期には自然農法の古典技?(上根重点の栽培)の応用も・・・。
虫(害)の方が、菌(害)より簡単になくなります。
虫の方が高等生物、繁殖条件が限られる?からのようです。
一方、菌害は作物の活力(活きの良さ=健康度)が落ちると出やすくなります。
虫の方が高等生物:
先ず、アオムシやヨトウ虫(蝶や蛾の幼虫)など比較的大型の虫がいなくなる。次に飛来する甲虫類が来なくなり(虫食い痕だけで虫がいない)、アブラムシやダニなど進化度が低い?虫だけになる。ダニなどが減る頃には菌類(カビ病)も減り、最後まで残るのがバクテリアやウィルス病などである。
そこで、土の浄化の進展具合や養分供給度(循環量)を知る必要があります。
作物や土壌の硝酸濃度を調べる以外にも、土の状態を知る目安になり、転換初期でも栽培容易な、指標作物と呼べるものを育ててみます。
指標作物:
ハクサイ: 最も虫が付きやすく、根が深くまで入るため土壌中(深部まで)の無機態窒素(硝酸態)の減少具合を知ることができる。これに虫が付かなくなれば、ほぼ浄化が終わったと考えて良い。
サツマイモ: 汚染地でもそれなりに育つが、痩せ地でも育つ吸肥力が災いし硝酸、腐敗成分、堆肥成分(畜糞臭)などの不味い成分、悪臭成分を吸収・蓄積し、味や臭いが極端に悪くなる。逆にみれば、土の良い香りを満喫するには最適の作物。
ニンジン: サツマイモと同様に清浄度を正確に反映する。養分不足が重なれば野生化(芯が太くなり、スジ、アクがある)。
ダイコン: 肥沃度を知るのに適している。比較的汚染に強いが、養分不足に弱い。養分不足では成長が遅く、すが入ったり、硬くなり煮えが悪くなる。センチュウにより肌(根の表皮)が荒れる。
トウモロコシ: 養分量に敏感で量に比例し草丈が決まる。スイートコーンの実の食害程度で汚染度が分かる。重度汚染なら種実まで食べる。軽~中程度では毛(雌しべ)だけ食べる、汚染がなくなれば全く食べない。
大量施肥のために高度に汚染された土でも、無機肥効成分を有機化(生物化)することで浄化できます。
しかし、もっと厄介な汚染があります。
特にプロ(農業者、農学者、農業技師など)に見られる頭の高度汚染(笑)。
頭のリセットは土のリセットより、はるかに難しいのです。
ただ、意外なことに肥料、農薬を使いまくったプロの方が一旦気付けば、あっという間に見事な作物を作ります。
逆に有機・自然農法(猿真似)経験者は、必ずと言ってよいほど、もたつきます(自然農法症候群)。
堤の草刈りをしたよ。
今日は、堤(つつみ)の草刈り。
昨年同様、1時間ほどで終わりました(今年は11人)。
今年は、サツマイモを掘らずに越冬してみようと思いましたが、無理そうなので掘ることにしました。
そのあとは、里芋と菊芋が待っています。
今朝、ちぃの車のエンジンがかかりませんでした。
7年ぐらい前に替えたバッテリーが弱っていたので交換しました。
慌ただしい時に限って、なにかトラブルがあったりするね。




















