鎌倉フォトギャラリー II【北条時頼と北条時宗】 | 北条得宗家の鎌倉めぐり

北条得宗家の鎌倉めぐり

養老孟司教授の著書に書かれている医療や歴史の他に鎌倉散策の様子などを中心に紹介

 

3月に行けなかった場所へ行く。というより私はなるべく北鎌倉駅から鎌倉駅に向かって歩きながらの散策が多い。この方が道に迷わず分かりやすいのである。題して鎌倉幕府五代目執権・北条時頼と鎌倉幕府八代目執権・北条時宗を弔う。前回と同じく途中で食事することなく、午後ですべてを終える計画を立てている。だから一人旅であるし新型コロナウィルス(COVID-19)の中でもオミクロンBA2が蔓延する前に行く。

 

【円覚寺】

 

 

美しい桜がお出迎え。そしてタイトル通り、北条時宗を弔う。実は佛日庵に入る前に、どうしようかなと入り口ギリギリで迷っていた。いっそのこと、このまま足を踏み入れるか、否か、モタモタしているうちに背後から修行僧が声をかけてきて「拝観ですか? コチラでどうぞ」と窓口を指してきた。もう、こうなったら入らない訳にはいかない。修行僧に向かって「入り口で500円も踏んだくって別料金で100円も取るなこのハゲ!」なんて言えないしな。身体所作として竹ぼうきで一生懸命に掃いている修行僧に啖呵を切るわけにはいかない。線香を挿して合掌。有り難いね。

 

【明月院】

 

 

北条時頼の墓がある明月院へ。いまだ家の人間に「怖がりの癖によく行ったね」って言われる。墓と位牌を見てビビッていた子供時代。じゃあどうして行けるようになったか。それは私自身が変わったから。意識中心で考えると、これはたぶん分からない。私にとっての変化は従妹が亡くなった2009年と、私自身の身体に及ぶ大きな変化が起きた2018年。薬を飲まずにはいられなくなった。それは従妹が24歳で亡くなったからこそ素直になったんだと思う。実は、ご飯を食べても死にます。でも、ご飯を食べないと、もっと早く死が来ます。こういう教えは今でも心のどこか(それは)にしまってあって、現代人の諸行無常という無常論は、鎌倉時代においては常だった。現実に引き戻されること、あってもいい。 

 

実は6月上旬に紫陽花が咲き誇る階段のところで、ジジイが手を振っていやがってさ。私に向かって合図しているのか。でも、ここで撮らせてくれよ。考えが違うんだから。目的が違うんだ。ちゃんとしたカメラ持って歩く人は花だけを撮っている。私はこの「自然の演出」を撮りたいんだよね。全体の世界観を含めてさ。私が「このオッサン邪魔だな」と思っていたら、暫くすると40代後半から50歳前後ぐらいかなオバハンにも「すみませんけど1枚撮らせてもらっていいですか?」なんて邪魔扱いされていた(笑)。さすがにオバハンには歯向かえないだろ。撮影はね。

 

いや撮影もそうだけど、別に、この人に悪く言うつもありはない。だけど、勘違いしている中高年は少なくないという。実際にコロナ禍においてのオッサン・インスタグラマーの増加が顕著だという。投稿する内容は自慢話や武勇伝のほかに説教など。嘘だと思うならデイリー新潮の記事でも見ればいい。本当は若い人のインスタグラム利用者は減っているんだよね。山ノ内すずに罵詈雑言を浴びせたり、嫌なら見るなというより、使うなよ。使う資格ないよ。戦前生まれの人の方が若い時に羽目外した分だけ「今日のところはここで許してやろうか」みたいに譲れるところは、きちんと譲っていたのが、戦後生まれだと相手が土下座して白旗を挙げるまでやめなかったりね。そういうの精神科医の片田珠美が持論を展開して「生まれつき持ち合わせていた自己愛がネットを通して日本全国や果ては世界に晒す形で顕著に出た」と述べているけど、恐らくそっちの方がより正確だと思う。増えたというより、防犯カメラやスマホなどで生活圏の負の面が目に見える形で顕著に表れたんだと思う。

 

【建長寺】

 

 

私が写真を撮るの下手なのは、御覧の通り。きちんと撮れたのがコレしか残っていない。桜が綺麗だった。建長寺の境内を徘徊…じゃなくて、拝観している途中、僧侶に出くわし目が合ってしまった。合掌して挨拶。頭を下げるだけ。これなら言葉いらないだろ。何でもかんでも、言わないと分からないのでは、話にならない。元はと言えば、歴史上においての遥か昔なんて、今現在ほど雑談なんて、していない。どこかに、買い物に行くわけでもないしね。相手も同じことをしてくれれば気持ちがいい。挨拶ってなんて素敵なんだろう。そう思わんかい。これも身体所作だからね。偉い人の挨拶って言葉にならないけど美しい。管長という立場の人の合掌を見たことがあるかい?あれを手本にすればいいんだよ。

 

金の扉の方丈という場所があって、庭園を撮りたいと思ったから入ったまで。人口の池がある。これぞ自然の演出なのだよ。なんだか言葉で言い表すことの出来ない美しさ。そういうのを一度は体験してみたっていい。だからこういう場所に来ると癖になってくる。また来たい場所の一つだね。ちなみに手ブレ感も、自分で撮った証。完璧じゃないのが自分で撮る写真の良さだと思っている。自己満足で売り物じゃないからね。

 

【虫塚】

 

 

さて、肝心()の虫塚。ここに来れば虫塚も見とかなきゃあね。北条時宗の墓。そして北条時頼の墓。さらに虫塚。なんだか鎌倉に来ると、墓ばっかり見ているな。死体が出てくるわけではないけどそういうのをで想像しているからビビッてしまう。実際に来れば物静かなものだった。

 

【鶴岡八幡宮】

 

 

以前に「巫女さんの様子を撮っていいですか?」って本気で尋ねたことがある。やっぱりダメなんだね。以前もだが、それっきりはもちろん撮っていない。いわゆる「京都の舞妓パパラッチ」ならぬ「鎌倉の巫女パパラッチ」になるわけいくまい。舞妓さんはジャパニーズ・キャバクラとしての御座敷遊びを仕事としていて、撮られるためにいるわけではない。それと同じく、巫女さんはお守りなどの神社グッズをひたすら売っている立場のようだ。3月と違って4月は桜が綺麗だったよ。これもまた自然演出なんだろうね。屋台が出てるけど誰が買うかってんだいらないよ。

 

【大河ドラマ館】

 

 

次に大河ドラマ館(ボッタクリ館)。私は敢えてあだ名をつける癖がある。例えばだがコロナ関連の薀蓄を垂れる医師に対しては「ヤブ医者」とか「虫垂炎」とか「詐欺師」とか、悪口を並べるのだが、一つの思い出になったことは、まだマシな方だろう。中では北条義時になって撮影も出来る。実はこれ烏帽子を北条義時と源頼朝で選べて、ただ単にそれでシャッターするだけ。靴を脱いだ方が、臨場感が云々と言うけれども自分の格好をよく見てみい。私みたいに仕事で、緊急事態宣言や蔓延防止措置が出ている間は給料をやや下げるものの、テレビ朝日『報道ステーション』のごとく週4日勤務で回す、ある程度、大きな企業もあるわけで、そういうのを理由にコロナ太りを言い訳にするのだが、体型が変なのはもともとだとしても、洋服に烏帽子って変だよ。騙されないよ。どうせ体験と言っても、着物までなければ烏帽子は似合わないワケだし。

 

【段葛&小町通り】

 

 

参道は桜のアーケードがお出迎え。これが本当に良かった。まだ間に合っていた。ある程度、予測はしても自然は待ってくれないからね。さらに途中、左右に「カトリック雪の下教会」と「鳩サブレー」を見つけた。宗教にお土産屋は、どこまでもついて回るな。鶴岡八幡宮だから、てっきりツルだと思っている人は、出直してくるべし。鶴岡八幡宮のマークは鳩。だからお土産もそれに倣って鳩サブレーなのだ。それとは、関係ないもののいずれ日本全国に「鴉・烏(カラス)サブレー」も存在するのか見つけてやりたい。とにかく鎌倉市を挙げて大河ドラマ・ブームなんだね。

 

【公式ウェブサイト】

臨済宗円覚寺派大本山・円覚寺 公式サイト

臨済宗建長寺派大本山・建長寺 公式サイト

鶴岡八幡宮 公式サイト